表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/14

【応仁の乱編】第八段 足軽という者ども

【応仁の乱編】第八段 足軽という者ども


-------------------

前の段で少し触れた「足軽」について、今回はもう少し詳しく書いておこうと思う。この乱を語る上で、この者どもを抜きにしては語れまい。中でも、骨皮道賢という男の生き様と最期は、なかなか我の胸に残るものだった。

________________________________________

篁様へ申し上げ候。

此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。

足軽と申す者ども、もとより正規の武士にあらず、京の内外に巣食う無頼の輩、あるいは飢饉により流れ込みし困窮者どもにて候。甲冑を身につけず、ただ一剣のみを手に敵陣へ突入する様、その姿~~~~~~~

________________________________________

現代語訳

篁様、報告します。

今回見たことを書いておきます。

足軽と呼ばれる者たちは、もともと正規の武士ではなく、京都の内外にたむろする無頼の輩や、飢饉で流れ込んできた困窮者たちです。鎧兜も身につけず、ただ剣一本だけで敵陣に突っ込んでいく姿は、これまでの武士の作法とはまるで違うものに見えます。

こういう足軽たちを束ねた者の一人に、骨皮道賢という男がいます。もともとは盗賊の取り締まりに関わっていた人物で、その伝手を使って盗賊や悪党たちを足軽として組織し、勝元に金で雇われたそうです。伏見稲荷山に陣を構えて、わずか300人ほどの手勢で、西軍への食糧補給路を断つなど、目覚ましい働きを見せました。

しかし応仁2年(1468年)3月21日、西軍の大軍に囲まれ、道賢は女装して逃げようとしましたが見破られ、討ち取られてしまいました。その最期を、京都の子どもたちは「昨日まで稲荷山を駆け回っていた道賢が、今日は骨と皮だけになって哀れなことよ」と、名前にかけた戯れ歌にして囃し立てたそうです。

無位無官の悪党上がりが、乱の中で一気に名を挙げて、そしてあっけなく骨と皮になって果てる。この乱そのものの縮図を見るような話だと、私には思えました。

________________________________________

名門の家柄の争いに、こういう無頼の者たちが巻き込まれ、そして使い捨てられていく。道賢という男、乱世でなければ表舞台に立つことなど一生なかったであろう。それがこの乱のおかげで名を挙げ、そしてこの乱のせいで命を落とした。皮肉としか言いようがない生涯だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ