【応仁の乱編】第九段 宗全逝く
【応仁の乱編】第九段 宗全逝く
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争いを始めた者の一人が、ついに世を去った。しかも、その最期は、老いて尚戦い続けた男の、意外なほど痛ましいものだった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
宗全、六十六歳という老齢にありながら、応仁三年、東軍が本陣に斬り込みし折には、自ら具足を身にまとい刀を取りて敵を追い払い候由に候。かかる気概、老いてなお衰えぬものと見受けられ候えど~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
宗全は66歳という高齢にもかかわらず、応仁3年(1469年)、東軍が本陣に斬り込んできた時には、自ら鎧を身にまとい刀を取って敵を追い払ったそうです。こういう気概は老いてなお衰えていないように見えましたが、寄る年波には勝てず、その後は中風を患て、自分で字を書くこともできなくなってしまいました。
文明4年(1472年)、勝元との和議が、家中の反対によって決裂しました。これに宗全は責任を感じたのか、自ら切腹しようとしましたが、一命は取り留めました。同年8月、家督を孫の政豊に譲って隠居の身になりました。
しかし、この時の傷がついに癒えることなく、文明5年(1473年)3月18日、病が重くなって亡くなりました。享年70。
長い間、戦の火種を撒き続けた男が、和議に敗れて自ら刃を我が身に向け、その傷がもとで命を落とす。争いを始めた者の最期として、これほど皮肉な終わり方もそうそうないだろうと思いました。
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66歳で鎧を着て敵を追い払った男が、その3年後には和議の失敗を苦にして自ら腹を切る。この落差を見ていると、宗全という男もまた、ただの野心家ではなく、どこかで戦の終わりを誰よりも望んでいたのではないかという気がしてくる。




