その婚約は悲劇か喜劇か
リアンを連れて帰った翌日、珀は程よい眠気とともに目を覚ました。
そしてぼんやりとする頭で記憶を手繰り寄せる。
(……リアンを、回収したんだっけ)
頭の中で昨夜の出来事を反芻する。
競売場に行ったこと。持ち合わせがないのに1億出すと豪語したこと。そして……
少女はゆっくりと自身の額のガーゼをなでる。
昨夜、リアンにつけられた傷は幸いにも大きくなく、残ることはないだろうとこの家の主治医に言われた。
珀の頬に傷をつけたこと、ほとんど無理やり手を取らせたことも。
昨日自身がとった行動に後悔はないが悔やんでいないかと聞かれればイエスとも答えにくい。
少女の頭に思い浮かぶのはリアンの瞳だ。
濁りのない赤紫の優しい色彩。しかしその瞳の色とは裏腹にリアンはずっとその瞳に負の感情を宿していた。
それは怒りでもあったし、恐怖でもあった。競売場にいた時も、競売場から抜け出した後もそれは変わらない。
映像の中のリアンはもっと幸せそうに笑う青年だった。
その瞳を真正面から見つめて映像と比べて、少女は少しだけ、思ってしまったのだ。
もっといい方法があったのではないか? もっとリアンの心に寄り添うことが出来たのではないか? もし、公爵が連れ帰ってきた後にうまくやれれば、そのほうがずっと……。
――……たらればなんて、考えるだけ無駄だ。
少女は切り替えるように小さく頭を振るとベッドから出て身支度を始めた。
少女は自身が救世主ではないことを理解している。
すべてを救うなんて傲慢な願いを持つこと自体間違っていると。
だからこそ少女は優先順位を明確に持つ。珀が第一、それ以外は二の次。
当初の目的であったリアンを自身の付き人にするという目的は達成されそうだ。
主役の少女が現れるまでリアンの存在は安全だとみていいだろう。
(……とにかく、リアンに契約の詳しい説明をしないと……昨日は帰ってすぐに寝てしまったから。今日やることはそのあと、考えよう)
一つの目的が達成されたからと言ってもやることは山積みだ。
珀の将来のために、この先珀に訪れる未来のためにやるべきこと、やらないといけないこと……そのすべてを少女はこなそうとしている。
自身の記憶のない少女の日々は巫珀への献身によって形作られていた。
珀は部屋を出るとまっすぐにリアンのいる部屋へ向かう。
昨夜リアンは珀の客人として客室に通されたのだ。
珀はリアンの通された客室につくと躊躇いなく扉をたたき扉に手をかけた。
「私、入るよ」
*
リアンとの契約は拍子抜けするほどにあっさり終わった。
契約書の内容を一読させ、そのまま何も言わずに名前を記入したリアンに私が驚いたほどだ。
契約の内容を大まかにまとめると巫珀がリアン・シェフラの衣食住を与える代わりにリアン・シェフラは巫珀の従者になるというもの。そして……
「契約は今締結された。これからあなたは夜透剱としてわたしに仕えてもらうから」
この国ではリアン・シェフラは夜透剱という少年として過ごすというものだ。
これがわたしに出来る最大限の譲歩。
リアン・シェフラという貴族はもうここにはいない。巫珀に仕えているのは夜透剱という少年だ。
「俺は、どうしたらいい……?」
落ち着かなさそうに、どこか不安そうにしている剱に珀は告げる。
「そうね、まずは……着替えなさい」
*
「まあ、似合ってるじゃない」
数分後、執事服を着て出てきた剱を淡白な言葉が出迎えた。
「この服は……」
「何事も形からでしょ?」
困惑を隠さない剱の様子を一切意に介さず珀はぐるりと見て回る。
(一応、似合ってはいるが……服に着られているな)
一通り見ると珀は小さく息を吐き一言。
「ま、服なんてまた買いに行けばいいでしょう」
「……本当に、似合ってるのか?」
そんな剱の疑問もどこ吹く風で少女は剱の瞳を見た。
「そんなことより、まずはあなたに従者としての教育を……」
「――お嬢様……!」
その時、珀の言葉を遮るようにバンッと大きな音を鳴らして勢い良く扉が開いた。そこには肩で息をするメイドが一人。一目でその慌てようがわかるほどに振り乱している。
「南部のか、かかか……!」
「なに?」
メイドは息を整えると珀の問いかけに応えるために大きく息を吸いハッキリと告げた。
「南部の褐神公爵家の褐神響様がお見えですっ!」
*
メイドに連れていかれた部屋に珀が入るとそこには一人の少年が待っていた。
少年は珀の姿を認めるとすっと立ち上がり丁寧に頭を下げる。
「褐神家次男、褐神響と申します。突然の訪問申し訳ございません」
「巫家長女、巫珀と申します。本日はどのようなご用件で?」
珀が挨拶も早々に要件を聞く。その言葉に響の下げられていた頭が上がり目が合う。
少々黒みを帯びた深く艶やかな赤髪とどこか赤みのある灰色の瞳。
万人の好むような優しい笑みを浮かべる少年に少女は笑み返す気にもならなかった。
響は珀に歩み寄るとおもむろに跪き手を差し出す。
「巫珀様、あなたに婚約を申し込みに参りました」
それはまるで映画のワンシーンのように完成された告白だった。
美しい少年が笑みを浮かべ美しい少女に求婚している。人によっては絵画のようだというだろう……目の前の少女が無表情でなければ。
少女は響をじっと見つめながら思考回路を必死にフル回転させていた。
そして沈黙の末、口を開く。
「……まず、一度座りましょう」
響は珀に促されるままにソファに腰を掛けた。珀は用意されたお茶に口をつける。
――褐神響……映像の中にいた男だ。
少女はお茶を飲みながら観察するように響を見た。響はお茶を運んできた剱にお礼を言っている。
誠実で才色兼備、人当たりの良い好青年。
それが映像を見た少女が抱く褐神響への印象だ。ただし、恋が絡むとその様相を変化させるのだが……。
「巫様はこちらの紅茶お好きなのですか?」
「いえ、普通です」
穏やかに話題を振ってくる響の言葉を切り捨てつつ珀は映像を思い出す。
『――あなたが望むのならば、私はなんでもやってのけましょう』
それは甘い甘い言葉だった。主役の少女に向けて言い放った覚悟の証明だった。
この少年には勇気がない。長年自分の意思を殺すように抑圧されて育った過去がある。
そんな抑圧された少年の意思を引っ張り出してくれたのが主役の少女だった。
しっかりと私を見てくれている。私の言葉に耳を傾けてくれている。
少年にはそれがすべてだった。
長年埋まることのなかった心の隙間を埋めてくれた少女に少年はただ感謝し、同時に少女を特別に想った。
しかし響には婚約者がいる。主役の少女は響に問いたことがあった。
『褐神様は婚約者があらせられるでしょう? 私のもとに居てもよいのですか?』
結婚前の若い男女、婚約者のいる貴族と平民。当然の疑問だ。
だが響は言った。
『ご心配には及びません。元よりこの婚約は我が家を潰さないための手段でしかないのです。あなたのおかげでもすぐ我が家の立て直しが完了します。そうすればこの婚約も解消できる』
恋に狂い婚約者を切り捨てることすら厭わない男。
――珀を、捨てる男。
だからと言って、少女はこの婚約をすぐに蹴るという判断ができなかった。
この婚約は確かに危険だが確実に珀の利益になるのだ。
南部の公爵家に恩を売ることが出来るというのはとても大きい。
家を潰さないための婚約ということは、おそらく褐神家は現在何かしらのアクシデントにより潰れかけているのだろう。そのアクシデントから立て直すことに手を貸せば大なり小なり恩人だ。
貴族社会は横の信頼と繋がりが大切。大きな家になってくるほどその影響は計り知れない。
国の中心である公爵に恩を売る、という行為は将来的に見ても珀を助けてくれるだろう。
(――主役が現れるより前に婚約を切るか、主役に惚れてから切るか……)
「……婚約は、お受けします」
「では――っ!」
「しかし」
沈黙を貫いていた珀が口を開くと響は瞳を輝かせ勢いよく体を乗り出す。
珀はそれを制するように声をかけ手に持つティーカップを置いた。
「一つだけ約束していただきませんか?」
「なにを……?」
珀はまっすぐ響の瞳を見つめた。響は珀の瞳を見つめ返し背筋を伸ばした。
「どちらかに意中の相手が出来たらこの婚約は即刻解消する。それさえ約束していただければこの婚約、お引き受けいたします」
「かまいません、その条件で婚約していただけるのなら」
響は躊躇わなかった。一切の迷いなく珀の条件を飲み込んだ。
少女はその様子に少し意外に思いつつ確かに首を縦に振る。
「わかりました。では、婚約は成立ということでよろしいですね」
「はい……っ! ありがとうございます」
珀の業務的な言葉に響は胸をなでおろし、感謝を述べた。
あまりにも腰の低い響の態度に少女は少しだけ考える。
この婚約は必要なことだとしても、ここに響の意思は存在していないのだろう。
……一体誰が響の意思を殺したんだろうか?
一瞬の思考の末、少女はすぐに考えることをやめた。
映像の中で珀と響が関わっているのは見た覚えがない。つまり、この男は珀と距離を置くはず。
約束は守られればラッキー程度……おそらくこの先褐神響と関わることはほとんどないだろう。




