【応仁の乱編】第十二段 くすぶり続ける争い
【応仁の乱編】第十二段 くすぶり続ける争い
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大将二人が世を去り、新たな将軍も立った。これでようやく乱も収まるかと思いきや、そう容易くはいかぬものらしい。今回は、その後のなおくすぶり続ける様子を書いておこうと思う。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
文明六年三月、義政、将軍職を義尚に譲り候えども、新たに構えし小河の邸へ移りてなお、政への口出しをやめず候。一方、室町第に残りし富子もまた、蓄財を通じて独自の力を保ち続け、幕府の実権、義政・富子それぞれの思惑によりて複雑に分かれ候有様にて~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
文明6年(1474年)3月、義政は将軍職を義尚に譲りました。ですが、新しく建てた小河の邸に移ってからも、政への口出しをやめませんでした。一方、室町第に残った富子もまた、蓄財を通じて独自の力を保ち続けており、幕府の実権は義政・富子それぞれの思惑によって、複雑に分かれているような有様です。
興福寺のある学僧はこの様子を評して、「天下の政治は女性である富子の計らいのまま、将軍は大酒に耽り、諸大名は犬追物に興じて、まるで天下泰平の時のようだ」と、皮肉たっぷりに書き残しました。
こういう酒宴には、あろうことか、室町第に避難中の天皇までもが加わっているそうで、幕府だけでなく朝廷の威信までもが地に落ちている有様に見えます。乱がまだ続いている最中に、こんな呑気な有様とは、私には理解できません。
同年4月、宗全の跡を継いだ政豊と、勝元の跡を継いだ政元との間に、ようやく和睦が成立しました。ただ、畠山義就と政長の私闘はまだ止む気配がなく、義視・義政の不和もまだ解けていません。京都に残る両軍は、まだ小競り合いを繰り返しているそうです。
大将同士の和睦だけでは、この乱は収まりきらないもののようです。火種があまりにも多く、1つ消えても、また別のところでくすぶり続けています。
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戦をやめる理由を作るのは、戦を始める理由を作るより、ずっと難しいものらしい。あれほど多くの人間が思惑を持って首を突っ込んだ乱だ、誰か一人の判断で綺麗に収まるはずもない。義政の呑気な酒宴を見ていると、我は怒りよりもむしろ、ある種の諦めに似た感情を覚える。




