【応仁の乱編】第一段 御霊の森の戦い
この物語は、前作「兼好法師の黄泉報告書【南北朝の終焉とその後の火種編】」の続きとなります。
南北朝合一という慶事の後に起こる家督相続の相次ぐごたごた。小さな火は大きな火となり、応仁の乱という大乱へと姿を変えていきます。
前作から読んでいただくと、火種がどのように積み重なっていったのかがより楽しめますが、この巻から読み始めても内容が分かるよう書いております。
【応仁の乱編】第一段 御霊の森の戦い
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ついに刃を交える日が来た。政長、上御霊神社に陣を敷き、義就と激突した。この戦いの一部始終、実に人の心の動きが見える興味深いものだったので、書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
文正二年正月十八日、政長、上御霊神社の森に陣を敷き、対する義就、三千の兵をもってこれを包囲いたし候。折しも風強く冷え込む日にて、戦の炎、瞬く間に燃え広がり~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
文正2年(1467年)正月18日、政長は上御霊神社の森に陣を敷き、これを義就が3000の兵で包囲しました。折しも風が強く冷え込む日で、戦の炎はあっという間に燃え広がったそうです。
義政は両者に加勢を禁じましたが、宗全はこれを無視して義就に加勢しました。一方の勝元は将軍の命令に忠実に従い、政長からの度重なる援軍要請にも応じず、ただ矢を1本贈るだけで、兵は送りませんでした。
そうして政長は持ちこたえられず、翌19日の未明、自分から陣に火を放って敗走しました。命は助かったものの、この一戦は政長方の敗北で終わりました。
私が見て興味深かったのは、この後の京の人々の反応です。将軍の命令を律儀に守った勝元よりも、命令を破ってまで加勢した宗全の方に、世間の同情が厚かったそうです。筋を通した者よりも、情に厚い者の方が人には好まれるものなのかと、少し考えさせられました。
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正しいことをした者が評価されるとは限らない。むしろ、その正しさが「冷たさ」に見えてしまうこともある。勝元にとっては、この一戦の不参加が、後々まで尾を引く痛手になったのではないかと、我は思う。




