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三国志帰りの武田勝頼は、信玄の知らない帝王学で天下を覆す ~軍師真田昌幸と始める、二度目の天下統一~  作者: チャプタさん


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第百三十四話: 東西異歩

第百三十四話:東西異歩


 使者の馬は、夜明けの中で見えなくなった。


 春日山を出てから、振り返る者はいなかった。霧が深く、後ろを見ても何も見えなかった。前だけを見て進んだ。馬蹄の音が、しばらく石を打ち、やがて土を打つ音に変わった。土の音は、石の音より低く、遠くまでは響かなかった。


 関山峠の手前で、馬を一度止めた。先に立つ使者が、後ろの一騎に目で合図した。後ろの一騎が頷いた。それだけだった。言葉はなかった。


 二騎は、また進んだ。


 甲斐へ向かう道は、まだ誰も知らなかった。春日山の中では、誰もこの二騎の行き先を知らなかった。知っているのは、書状を渡した近習一人だけだった。その近習も、内容までは知らなかった。封がしてあった。封の中身は、書いた者と読む者しか知らない。それだけのことだった。


 霧の中を、二騎の影が小さくなっていった。

 やがて、見えなくなった。


 本庄秀綱の朝は、帳面から始まった。


 昨日の頁に、十七という数字があった。今日の頁を開いた。まだ何も書いていない頁だった。秀綱は筆を持った。今日の日付を書いた。それから、待った。


 待つ間に、足音が聞こえた。


 蔵番の一人だった。膝をついた。


「米蔵、十二件保留にございます」


「誰の指図だ」


「景勝様のご意向にて」


 秀綱は筆を止めた。


「いつ出された」


「存じませぬ。そのように、上から」


 秀綱は帳面を見た。景勝の名で出された指図は、どこにもなかった。御朱印改定の文案すら、まだ秀綱の懐の中にあった。出していない指図が、もう城を動いていた。


 蔵番が下がった。次に、足軽の頭が来た。


「炭蔵、八件にございます。これも景勝様のご意向で」


「誰から聞いた」


「西廊下の組頭から」


「組頭は誰から」


 足軽の頭は、答えられなかった。考えて、答えた。


「分かりませぬ」


 三人目は、奉行の使いだった。


「薪蔵、五件。景勝様のご意向にございます」


 秀綱は、もう問わなかった。


 帳面に数字を書いた。十二、八、五。足し算をした。二十五だった。西廊下の十七を合わせれば、四十二だった。


 昨日は十七だった。


 その前は十一だった。


 その前は六だった。


 六、十一、十七、四十二。


 誰も出していない指図が、誰の口からも「景勝様のご意向」として語られていた。出した者を辿れば、必ず手前で消えた。組頭は奉行から聞いたと言い、奉行は誰からとも言えなかった。指図の出所は、どこにもなかった。それでも、指図は確かに、城の中を動いていた。


 秀綱は、誰の名も書かなかった文案を、もう一度懐から出した。今度は、文机の引き出しの底に入れた。今は出せない。今出せば、すでに動いているものの後から、形だけを与えることになる。


 帳面を抱えて、廊下へ出た。


 今日も、炭が止まっていた。今日も、通した。今日は、薪も止まっていた。今日も、通した。米も止まっていた。これは、通さなかった。理由を聞かれれば困る理由だったが、聞く者はいなかった。


 通路の先に、見覚えのない顔があった。直江家の家紋を付けた若い者が、蔵の前に立っていた。秀綱が近づくと、若い者は会釈だけして、何も言わずに脇へ寄った。誰がそこに立てと命じたのか、秀綱は聞かなかった。聞いても、答えは同じだろうと分かっていた。


 柿崎の屋敷では、椿がまだ咲いていた。


 晴家は朝のうちに、文を二通受け取った。一通は西から、一通は東から。開けずに、両方とも文机の同じ場所に並べて置いた。順番をつけなかった。


 家臣が来た。


「殿。柏崎からも文が」


「読まずに置け」


 家臣は文を、他の二通の隣に置いた。三通になった。


 昼に、また家臣が来た。


「殿。長尾の遠縁から、人が来ております」


「会わぬ」


「されど」


「会わぬと言った」


 家臣は引いた。晴家は文机の三通を見ていた。


 夕刻、また文が届いた。今度は誰からとも書かれていなかった。差出人を伏せた文だった。晴家はそれだけを見て、すぐに焼いた。中身を読まなかった。


 灯りの下で、灰になった文を見ていた。


 四通のうち、三通はまだ文机にあった。


 晴家はその夜、誰にも会わなかった。


 景勝の部屋には、その日も報告が来た。


「今夜の廊下、六十二」


 景勝は答えなかった。


「直江殿は、今夜も」


 景勝は答えなかった。


 報告の者が下がった後、景勝は朴の箱に手を伸ばした。指先が蓋に触れた。開かなかった。手を離した。


 翌朝、別の報告が来た。


「直江家の若侍が、三人、東の詰所に泊まり込んでおります」


「誰が許した」


「分かりませぬ。皆、自ら参じたとのことで」


 景勝は答えなかった。


 翌日、また別の者が来た。


「色部家からも、二人」


「招いてはおらぬ」


「されど、詰所には床と夜具が整えられております」


「誰が整えた」


「分かりませぬ」


 景勝は朴の箱に、また手を伸ばした。指先が蓋に触れた。開かなかった。手を離した。


 今日も、信綱を下げよ、という一言を、言わなかった。


 翌日、報告がまた来た。


「灯りが、東の廊下で三つ増えました」


「灯りだけか」


「夜食を運ぶ女中も、二人増えました」


「誰が雇った」


「分かりませぬ。台所の差配が、自ら」


 景勝は答えなかった。


 四日目、報告の者が変わった。新しい者だった。膝をついて、紙を一枚差し出した。


「これは」


「宿直の組分けにございます。お目通しを」


 景勝は紙を見た。名前が並んでいた。誰が書いたものか、署名がなかった。景勝の知らない名が、半分ほどあった。


「これを誰が作った」


「存じませぬ。詰所に置かれておりました」


 景勝は紙を、文机の隅に置いた。朴の箱に、手を伸ばした。指先が蓋に触れた。開かなかった。手を離した。


 五日目、報告は数字だけではなくなっていた。


「矢、二百本。兵糧、米三十俵。詰所裏に届いております」


「誰が運んだ」


「人足にございます。荷札には、御用、とのみ」


「誰の御用か」


「書かれておりませぬ」


 景勝は答えなかった。


 六日目、信綱から直接、文が来た。


 景勝は文を受け取った。封を見た。直江の印だった。


 開けなかった。


 文机の隅に置いた。


 七日目、また報告が来た。


「今夜の廊下、七十一」


 景勝は答えなかった。


「直江殿が、お尋ねにございます。このまま続けるべきか、と」


 景勝は答えなかった。


 報告の者は、答えを待った。長く待った。それでも答えはなかった。報告の者は、頭を下げて下がった。


 部屋に一人になった。


 信綱からの文が、まだ文机の隅にあった。封は、まだ閉じていた。宿直の組分けの紙も、その隣にあった。景勝はそのどちらも、手に取らなかった。


 朴の箱に、手を伸ばした。


 指先が、蓋に触れた。


 開かなかった。


 手を離した。


 七日間、それだけだった。


 景虎の部屋にも、七日が流れた。


 ある朝、近習が報告に来た。


「矢が、二百本増えております」


「誰が持って来た」


「分かりませぬ」


 翌日、また来た。


「馬が、三頭増えております」


「誰が」


「分かりませぬ」


 翌日。


「兵が、十五増えております」


「誰が連れて来た」


「分かりませぬ。自ら参じたとのことで」


 景虎はその都度、それだけを聞いて、頷いた。誰が、と問うことだけが、景虎にできる唯一のことだった。問うても、答えは同じだった。誰も分からなかった。誰も命じていなかった。それでも、数は増え続けた。


 四日目、近習が言った。


「米と味噌が、台所に届いております。荷主は分かりませぬ」


「礼を言う相手もいないということか」


「左様にございます」


 景虎は、それ以上を問わなかった。


 五日目、また近習が来た。


「柵を作る者が、東の口に三人」


「誰に命じられて」


「誰にも、と申しております。様子を見て、自らと」


 景虎はその場所を、後で一度だけ見に行った。柵は、まだ低かった。低い柵の前で、作っている男たちが、景虎を見て手を止めた。景虎は何も言わずに、その場を離れた。柵は、その後も毎日、少しずつ高くなっていった。


 北条からの返答は、まだなかった。


 ある朝、近習が言った。


「兵をお使いになるおつもりは」


「ない」


 景虎は即座に答えた。


「まだ、ない」


 近習は頷いて、下がった。


 信綱の名は、その七日間、一度も景虎の口から出なかった。


 七日目の朝、東の間に触れが回った。


 筆頭家老の名で、評定を開く、とだけ書かれていた。理由は記されていなかった。記す必要がなかった。城の誰もが、本題を知っていた。


 昼前、東の間に人が集まり始めた。


 千坂景親。河田長親。狩野秀治。色部勝長。新発田長敦。斎藤朝信。山吉豊守。そして、柿崎晴家。


 誰も武具を着けていなかった。それでも、誰の供回りも、いつもより多かった。広間の端まで、人が並んだ。


 上座は空けてあった。


 誰も、そこに目を向けなかった。目を向けないことで、誰もがそこを意識していた。


 景勝が、東の入口から入った。景虎が、西の入口から入った。同時だった。あらかじめ刻限を揃えてあったわけではなかった。それでも、二人は同時に座についた。


 広間の中央に、誰も座らない間が一段、空いていた。


 誰も、先に口を開かなかった。


 外で、風が障子を鳴らした。それだけが、しばらくの間、広間の中で聞こえる唯一の音だった。


 景虎が、口を開いた。


「九日だと申し上げてから、もう七日が過ぎた。十六日になる」


 声は静かだった。広間に向けた声だった。誰か一人にぶつける声ではなかった。


「御屋形様の御姿を、誰も見ておらぬ。これが尋常のことか、評定の場で伺いたい」


 信綱が答えた。


「御屋形様は、ご静養中にございます」


「十六日のご静養を、聞いたことがあるか」


 景虎は、信綱だけを見ていなかった。広間全体を見ていた。


「重臣立会いの下で、一度だけでよい。御姿を拝したい。それだけのことを、なぜ叶えられぬのか」


 信綱は答えなかった。


 答えない間が、これまでとは違っていた。廊下で一人を相手にしていた時の沈黙ではなかった。広間に並ぶ目の数が違った。


 新発田長敦が、先に言った。


「なぜ会えぬのか、それだけは聞きたい」


 色部勝長が続いた。


「九日は、まだ良い。十六日は、長い」


 河田長親が言った。


「我らも、御姿を拝しておらぬ」


 三人の声が、順に積もった。信綱は、その一つ一つに答えなかった。答えられる言葉が、今はなかった。


 斎藤朝信が、低い声で言った。


「信綱殿。これは、もう御屋形様のご静養の話ではござらぬ。城の話にござる」


 信綱は、広間の畳を見た。


 誰も、それ以上は言わなかった。言わなくても、広間の空気が、すでに信綱一人を押していた。


 晴家が、初めて口を開いた。


「御屋形様を、お見せいただきたい」


 短い言葉だった。それだけだった。誰の側に立つ言葉でもなかった。


 秀綱が、帳面を膝の上に置いたまま言った。


「御朱印停止より、十六日。蔵の保留、四十を超えております。これ以上は、越後の差配そのものが立ち行きませぬ」


 誰も、それに反論しなかった。数字には、誰も逆らえなかった。


 広間の全員が、ほぼ同じことを言っていた。


 御屋形様を、お見せいただきたい。


 それだけだった。


 しかし、誰も次の一歩を言わなかった。


 障子を開けるか、と言う者はいなかった。


 開けて、御屋形様が生きておられたなら。開けて、すでに身罷っておられたなら。どちらに転んでも、言い出した者が、その先の重みを引き受けることになる。


 誰も、それを引き受けたくなかった。


 だから、誰も言わなかった。


 広間に、また間が空いた。


 外の風が、障子を鳴らした。


 全員の目が、ゆっくりと、上座の脇に座る景勝へ向いた。


 景勝は、その視線を受けた。


 長い間、何も言わなかった。


 広間の誰も、急かさなかった。急かせば、自分がその先を引き受けることになる。誰もそれを望んでいなかった。


 景勝は、膝の上の手を見た。


 手は、何も持っていなかった。


 長い沈黙の後、景勝は口を開いた。


「今しばらく、待たれよ」


 それだけだった。


 広間が、静かになった。


 誰も、満足していなかった。それは、誰の顔にも出ていた。しかし、誰も、それ以上を言わなかった。


 言えば、次は自分が、何かを決めることになる。


 景虎は、景勝を見ていた。景勝は、誰も見ていなかった。


 評定は、それで終わった。


 誰も席を立つ順番を決めていなかった。それでも、自然に、東に座る者たちが先に立ち、西に座る者たちが後に続いた。広間の中央の、誰も座らなかった間だけが、最後まで空いたままだった。


 広間を出たところで、景虎が足を止めた。


「柿崎殿」


 晴家も、足を止めた。


「どう思われる」


「分からぬ」


「では、何を待たれる」


「御屋形様を」


 それだけだった。晴家は、また歩き出した。景虎は、それを見送った。呼び止めなかった。


 晴家の足音が、廊下の先で消えた。


 景虎は、しばらくその場に立っていた。


 評定が終わった後、秀綱は帳面を抱えて、自室に戻った。


 今日の数字を、もう一度見直した。


 東の詰所、兵糧消費。宿直の人数。炭の消費量。矢の受領数。


 すべてが、増えていた。


 しかし、正式な命令書は、どこにも一枚もなかった。御朱印もない。景勝の花押もない。誰の名でも、出されていない。


 秀綱は、筆を止めたまま、しばらく帳面を見ていた。


「妙だ」


 声に出して、それだけ言った。誰に向けた言葉でもなかった。


 答える者は、誰もいなかった。


 秀綱は、帳面を閉じた。閉じた帳面の重さが、今日はいつもより、重く感じられた。


 夜。景虎の部屋に、近習が来た。


「北条の返書は、まだ参っておりませぬ」


 景虎は頷いた。


「それまで、如何にいたしましょう」


「動かぬ」


 景虎は、刀を見ていた。鞘の木目を見ていた。


 評定で分かったことは、一つだった。景勝は決めない。信綱は下がらない。晴家は動かない。城の中だけでは、何も変わらない。


 近習が、もう一度口を開いた。


「されば」


「言うた通りだ。動かぬ」


 近習が頭を下げて、下がった。


 景虎は、一人になった。


 文机の上には、何もなかった。七日前に出した書状の控えだけが、隅に置かれていた。控えを見ても、何かが分かるわけではなかった。景虎は、それを見ないようにして、灯りを見た。


 同じ夜、東の詰所に、また若侍が来た。


 信綱の前に膝をついた。


「今夜から、こちらに詰めます」


「命じておらぬ」


「存じております」


 若侍は、それでも下がらなかった。


 信綱は、それ以上を言わなかった。言っても、変わらないことを、もう知っていた。


 若侍が、詰所の隅に座った。隣に、もう一人座った。誰も、その二人に席を作れと言わなかった。それでも、席は、いつの間にか出来ていた。


 信綱は、障子を見た。


 閉じたままだった。


 評定の場で、十六日と数えられた、その障子だった。今夜も、まだ開かなかった。


 信綱は、目をそらした。詰所に集まった顔を、一人ずつ見た。誰の名も、自分が呼んだ覚えはなかった。それでも、そこに座っていた。


 拍子木が鳴った。


 東で鳴り、西でも鳴った。同じ刻限を告げる音だった。重なったことは、今夜もなかった。


 厨も、分かれていった。


 東の厨は、米を多めに炊くようになった。詰所に泊まる者の分まで、炊く量に入れるようになった。誰がそうせよと言ったわけではなかった。米が余れば翌日に困る。米が足りなければ詰所の者が腹を空かせる。厨の女たちは、その日その日の判断で、少しずつ多めに炊いた。多めが続けば、それが普通の量になった。


 西の厨は、変わらなかった。詰所に泊まる者がいなかった。炊く量も、九日前と同じだった。同じ量を、同じ刻限に炊いた。それだけのことだったが、東の厨の煙が早く立ち、西の厨の煙が遅れて立つようになった頃には、二つの厨は、もう同じ城の厨だとは思えないほど、違う動き方をしていた。


 洗濯場でも、似たことが起きた。東の洗濯場には、詰所の者たちの衣が増えた。女中の一人が、誰の衣かを聞かずに洗うようになった。聞けば、誰の差配で泊まっているのかという話になる。聞かないことが、一番楽だった。西の洗濯場は、いつもの量のままだった。


 矢場でも、同じだった。東の矢場では、的に立つ順番を待つ者が増えた。順番を決める者はいなかった。来た順に並んだ。並ぶことに慣れた者たちが、自然に列を作るようになった。西の矢場は、空いていた。


 厩でも、馬が増えた。誰が連れて来たのか、厩番にも分からない馬がいた。鞍に印があれば、それで誰の馬かが分かった。印のない馬もいた。印のない馬は、厩番が適当な場所に繋いだ。繋ぐ場所が決まれば、それが定位置になった。


 台所の差配と、厩番と、洗濯場の女中と、矢場の組頭と。誰もが、自分の持ち場の小さな変化だけを見ていた。誰も、城全体がどう動いているかを見ていなかった。見ようとする者もいなかった。見れば、何かを決めることになる。決めなければ、まだ何も起きていないことにできた。


 炭の蔵は、西へ運ばれることが減った。


 米の蔵は、両方から人が来るようになった。


 兵の数は、東でも西でも、毎晩増えた。


 誰も、それを命じていなかった。評定で出た結論は、ただ一つ。今しばらく、待たれよ。それだけだった。それだけの一言が、城の中では、もう動かしようのない大きさになっていた。


 御屋形様の部屋は、九日前から閉じたままだった。今は、その九日が、十六日になっていた。障子は、まだ閉じていた。閉じた障子の前に立つ兵は、毎晩変わった。変わっても、立つ位置だけは変わらなかった。


 景勝は、朴の箱に手を伸ばし、指先で蓋に触れ、開かずに、手を離す。それを、評定の後も、繰り返した。


 景虎は、文机に置いた書状の控えを、毎夜見た。


 柿崎晴家の文机には、文が増えていった。開かれない文だけが、増えていった。


 本庄秀綱の帳面には、数字が増えていった。記された数字より、記されない数字の方が多くなっていった。


 七日目の夜、霧がまた出た。


 霧は、東の曲輪も西の曲輪も、同じ色に染めた。灯りの数は、両方で増えていた。霧の中では、その灯りの色も、やはり同じだった。


 拍子木が、東で鳴った。

 間を置いて、西でも鳴った。

 同じ刻限を告げる音だった。

 しかし、重ならなかった。


 東は、東の歩き方を始めていた。

 西もまた、西の歩き方を始めていた。


 まだ誰も、戦を始めるとは言っていなかった。

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