第二百八話:継立試行
第二百八話:継立試行
朱印の禁を布いてより五日、草津宿から届いた帳面には、こう記されていた。
「本日到着荷駄、二百六十。出発荷駄、二百十。差引、五十」
朱印の禁以前には百近く残っていた差引も、今は五十まで縮んでいた。前より差引は小さくなっていた。だが、五十でも、詰まりは詰まりであった。長秀は、五日分の帳面を並べて見比べた。差引の残は、増える速さこそ鈍っていたが、なお増え続けていた。焼け石に水であることは、信長自身が命じた夜に、すでに口にしていたことであった。厩の馬も、依然として、荒い息を吐きながら地面に伏せているものが後を絶たなかった。
その間に、会所には、朱印状を持たぬ武者が二人、馬を求めて訪れていた。問屋頭は、いずれにも頭を下げつつ、こう答えた。
「上様の御定めにより、朱印なき方には、馬をお貸しできませぬ。乗りたくば、商人と同じ駄賃を払われよ」
一人の武者は、舌打ちをして立ち去った。もう一人は、財布を探り、渋々と駄賃を払って、痩せた馬を借りていった。以前ならば、鞭一つで済んだ話であった。それが今は、銭を払わねば、一頭の馬すら動かせなくなっていた。小さな変化であったが、確かな変化であった。
安土城書院に、長秀、勝家、光秀が呼ばれた。長秀が、帳面を広げた。
「殿。朱印なき伝馬の使用を止めましたところ、宿場に残る馬の数は、幾分か持ち直しましてございます。ただし、これは詰まりを解いたのではなく、詰まりの速さを、いくらか鈍らせたに過ぎませぬ。差引の増える勢いは、以前の三分の二ほどに」
「三分の二では、いずれ埋まる」
信長は、それだけ言うと、絵図面を見つめたまま、しばらく黙っていた。長秀も、勝家も、光秀も、次の言葉を待った。庭の蟬の声が、幾度も、書院の畳の上に落ちた。信長は、絵図面から目を離さぬまま、誰にともなく問うた。
「草津から、大津まで、何刻かかる」
長秀は、一瞬、問いの意図を測りかねた。
「馬の脚であれば、およそ三刻ほどかと」
「大津から山崎までは」
「同じく、三刻ほどにございます」
「草津で、荷を降ろし、また積むには、何刻かかる」
長秀は、帳面をめくった。
「荷駄一台につき、四半刻ほどかと存じます」
「宿場で、帳面を検め、問屋に渡すには」
「これも、四半刻ほど」
信長は、それらの数字を、絵図面の余白に、順に書き付けていった。三刻、三刻、四半刻、四半刻。長秀にも、勝家にも、光秀にも、まだ、その数字の並びが何を意味するのか、見えていなかった。勝家は、殿が何を問おうとしているのか分からぬまま、ただ数字が書き足されていく筆先を目で追っていた。
「一頭の馬が、草津から山崎まで、休みなく引き通せば、六刻かかる。だが、その馬は、草津へ来るまでに、すでに何里も引いておる」
信長は、筆を置いた。畳の上に並んだ数字を、今一度、指でなぞった。三刻、三刻、四半刻、四半刻。その並びを、幾度も見比べていたが、確信のある顔つきではなかった。
「馬を、宿場ごとに、乗り換えさせては、どうであろうな」
勝家が、身を乗り出した。
「宿場ごとに、荷を積み替えると仰せか」
「一頭の馬に、頭から尻尾まで引かせるゆえ、潰れるのやもしれぬ。ならば、隣の宿場までにしてはどうか。そこで荷を降ろし、休んだ馬に渡す」
信長の声には、これまでの下知にあった張りが、なかった。問うているのか、命じているのか、聞く者にも判じがたい調子であった。
書院に、しばしの間があった。光秀が、口を開いた。
「殿。それでは、宿場ごとに、積み替えの手間が増えまする。四半刻、四半刻と、刻が積み重なりましょう」
「積み替えの四半刻と、馬が倒れて荷ごと三日足止めになるのと、どちらが損か。……分からぬ。それゆえ、試すのだ」
光秀は、それ以上、言葉を継がなかった。
勝家が、なおも問うた。
「されど殿、草津で捌けたとて、大津で詰まれば、同じことではござらぬか。詰まりの場所が、動くだけにございましょう」
信長は、すぐには答えなかった。
「そうかもしれぬ。それでも、動かぬよりは、動いてみねば分からぬ」
勝家は、なお得心のいかぬ顔をしていた。
「試してみよ。草津と大津の間だけでよい。十日、それで様子を見よ」
「十日ののち、もし効き目がなければ」
「そのときは、また別の理を探す。今は、これしか持ち合わせておらぬ」
信長のその一言に、書院にいた誰もが、わずかに息を呑んだ。これまでの信長は、確信のないまま、何かを命じたことがなかった。升も、銭も、荷改めも、道も、座も、命じる前に、すでに答えを見出していた。今度だけは、答えの手前の、ただの試みであることを、信長自身が認めていた。
信長は、それ以上、多くを語らなかった。まだ、全ての宿場に布告する下知ではなかった。ただ、一つの区間だけを区切っての、小さな試みであった。升のとき、銭のとき、荷改めのとき、道のとき、座のとき――信長の下知は、いつも西国全土に、一息に及んでいた。今度だけは、違っていた。長秀は、その慎重さに、かえって落ち着かぬものを感じた。これまでの殿ならば、正しいと見た理は、迷わず西国全土に布いてきた。今度だけは、まず一区間で試すという。長秀には、それが、殿自身、この理にどこまでの自信を持っているのか測りかねているように映った。
数日後、草津の会所に、初めての「乗り換え」が試された。堺から着いた荷車が、会所の前で止められた。
「ここで一度、荷を下ろせ。大津までは、別の馬に渡す」
問屋頭は、戸惑った顔をした。
「これまで、荷主は堺から山崎まで、一頭の馬に任せ通してきましてございます。荷の受け渡しが増えれば、荷が誰の手を経たか、帳面が煩雑になりましょう。それに、馬方どもも、慣れぬ受け渡しに戸惑い、手間取ってばかりで」
馬方の一人も、荷車の傍らで、不服そうに呟いた。
「今までのやり方で、何年も回してきたものを、今さら変えろと言われても」
もう一人の馬方が、それに続けた。
「俺の馬が、俺の目の届かぬところで、他の宿場の者に扱われるのも、心もとない話だ。荷が傷めば、誰の落ち度になる」
最初の受け渡しは、案の定、手間取った。荷縄の結び方が宿場ごとに違い、帳面の書式も揃っておらず、四半刻で済むはずの積み替えに、半刻近くかかった。荷主の商人は、苛立たしげに、その様子を見つめていた。荷車の脇では、積み替えを待つ間、また新たな荷車が二台、三台と連なり始めていた。
だが、二日、三日と繰り返すうちに、受け渡しの手際は、少しずつ速くなっていった。荷縄の結び方が揃えられ、帳面には、宿場ごとに検めの印を押すだけの簡単な書式が作られた。誰が発案したというでもなく、日々の手数の中から、自然と型ができていった。五日を過ぎる頃には、積み替えは、四半刻足らずで済むようになっていた。馬方たちも、隣の宿場の馬方と顔を合わせるうち、互いの扱いに慣れ、荷を渡す手つきに、無駄がなくなっていった。
草津の厩には、休んだ馬が並ぶようになった。大津まで引いた馬は、草津に戻ると、たっぷりと水と飼葉を与えられ、翌日にはまた別の荷を引けるだけの力を取り戻していた。飼葉を噛む音が、以前は聞かれなかった、穏やかな音として厩に戻ってきていた。道端で泡を吹いて倒れる馬の数は、目に見えて減っていった。
十日を経て、長秀が、書院に数字を持ち込んだ。
「殿。草津・大津の間で試みた区間のみ、差引の増える勢いは、鈍りましてございます。ただし、残そのものは、なお増え続けておりまする。倒れた馬は、この十日で、二頭にとどまりました。荷が草津から大津まで着く刻限も、以前より、およそ二刻早うなっておりまする」
信長は、それを聞いても、表情を動かさなかった。
「二頭でも、まだ死んでおる」
長秀は、頭を下げた。それ以上、何も言えなかった。信長にとって、この試みは、成功と呼べるものではなかった。まだ、詰まりを減らしただけであった。座す誰もが、殿の求める水準が、いかに高いところにあるかを、あらためて思い知らされた。
勝家が、あらためて口を開いた。
「殿。それでも、十日で三十頭以上倒れておったものが、二頭で済んだのでございます。この区間だけで見れば、九割方の減りにございます」
「その九割は、この区間だけの話だ。大津から先は、まだ元のままだ」
信長の声には、勝った喜びも、慢心もなかった。ただ、まだ道半ばであるという事実だけが、そこにあった。
草津の会所では、播磨から青菜を運んできた、あの女商人の姿もあった。以前は二日も三日も俵を留め置かれ、饐えた匂いを漂わせていた俵が、今度は、着いたその日のうちに、大津行きの馬へと積み替えられていった。女商人は、それを見届け、ひとまず胸を撫で下ろした。
だが、数日後、女商人は、大津の会所で、また同じように列を作って待つ羽目になっていた。草津は抜けたが、大津から先へ運ぶ馬が、以前と変わらぬ数しか揃っていなかった。俵は、今度は大津の庭で、日にさらされ始めていた。女商人は、傍らの馬方に、疲れた声で問うた。
「草津は速くなったというに、なぜ、ここでまた待たされるのだえ」
「草津が速くなったぶん、こっちに荷が押し寄せておるのよ」
馬方は、それだけ答えると、目の前の荷の山を、うんざりした様子で見やった。女商人は、それ以上、何も言わなかった。速くなった区間のぶん、詰まりが、そのまま隣の宿場に移っただけであった。
光秀は、その報告を、傍らで聞いていた。馬を守ったのは、慈悲ゆえではなかった。馬が死ねば荷が死ぬという、ただそれだけの計算であった。だが、その計算が、結果として、瀕死の馬を休ませることになっていた。光秀には、そのことが、これまでの改革とは違う質のものに感じられた。
升を揃えたのも、座を解いたのも、既にある仕組みを、壊すことであった。今度は、壊すのではなかった。渡し方を、作り直しただけであった。馬は一頭も増えず、宿場も一つも増えず、法も、これまでのような厳しい禁令ではなかった。ただ、荷の渡し方の順序を、変えただけであった。それだけで、死にかけていた馬が、水を飲む力を取り戻していた。
壊す理と、渡す理とは、似ているようで、どこか違っていた。壊せば、その場で何かが終わる。渡す理は、終わらない。次の宿場、また次の宿場へと、際限なく続いていく。光秀は、その違いを、まだ言葉にできずにいた。ただ、この試みが、草津と大津だけで終わるものではないことは、はっきりと感じ取っていた。
草津・大津の一区間だけが、ひとまず息を吹き返した。だが、大津から山崎、山崎からその先の湊まで、荷はまだ、旧来のまま、一頭の馬に任され続けていた。試みは、まだ、街道のごく一部を潤しただけであった。
その大津の宿場では、別の光景が生まれていた。草津から渡された荷が、次々と会所の庭に積み上げられていく一方で、大津から先、山崎へ向かう馬は、以前と変わらぬ数しか揃っていなかった。荷は速く着くようになったが、その先へ運ぶ手立てが、追いついていなかった。大津の問屋頭は、日に日に高くなっていく荷の山を前に、算段のつかぬまま立ち尽くしていた。積み替えられたばかりの荷駄が、会所の庭からあふれ、街道の脇にまではみ出し始めていた。
その夜、大津の問屋頭のもとに、草津の問屋頭から文が届いた。文というより、詫び状に近いものであった。だが、返ってきた大津からの文は、さらに切迫していた。
「草津殿より渡されし荷、日毎に数を増し申し候。当宿にて捌ける数を、すでに超えつつあり候。人足の割り増しを、願い上げ候」
草津の詰まりが解けたぶんだけ、その先の大津に、荷が押し寄せ始めていた。問屋頭は、その文を、しばらく見つめていた。一つの結び目を解けば、詰まりは、消えるのではなく、次の結び目へと、そのまま流れていくだけであった。
安土城書院に、その文が届いたのは、翌朝のことであった。信長は、それを読み終えると、絵図面の草津の点から、大津の点へと、指を滑らせた。そこにはまだ、何の線も引かれていなかった。
「一区間で済む話ではない、ということか」
誰も、それに答えなかった。長秀は、草津の成果を、書院に上がるまでは幾分か誇らしく思っていたが、大津からの文を見て、その気持ちを引っ込めた。
「殿。これでは、草津の詰まりを、大津へそっくり移しただけにございます」
長秀の声には、苦さがあった。升のときも、銭のときも、荷改めのときも、道のときも、座のときも、一つ解けば、次が詰まった。だが、今度の詰まりは、これまでのように、誰かの欲や、誰かの格式が生んだ詰まりではなかった。信長自らが試みた、良かれと思う手立てが、そのまま隣の宿場へ、詰まりを運んでいったのであった。壊す先には、いつか終わりが見えた。渡す先には、終わりがまだ見えなかった。
夕刻、書院に、また一通の文が届いた。近江の別の宿場からであった。「馬、幾分か持ち直し候えども、荷の量、なお増え続け候」とだけあった。信長は、それを文机の隅に置き、絵図面へと目を戻した。
書院の外では、初夏の日差しが、庭の若木の葉を、静かに照らしていた。信長は、絵図面を丸めることなく、そのまま、文机の上に広げ続けていた。夜が更けるまで、その姿勢を、崩さなかった。長秀も、勝家も、光秀も、それぞれの屋敷へと下がっていったが、書院の灯りだけは、夜半を過ぎても、消えることがなかった。




