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三国志帰りの武田勝頼は、信玄の知らない帝王学で天下を覆す ~軍師真田昌幸と始める、二度目の天下統一~  作者: チャプタさん


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第二十九話:商道支配

第二十九話:商道支配


 黒川金山にはびこる長年の不正を剛腕で一掃した勝頼が、次に取り掛かったのは、武田の領国を巡る「銭と物の流れ」そのものを根底から造り替えることであった。

 躑躅ヶ崎館の敷地の一角、かつては鉄砲の硝石や武具を蓄えていた堅牢な石造りの蔵が、現在は厳重な警備の下に置かれている。窓の少ない薄暗い室内には、領内の金山から運び出されたばかりの純金が、行灯の光を跳ね返して鈍い妖光を放っていた。


 勝頼は、鋳造が上がったばかりの一枚の金貨を指先で弾いた。

 ちん、と高く澄んだ音が石蔵の壁に反響する。それは、これまでの日ノ本に流通していた、形も重さも不揃いな甲州金とは全く異なるものであった。勝頼が職人に命じ、重さと金の純度を微塵の狂いもなく揃えさせたその新しい金貨には、精巧な武田菱の紋章が深く刻み込まれている。


「昌幸。この新しい金の重み、そなたの目にはどう映る」

 背後に息を殺して控える真田昌幸に、勝頼は無造作に金貨を放り投げた。昌幸はそれを掌で受け止め、親指の腹で刻み込まれた紋章の溝をゆっくりとなぞった。

「見事な作りにございます。これまでの甲州金は、取引のたびにいちいち秤で重さを量らねばならず、商人たちの間でも純度をごまかす者が絶えませんでした。ですが、この金貨ならば、ただ枚数を数えるだけで商いが成り立ちましょう」


「その通りだ。秤で量るという手間は、そこに疑いとごまかしが入り込む隙を生む。わしはこの刻印一つで、誰が手に取っても絶対に価値が変わらぬという強固な『信用』を創り出そうとしているのだ」


 勝頼は、机上に積まれた新しい金貨の山を見下ろしながら、静かに口を開いた。

「昌幸。御館様が存命のまま全軍を率いて西へ上り、尾張の織田信長と激突した場合、我ら武田は勝てると思うか」


 唐突な問いに、昌幸は一瞬言葉に詰まった。武田の将として「勝てぬ」とは口が裂けても言えない。だが、昌幸の類まれなる智謀は、すでにその先の危うさを嗅ぎ取っていた。

「……野戦において御館様の采配と我が軍の勇猛さをもってすれば、必ずや織田の軍勢を打ち破れましょう。されど……その先、京の都まで軍を進め、そこを維持し続けるとなれば、いささか心許ないやもしれませぬ」


「案ずるな、ここでならば本音を語ってよい。わしから言わせれば、父上がいかに戦上手であろうとも、半年、いや一年と戦が長引けば、武田は必ず信長に負ける」

 勝頼の冷ややかな断言に、昌幸は息を呑んだ。

「信長が恐ろしいのは、鉄砲の数が多いからではない。京の都や堺という、天下の富が集まる場所を力で押さえ、日ノ本中の銭と物の流れを我が物にしているからだ。関所を廃して商人を呼び込み、莫大な銅銭で米と武器を買い占め、さらには質の悪い銭を意図的に他国へ流し込んで、敵の商いを混乱させている」


 勝頼は、かつての経験から、戦の勝敗を決する真の要因を痛いほどに理解していた。大軍を動かすには、果てしない量の米と塩が要る。武田の領地は海を持たず、険しい山々に囲まれている。信長が商人たちに手を回し、甲斐や信濃への物資の運び込みを禁じれば、あるいは武田の銭は受け取るなと触れ回ればどうなるか。

 いくら猛将たちが戦場で鬨の声を上げようとも、兵の腹は膨れない。飢えと物資の不足は、必ず軍を自滅へと追い込む。情や武勇の熱だけでは、信長が冷徹に組み上げた銭の力にはとうてい太刀打ちできないのだ。


「信長が銅銭の数で天下の物の巡りを支配しようというのなら、わしはこの純度を統一した『金』の圧倒的な信用で、奴の足元の土台をひっくり返してやる。……そして、もう一つだ」


 勝頼は、次に机上に置かれた一枚の分厚い和紙を扇子で指し示した。そこには勝頼の厳格な印と共に、特殊な配合で作られた偽造不能な墨で、一定額の金貨との交換を無条件で約束する文言が記されている。


「これを『武田の手形』とする。商人が遠方で大きな商いを行う際、最も恐れるのは何だ」

「それは……険しい街道を行く道中で、野盗に襲われて荷や銭を奪われること、あるいは運ぶ途中で荷車が壊れるなどの損耗にございましょう」

「左様。ならば、その危険をわしが取り除いてやる。商人は、重い金を箱に詰めて命がけで運ぶ必要はもうない。甲府の蔵に金を預け、代わりにこの紙一枚を受け取る。そして遠く離れた別の武田の直轄地にこの紙を持ち込めば、即座に同じ額の金貨と交換することを、わしが国主の命を懸けて保証してやるのだ」


 昌幸の瞳が、これまでにない深い驚愕に見開かれた。

「……金を運ばず、紙に記された墨の言葉だけで、莫大な富を動かすと仰るのですか。武士同士の約束ならばいざ知らず、目に見える利に聡い商人どもが、果たして紙切れというこれほどの無を信じて商いを行うでしょうか」


 日ノ本でも顔なじみの商人同士で借文を交わすことはあったが、それはあくまで私的な繋がりにすぎない。国が紙切れの価値を無条件で保証するなどという仕組みは、この時代の常識からは大きく外れていた。


「信じさせるのではない。商人がこれを信じざるを得ない仕組みを創るのだ。かつて大陸では、遠方へ富を安全に運ぶための紙の仕組みが、広大な国を支えていた。商人は何よりも損を嫌い、安全を求める生き物だ。この紙一枚を持つことで、道中の野盗に命や銭を奪われる危険が完全に消え去るならば、彼らが重い荷車を引くことと、この紙切れとで、どちらを選ぶかは自明の理であろう」


 勝頼の狙いは、領内の商いの便を良くすることだけではなかった。

 価値の不確かな銅銭ばかりが流通し、いつ信長に没収されるか分からぬ不安を抱える他国の商人たちにとって、純度が保証された武田の金貨と、安全に持ち運べる武田の手形は、何よりも魅力的なものとなる。

 質が悪く重い銅銭の経済圏に対し、軽くて絶対の価値を持つ金と紙の経済圏をぶつける。そうなれば、織田の領内で商いをしている者たちまでもが、こぞって安全な武田の手形を求め、本物の黄金や米、鉄砲などの貴重な物資を自ら甲府へと運び込んでくるようになるのだ。


「信長が武力で天下をねじ伏せようとするなら、わしはこの途方もない富の巡りで、奴の築いた商いの道を根こそぎ奪い取ってやる。商人が武田の紙を信じ、それを元手に商いを始めた瞬間、信長の領内の物の流れは、わしの指先一つでいつでも止められるようになるのだ」


 勝頼の放つ言葉の凄まじい重圧に、昌幸は背筋を這い上がる戦慄を隠すことができなかった。

 眼前の男がやっていることは、武士同士の領地争いという次元の話ではない。敵の槍をへし折るのではなく、敵の兵糧や弾薬の買い付けそのものを不能にし、戦わずして相手を干上がらせる高度な国の戦いであった。信玄の生死に関わらず、信長が今のままであって、武田がこの理法が本当に完成すれば、武田が信長に敗れる道理は完全に消え失せる。


「……これで、真に西へ向かうための土台と成っていくだろう」

 勝頼は重い扉を開け放ち、蔵の外、夕闇に深く沈みゆく甲斐の山々を静かに眺めた。

 そこでは、練兵場から響く感情を殺した兵たちの規則正しい行進の足音と、造幣院から響く金を打つ重い槌の音が重なり合い、一つの不気味な、しかし完璧な調和を奏でていた。


 槍と刀で領地を奪い合う野蛮な戦国の夜を、冷徹な算術と信用による商いの道が、強引に夜明けへと引きずり出そうとしていた。

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