【応仁の乱編】第十一段 義尚、九代将軍に
【応仁の乱編】第十一段 義尚、九代将軍に
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宗全と勝元、二人の大将が相次いで世を去った、その同じ年の暮れ、争いの元凶とも言うべき当の本人が、ようやく将軍の座に就いた。あの日野富子が、我が子のために望み続けてきた瞬間だ。
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篁様へ申し上げ候。
此度、下界にて見届け候仔細、左の如くに候。
文明五年十二月十九日、義尚、九歳にして元服いたし、即日、義政より征夷大将軍を譲られ、九代将軍の座に就き候。冠を授け候役は父・義政自らが務め~~~~~~~
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現代語訳
篁様、報告します。
今回見たことを書いておきます。
文明5年(1473年)12月19日、義尚は9歳で元服し、即日、義政から征夷大将軍を譲られて9代将軍の座に就きました。冠を授ける役は父の義政自らが務めたそうです。
義尚はその容姿が美しく、下界では「緑髪将軍」という異名すら囁かれているそうです。ただ、9歳という幼い身では政治などできるはずもなく、実権は依然として義政、母の富子、その兄の日野勝光らの手中にあります。
思えば、この義尚の誕生こそが、あの乱の火種の1つでした。生まれたばかりの赤子が原因となって争いが起こり、その争いの末に、当の本人がようやく将軍の座に就く。8年越しでようやく巡ってきた報いと言うべきか、それとも因果の巡りと言うべきか、私には判断がつきません。
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赤子が争いの種になり、その争いの果てに、その赤子自身が座に就く。まるで因果が円を描いて元の場所に戻ってきたかのようだ。だが、その座は決して安泰なものではあるまい。長きにわたる争いで疲れ果てた幕府を、この幼い将軍がどう立て直していくのか、あるいは立て直せずに終わるのか。我はこれからも見届けねばなるまい。




