第34話 アルベルト様が帰りません
読みに来てくださってありがとうございます。
少しでも楽しんでいただけたら嬉しいです。
それでは本編をどうぞ。
第34話 アルベルト様が帰りません
お母さまが倒れてから三日。
私は学院を休み、家の仕事を手伝っていた。
朝は朝食の支度。
洗濯に掃除。
その後はお母さまの看病。
そして夕方になると、アイリスさんに紹介してもらった喫茶店で働く。
慌ただしい毎日だった。
「セレナ……」
お母さまが申し訳なさそうに私を見る。
「ごめんなさいね」
「気にしないでください、お母さま」
私は笑った。
「今までお母さまが頑張ってくださったのですもの」
「今度は私の番ですわ」
その日の午後。
コンコン。
玄関を叩く音が響いた。
執事が扉を開ける。
「どちら様でしょうか」
「アルベルト・フォン・グラナートだ」
「アルベルト様!?」
私は思わず立ち上がった。
玄関へ駆け寄ると、銀色の髪を整えたアルベルト様と、その隣にライナーさんが立っていた。
「男爵夫人のお見舞いに参りました」
ライナーさんが穏やかに頭を下げる。
「皆様にもお声を掛けたのですが、閣下が、人数が少ないほうがよろしいだろうと」
「……皆さんも?」
「ええ。かなり残念そうでした」
「まあ……」
私は思わず苦笑した。
「わざわざありがとうございます」
◇
お母さまの部屋へ案内すると、アルベルト様は静かに頭を下げた。
「一日も早いご回復を願っております」
「ありがとうございます、アルベルト様」
お母さまは嬉しそうに微笑んだ。
少し話をしたあと、アルベルト様が尋ねる。
「男爵夫人の容体は?」
「熱は下がりましたわ」
「ですが、まだ安静が必要です」
「そうか」
短い返事。
けれど、その声には明らかな安堵が滲んでいた。
私は、その小さな変化に気づいてしまう。
無表情な方なのに。
こういう時は、ちゃんと心配してくださっている。
そう思うと、胸が温かくなった。
そして、お母さまはアルベルト様に聞こえないよう、そっと私の袖を引いた。
「セレナは、公爵家のアルベルト様と仲良くさせてもらっているの?」
「どういう間柄なの?」
「えっと……」
私は少しだけ考えた。
恋人――は、絶対違いますわね。
友人…でもない気がします。
「決闘相手、ですわ」
「……?」
お母さまは不思議そうに首をかしげた。
私は苦笑する。
説明すると、きっともっとややこしくなる。
その後も少し話をして、アルベルト様たちは帰るのかと思っていた。
ところが。
「では、そろそろ――」
ライナーさんが言いかける。
「いや」
アルベルト様が止めた。
「男爵が帰宅するまで待つ」
「え?」
私は目を丸くした。
「お父さまにご用事ですの?」
「ああ。」
「お父さまは、いつ戻るか分かりませんわよ?」
「構わない」
「でも、アルベルト様はお忙しいのでは?」
「問題ない」
即答だった。
「…………」
帰る気がない。
本当にない。
私はライナーさんを見る。
ライナーさんは、困ったように笑った。
「こうと決めた閣下は、なかなか動かれませんので」
「まあ……」
それなら。
「では、お待ちいただいている間に……」
私は少し考えた。
「私の部屋を見ていかれます?」
「……君の部屋?」
「はい」
なぜか、少しだけ緊張した。
「私の部屋なんて、大したものではありませんけれど」
「……ぜひ、見せてほしい」
「では、どうぞ」
私は階段を上った。
◇(アルベルト視点)
彼女の後を歩きながら、私は落ち着かなかった。
エヴァンス嬢の部屋。
それだけなのだが。
扉が開く。
「こちらですわ」
中へ入る。
高価なものはないが、品のある調度品が部屋によく馴染んでいた。
落ち着いた色のカーテン。
整えられた机。
小さな棚。
どこか、彼女そのもののような部屋だった。
「どうなさいました?」
「……いや」
私は視線を逸らした。
「なんだか今日のアルベルト様、いつもと違いますわ」
「私は……女性の部屋に入ったことがない」
「!」
それを聞いた彼女の顔が赤くなる。
「女性の部屋といいましても……特に何もなくてお恥ずかしいですけれど……」
「アルベルト様、この部屋に来られた方に、お見せしているものがあるんです…」
そう言って彼女が棚へ向かった。
私以外に誰が来たのか気になったが、あえて聞かなかった。
「これは、私の宝物ですの」
小さな木箱を取り出す。
蓋を開けると、中には赤いリボンと一枚の絵が入っていた。
「これは?」
「5歳の誕生日に、お母さまが選んでくださったリボンですわ」
「私のツインテールは、その時から始まりましたの」
セレナは嬉しそうに笑った。
「そして、こちらは小さい頃に描いた家族の絵です」
彼女が見せてくれた絵には、父親と母親、そして真ん中に小さなセレナが描かれていた。
「お父さまは帰ってくると、いつも抱っこしてくださったんですの」
「お母さまは毎日髪を結んでくださって……」
彼女は家族の思い出話を楽しそうに話している。
気づけば、彼女の顔ばかり見ていた。
ふと、目が合った。
私は慌てて絵へ視線を戻す。
「……ちゃんと聞いてくださっています?」
「……ああ」
少し間を置いて、私は言った。
「君は、愛されて育ったんだな」
「はい!」
彼女はにっこり笑った。
「私はこの家に生まれて幸せでした」
その後も、彼女は家族のことを話してくれた。
父親は領民を放っておけない人らしい。
困っている者がいれば金を貸す。
そのため、家の生活はずっと苦しい。
今も母親が倒れ、彼女自身が家事をしながら働いている。
「だから今は、お金がちょっと大変なんですの」
「……そうか」
私は黙って話を聞いた。
報告書で見るよりも、本人の口から聞くと、やはり違うものだ。
「それでも、お父さまは領民を助けるのをやめないんですの」
「君は、それでいいのか?」
「私は……」
彼女は少し考えた。
「困っている人を助けたい気持ちは、分かりますわ」
「でも、お母さまが倒れた時は……さすがに困りましたけれど」
私は静かに息を吐いた。
そして。
「エヴァンス嬢」
「はい?」
「私は男爵に会って、君のこの生活状況を改善するよう話すつもりだ」
「お父さまに?」
「ああ」
「アルベルト様は、エヴァンス家のことをよくご存じなようですが、なぜですか?」
「すまない。少し調べさせてもらった」
「…………」
何も言わない彼女を見て、私は自分のしていることは間違っているのではないかと、不安になった。
「君たち親子の現状は、とても厳しいものだ」
「知ってしまったからには、放っておくことはできない……」
「アルベルト様……」
「もう少し早く気づくべきだったと、後悔している」
「……君は、無理をしすぎだ」
私の言葉を聞いた彼女の目に、涙が浮かんだ。
一筋の涙が、頬を伝う。
「苦しいなんて、思っていませんでしたのに……変ですね」
その言葉を聞いて、私は彼女が背負っていたものの重さを、初めて理解できた気がした。
その時。
階下から声が響いた。
「お嬢様!」
執事だった。
「男爵様、ご帰宅です!」
「……!」
彼女は慌てて涙をぬぐった。
私は静かに階下へ続く扉を見る。
ようやく、会える。
彼女の父親に。
【エヴァンス家・3】




