2.危ない村
「あなた、だれ?」
可愛らしくこてん、と首を傾げた少女を前に俺はただ押し黙った。いや、そうするしかなかった。白い麻のワンピースを着ているし、幽霊だというのにまず間違いないだろう。
幽霊は、人の名前に執着するという。名前だけは言いたくない。
口を固く結んで黙りこくった俺を前に、少女は困ったような顔をした。
「私、ただあなたのこと助けようと思ったんだけど」
幽霊の言う助ける=殺しにきてる。頭の中で方程式が出来上がり、必死に逃げようとしたが、地面を蹴った足は、すぐに宙に舞った。少女が一瞬で駆けてきて、俺の服の襟を掴んだからだ。
近くで見たら俺より身長が低いみたいなのに、片腕で持ち上げるなんて、一体彼女の腕力はどうなってるんだろう。ていうか、速すぎないか。いや、幽霊なんだから関係ないか。
なんて日だ、と心の中で叫びながら、ギギギ、と効果音がしそうな感じで、俺は背後を振り返った。少女は不満そうな顔をして顔を顰めている。しまった、失敗した。
ーーいろいろ考えているうちに、なんだかもうどうでもよくなって、ありがとうございます、と会釈する。
「どうも」
彼女が一言、ぽつりと呟いた。常識はあるみたいだ。いや、もうよく分からない。そもそも常識ある霊とない霊って違いはなんなんだ。俺は幽霊の生態なんて知らない。
「どうして逃げたの?」
またぽつりと彼女が言った。あ、終わった。さよなら、短かった人生。この先のことを考えて仏の笑みを浮かべて答える。
「いや、その幽霊だと思って。殺されるかなって」
何が嬉しくて幽霊にこんなこと言わなきゃなんないんだ。
「幽霊? 殺される?」
きょとんとした顔で彼女は言う。もしかしたらまだ自分が死んだことに気づいていないのかもしれない。こういう場合はどうしたらいいんだろうか。
うーん、と頭を悩ます俺に彼女は自分の姿をじっとみてから、あ〜そういうことね、と笑った。
「なるほどね」
やっと俺の襟から手を離して、そして笑いだした。何が起きてるのか、頭が追いつかない。
「私今光ってるから、幽霊だと思ったんでしょ?」
違うのだろうか。じゃあ、彼女は一体なんなのか。あはは、と腹を抱えて笑い続ける彼女に背筋が凍る。なんだか、狂気的なものを感じて。
「確かにね。知ってたらこんなとこまで来るわけないか」
相変わらずけたけたと笑いながら言う彼女。俺はこの仕事を請け負ったことを後悔し始めた。いや、前からしていてはしていたのだが、こんなに明確に命の危険は感じなかったし、それに見合う分の賃金は貰っていたので、相応のものだと見切りをつけていたのだ。ぐちぐち考えても仕方ないと。
ただ、こうやって、本当に人間かも分からない化け物みたいな女が狂ったように笑いだしたりするのは、完全なる誤算だった。
「どういうことですか?」
少し震えた声で言う。やっと笑うのをやめた彼女は、
「どういうこと、か……でもその話の前になんでここに来たのか、教えてもらえる?」
俺の話を遮った。状況的に話すべきなのだろう。俺を見ているようで、また別の何かを見透かしているような彼女の瞳を見れば、よくわかる。じゃないとどうなるか分からないし、ていうか、分かっているからこそ怖いし。
けれど、俺には守秘義務があるのだ。今回の仕事を依頼してきた雇い主、というか客は俺の村では有名な地主で、その分守秘義務も重い。秘密をもらせばどうなるのかなんて、考えたくもない。
目を細めて訝しげに見てくる彼女にそのことを告げると、関係ないわ、ときっぱり言い切った。どういうことか、と再び聞こうとすると、そんなことわたしがどうにでもするからとりあえず話してみて、と遮られる。
一体どうするのか、なんて分からないが、彼女ならあの地主のあほほどいる護衛を倒すなんて、赤子の手をひねるようなものだろう。
彼女が守ってくれると言うのなら、と俺は口を開いた。ここで黙るにしても、守秘義務を破ったことが客にバレても、死にそうなので。せめて生存率の高そうな方を選びたい。それにとにかく、俺がここに来た訳を話さなければ、どうにもならなそうだ。
「俺がここに来たのは、危険生物を秘密に運んで欲しいという依頼があったからです。そこにある吊り橋の、真ん中で荷物を受け渡して欲しいと言われていました。」
とりあえず必要最低限の情報だけ言う。たぶんそれを勘づかれたのだろう。もっと詳しく、と彼女はさらに問い詰めた。どこまで? と問うと、最初から全部、と言われる。えぇ、とどもると、先程からちらちら見せてきていた刀をそっと近づけてきた。クマを殺したやつだ。ゾッとして、手が震えた。それを見て彼女は話して、とさらに催促してきた。仕方ない、と腹を括る。
「俺がここに来た理由を初めから言うと
ーー最初にこの仕事の話がきたのは先月のことでした。俺は生まれ育った村で便利屋を営んでいて、そこそこ繁盛していたんです。それである日、村の地主から自分の家に来るように言われました。俺が地主の家に行くと、まず客間に通され、客人用に備え付けられている椅子に座られされて、やたら立派な机の上に置いてある籠をこの山に運ぶように言われたんです。最初は断ろうと思いましたよ、怪しかったんで。俺のところでは、まともに教育を受けられるようなのは地主のとこの子供くらいだったし、それくらいあそこは金持ちだったんです。そんな家が一介の便利屋に頼み事をするなんて、籠を早く手放したいか、それともそれはどうでもいいものかのどちらかでしょう。けれど、どうでもいいことのためにわざわざ家に呼んで、地主じきじきに依頼があるなんて、何かがおかしいと思いました。そうなれば残りは一択。危ないものです。そう気づいてからは断ろうと思っていたんですけどね、法外の賃金に目が眩みました。仕事を受けると、籠の中に入っている生物について説明され、誓約書にサインをさせられました。で、この山でクマに襲われているところを、あなたに助けられたんです」
全てを説明し終えると、彼女はなるほど、と何度も頷いた。納得してくれたのなら良かった。俺は早くこの山を降りて、家に帰って寝たい。地主の耳に早くに俺が仕事を終えたという話が入ったら、この便利屋のことを広めてくれるかもしれないし。
だからこそ、彼女が次に放った言葉に、顎が外れるほど驚いた。
「騙されたのね」
どういうこと、と敬語も忘れて問い詰めると、彼女はにっこりと笑った。神経を逆撫でするような笑い方に思わずムっとする。
「この村はとても危険だわ。他所から人が来たと分かった瞬間、殺してくるような人達ばかりいる。あなたのとこの地主さんは、子供に教育を受けさせることが出来るくらい金持ちなんでしょう? だとしたら、この村の情報が耳に入っていないはずがない。知っててあなたに運ばせたのよ。危険なものを、危険な場所に」
背筋が凍りついた。知ってて運ばせた、ということは、最初から殺す気だったのか。知らないけど。
この村の住人(もはや人かも分からない)が人を殺すどうこうはともかくとして、小さい頃から割と仲は良かったはずの地主(性格悪いけど)に殺されそうになっていたというのがショックで、ははっと力ない笑みが口からこぼれ、足の力も抜けた。
地面に蹲りショックを受けている俺を見て彼女は可哀想だと思ったのか目線を俺と同じ高さに合わせた。それから、提案があるのだけど、と妖艶に微笑む。俺が彼女に見とれていると、彼女は名前を教えて?と言うので、ハルです、と答えるとゆっくりと頷いた。
「ハル、あなたは便利屋をしているのよね?」
嫌な予感がする、と思いつつもまぁ、それなりに、と頷く。
「わたしはヒスイ。この山に住んでるんだけど、ここの住民がちょっと問題でね。助けて欲しいの。報酬ははずむわ」
まさか依頼されるとは思っていなかったので、驚きで目を見開く。
いや、なんかさっきから奇妙なことばかり起きているせいで、あんまり驚きはしなかったんだけど。頭の片隅では、これが事実は小説よりも奇なり、というやつかという言葉が浮かんでは消えている。
「仕事内容によります。もう2度とこんな仕事したくないんで」
「その助けて欲しいっていうのはね」
どうやら俺の話を聞く気はないようだ。
「一緒にこの村から脱出して欲しいってことなの」
「は?」
どういうことだ。思い出してみればそもそも荷物を渡してないけど、俺はすぐに帰れるんじゃなかったのか。穴が開きまくってるせいであんまり暖かくないけど、小さい頃からの思い出が詰まった家で心ゆくまで寝て、客が来るまで遊び呆けるはずだったんじゃなかったのか。こうなれば心は決まっている。
「嫌です」
はっきりと、高らかに答えた。嫌だ、こんなところにとどまるなんて。ヒスイは変わってるけど美人だからからまだいい、いや良くないか。最初からクマ倒したり、片腕で俺のこと持ち上げたり、いきなり笑いだしたり……かなり怖い。それに話を聞く限り、そのヒスイよりここの住民危なそうだからもっと嫌だ。俺は早く安全な場所に避難したいんだ。
ヒスイは心底残念そうな顔をした。それどころか、残念、とまで言い始める。どういうこっちゃ、とヒスイを見つめていると、先程直したばかりの刀を、すっと鞘から出した。俺が顔を強ばらせると、俺の首元に刀をあてた。
「残念。助けてあげようと思ったのに」
ーー前言撤回。1番危ないのはきっとヒスイだ。
結局俺が頷くと彼女はにっこり笑って
「じゃあ、契約完了ね。契約書にしてもその籠にしてもなんにしても、私の家まで戻らなきゃどうにもなんないから、まずは村まで案内するわ。けど1つだけ約束。絶対に私から離れないで。下手したら死ぬわよ」
と何だか最後に恐ろしい一言を残して立ち上がった。後に続くと、
「歩きながら、この村のことについてでも話しましょうか。たとえば、何で私、いや私達が光ってるのか、とかね。何も知らなかったら、ここはあなたにとってあまりに危険だもの」
彼女がこの山の歴史に関して話し始める。
穏やかな空気になったからか、さっきまで黙っていた小鳥の歌声が、大きな満月の光と、柔らかな風に溶けて、たゆたっていた。




