第14話 王太子殿下の独占欲が重すぎます
他国の姫君であるシャルロッテ様を、前世仕込みの完璧なダンスで魅了してしまった大夜会の翌日。
王太子専用の執務室は、まるで北国の冬のような凍てつく空気に支配されていた。
カチャン、と羽ペンがインク壺に当たる音すら、やけに大きく響く。
「……ローゼンフェルト。この書類の確認がまだだが」
「は、はい! ただいま!」
私は、自分のデスクに山積みになった書類から顔を上げ、引きつった営業スマイルを浮かべた。
アレクシス殿下は、明らかに不機嫌だった。
朝からろくに口も利いてくれず、ただ無言で私のデスクに膨大な量の仕事を積み上げていく。
その青灰色の瞳には、常に私を射抜くような鋭い光が宿っていた。
(絶対怒ってる。絶対、昨日のダンスのことで怒ってる……!)
昨夜、私がシャルロッテ姫をエスコートして見事な見得を切った直後。
広間の反対側でシャンパングラスを握り潰しそうになっていた殿下の姿が、脳裏に鮮明に焼き付いている。
ジュリアン殿下を宰相派の嫌がらせから守るためだったとはいえ、やりすぎた自覚はある。
王太子の側近見習いという分際で、主君よりも目立って他国の姫を口説き落とす(ように見える)など、言語道断だ。
「申し訳ありません、殿下。昨夜は私の差し出がましい振る舞いにより、王室の面子を……」
「面子などどうでもいい」
私が書類を受け取りながら謝罪しようとすると、殿下は低く冷たい声でそれを遮った。
「私が不愉快なのは、君があの場で、あの女にあのような……熱を帯びた視線を向けたことだ」
殿下は椅子から立ち上がり、ゆっくりと私のデスクへと歩み寄ってきた。
長身から見下ろされる圧迫感に、私は思わず息を呑む。
「他国の姫にまで色目を遣うとは。……君の言う『双子の妹』の教えは、随分と熱心らしいな」
「そ、それは……! ジュリアン殿下があまりにもお労しげでしたので、つい……他意は全くございません!」
「他意がなくて、あの甘いステップが踏めるのか?」
ドンッ、と。
殿下が、私のデスクに両手をついて、覆い被さるように顔を近づけてきた。
「っ……!」
突然の至近距離。
殿下の整いすぎた顔が、鼻先が触れそうなほどの距離に迫る。
月光を思わせる銀髪の隙間から、冷たい怒りと、ドス黒いまでの熱情を孕んだ青灰色の瞳が私を射抜いた。
「君は、誰の側近だ、リオン」
「あ、アレクシス殿下の……側近見習いでございます」
「そうだ。君は私のものだ」
私のもの。
その言葉の響きに、私の中の『令嬢リリアーナ』が、ビクリと小さく悲鳴を上げた。
男装しているとはいえ、私は年頃の女の子なのだ。
こんな圧倒的な美貌を持つ王位継承者に、これほどまでに強烈な執着と独占欲をぶつけられて、動揺しないわけがない。
恐怖とは違う、心臓が早鐘のように打ち鳴らされる感覚。
前世で私がファンに向けて放っていた『落とすための甘い言葉』よりも、何倍も質が悪く、そして抗い難い覇気。
「私の許可なく、私以外の何者かに、その完璧な微笑みを向けることは許さない。……わかったか」
低く、鼓膜を直接震わせるような囁き。
「……は、はい。肝に銘じます」
私が震える声で答えると、殿下はふっと息を吐き、ようやく顔を離してくれた。
(心臓が止まるかと思った……)
私は、机の下でギュッと拳を握り締め、冷や汗で張り付いた背中の感覚に耐えた。
おかしい。
いくら有能な部下(実際はただの前世のスキルだが)だからといって、ここまで執着するものだろうか。
「私の側近」という枠を超えて、もっと個人的で、重い感情が混じっているような気がしてならない。
(このままだと、正体がバレるどころか、別の意味で食べられてしまうのでは……?)
王太子殿下×男装の側近。
前世の劇団なら、間違いなく大ヒット間違いなしの禁断の演目だが、現実で自分がヒロイン(?)の立場になるのは御免である。
私はあくまで、フリフリのドレスを着て王子様にエスコートされる、可愛い『姫』になりたいのだ。
男の姿のまま、重すぎる執着を向けられたいわけではない。
「……さて。反省の色は見えたようだから、次の仕事の話をしよう」
殿下は、自身のデスクに戻ると、何事もなかったかのように平然とした声で言った。
さっきまでのあの重い空気は一体何だったのか。王族の感情の切り替えスピード恐るべし。
「次の仕事、でございますか」
「ああ。今週末、王都の市井へ視察に出る。最近、下町で妙な噂が流れていると報告があってな」
市井への視察。
それは、王族が身分を隠して街へ下り、民の生活を直接見るというものだ。
「かしこまりました。では、第一騎士団から護衛を数名手配し……」
「必要ない」
私が予定を組もうとしたのを、殿下はあっさりと一蹴した。
「騎士団を連れ歩けば、いくら身分を隠しても目立つ。それに、あまり大ごとにはしたくない」
「で、ですが、殿下の御身に何かあれば……」
「だから、君を連れて行くのだ」
殿下は、ニヤリと唇の端を釣り上げた。
「君のあの、無駄のない『美しい剣術』なら、私の背中を任せるのに十分だろう? ……護衛はつけない。私と君の、二人きりだ」
「…………はい?」
私は、自分の耳を疑った。
王太子殿下と、男装した私。
護衛なし。二人きり。お忍びで市井の視察。
(それって、完全に『お忍びデート』じゃないですかあああぁぁぁ!)
心の中の絶叫は、声にはならなかった。
王宮の中だけでも殿下の執着に胃を痛めているというのに、城の外へ連れ出されるなんて。
しかも、私の剣術は前世仕込みの『殺陣』であって、本物の暴漢を相手にできるような代物ではない。
「というわけだ。せいぜい、私を楽しませてくれよ、リオン」
殿下は、これ以上ないほど機嫌の良い笑顔で、私に決定事項を告げた。
私のささやかな三か月の平穏は、もはや幻どころか、前世の記憶の彼方へ消え去ろうとしていた。
週末の市井視察。
そこで私のハリボテ剣術がバレるのか、それとも別の意味で殿下の地雷を踏み抜くのか。
いずれにせよ、私の胃痛はさらに加速していくのだった。




