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三国志帰りの武田勝頼は、信玄の知らない帝王学で天下を覆す ~軍師真田昌幸と始める、二度目の天下統一~  作者: チャプタさん


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第六十三話:新法創出

第六十三話:新法創出


 躑躅ヶ崎館を包み込む朝靄は、春の到来を告げる時期であるにもかかわらず、刃物のように鋭く冷え切っていた。

 武田家という巨大な船は、表面上は信玄という強大な威光のもとで穏やかな海を進んでいるように見えた。だが、その実態は、陣代たる武田四郎勝頼というたった一人の冷徹な支配者の手によって、すでに大きく舵を切られていた。

 勝頼の深く昏い瞳には、かつて一度目の人生で見た天目山の炎が、常に消えぬ残像として焼き付いている。己の器の小ささと武功への焦りが招いた、愛する者たちを無残な死へと追いやったあの業火。守りたかった。ただそれだけを願って駆け抜けた一度目の生は、不条理な敗北で幕を閉じた。

 だからこそ、中原での二度目の生を経て、この日ノ本で三度目の生を押しつけられた今の彼が求めているのは、武勇で歴史を変えることではない。自らがいなくなったとしても決して揺るぐことのない、強固な国家機構の構築であった。


 館の一角、かつては古い絵巻物や使われぬ武具が埃を被っていた寂れた一室が、勝頼の厳命によって武田の新たな政務局へと作り変えられていた。

 そこに集められた顔ぶれに、山県や馬場といった甲斐の譜代名門の姿はない。真田源太左衛門尉昌幸と跡部右衛門尉勝資を筆頭に、勝頼が市井や末端の地侍、さらには算術に長けた商人や土木の理に明るい浪人の中から、身分を問わず自らの目で選び抜いた若き精鋭たちばかりであった。

 彼らは、名もなき自分たちがなぜ急に館の奥深くへ召し出され、何を期待されているのかを測りかね、刺すような沈黙の中で深く平伏していた。

 かつての勝頼であれば、彼らの家柄の低さに戸惑い、宿老たちの冷ややかな顔色を窺って採用をためらったであろう。だが、今の勝頼は、実力のみで人材を登用し尽くした和帝の魂そのものである。


「面を上げよ」

 勝頼の声は、行灯の火を微塵も揺らすことなく、広間の空気を一瞬で凍てつかせた。

 一同が顔を上げたその瞬間、室内に息苦しいほどの重圧が浸透した。二十代半ばの瑞々しい肉体を器としながら、その瞳に宿るのは、数多の英雄を平伏させてきた絶対者の静寂であった。

「そなたたちをここに集めたのは、これまでの武田の家を救うためではない。わしがこれからこの日ノ本に築き上げる不滅の国、その頭脳となるべき組織を立ち上げるためだ。名を『風林火山組』と定める」


 勝頼の脳裏には、中原の荒野で共に戦い、そして散っていった者たちの記憶が鮮明に流れていた。

(……呂奉先よ。嘶く赤兎馬に跨がり、方天画戟の一振りで数多の兵を塵芥のように散らした。個の武勇において、天下に並ぶ者なき鬼神であったことは間違いない。だが、戦場を個人の功名を競う舞台と履き違え、軍を組織として動かせなかったがゆえに、最後は時代のうねりに磨り潰されて無残に消えたのだ)

 勝頼は、天下無双の呂布の失敗を、誰よりも近くで身をもって見届けた。いかに最強の刃であっても、それを振るう腕が個人の情緒や気まぐれに左右されれば、歴史の激流には決して抗えない。武勇は時に、統治を乱す致命的な雑音にさえなるのだ。


 対して、勝頼が今この島国で再現せんとしているのは、武勇の限界を見極めた軍師・陳宮の知略であった。

(陳宮。そなたが煤けた灯火の下で描き出したのは、単なる局地的な勝ち戦の絵図面ではない。兵糧、貨幣を算術の枠に収め、国を内側から崩壊させぬ理そのものであった。『数字でごまかしの利く暗がりから、国は必ず腐り始める』……お主のその言葉こそが、わが国の揺るぎなき背骨とすべきものなのだ)

 陳宮の政策は、家柄や武功という不確かなものを完全に排し、徹底した実務と数字によって国を透明化するものであった。それこそが、今までの武田に最も欠けているものであると勝頼は確信していた。


「昌幸、勝資。これより、この風林火山組に武田の政務と法制定の全権を移す。これまでの譜代家臣による広間での評定は、単なる事後報告の儀式のみの場に留める」

 勝頼の冷酷な宣告に、昌幸は不敵な笑みを浮かべ、新しい知恵の玩具を見つけた野獣のような好奇心で主君を見つめた。

「勝頼様。それは、山県殿や馬場殿の誇りを、正面から土足で踏みにじることになりますぞ。あの老将たちが、大人しく引き下がるでしょうか」

「山県も馬場も、武勇の将としては間違いなく最高峰だ。だが、彼らが理想とする時代は、一人の巨大な英雄がいなくなればたちまち瓦解する砂の城に過ぎぬ。わしが求めるのは、英雄に頼らぬ不滅の機構だ」


 勝頼は、一同の前に一枚の巨大な鳥の子紙を広げた。

 そこには、現在の武田領を細分化し、徴税、司法、土木、軍政を、それぞれ専門の官僚が細かく分業して担う、大陸の郡県制を模した精緻な統治機構図が描かれていた。

「すでに行い始めてはいるが、この図面に従って、これまでの古い安堵状をすべて白紙に戻せ。土地は個人の持ち物ではなく、武田という国のものであり、民はそれを国から預かって耕しているに過ぎぬという真実をはっきりと法度として定めるのだ。……逆らう者がいれば、わしの直轄隊が容赦なく対処する」


 室内の温度が、畏怖によって一段下がった。

 先祖伝来の土地の私有こそが武士の魂であり、命を懸けて守り抜くべき存在理由であるこの時代に、その根底の所有権そのものを破壊し、国に集約させるという宣言は、日ノ本の常識に対する途方もない宣戦布告に他ならなかった。


 その時、静まり返った廊下から、荒々しい足音が怒りを孕んで近づいてきた。

 人払いをしていたはずの障子が乱暴に開け放たれ、憤怒に顔を歪めた山県昌景が姿を現した。三方ヶ原の大勝から一年が経過しようとしている今も、彼の中には勝頼の理の政治に対する抜きがたい鬱屈が燻り続けている。

「陣代様。これは一体何の真似にござるか。我ら譜代の重臣を差し置き、このような出自も定かではない素性の知れぬ若造どもを集めて何を企んでおられる。……我らの知らぬところで新しい掟を定めるという噂は誠か。武田の格式と、御館様が重んじられた評定の場を、足蹴になさるおつもりか」


 昌景の叫びは、旧時代を象徴する猛虎の咆哮そのものであった。

 だが、勝頼は座したまま視線すら向けず、手元の書状に筆を走らせたまま冷淡に答えた。

「昌景殿。父上が築かれた武田の格式は、父上という類まれなる大将が、その力でまとめ上げていたからこそ意味をなしたのだ。……今、父上は病床にあり、わしが多くを代行しているからには、わしの定めた掟に従ってもらわねばならぬ。わしは、決して滅びぬ武田を造ろうとしている。邪魔をするなら、たとえ宿老であるそなたであっても、武田の法を乱す者として排除するのみだ」


 勝頼がゆっくりと顔を上げた。

 その深く昏い瞳に宿る、圧倒的な格の格差。その人知を超えた重圧に喉を塞がれ、昌景は次の言葉を失った。

 それは、死した信玄の亡霊の背後に隠れていた武田勝頼という名の怪物が、いよいよ己自身の名と掟で、この日ノ本の歴史を塗り替え始めることを明確に表明した瞬間であった。

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