第12話 双子の妹を言い訳にしたら墓穴を掘りました
「君は、この完璧なステップとエスコートを――一体、誰に習ったんだ?」
静寂に包まれた夜の小サロン。
暖炉の火の粉が小さく爆ぜる音だけが響く中、アレクシス殿下の低く甘い声が私の鼓膜を震わせた。
殿下の顔は、私の鼻先が触れそうなほどの至近距離にあった。
青灰色の瞳が、逃げ場を探す私の視線を絡め取り、一切の誤魔化しを許さない強烈な光を放っている。
私の腰に添えられた大きな手の熱が、服越しにじわじわと伝わってきて、心臓が早鐘のように鳴り始めた。
(どうする。どう言い逃れるの、私!)
頭の中で警鐘がガンガンと鳴り響いている。
前世で女性だけの星都歌劇団の男役トップスターとして、何千人もの娘役を相手にエスコートの技術を磨き上げてきました、などと馬鹿正直に言えるわけがない。
そもそも、私は今、ローゼンフェルト伯爵家の長男『リオン』としてここにいるのだ。
ただの伯爵令息が、王太子すら凌駕するほどの女心の掌握術とエスコートの極意を知っている理由。
そんな都合のいい言い訳が……。
「……い、妹です」
気がつけば、私の口は勝手に動いていた。
「……妹?」
「はい。私には、双子の妹がおります。リリアーナという名の」
私は、殿下の瞳から少しだけ視線を逸らし、伏せ目がちにしながら言葉を紡いだ。
「妹の……リリアーナは、幼い頃から『理想の王子様』というものに、並々ならぬ執着を持っておりまして」
「理想の王子様に、執着?」
殿下が怪訝そうに眉を寄せる。
私は心の中で「ごめんなさい、私!」と自分自身に土下座しながら、嘘八百のストーリーをでっち上げ始めた。
「ええ。彼女は、物語に出てくるような完璧なエスコートを夢見ていました。そして、顔がそっくりな私を相手に、その理想を押し付けてきたのです。……『リオンお兄様、腰に添える手の圧が強すぎますわ。もっとふんわりと、でも落ちないように』『視線は私だけを見てくださいませ。その瞳に甘さを宿して』……と」
言いながら、私自身の顔が熱くなっていくのを感じた。
なぜなら、今私が語っている「妹の厳しい要求」は、前世で私が理想の男役を追求するために、自分自身に課していたストイックな課題そのものだったからだ。
「なるほど……。つまり、君のその見事なまでの所作や、相手を安心させるリードは、すべて妹君の『理想』に付き合わされた結果の産物だと言うのか」
「その通りでございます。血の滲むような……いえ、涙ぐましい特訓の日々でした。少しでもステップの幅が広ければ足を踏まれ、視線が泳げば扇で叩かれ……。私はただ、妹の理想とする『完璧なパートナー』を演じさせられていただけなのです」
私は、過去のトラウマを思い出す不憫な兄の顔を装い、深くため息をついてみせた。
殿下は、私の腰からゆっくりと手を離し、少し離れた距離からまじまじと私の顔を見つめた。
その表情は、呆れと、そして妙な納得感に包まれていた。
「……双子ゆえの同情を禁じ得ないな、ローゼンフェルト」
「ご理解いただき、感謝いたします、殿下」
私は恭しく頭を下げた。
よし。誤魔化せた。
多少、妹の性格が『理想を押し付ける我儘な令嬢』として殿下にインプットされてしまった気もするが、背に腹は代えられない。
どうせ三か月後には兄が戻ってきて、私はただの伯爵令嬢に戻るのだ。王太子殿下と個人的に親しく口を利く機会など、二度とないはず。
「しかし、驚いた。あの完璧で隙のない君を、そこまで自在に操り、仕立て上げる令嬢がいるとはな」
殿下は、面白そうに唇の端を釣り上げた。
「君と双子だというなら、容姿も君によく似ているのだろう。そして、それほどまでに高い『理想』と美意識を持っている」
「あ、いえ。顔は似ておりますが、妹はもっとこう……気弱で、おとなしいというか……」
私は慌ててリリアーナの印象を軌道修正しようとしたが、殿下は私の言葉を遮るように手を挙げた。
「謙遜は不要だ。……君の妹君、リリアーナ嬢と言ったな。近々、彼女も正式に社交界へデビューするのではないか?」
その言葉に、私の背筋に冷たい汗がツーッと伝わった。
「ええ……。数ヶ月後に開かれる、白薔薇舞踏会にて」
「白薔薇舞踏会か。王宮が主催する、令嬢たちの特別な晴れ舞台だな」
殿下は暖炉の火を見つめながら、楽しげな声で告げた。
「是非一度、お目にかかってみたいものだ。君という傑作を創り上げた、その妹君にな」
「……っ!」
心臓が、ヒュッと縮み上がった。
「で、殿下。妹は田舎育ちの世間知らずでございます。殿下の御目に掛かるような価値は……」
「私が価値を判断する。……君がこれほど優秀なのだから、妹君もさぞや素晴らしい令嬢に違いない。白薔薇舞踏会には、私も顔を出すとしよう」
ニコリと、これまでで一番爽やかで、そして絶対的な意志を秘めた笑顔を向けられ、私の魂は口から抜け出そうになった。
(終わった……)
私は、顔に張り付けた営業スマイルをかろうじて維持しながら、内心で頭を抱えて絶叫した。
白薔薇舞踏会。
それは、私がお母様との思い出のドレスを着て、可憐な令嬢『リリアーナ』としてデビューする、絶対に譲れない一番大切な夢だ。
その夢の舞台に。
よりにもよって、私の男装姿『リオン』を隅々まで観察し、側近として執着している王太子殿下が、ロックオン状態で乗り込んでくるというのか。
もし、少しでも所作の癖が出たら。
もし、声のトーンで気づかれたら。
リオンとリリアーナが同一人物だとバレた瞬間、ローゼンフェルト家は王室を欺いた大罪で取り潰しになり、私の夢もドレスもすべて泡と消える。
(自分で自分の首を絞めたわ、私……!)
王太子殿下の鋭い追及から逃れるために使った「双子の妹」という言い訳が、まさか私自身の最大の晴れ舞台に、最強の監視カメラを設置する結果になるとは。
「では、ローゼンフェルト。今夜の練習はここまでにしておこう。君のおかげで、少し自信がついた」
「お役に立てて、光栄で……ございます」
私は、消え入りそうな声で返事をし、ふらつく足取りで一礼した。
三か月間、壁のシミとして平穏無事にやり過ごす。
そんな私のささやかな計画は、もはや跡形もなく粉砕されていた。
王太子の執着、第二王子の崇拝、叔父の暗躍。
そして迫り来る、白薔薇舞踏会での正体発覚の危機。
私の王宮での身代わり生活は、いよいよ引き返せない地獄の様相を呈してきていたのだった。




