64話
「ルシナ、とりあえず屋敷に帰ろう」
「でも……」
マシューから良い返事はもらえなかった。
当たり前だわ。目の前で虐待のような目に遭っているソフィアを見てしまい私も感情的になってしまっているんだもの。
でも………前世の娘と重なりソフィアを可愛いと思っている自分がいたはずなのに最近は父の屋敷に軟禁されたりとあまりにもいろいろあり過ぎてリュシアンのことしか考えていなかった。
そんな自分に後悔の念を抱いているのも事実。ソフィアのことを思い出すこともなくあの子は幸せに暮らしているなんて思っていた。
良い人になろうなんてお人好しなことを考えているわけではない。
だけど……あのままソフィアを放ってはおけない。
屋敷に戻ると「暫く頭を冷やして。冷静になってからゆっくり話そう」とマシューに言われ一人部屋に戻った。
マシューは怒っているわけでもなく一旦話す前に落ち着いて考えろと言ってくれたのだ。
リュシアンはお土産のケーキを使用人たちと美味しそうに食べているらしい。
私は………メイドにお願いして紅茶を淹れてもらいソファに座って少し口をつけた。
ソフィアに対して過剰に反応したのは自分の生い立ちと重なったからかもしれない。
継母は私を嫌い手を繋いで歩くなんてしてはくれなかった。義兄と異母妹は継母と楽しそうに歩く。
その後ろ姿を私は黙ってついて歩くのがいつもの光景だった。
そして………
『ルシナ!さっさと歩きなさい!』
振り返って心配されるのではなく叱られる。
それでも声をかけられるのが嬉しくて継母のそばに駆けつける。
『バシッ!!』
一瞬痛みで頭が真っ白になった。
ーーえっ?
『ほんと、ノロマなんだから!さっさと歩きなさい。ほら、歩くって言うのはこうして歩くのよ』
ニヤッと嗤うと……
普段優雅に歩く継母は、態と私の腕を掴むと急足で歩いた。
私は咄嗟のことで足が動かず継母に引きずらてしまった。
『い、痛い』
『歩くのが遅いからよ!ほんとノロマなんだから。グズグズして!見ている方がイライラするわ』
地面に引き摺られ膝を擦り切って血を流しているのに、継母も義兄も異母妹も、クスクス嗤うだけ。
周りにいた人たちは怖くて声すらかけられなくて見て見ぬふりをされた。
あの時の自分と重なり……子爵夫人に対して怒りが湧いた。そして幼い子供が耐えているのに何もできない自分にも。
傷の手当てをしながら震えて泣きじゃくるソフィアに「大丈夫よ、すぐに良くなるからね?」としか言ってあげられない自分にも。
子供を一人育てることの大変さは、多分この世界では前世以上だと思う。
貧困の差は驚くほど酷い。貴族はしがらみや世間体、身分差などとても厳しい世界で、罪を犯した子供としてソフィアは生きていかなければならない。
貴族の社会はそれほど厳しい。ならば貴族ではなく平民にソフィアを託せばよかったのに。
なぜ?
一人悶々といろいろ考え込んでいるとマシューが部屋を訪ねてきてくれた。
「入っていいかい?」
「どうぞ」
マシューは少し扉を開けて部屋へと入ってきた。ソファに座ったマシューに私自らお茶を淹れてからマシューの前に座った。
「リュシアンをありがとう。私ったら母親なのにダメね」
「うん?すぐに目の前のことに夢中になるところは良いところでもあるけど、欠点でもあるよね?今回は……」
「わかってるわ、思いつきをそのまま言ってしまった自覚はあるわ。だけど、思い出してしまったの。誰にも助けを求められない辛い日々を……あの子はやっと3歳になったばかりなのよ?たとえ親が罪を犯したとしても子供には罪はないはずよ。なのにあの人は……ソフィアが傷ついているのをわかっていてもなんとも思っていなかったわ」
「ソフィアを受け入れると手を挙げた家が少なかったんだ。子爵家には子供がいなくてまだ小さなソフィアを可愛がってくれるだろうと信用したんだ。夫妻はとても評判が良かったからね。まさか街中であんなことをするなんて………先ほど王太子殿下に手紙を送った。子爵家にはすぐに調査が入るからこれ以上ソフィアが酷い目にあうことはないと思う」
「そう…………よかったわ……」
「俺の意見だけどソフィアを君が引き取ることは反対だ。もしソフィアに何かあれば君に悪い評判が広がってしまうだろう。レベッカ嬢との因縁があるからね、ちょっとしたことでも面白おかしく噂され君の仕事にも影響があるかもしれない。それに君に結婚を申し込んだ俺としてはソフィアを引き取り我が子として育てるとなると公爵家の養女になる。リュシアンは君の本当の子供で俺とも血が繋がっているから後継としても考えることはできる。しかしソフィアの存在はあまりにも周囲に知られ過ぎている。公爵令嬢として育てることは難しいだろう」
マシューの言葉は静かに私の胸に突き刺さった。考えればわかることなのに……
「今以上に本人が辛い思いをすると思う。好奇な目で見られ陰口を叩かれ常に他人の目を気にしながら過ごさなければならなくなる。まだ低位貴族の令嬢でいるくらいの方が本人も幸せだと思う」
「………ごめんなさい、浅はかだったわ……」
「いや、君の気持ちはわかる……自分と重ねてしまったんだね。俺はルシナの辛かった日々を考えると腹も立つし胸が苦しくなる。だからソフィアを助けたい気持ちもわかる、でも手を差し伸べることだけがソフィアのためになるわけではない。見守り陰ながら助けることだってできるんだ」
「うん」
はああ、つい気持ちが先走ってしまった。
でもマシューにここで「貴方との結婚については何もまだ返事はしていない」とは言いにくかった。
なんとなく外堀が埋められているようで焦る。公爵家の使用人たちも生温かい目で優しく見守られている。
今日は自分の浅はかさに猛烈に反省。
ソフィアがこれからどうなるのかしっかり大人たちが見守ってあげることが大事なのよね。
今夜はリュシアンを抱きしめながら眠った。
リュシアンの小さな手を握りしめて。




