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三国志帰りの武田勝頼は、信玄の知らない帝王学で天下を覆す ~軍師真田昌幸と始める、二度目の天下統一~  作者: チャプタさん


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第八話:覇王経綸

第八話:覇王経綸


 天への反逆を誓った凄絶な双眸が、深く淀んだ夜の静寂の中へと溶けていく。勝頼は荒れ狂っていた己を静かに落ち着かせると、再び黒漆の文机へと向き直った。

 先刻まで肚の底で煮えたぎっていた激しい憤怒は、容易く冴え渡る氷のごとく冷ややかな心に澄み切り、純粋な気力へと変転を遂げていた。情念の炎を燃やす時は終わった。これより先は、ここにある以上、その熱のすべてを歴史を塗り替えるための冷徹な国造りの算段へと注ぎ込まねばならぬ。


 勝頼は、深い闇に沈む座敷の中で、己の脳裏に広大なる「国造りの絵図面」を広げた。

 それは、今この瞬間の武田が領する信濃や甲斐の地図などではない。はるか大陸で数十年の星霜をかけて磨き上げ、完成を見た、国家という名の巨大な絡繰りの緻密なる理法であった。

 和帝として君臨し、見渡した中原の果てなき平原に比べれば、この甲斐の山々に囲まれた盆地など、あまりにも小さく、箱庭の砂遊びに等しい。だが、その狭小なる地を縛る掟は、過去の大陸の智謀から見てもあまりにも古びており、蒙昧の域を出ていなかった。


(……脆すぎる)


 勝頼の内なる眼を、現在の武田家が抱える実情が次々と通り過ぎていく。

 武田の家臣たちは、主君との一対一の私的な結びつきを絶対の誇りとし、領地を安堵されることでその忠誠を誓い合っている。言ってみれば、感情と恩義という極めて不確かな糸だけで辛うじて繋ぎ止められた、危うき寄り合い所帯に過ぎないのだ。

 山県昌景も、馬場信春も、その武辺の凄まじさは天下に鳴り響いている。個人の武力や指揮の冴えとして見れば、かつて中原の戦場で矛を交えた名だたる豪将たちにも、決して引けを取るまい。だが、彼らが信奉している「戦」というものは、あまりにも情に流されすぎていた。


 武士は、後世に己の名を残すがために死地へと急ぎ、華々しく散ることを美徳とする。

 領民は、その日その日を生き長らえるために、泥にまみれて細々とした土地に縋りつく。

 だが、勝頼が天子として玉座から見下ろしてきた真の勝利とは、そのような泥臭い精神論の果てに得られるものではなかった。国としての勝利とは、兵糧の一粒、矢の羽の一枚に至るまでを冷徹に計量し、戦場に立つ一人の兵草を「心ある人間」として捉えるのではなく、国の秩序を回すための、替えのきく均質な手駒として動かし切る、血の通わぬ法制の完成にほかならない。


(昌景、信春。そなたたちは、いずれわしがもたらす『理』を、心の底から憎むことになろう)


 勝頼は、暗がりの中で自嘲気味に口の端を歪めた。

 彼らを死地から救いたい。しかし救い出すということは、彼らがこれまで誇りとし、命を懸けて守り抜いてきた「武士の美学」を、根こそぎ踏みにじり破壊し尽くすということに他ならない。主従の情という名の甘く目隠しめいた霧を容赦なく払い除け、彼らを血も涙もないと思うであろう法へと閉じ込め、ただの単なる歯車へと造り替えてゆく。それこそが、一度目の生で彼らを見捨て、死なせてしまったことへの、勝頼なりの最も残酷な贖罪であった。

 無用の情けで人を救うことはできぬ。真に民と家臣を救い得るものは、ただ徹底して血の通わぬ管理の網目だけなのだ。


 視界の端で、行灯の火が不意に微かな瞬きを見せた。

 その灯火の揺らめきが、ふとした弾みに、あの忌まわしき天目山の残火を呼び覚ます。

 背筋に、氷の刃を突き立てられたような悪寒が走った。一度目の最期、己の腕の中で事切れた妻と信勝の、あの重み。信勝は、熱い灰を孕んだ風の吹き荒れる中、手が己の衣の袖を必死に掴んでいた。そして、その力が失われていくあの感触。

 守れなかった。その後、皇帝として多くの民草に安寧をもたらした男が、たった一人の愛しき妻、たった一人の息子の命さえ、この極東の島国では守り切れなかったのだ。


(あの冷たさを二度と繰り返さぬための、これは尽きることなき業火の『薪』だ。この胸を裂く痛みこそが、日ノ本の歴史を強引にへし折るための、唯一の正当なる証となる)


 勝頼は、己の胸の奥底で燻り続ける強烈な悔恨を、冷徹極まりない意志の力で完全に封じ込めた。

 安っぽい悲哀など、もういらぬのだ。ただ必要なのは、外敵の刃も内なる叛逆も寄せ付けぬ、鋼の如き強固なる法の造りだ。

 まず、国の富の巡りを完全に掌握する。信長が欲のままに銭をかき集めるのであれば、わしは富の仕組みそのものを雁字搦めにし、見えざる信用の網で敵の首を真綿で絞めるように締め上げる。

 次に、軍の仕組を根底から作り変える。個人の突出した武勇などという、いつ崩れるか分からぬ不安定なものを捨て去り、機械仕掛けのように一糸乱れず動く常備の兵の壁を築き上げる。

 そして、法を敷く。主君個人への危うい忠義ではなく、不滅なる国家の秩序そのものへの、絶対なる服従である。


 勝頼の脳内で、バラバラに散らばっていた点と点が、一つの巨大な水脈となって繋がり始めた。

 それは、千年先まで決して綻びを見せることのない、絶対無比なる帝国の絵図面。

 この島国で戦に明け暮れる者たちには、到底理解の及ばぬ、異質の知恵であった。

 神仏が、何か企みがあってこの時代に己を引き戻したというのなら。わしはその神仏の想像すらも遥かに置き去りにしてみせよう。そして、完璧なる「法と理の国」をここに顕現させてみせよう。


 文机の上に置かれたままの白紙を、勝頼は静かに一瞥した。

 そこにはまだ、一滴の墨も落とされてはいない。だが、彼の内面には既に、誰一人として真意を解せぬかもしれない孤独に歩むべき道筋が、一寸の狂いもなく明確に引き直されていた。

 たとえそれが、偉大なる父・信玄が築き上げた「武威」の面影を、己のその手で無惨に汚すことになろうとも。

 すべての謗りや泥を被る覚悟は、暗い水鏡のような瞳の奥に、とうに宿っていた。


 深夜の濃密な静寂のせいか、勝頼の思考をどこまでも鋭く、鋭く研ぎ澄ませていく。

 盤石なる国造りの算段を固めた和帝の魂は、いまや完全に、若き勝頼の肉体と一つに融け合っていた。

 もはやここに残されているのは、この壮大なる歴史への叛逆の、始まりを告げるための静かなる儀式のみであった。

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