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【応仁の乱編】第十三段 乱の終わり

【応仁の乱編】第十三段 乱の終わり


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十一年。あまりに長い年月だった。ついにこの乱にも、終わりらしきものが訪れた。だが、その終わり方は、我が思い描いていたような、勝ち負けのはっきりした終幕ではなかった。

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篁様へ申し上げ候。

此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。

文明九年九月、主戦論を曲げざりし畠山義就、政長討伐を名目に河内へ下り、自邸を焼き払いて京を去り候。同年十一月十一日、西軍の主力たりし大内政弘もまた、義尚より周防など四か国の守護職を安堵さるるとの条件にて、京より兵を引き~~~~~~~

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現代語訳

篁様、報告します。

今回見たことを書いておきます。

文明9年(1477年)9月、主戦論を曲げなかった畠山義就が、政長討伐を名目に河内へ下り、自分の屋敷を焼き払って京都を去りました。同年11月11日、西軍の主力だった大内政弘もまた、義尚から周防など4カ国の守護職を保証されるという条件で、京都から兵を引きました。土岐成頼らもこれに続き、西軍は事実上瓦解しました。こうして、11年にわたった京都での戦が、ようやく収束しました。

ただ、勝者と呼べる者は、ついに現れませんでした。京都の町はすでに焼け野原と化し、幕府の権威は地に落ち、何一つ元通りにはなりません。義就は赦されないまま河内で戦を続けていて、政長との私闘もまだ止む気配がありません。

興福寺のある学僧は、この乱の終わりについて、「乱が終わったといっても、めでたいことなど何一つない。今や将軍の命令に従う国など、日本のどこにもない」と書き残しました。

この一言こそ、この11年をもっとも的確に言い表す言葉だと、私には思えました。何のために始まり、何を得て終わったのか、いまだにはっきりしない乱です。

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十一年前、御霊の森で二人の畠山が刃を交えた時、これほど長く、これほど何も生み出さぬ乱になろうとは、誰が予想しただろうか。将軍の権威も、朝廷の権威も、この乱の中で静かに、しかし確実に崩れ去っていった。焼け野原になった京の町を見ていると、我は生前あれほど書き記した「無常」という言葉の意味を、今さらながら思い知らされる気がする。


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