第33話 新しいアルバイト
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第33話 新しいアルバイト
翌日の放課後。
私はアイリスさんと並んで学院を出ていた。
「もうすぐですよ!」
「はい!」
初めての職場。
胸がどきどきする。
しばらく歩くと、大通り沿いに木造のおしゃれな喫茶店が見えてきた。
思わず足を止めた。
窓辺には色とりどりの花が飾られ、店内からは香ばしいパンの匂いが漂ってくる。
「こちらです!」
「まぁ……。」
「素敵なお店ですわ!」
アイリスは嬉しそうに扉を開ける。
「お疲れ様です!店長」
「おかえりなさい、アイリス」
奥から優しそうな女性が姿を現した。
三十代ほどだろうか。
柔らかな笑顔が印象的だった。
「こちらが昨日お話ししたセレナ先輩です!」
「初めまして!」
私はスカートの裾をつまみ、一礼する。
「セレナ・エヴァンスと申します。」
「本日よりお世話になります。」
店長はにっこりと笑った。
「そんなに緊張しなくても大丈夫よ。」
「アイリスからお話は聞いています。」
「一緒に頑張りましょう。」
「よろしくお願いいたします!」
店長は棚から一着の制服を取り出した。
「更衣室はこちら。」
「サイズもたぶん大丈夫だと思うわ。」
数分後。
私は制服へ着替え、鏡の前へ立つ。
白いブラウスに黒いエプロン。
「まぁ……。」
思わず笑みがこぼれた。
「なんだか本当に店員さんみたいですわ。」
アイリスがくすりと笑う。
「今日から店員さんですよ!」
「そうでしたわ!」
私は少し照れながら、笑う。
仕事は覚えることが多かった。
注文の取り方。
料理の運び方。
食器の片付け。
お会計。
最初は戸惑ってばかりだった。
「あっ!」
危うくお水をこぼしそうになり、慌てて両手で支える。
「す、すみません!」
店長は優しく笑った。
「最初はみんなそうだから。」
「焦らなくて大丈夫。」
その一言に肩の力が抜けた。
「ありがとうございます。」
私は深く頭を下げる。
少しずつ。
一つずつ。
教えてもらったことを覚えていく。
「セレナ先輩!」
「この料理、三番テーブルです!」
「承知しました!」
私はトレーを持ち、お客様の元へ向かった。
「お待たせいたしました。」
料理を置くと、年配の女性が優しく微笑んだ。
「ありがとう。」
「感じのいいお嬢さんね。」
「まぁ!」
思わず頬が熱くなる。
「ありがとうございます!」
店内を歩き回るうちに、緊張も少しずつほぐれていった。
「お疲れさま。」
休憩時間。
アイリスがジュースを持ってきてくれた。
「最初なのに、とても上手でしたよ!」
「本当ですの?」
「はい!」
「店長も褒めていました!」
私は嬉しくて胸の前で両手を握る。
「まだまだ覚えることはたくさんあります。」
「ですが……。」
自然と笑みがこぼれる。
「お給料をいただけると思えば、苦ではありませんわ!」
アイリスは思わず吹き出した。
「ふふっ。」
「やっぱりセレナ先輩、大好きです!」
私もつられて笑う。
「私もですわ。」
「アイリスさんと一緒なら、毎日のお仕事も楽しそうです。」
アイリスは照れくさそうに頬をかいた。
「えへへ。」
私も笑顔になる。
学院で、こんなに気の合う友人ができるなんて。
本当に幸せですわ。
店内は夕方を迎え、次第に席が埋まり始めていた。
「セレナ先輩! 二番テーブルです!」
「はい!」
私は注文を受け、厨房へ駆ける。
「こちら、サンドイッチを二つお願いします!」
「はーい!」
料理を受け取ると、今度は別の席へ。
「お待たせいたしました。」
「ありがとう。」
お客様の笑顔を見るたび、自然と私も笑顔になった。
(しかし……忙しいですわね。)
初めての接客のお仕事は、予想以上に体力を使った。
そろそろ休憩しようと思った、その時。
カラン。
扉のベルが鳴る。
「いらっしゃいま――」
私は目を丸くした。
「まぁ!」
入口に立っていたのは、アルベルト様、ライナーさん、クララ、キリル王子、イーゴリさんだった。
「皆さん!」
キリル王子が大きく手を振る。
「よう! 本当に働いてるな!」
「お仕事中ですの。」
私は少し照れながら笑った。
クララが店内を見回す。
「素敵なお店ですわね。」
ライナーさんが軽く一礼する。
「仕事ぶりを拝見しに参りました。」
アルベルト様は静かにうなずいた。
「邪魔をする。」
「いえ、とんでもありません!」
その時、店長が声を上げる。
「セレナさん! 三番テーブルお願い!」
「はい!」
私は慌てて頭を下げた。
「申し訳ありません。」
「少々お待ちくださいませ。」
そう言って、皆をテーブルに案内した後、すぐに仕事へ戻る。
注文を受け、料理を運び、空いた食器を下げる。
忙しく店内を動き回る私を、皆は静かに見守っていた。
「ケーキ三つ!」
キリル王子が元気よく注文する。
イーゴリさんが静かに言う。
「お一人です。」
「……一つ。」
思わずクララが吹き出した。
「ふふっ。」
ライナーさんも小さく笑う。
その様子を見た店長が微笑んだ。
「セレナさん、とても助かっています。」
「飲み込みも早いですし、お客様からも評判がいいんですよ。」
私は思わず頬を赤くした。
「ありがとうございます!」
アルベルト様は、その言葉を静かに聞いていた。
ほんのわずかに口元が緩む。
やがて食事を終えた皆は席を立つ。
「それでは、私たちはこれで。」
最後を歩くアルベルト様の黄金の瞳が揺らめいた。
「エヴァンス嬢の働く姿が見られてよかった。」
私は頬が熱くなるのを感じた。
「来ていただいてありがとうございました!」
その時ーー。
店長が慌てて駆け寄る。
「セレナさん!」
「ご自宅から急ぎの連絡です!」
「……え?」
「お母さまが倒れられたそうです!」
私は言葉を失った。
「そんな……。」
店内が一瞬で静まり返る。
アルベルト様たちの表情も、一瞬で真剣なものへ変わる。
「エヴァンス嬢。」
アルベルト様が静かに声をかける。
「すぐに帰れ。」
「仕事のことは気にするな。」
店長も大きくうなずく。
「ええ、今日はもういいから!」
「お母さまのところへ行ってあげて!」
「……はい!」
私は深く頭を下げる。
「申し訳ありません!」
アイリスが駆け寄る。
「セレナ先輩!」
「お母さま、きっと大丈夫です!」
私は小さくうなずいた。
「ありがとう。」
そのまま店を飛び出した。
◇(アルベルト視点)
生徒会室。
夜の学院は静まり返っていた。
窓の外には、月明かりに照らされた庭園が広がっている。
昼間の賑やかさが嘘のように、生徒たちの声も聞こえない。
私は机の上に置かれた書類へ目を落としていた。
だが、文字が頭に入ってこない。
脳裏に浮かぶのは、喫茶店でのセレナの姿だった。
忙しそうに店内を駆け回り、客には笑顔を向けていた。
そんな彼女の――
母親が倒れたと聞いた瞬間の、あの表情。
真っ青だった。
「……エヴァンス嬢は、大丈夫だろうか」
思わず呟く。
向かいで書類を整理していたライナーが、手を止めた。
「私も心配しております」
ライナーは静かに息をつく。
「だいぶ無理をされているようですね」
「ああ」
私は窓の外へ視線を向ける。
彼女はいつも明るく振る舞っている。
赤面決闘でも。学院でも。アルバイト先でも。
だが、その明るさの裏で、彼女は何かを抱えている。
これ以上、見て見ぬふりはできない。
「……少し、気になることがある」
「何でしょう?」
エヴァンス男爵家については、これまでにも耳にしたことがある。
貴族とはいえ、決して裕福ではない家だ。
セレナが学費のために、グランベルカードを必死に狙っていることも知っている。
それだけではない。
学業と決闘をこなしながら、放課後には店員として働いている。
そのうえ――
今日、彼女の母親まで倒れた。
一つ一つを思い返すほど、胸の奥に不安が広がっていく。
彼女は、何も言わない。いつも通り笑っている。
だが、本当に大丈夫なのだろうか。
私はしばらく黙ったあと、口を開いた。
「エヴァンス家の経済状況を調べてくれないか?」
ライナーの手が止まった。
「……はい?」
私は椅子から立ち上がり、窓辺へ歩いた。
「彼女が、どのような状況に置かれているのか知りたい」
「知って……どうされるおつもりですか?」
ライナーの声には、わずかな警戒が混じっていた。
私は振り返る。
「私は、彼女の力になりたい」
迷いのない声だった。
「そのためには、まず状況を把握しなくてはいけない」
ライナーは黙って私を見つめる。
この顔をするときの主人は、すでに何かを決めている。
「……閣下。」
「なんだ?」
「まだ……告白すらされておられませんよね?」
一瞬、部屋に沈黙が落ちた。
私はわずかに視線を逸らす。
「……ああ」
「でしたら……」
ライナーは慎重に言葉を選んだ。
「まだ、あまり深入りなさらないほうがよろしいのではないでしょうか」
「…………」
私は再び窓の外へ目を向ける。
しばらくして、静かに答えた。
「私は、これからの長い将来を見据えている」
「……将来、ですか?」
「ああ」
振り返る。
黄金色の瞳には、いつもの冷静さがあった。
だが、その奥には揺るがない決意が宿っていた。
「もし、今後エヴァンス嬢と結婚するのなら」
ライナーの眉が、ぴくりと動く。
「エヴァンス男爵家とは、親類になる」
「…………」
「そうなれば、彼女の家のことも、私には無関係ではない」
私は静かに続けた。
「困っているのなら、放っておくわけにはいかない」
ライナーは、何とも言えない顔をしていた。
やはり、呆れているのだろう。
「……閣下。」
「なんだ」
「ですから……まずは、告白からではないでしょうか」
「…………」
アルベルトは黙ってライナーを見つめた。
やがて、その瞳がわずかに柔らかくなる。
「分かっている」
静かな声だった。
「だが、私は――」
一度、言葉を切る。
そして。
迷いのない声で告げた。
「彼女のすべてを、ともに背負いたい」
ライナーは息を呑んだ。
それは、勢いで口にした言葉ではなかった。
セレナの家のことも。
学費のことも。
これから彼女が抱えるかもしれない苦労も。
そのすべてを知ったうえで、彼女の隣に立つ。
アルベルトの中では、もうそれが決まっているのだ。
「……覚悟はできている」
ライナーはしばらく私を見つめていた。
そして、とうとう小さく息をついた。
「……かしこまりました」
「エヴァンス家について、調べてまいります」
「ああ。頼む」
アルベルトは短く答えた。
再び窓の外へ目を向ける。
月明かりの下、静かな学院が広がっていた。
【エヴァンス家・2】




