第67話 届かぬ刃
東門の門楼へ続く歩廊は、血と怒号に満ちていた。
歩廊の中央にエルネストが立ち、その背後をオーランジュの突入兵たちが門楼へ向けて走っていく。
彼らの役目はただひとつ。大門を開けること。
そのためだけに血で滑る石床を走り、仲間の死体を踏み越えて進んでいた。
そこへ、リリィ率いる魔法騎士隊が駆けつけた。
歩廊は狭い。横には広がれず、同時に前へ出られるのはせいぜい三人ほど。
魔法騎士隊が得意とする包囲陣形も、側面からの連携も、ここではほとんど意味をなさなかった。
それでも敵を止めなければならない。
門楼を奪われれば東門が開く。門の外にはオーランジュ軍の主力が待っており、それがなだれ込めば王都が陥落するのは目に見えていた。
一秒とて惜しい。感傷に浸っている暇などない。
リリィは一言も発さぬまま踏み込んだ。
剣が走る。
エルネストが受ける。
狭い歩廊に金属音が弾け、後方の魔法騎士が魔力弾を放った。さらに横へ回り込むように側面の騎士が突きを入れる。
速い。
騎士隊の動きに無駄はない。前衛が剣を合わせ、後衛が魔法で逃げ場を潰し、もう一人が隙を突く。
普通の兵なら、反応する間もなく倒れていただろう。
だが、エルネストは下がらなかった。
リリィの刃を剣で受け、そのまま横へ滑らせる。直後に左手をわずかにかざし、無詠唱の防御術式で魔力弾を弾いた。
踏み込んできた騎士の突きを体をずらして外へかわす。その勢いで顔面に剣の柄を叩き込んだ。
騎士が崩れる。
後衛がすぐに引きずり下げ、別の者が前へ出た。
リリィが歯を食いしばる。
エルネストは前へ出てこず、後ろへも下がらない。歩廊の真ん中に立ったまま、リリィたちの攻撃を受け止めていた。
積極的に倒しに来るのではない。時間を稼いでいるだけ。
その事実がリリィの腹の底を熱くした。
「なめるなぁ!」
叫びとともに、彼女は再び斬り込んだ。
上段から振り下ろす。受けられる。返す刃をかわし、さらに踏み込む。だがその瞬間、エルネストの剣が角度を変えた。
リリィの体勢が崩れて刃が迫る。
「副隊長!」
その瞬間、オスカーが飛び込んできた。
差された剣がエルネストの一撃を受けたが、それは受けきれる重さではなかった。
火花が散り、刃が流れ、オスカーは咄嗟に半身を引いたがかわしきれない。
エルネストの剣が、彼の脇腹を深く裂いた。
「ぐっ……!」
「オスカー!」
リリィが上ずった声を上げる。
敵を前にして視線を逸らすなど、騎士としてあるまじき行為だった。
その視界の端で、オスカーが耐えきれず膝をつく。
鎧がなければ胴を割られていただろう。しかし、幸いにも急所は外れていた。後続の騎士がすぐに肩を掴んで後ろへ引きずっていく。
「下がれ!」
「まだ、やれる!」
「黙ってろ!」
別の騎士が叫び、オスカーを押し込むように後方へ運んだ。
それでも、戦いは止まらない。
新たな騎士が前へ出て、魔力弾を二つ、三つと連続して放つ。
狭い歩廊では逃げ場がない。リリィはその弾幕に合わせて、低い位置から剣を走らせた。
だが届かない。
エルネストは魔力弾を弾き、リリィの斬撃を剣で受け流し、ほんの半歩だけ体を入れ替えた。
そのわずかな動きだけで、こちらの連携は途切れてしまう。
リリィが奥歯を噛む。
自分たちは魔法騎士だ。王国の精鋭なのだ。
普通の兵なら束になっていても押し返すことができる。その自負に恥じぬ働きをこれまでもしてきた。
しかし、それが目の前の男には通じない。
歩廊が狭いから。
連携が活かせないから。
そう言い訳することはできる。しかし、それがすべての理由にはならなかった。
勇者とは、これほどのものなのか。
常人には決してたどり着けない遥かな高み。
どれほど努力を積み重ねようと、いくら訓練に明け暮れようと、その背中さえ捉えられない。
これまでの想いはいったいなんだったのか。
憧れ、追い、並ぼうとしてきた。
しかし、いまさらながらに、そのすべてが烏滸がましいのだと思い知らされる。
そんな思いが胸の奥で冷たく沈んだ。
その時だった。
エルネストの背後、門楼の方角から声が上がった。
「東門確保!」
オーランジュ兵の声だった。
「閂を外せ! 落とし格子を上げろ!」
声に続いて、重い金具の軋む音が響き始めた。門楼の内側で鎖が巻き上げられていく。誰かが怒鳴り、別の誰かが歓声を上げた。
リリィの顔から血の気が引いた。
「駄目だ……!」
反射的に走ろうとする。
だが、エルネストがまだ立ちふさがっていた。
歩廊の下からさらに大きな声が聞こえてくる。外側で待機していたオーランジュ兵たちの声だった。
門が動いたのだろう。重い扉が軋み、地面を震わせるような音が城内へ響き始めていた。
東門が開く。
それを理解したとき、ジルニッツ兵たちの表情が変わった。剣を握る手が緩み、誰かが一歩下がり、別の誰かが呆然と門楼の方角を見る。
終わった。
その空気が、血と煙の中にじわじわと広がっていく。瞬間、リリィも下の混乱へ意識を奪われた。
その時、エルネストが動いた。
リリィの剣を強く弾く。彼女が踏みとどまるより早く、エルネストはその場から身を翻した。
「待て!」
リリィが叫ぶ。
しかし、エルネストは振り返らない。
歩廊の縁へ走り、ためらいもなく手すりを越え、そのまま城内へ飛び降りた。
「逃げるな!」
リリィが歩廊の縁へ駆け寄る。見下ろせば、エルネストはすでに着地していた。
この高さから飛び降りたというのに、膝をついたのは一瞬だけだった。すぐに立ち上がり、血と汚れにまみれたまま王宮奥へ向かって走り出す。
こちらを一瞥すらしない。
もはや魔法騎士隊など、彼の中では意味を失っていた。
門が開いた。
役目は終わった。
だから次へ行く。
それだけだった。
リリィは歯を食いしばったまま、歩廊の上からその背を見下ろした。
東門からオーランジュ軍の主力が押し寄せてくる。
城内の守備兵が迎え撃つが、勢いが違いすぎた。押し返そうとした隊列は砕かれ、槍の列が割れ、怒号と悲鳴が入り混じりながら王都の内側へ広がっていく。
ザッテルハイムは、内側から破られた。
本来なら、ここで魔法騎士隊を率いて防衛に回るべきだろう。
敵の突破を少しでも遅らせる。王宮へ向かう敵を食い止める。まだやるべきことはいくらでもあった。
だがリリィには、エルネストの向かう先がわかってしまった。
王妃コルネリア。
あの男が向かう場所はそこしかない。
リリィが振り返る。
オスカーは歩廊の端に座り込み、布で脇腹を押さえられていた。顔は青いが意識はあり、命に別状はなさそうだった。
その姿にリリィは一瞬だけ安堵した。しかし、すぐに表情を引き締める。
「私は奴を追う!」
声を張った。
「ホルスト、お前が指揮を引き継げ!」
後方にいた魔法騎士の一人が目を剥く。
「はい!?」
「東門を押さえろ! 無理なら王宮への通路を塞げ! 敵を奥へ通すな!」
「ふ、副隊長!?」
「聞こえたな!」
リリィの一喝にホルストは息を呑み、すぐに頷いた。
「了解しました!」
その時、止血されていたオスカーが顔を上げた。
「ちょ、ちょっと副隊長!」
痛みに顔を歪めながらも必死に声を張る。
「どこ行くんですか!?」
リリィは一瞬だけ振り向き、言う。
「あいつの行き先は決まっている!」
それだけ言うと、リリィは歩廊の階段へ向かって走り出した。
背後では東門の戦音がますます膨れ上がっている。
オーランジュ兵の怒号、ジルニッツ兵の悲鳴、弾ける魔法の光、崩れていく隊列。それらすべてがひとつの奔流となって、王都の内側へ押し寄せていた。
それでもリリィは振り返らなかった。
もはや迷いはない。
エルネストが向かう先など、ひとつしかないのだから。




