第二百五話:道幅拡張
第二百五話:道幅拡張
堺から届いた文は、こう結ばれていた。
「道、狭くして荷届かず」
播磨からの文は、こう結ばれていた。
「車軸折れ、荷崩れ相次ぎ申し候」
近江からの文は、こう結ばれていた。
「大津より坂本まで、荷車数珠つなぎにて夜を跨ぎ申し候」
差出人も、書かれた事情も違う。だが、行き着く先の言葉だけは、判で押したように同じであった。
道が、狭い。
堺の文には、こう添え書きがあった。雨上がりの朝、山崎から高槻へ抜ける道筋で、米俵を積んだ荷車と、塩を積んだ牛車が鉢合わせになった。道幅は一間に満たない。両脇は田であった。荷車引きの一人が痺れを切らし、車輪を田の畦に寄せようとした。その途端、車輪が畦を踏み外し、俵が裂け、白い塩が泥水に溶けていった。牛が一声鳴いた。後ろに連なった荷車の中には、京から堺へ向かう油売りの姿もあった。油売りは荷台に腰を下ろしたまま、ただ空を見上げていた。潮も、市の刻限も、待ってはくれない。だが、目の前の道は、一町も動かなかった。
荷改めはもう、どこの関所でも起こらない。淀川は半日で下れる。升も銭も揃った。だが、その荷が陸へ上がったとたん、数十間の狭い道で、また半日、立ち往生していた。障りは一つ消えれば、また別の障りが姿を現す。それが、扇の骨の細さそのものであるかのように。
安土城書院に、その報告を持ち込んだのは丹羽長秀であった。机の上には、西国街道の宿場ごとの幅と曲がり角を記した調査書が広げられている。長秀は、織田家随一の普請巧者として知られていた。城の石垣も、堀の掘削も、これまで幾つもその手で成し遂げてきた。だが、道そのものを丸ごと引き直すという下知は、これまでに経験のないものであった。城や堀は、そこに留まって守るためのものである。道は、そこを通り過ぎていくためのものであった。石垣を積むときは、崩れぬ厚みを考えればよかった。道を引くときは、崩す厚みを考えねばならなかった。長秀は、その違いに、まだ手が馴染んでいなかった。
「殿。荷車の数は、昨年の三倍にまで膨れ上がっておりまする。至る所ですれ違いができず、車輪の脱輪、荷崩れが絶えませぬ」
「近江はどうだ」
「近江も同じにございます。琵琶湖の船が早うなったぶん、陸に上がった荷がかえって滞っておるとのことにございます」
「道を広げよ、と申すか」
「はい。されど、費えが」
長秀は、算盤を弾いた紙を差し出した。
「山崎から高槻、大津から坂本、両筋合わせて三間に広げますれば、土地の買い上げ、材木代、人夫賃、締めて二千貫は下りませぬ。千貫では、とうてい」
「二千貫、か」
信長は、それきり黙った。長秀は、その沈黙のあいだ、息を詰めていた。
「加えて、街道沿いの村々からは、すでに激しい訴えが出ておりまする。先祖代々の田を道に削られては年貢が納まらぬ、屋敷の立ち退きには応じられぬ、と」
長秀は、名主たちの連判状を差し出した。文字は乱れ、墨も薄い者が多い。それだけ、急いで、必死に書かれたものであった。
信長は、絵図面と算盤の紙を、しばらく見比べていた。
「荷車の数は、三倍になったと申したな」
「はい」
「ならば道を広げた分、荷も三倍運べる。二千貫は、高うない」
「二千貫、出す」
長秀は、頭の中で勘定を弾いた。二千貫。高い。だが荷が三倍流れるなら安い。問題は銭ではない。本当に田を削れるかであった。長秀は、連判状をそっと懐にしまい、算盤の紙を丸めた。
同席していた柴田勝家が、そこに口を挟んだ。
「殿。それだけではございませぬ」
「申せ」
「道を広げ、見通しを良くすれば、敵の大軍が一気に京や安土へ直進してまいります」
勝家は、そこで一度言葉を切った。
「湖西のあの曲がり角を覚えておられますかな。あの道が今のようにまっすぐであったなら、あの一日はなかった」
書院に、しばしの静けさが落ちた。誰もが、勝家の言い分にも一理あることを知っていた。それは、勝家自身の体で覚えた守りの形であった。
信長は、絵図面を見つめたまま、静かに問うた。
「勝家。儂が、城に立て籠もって敵を待つような戦をしたことがあったか」
勝家は、言葉を詰まらせた。しばらく考えてから、ようやく答えた。
「……いえ、ございませぬ」
「ならば道が広くて困るのは、誰だ」
勝家は、答えなかった。答える必要もなかった。
「敵がこの道を通って来るなら、その倍の早さで儂がこの道を通って敵の城へ踏み込む」
信長は、絵図面の上、山崎から高槻へ引かれた線を、指先でなぞった。
「道が広くて困るのは、逃げ足の遅い臆病者だけだ」
勝家は、それ以上、言葉を継げなかった。
長秀は、それでもなお、机に手をついた。
「殿。田を潰される百姓たちは」
「潰すのではない。削るだけだ。削った分は、こちらで別の荒地を与える。開墾の手間賃も出す。屋敷を壊す者には、材木を与えよ。その金は、すべて安土の蔵から出す」
「されど、道は一寸たりとも曲げさせぬ。道幅は三間とせよ。荷車が二台すれ違うても、まだ馬が通れる幅だ。曲がり角はすべて削り、まっすぐに引け。あぜ道を縫うな。田の真ん中を突っ切れ」
長秀は、深く頭を下げた。それ以上、何も言わなかった。
その夜、勝家は書院の隅に残っていた。光秀が声をかけると、勝家はようやく顔を上げた。
「明智殿。儂は、間違うておるのだろうか」
「いえ」
「されど、殿の申されることも、間違うてはおらぬ」
勝家は、そこで言葉を切った。
「あの曲がり角がなければ、儂はあの日、朝倉勢に討たれておった。それを、今度は自らの手で崩すことになる」
光秀は、何も答えられなかった。答えを、持っていなかったからである。勝家は、それ以上何も言わず、深く一礼すると、夜道を戻っていった。その背が、いつもより幾分か、小さく見えた。
翌日、街道筋の名主が、光秀のもとを訪れた。老いた顔に、深い皺が刻まれていた。
「明智様。あの田は、祖父の代から拓いたものにございます」
「分かっておる」
「されど、代わりの地をいただけると聞きました。手間賃も、と」
名主は、そう言いながら、視線を落とした。
「損はせぬのでございましょう。されど、田は、銭では買えませぬ。祖父が拓いた土は、あの場所にしかございませぬ」
名主は、それだけ言うと、深く頭を下げた。それ以上は、何も言わなかった。
光秀は、その言葉に頷いた。頷きながら、その声に宿った諦めの色を、聞き逃さなかった。損得の勘定では収まりきらぬものが、まだそこには残っている。だが、それを掬い上げる術を、光秀はまだ持ち合わせていなかった。
数日後、西国街道には、何千人もの人夫が動員されていた。信長の絵図面に引かれた線に沿って、朱引の縄が張られていく。縄は、田んぼの真ん中を、民家の庭先を、容赦なく横切っていた。三間の間竿が、幾度も地に立てられ、幅が測られる。竿を持つ役人の声だけが、朝の田に響いていた。
「これより三間、動かすでないぞ」
「杭、打て」
槌の音が、幾つも重なった。土を掘る鍬の音、木を運ぶ人夫の掛け声、それらすべてが、朱引の縄に沿って、まっすぐな線の上を進んでいった。曲がっていた畦道は、一日でその姿を消し、翌日にはもう、真新しい土の帯だけが残っていた。
縄の際に、一人の老百姓が座り込んでいた。先祖から受け継いだ田の、ちょうど真ん中を縄が通っていた。老百姓は、鍬を膝の上に置いたまま、杭の打ち込まれる音をただ聞いていた。その手には、代官から渡された銭の包みが、固く握られていた。包みの紐は、まだ解かれていない。開くことも、しまうこともせず、ただ握られたままであった。日が傾いても、老百姓はその場から動かなかった。
光秀は、その光景を、馬上からしばらく見ていた。声はかけなかった。かける言葉を、光秀はどうしても見つけられなかった。
田は、ひと月も経たぬうちに埋め立てられ、小石が拾われ、真新しい白砂が敷き詰められていった。道の両端には、松と柳の若木が植えられた。夏は荷車を引く牛馬に日陰を与え、冬は雪の中でも道の端を見失わぬための、信長の指図によるものであった。若木は、まだ幹も細く、風が吹くたびに頼りなく揺れていた。
開通の日、堺からの荷車と、京からの荷車が、街道の同じ地点ですれ違った。二台とも、速度を落とさなかった。荷車引きたちは、互いに軽く頭を下げただけで、そのまま走り去っていった。土煙が、まっすぐな道の上に長く尾を引いた。かつて塩俵が泥に沈んだ、あの場所のすぐ近くであった。
道端に集まっていた人夫たちは、その光景をしばらく眺めていた。誰かが、拍手をした。それにつられて、また誰かが手を打った。だが、その拍手も長くは続かなかった。荷車は、次から次へと同じ速さで通り過ぎていく。珍しいことが、すぐに当たり前のことに変わっていった。積み上げられた古い畦道の土は、道端に小さな山を作ったまま、誰に均されることもなく、そこに残された。
「殿。山崎から高槻まで、これまで半日かかっていたところが、今は四半日で参るようになったとのことにございます。以前は一日に一往復がやっとであったものが、いまは二往復できると」
「二往復、か」
「はい。同じ牛馬、同じ荷車で、荷を運べる量が、これまでの二倍にございます。近江のほうでも、大津から坂本にかけて、同じように広げましてございます。かかった費えは、二つの道筋を合わせて、二千貫」
「高いか」
書記は、少し間を置いて、それから考えながら答えた。
「費えを取り戻すまでに、幾年かかりましょうや」
「五年かかろうと、十年かかろうと、構わぬ」
「それでも、一度広げた道は、もう戻らぬぞ」
信長は、それだけを言うと、絵図面の街道の線に、小さな印を書き足した。升のとき、銭のとき、荷改めのときと、同じ静かな仕草であった。もう、その数字に驚くことすらしていない様子であった。
安土へ戻る道中、光秀はその真新しい直道を、馬の上から見つめていた。道端には、削られた田の跡が、まだ生々しく残っていた。掘り返された土の色が、真新しい白砂の縁に、くっきりと境を作っていた。老百姓が座り込んでいた場所には、いま人影はなかった。ただ、踏み固められた土だけが、そこに人がいたことを示していた。名主が言った「田は、銭では買えませぬ」という一言が、まだ耳の底に残っていた。
(これが、上様の扇の骨か)
上様の道は、人が避けるのではない。人を退かせて進む。光秀は、車輪の軋む音を聞きながら、馬を進めた。
夕刻、安土城書院に、また一通の文が届いた。堺の商人からである。道が広くなったことへの礼が、まず記されていた。だが、文の終わりには、また別の一文があった。
道が広うなり、荷車の数がさらに増えました。されど、市に出回る品そのものが、古くからの座の者どもに握られ、思うように商えませぬ——と。
信長は、その文を読み終えると、絵図面をしばらく見下ろしていた。堺から備前へ、山崎から高槻へ、大津から坂本へ——引かれた線は、もういくつもの結び目を失い、太い一本の帯のようになっていた。升の名残も、銭の名残も、荷改めの名残も、その線のどこにも見当たらなかった。あるのは、ただ太くなり続ける一本の道筋だけであった。それから、傍らの光秀に短く言った。
「光秀」
「は」
「次は、座だ」
文は、また開かれたままであった。信長は、それを閉じなかった。安土の夜は、また更けていった。真新しい街道の上を、松明を灯した荷車の列が、途切れることなく通り過ぎていく音が、遠く城下から響いていた。その音は、これまでのどの夜よりも滑らかで、そのぶんだけ、途切れる気配を持たなかった。城下の井戸端では、荷車の数を指折り数えて夜を過ごす者がいると、いつしか噂に上るようになっていた。数える者は、誰も、その荷車がどこから来て、どこへ消えていくのかまでは、知らなかった。




