【応仁の乱編】第二段 東軍・西軍分かるること
【応仁の乱編】第二段 東軍・西軍分かるること
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御霊の森での一戦を経て、事はいよいよ幕府全体を二分する大乱へと膨れ上がっていった。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
御霊合戦の後、勝元、政長を見殺しにいたし候ことで武士としての面目を失い、宗全との対決を決意いたし候。両者、それぞれ京へ兵を集め候。細川方は室町第を占拠して将軍を擁し、山名方は五辻通大宮東に本陣を構え~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
御霊合戦の後、勝元は政長を見殺しにしてしまったことで武士としての面目を失い、宗全との対決を決意しました。両者はそれぞれ京都に兵を集めます。細川方は室町第を占拠して将軍を確保し、山名方は五辻通大宮東に本陣を構えました。この位置関係から、下界では細川方を「東軍」、山名方を「西軍」と呼ぶようにりました。
戦の規模は東軍16万、西軍11万とも噂されていましたが、実際はこれは誇張です。それでも、これほどの数の兵が京都の一箇所に集まったこと自体、尋常ではない事態でした。
この大乱について、興福寺のある高僧が「いくら考えても、この乱がなぜ起きたのか、まったく分からない」と書いています。学識ある者ですら因果の糸をたどれないというのだから、この乱は本当に底知れないものだと思いました。
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学識ある高僧ですら「分からぬ」と匙を投げる乱だ。我のような一介の物書きが分かったふうな顔で書き記すのも、いささかおこがましい気がしてくる。それでも、見たものは見たままに書き残すのが我の役目だ。




