【応仁の乱編】第七段 公家・僧侶の逃避行
【応仁の乱編】第七段 公家・僧侶の逃避行
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都を追われた者たちが、どこへ向かったのか。今回はその行方について書いておこうと思う。皮肉なことに、都が壊れたことで、都の文化がかえって遠くまで運ばれていくことになった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
京の焼亡により、公家・僧侶ら、住むところを失い、堺、奈良、山科、あるいはさらに遠き地方へと逃れ候。中には、地方の武将を頼り、その庇護のもとに移り住む者も少なからず~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
京都の焼失によって、公家や僧侶たちは住むところを失い、堺、奈良、山科、あるいはもっと遠くの地方へと逃れていきました。中には地方の武将を頼って、その庇護のもとに移り住む者も少なくないようです。
こういう人たちは、ただ難を逃れただけでなく、これまで京都だけに蓄えられていた雅な文化――和歌や書、儀礼の作法など――を、身をもって地方へ運んでいくことになりました。都が焼け落ちたことで、かえって都の文化が広く各地に伝わっていくというのは、本当に皮肉な巡り合わせだと思いました。
私が特に興味深く見たのは、堺という地です。以前から商業が盛んな港町でしたが、公家や僧侶たちの流入によって、いよいよ都にも劣らない賑わいを見せ始めているようです。
都の不幸が、思いがけないところで新しい都を育てる種になる。人の世の巡り合わせというのは、本当に測りがたいものだと思います。
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失われたものは、ただ消えてなくなるわけではないらしい。形を変え、場所を変え、思わぬところで根を張り直す。我自身、生前の書き物が死後にこんな形で役に立つとは思ってもみなかったのだから、これも似たようなものかもしれない。




