第35話 私の知らなかったアルベルト様
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第35話 私の知らなかったアルベルト様
「男爵様、ご帰宅です!」
玄関の方から声が響いた。
「セレナー!」
「聞いてくれ!」
「荷馬車の車輪が外れて困っている領民がいてな!」
「修理を手伝っていたら、こんな時間になってしまった!」
勢いよく応接間へ飛び込んできたお父さまは、服のあちこちが泥だらけだった。
髪には、なぜか藁まで刺さっている。
「…………」
私は無言になった。
アルベルト様も、無言。
ライナーさんだけが、静かに目を閉じた。
「お父さま」
「ん?」
「公爵家嫡男のアルベルト様がお待ちですわ」
「へ?」
お父さまはようやくアルベルト様に気づいた。
「これは失礼しました!」
慌てて頭を下げる。
その拍子に、髪の藁が一本落ちた。
「……アルベルト・フォン・グラナートだ」
「お待たせして申し訳ありません!」
「構わない」
お父さまはアルベルト様をじろじろ見る。
「公爵様はお変わりないですか?」
「ああ。」
「そうですか……」
お父さまは、なおもアルベルト様を見ている。
アルベルト様も黙っている。
「…………」
「…………」
「お父さま、何をしてますの?」
「いや、どんな人なのかなと思って」
「見すぎですわ!」
お父さまは、きょとんとした顔をした。
ライナーさんが小さく咳払いをする。
「男爵様、まずはお掛けになってはいかがでしょう」
「確かにそうだな」
ようやく全員が席についた。
アルベルト様は、まっすぐお父さまを見る。
「エヴァンス男爵」
「はい?」
「少し伺いたいことがある」
「何でしょう?」
「現在のエヴァンス家の状況についてだ」
アルベルト様は、淡々と話し始めた。
使用人が少ないこと。
家の収入が厳しいこと。
領民への貸し付けが多いこと。
そして、私が学院へ通いながら働いていること。
「………」
お父さまは黙って聞いていた。
けれど。
「ところでアルベルト君」
「お茶を飲むかい?」
「……いただこう」
「セレナ、お茶を」
「今、話の途中ですわ!」
「そうだったか?」
「そうですわ!」
ライナーさんが、そっと額を押さえた。
アルベルト様は一度目を閉じる。
そして、再び話を続けた。
「男爵は、この状況をどう考えている?」
「どうって?」
「このままでいいと思っているのか」
「まあ、なんとかなるだろう」
「…………」
アルベルト様が黙った。
「お父さま」
「ん?」
「アルベルト様は真剣に聞いてくださっているんですのよ」
「分かってるぞ」
「本当に分かってますの?」
「もちろん」
お父さまは胸を張った。
「……そうだなー、うーん、君たちに見せたいものがある」
「……突然、何ですの?」
お父さまは立ち上がった。
「山へ行くぞ」
「……山?」
「そうだ!」
「今からですの!?」
窓の外は、すでに暗い。
「今からだ」
「なんでですの!?」
「見れば分かる!」
「何をですの!?」
「行けば分かる!」
「説明になってませんわ!」
ライナーさんが小さくため息をついた。
「閣下……」
アルベルト様はしばらく黙っていた。
そして。
「……分かった」
「え!?」
「行こう」
「アルベルト様まで!?」
こうして、なぜか私たちは夜の山へ向かうことになった。
◇
魔法のランプを掲げながら、山道を歩く。
先頭はお父さま。
その後ろを私、アルベルト様、ライナーさんが続く。
「お父さま!」
「何だ?」
「どうして夜に山なんですの!」
「だから、見せたいものがあるんだ」
「だから何ですの!」
「着けば分かる!」
「それさっきから同じですわ!」
「はっはっは!」
「笑ってごまかさないでくださいませ!」
ライナーさんが苦笑する。
アルベルト様は黙って歩いていた。
けれど、私の歩幅が遅くなると自然に速度を落としてくれる。
「アルベルト様」
「何だ?」
「……お疲れではありませんか?」
「問題ない」
彼はいつもより柔らかく笑う。
そんなアルベルト様の優しさがうれしくてほっとした。
やがて。
「着いたぞ」
お父さまが足を止めた。
木々の向こうへ出る。
視界が一気に開けた。
眼下には、男爵領の明かりが広がっていた。
「……わぁ」
小さな灯りが、遠くまで続いている。
お父さまは、その景色を静かに見つめていた。
私は久しぶりの景色に胸を弾ませながら、辺りを見て回る。
「お父さま、少しあちらを見てきますわね」
「ああ」
「……アルベルト君。」
「これが、私の守るものだ」
「この土地に住む人たちだ」
「だから、困っている人がいたら助けたい」
「これからも、それをやめるつもりはない」
アルベルトは静かに尋ねた。
「そのために、家族が苦労しても?」
男爵は黙った。
「……そこは、反省している」
「妻にもセレナにも、苦労をかけた」
「だが、それでも見捨てられないんだ」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
「エヴァンス家には家訓があるそうだな。」
男爵がはじめてまともにアルベルトを見返した。
「借りたものは返す。」
「壊したものは弁償する。」
「間違えたら素直に謝る。」
「損をしても正しいことを選ぶ。」
アルベルトは男爵をまっすぐ見た。
「人としての誇りを大事にする男爵の気持ちも理解できる」
「私は、その志をやめる必要はないと思う」
男爵の表情が変わった。
これまでとは違う、真剣な眼差しでアルベルトの言葉を聞いている。
「だが、一人で背負う必要もない」
「国からの支援制度もある、公爵家として力になれることもある」
「使えるものは使えばいい」
「それでも足りなければ――」
アルベルトは静かに続けた。
「私も力を貸す」
男爵は黙っていた。
やがて、小さく笑う。
「アルベルト君は、それほどセレナに惚れているのかい」
「 ………… 」
アルベルトは腕を組み、男爵を見据えた。
「勝手に調べさせてもらったことは謝る」
「だが、すべては彼女を救うためだ」
一度、言葉を切る。
「私の未来の妻のためにも、誠意ある対応をお願いしたい」
「……私は、まだ娘を君に嫁がせると言った覚えはないがな」
アルベルトは、鋭い視線を返した。
だが、男爵も負けてはいない。
あら?
お父さまとアルベルト様が睨み合っているような……。
「お父さま?」
私が近づく。
「アルベルト様と、何を話しておりましたの?」
「何でもない!」
「何でもないって、絶対何かありますわよね!?」
「本当に何でもないぞ!」
「怪しいですわ!」
その横で、アルベルト様が小さく息を吐いた。
◇
山を下り、屋敷へ戻る。
玄関前で、アルベルト様とライナーさんを見送る。
「本日はありがとうございました」
「こちらこそ」
アルベルト様は私を見る。
「また、改めて伺う」
「はい?」
「その時には話したいことがある」
「何のお話ですの?」
「その時に」
「……わかりましたわ。」
アルベルト様は、それ以上何も言わずに馬車へ向かった。
「では、失礼する」
「はい。お気をつけて」
◇
エヴァンス家が見えなくなったところで。
「……閣下」
ライナーさんが口を開いた。
「先ほどの『改めて伺う』というのは……」
「どういう意味ですか?まさかとは思いますが……」
アルベルトは馬車の窓から外を見た。
「婚約を申し込む」
「…………」
ライナーさんが固まる。
「あの、閣下」
「まだ、告白もしていませんよね?」
「……そうだな」
「順番が逆では?」
「分かっている」
「分かっていて婚約を申し込むのですか……」
「 ………… 」
ライナーさんは深いため息をついた。
「……もう、お好きになさってください。」
アルベルト様は、静かに窓の外を見つめていた。
【エヴァンス家・完】




