第48話 祈りにも似た覚悟
最初に放たれたのは、魔力弾だった。
ヘルムートの号令と同時に、魔法騎士隊の前列が一斉に腕を振り上げる。詠唱はなく、短く練り上げた魔力が、青白い光の塊となって戦場を奔った。
数ではなく密度。
狙いは一点、突破の核。
その中心にいる男だけを潰すための魔力の奔流。
土煙を切り裂き、閃光が連なる。乾いた破裂音が重なり、遅れて衝撃が地を震わせた。
巻き上がった土と煙が視界を遮り、周囲の兵たちが思わず身をすくめる。近くにいたジルニッツ兵の一人など、熱と風圧に耐えきれず地に倒れたほどだった。
リリィは馬上で息を止める。
これで終わるとは思っていない。せめて足だけでも止まればいい。
一瞬でも動きが鈍れば、その隙に包囲できる。
煙の向こう、エルネストが切り開いた血路の先へ続いていたオーランジュ兵の流れが、わずかに滞った。
やったか、と少なからぬ者が思った。
しかし次の瞬間、その期待は淡くも消え去る。
煙の中から、エルネストが歩み出たのだ。
外套の裾は焦げ、肩口には土がこびりついている。だが、それだけだった。足は止まらず、傷らしい傷も見えない。
彼の前方に薄い揺らぎが残っていた。それは魔力を駆使する者なら誰でも知る、無詠唱で組まれた防御術式の残滓だった。
「……っ」
隊の後方で、小さく息を呑む音が重なる。
無理もない。
魔法騎士隊の集中砲火に耐えた者などこれまでいなかった。それも避けたのではなく、受け切ってみせたのだ。あれほどの至近距離で。
リリィが声を張り上げた。
「なにをしている! 全員でかかれ!」
その怒声が、ひるみかけた空気を叩き割った。
魔法騎士たちが再び前へ出る。剣を抜く音が重なり、地を蹴った。
彼らは局地戦闘の精鋭だ。一対一の技量だけで見ても、一人ひとりが達人級だった。そこへ魔力による補助と連携が加われば、普通の剣士なら囲まれた時点で終わる。
しかし相手は普通ではなかった。
最初に斬り込んだ騎士の剣を、わずかに身を傾けて外した。返す刃が喉を狙い、横合いから別の剣が入り、さらに後方から火球が落ちる。
火球は直撃寸前で魔力の壁に砕け、散った火の粉が血と泥の上に転がった。
休む間がない。
前から剣。
横から槍。
死角へ回り込もうとする騎士。
そこへ魔力弾。
魔法騎士隊は渾身の一撃を狙うのではなく、ただ足を止めるためだけに攻めを重ねていた。
真正面から討ち取るのではない。呼吸を乱し、守りを崩し、突破の流れを寸断するためだけに、剣と魔法を迷いなく組み上げていたのだ。
エルネストの外套が裂けた。
浅い。だが、初めて確かな手応えがあった。
続けざまに二人目、三人目が間合いを詰める。
エルネストは一歩引き、返しの一撃で一人の肩口を斬り裂く。血が飛ぶ。しかしその間にも別の騎士が魔力弾を撃ち込み、さらに横から剣が伸びる。
無詠唱の防御術式は強い。
だが万能ではない。
展開し続ければ剣を振るう腕が鈍り、剣に転じれば魔法が飛ぶ。魔法を弾けば、今度は刃が入る。息をつかせぬ攻めとは、まさにこういうものなのだろう。
それでもエルネストは崩れない。
押し返されながらも体勢を乱さず、最短の動きだけで前を開こうとする。守るために耐えているのではなく、進むために受けている。
その光景は、周囲の背に冷たいものを走らせた。
ヘルムートが馬を捨てて踏み込んだのは、その時だった。
「下がれ!」
怒声と共に、隊の前へ出る。
剣筋に迷いはない。狙うのは首でも心臓でもなく、まずは止めること。そのために最短の軌道で斬りかかった。
それにエルネストが応じる。
一合。
甲高い音が響く。
二合。
ヘルムートの剣が左へ流される。
三合で血が噴いた。
「隊長!」
叫んだのは誰だったか。
ヘルムートが大きく揺れる。
深手ではない。だが浅いとも言い切れない。一歩、二歩とよろめき、それでも倒れまいと歯を食いしばる。
その隙を、エルネストは見逃さなかった。
追撃に入る刃。
そこへリリィが割って入った。
火花が散る。
リリィの剣がエルネストの刃を受け止め、そのまま鍔迫り合いに縺れ込む。互いの腕に力が入り、鍔が軋み、距離は息がかかるほど近い。
リリィは正面からその顔を見た。
焼け爛れた右半分。
けれど、残った左の輪郭と目は、思い違いで片づけられるものではなかった。
間違いようがない。
あれほど遠くにいたはずの憧れが、いま、この距離にいる。
その事実に胸の奥が揺れた。
だが、揺れたままで剣を止められるほど戦場は甘くなかった。
「……どうして」
口から出たのは、問いというより吐息に近かった。
「どうして、こうなった」
エルネストは答えない。
無表情のまま、ただ剣に力を込めてくる。鍔がさらに軋み、リリィの腕に重さが伝わった。
強い。真正面から受けて、なおわかる。これまで追いかけてきた理想そのものの重みだった。
「わたしは……」
リリィは歯を食いしばった。
「わたしは貴方に憧れていた」
答えはない。
「魔法騎士になったのは、貴方のようになりたかったからだ」
なおも沈黙。
その沈黙が、かえって残酷だった。
否定も肯定もなく、ただ前に現れた障害としてしか見ていないかのようで。
背後から、別の魔法騎士が斬り込んでくる。
エルネストは鍔を押したまま半身をずらし、その剣をわずかに逸らした。さらに横から魔力弾が飛び、防御術式が一瞬だけ閃き、弾け、土が跳ねる。
休ませるな。
止めろ。
あと少しで足が鈍る。
そんな共通認識が、隊の動きにあった。
リリィは押し返されながらも、なお言った。
「頼む。もう、止まってくれ」
その言葉にも、エルネストは一言も返さない。
ただ、無理やりリリィの剣を跳ね上げようと力を込めた。
重い。
押し切られる。
リリィは踏みとどまった。足裏が泥に沈み、腕の筋肉が悲鳴を上げる。背後では味方の怒声と金属音が絶えずぶつかり合っていた。
それでも、この間合いだけは手放したくなかった。
「止まれないなら――」
鍔が悲鳴のような音を立てる。
喉の奥がひりつき、胸のどこかが裂けそうになった。
そして言う。
「ここで殺す!」
決して脅しではない、祈りにも似た覚悟だけが刃の間に残った。




