いずれ破棄する婚約関係 ー2ー
しかし、あんなに冷たく突き放したのに褐神響は週一ペースで家にやって来た。
思っていたよりも図太いな、こいつ。
「お嬢様、褐神さまがいらっしゃいました」
今日も今日とて響は家にやってきたらしい。
いつもなら迎えに行くところだが……めんどくさいなぁ。
「……ここに通して」
「出迎えには行かれないのですか?」
そう言うと伝えに来たメイドは驚いたように聞き返した。
「ええ、今日はここまで連れてきてくれるかしら」
メイドは戸惑ったように頭を下げて出て行った。
この世界はどちらかと言うと男尊女卑……男をたてるという文化がある。
まあ、ゲームの設定上女が主人公の為そこまで厳しいわけではないが。
「失礼します」
最近週一で聞いている声が聞こえ、本から顔を上げる。
扉から入って来たのはやはり響だ。
響は微笑みながらこちらに会釈をするため会釈を返す。
それ以外の事はなにもしないためさっさと視線を本へ戻した。
しかし、私が本を読み進めてしばらくたっても響はそこから動こうとしなかった。
「――ねえ」
一向に座る気配のない響に耐え兼ねて思わず声をかける。
視界の端で立ち尽くされると気が散る。
「……っはい」
じっと床を見つめていた響は返事をしながら顔を上げた。
バチッと目が合う。
「ずっと立ってる気? 気が散るのだけど」
「それは……」
言葉に困ったらしく彼は再度、視線を落とした。
いつも図太く家に来る割に奥ゆかしいらしい。
「座ればいいじゃない。椅子はたくさんあるのに」
そう言うと驚いたように響は顔を上げた。
「……良いのですか?」
何言ってんだこいつ。
返って来た疑問に思わず響の顔を見た。
「良くなければ提案なんてしません」
それを最後に本に視線を戻す。
『建国神話』
『昔、この国は四つの国に分かれていた。
四つの国は長年戦争を続けていたが中央の乱入により戦争は終結した。
中央の王は四つの国を報復させる(※初代の王は吸血鬼であったために可能であった荒業だと考えられている)と自分を中央に添え四か国を合併させると言い放った。
今の四大公爵家は合併前の各国の王族である』
歴史など対しいて興味もないのに私は歴史書を読んでいた。
神などではないのに神話扱いされいる辺り相当常識破りな人だったらしい。
「――あの……なんの本を読んでいるのですか?」
突然話しかけてきた響をチラッ見て、本の表紙を見せた。
「建国神話……歴史書、ですか」
表紙を見た響は表紙を読み上げ、視線を彷徨わせた末に私を見た。
「面白い、ですか……?」
……響は意外と会話が下手のなのかもしれない。
「別に……必要があるから読んでいるだけです」
まあ会話を試みてくれるだけ、いい子なのだろう。
どんな思惑があるかは知らないが大なり小なり私と上手くやろうという気持ちはあるらしい。
◇
ここもずいぶん久しぶりな気がする。
相変わらず殺風景な場所。
少しあたりを見渡して彼女がいるであろう方向へ歩きはじめる。
年に一度だけ、ほんの数分だけ会う事を許されている……だなんて、ふざけた話。
まったく……織姫と彦星じゃないんだから。
久しぶりに見た珀は髪も背も伸びているようだ。
殺風景だった部屋には本棚が増えており、少しだけ生活しやすそうな雰囲気になっている。
そんな中、珀はベッドに腰をかけ静かに本を読んでいるようだった。
「こんにちは」
声をかけると珀は顔を上げる。
「久しぶり、私のこと覚えてる?」
珀は本を閉じると辺りを見渡し、私の位置で顔を止めた。
「あいさん……? お久しぶり、です……また、会いに来てくれてたんですね」
探り探りと言った感じで言葉を紡ぐ珀に気負わせないようになるべく優しく声をかける。
「ええ、また会えて嬉しいな」
「わたしも……会えて嬉しい、です」
珀は少し恥ずかしそうに頬を染めて微笑んだ。
三回だけしか会ったことのない姿の見えない怪しい奴にここまで心を許すなんて……いつか詐欺師に詐欺られないか心配だ。
「本棚が増えたんだね。どう? 本は面白い?」
「はい、でも……増えていく本は私には少し難しい本ばかりで……」
難しい本って、どんな本が増えているんだ?
一番近くの本を引っ張り出しタイトルを確認する。
『建国神話』
……これ、最近私が読み終えた歴史書だ。
いやな予感がして、他の本も片っ端から引っ張り出しタイトルを確認する。
『基礎から学ぶ剣術』『体術基礎』『魔法力学』『幼児でもわかる国の歴史』……。
もしかして、この本棚って私が読み終えた本が仕舞われていく感じ……?
「私がもう少し賢ければ、このような本も面白かったかもしれないのですが……」
「……珀」
「はい」
「次に入ってくる本はきっと物語本だから、楽しみにしてて」
読もう。この子の為に、もう少し現実から離れた物語も。
「それよりも……ここは、息が詰まるんじゃない?」
引っ張り出した本を元に戻しながら話を振る。
「確かに、ここには何もないから、たまに寂しくなります……」
少し声のトーンが下がった気がして、珀を振り返った。
珀の視線はいつの間にか下がっており本の上の自身の手を見つめているようだった。
「……でも、私はいいんです。この部屋から出ない方がずっと苦しくないから」
この子は原作の最後……いや、はじめから誰かに理解してもらう事を諦めていた気がする。
「ねえ、珀」
「はい」
声をかけても珀の視線は上がらない。
「――あなたは外の世界を知りたくないの?」
「知りたい、です……でも……」
言い淀む珀に歩み寄る。
あなたが悪意に怯えて生きていることを知っている。
自分の意見なんて聞き入れてもらえないと、こんな何もない部屋で蹲って外を世界を拒絶している。
「それなら」
珀の前に一冊の本を差し出した。
「それなら、私があなたに広い世界を見せてあげる」
珀は本を受け取り不思議そうにタイトルを読み上げた。
「『世界一周地図』……?」
この世界の立地とか大切にされている遺産とかを調べるために使った本だ。
「私があなたをきっと、堂々と外を出歩ける立場まで導くから」
珀はゆっくりと視線を上げた。
珀に私の姿は見えていないはずなのに、確かに今珀と目が合っている。
「だから、どうか諦めないで」
私の願いのような、祈りのような言葉に珀は少し目を見開いた。
「あいさんは……お優しいですね」
珀のその言葉に思わず苦笑いを浮かべてしまう。
「あなたにだけだけどね」
そう言うと珀は少し困ったようにけれども恥ずかしそうに微笑んだ。
「ほんとに……私を、外へ連れ出してくれるんですか……?」
震える両手で祈るように手を組む珀の手に手を添える。
「ええ、必ず。私が連れ出してあげる」
「……楽しみにしています」
そう言って微笑む珀に私も口角が緩んだ。
「――あいさんと、外で会える日を」
その言葉で私の口はすぐに真一文字に結ばれる。
「あいさん……?」
「ううん、何でもない……大丈夫、私があなたの地位を押し上げるから」
珀には悪いが不確定な約束は出来ない。
珀はもう一度体の主導権を握られるのか。
珀が主人格に戻ったとして私の意識はどこへ行くのか。
「だから、楽しみにしててね。珀」
そんな事は何も分からないのだから。
◇
ある日の夕方、私はとある招待状を睨みつけていた。
王族からの舞踏会への招待状。
珀の体に入って一年とちょっと当然舞踏会に行く機会は多く存在した。
しかし舞踏会に対するいい思い出は一つたりとも存在しない。
出来れば行きたくないが今回は主催が中央の王族、蹴ろうに蹴れない所から来ているため頭を抱えているのだ。
それに今は婚約者がいるため、婚約者が行くと言っている手前断りづらかった。
しばらく円満な婚約関係だと周りに勘違いしておいてもらうためにも仲良しアピールも兼ねてこういうのは断れない。
夜会のためか珍しくメイドたちが部屋にやってきてメイクや着付けをしている。
「お嬢様の美しい髪は何を付けても映えますわね」
「装飾なんて何でもいいから、早く終わらせて」
どれだけ着飾ってもどうせ誰も見なんだから。
「そんな……!」
残念そうに項垂れるメイドたちを横目に鏡に映る自分を見つめる。
珀の部屋のクローゼットには何もなかったためドレスなんてないと思っていたが、別の衣装部屋にたくさん仕舞ってあった。
今回はその中で一番素朴ものを選んだ。
気恥ずかしいという思いがあった事には変わりないが、正直元がいいため何を着ても似合うと思う。
ちなみに今回剱はお留守番。
まだこの国の作法が完璧ではないため連れていけないのだ。
次から連れて行く気なので現在は猛特訓してもらっている。
行きは婚約者と一緒に行くらしく響が馬車を下りて外で待機しているのが見えた。
「とてもお綺麗です」
「ありがとうございます」
形式上の挨拶を済ませ馬車に乗り込むと二人の間にはひどく気まずい空気が流れた。
私が気まずと感じているくらいだから彼はもっと地獄だろうな。
まあ、変に距離を縮めるよりはマシか……。
恋は人を変える。
この少年は恋に狂い、恋と生きる少年だ。
それに巻き込まれたらたまったものではない。
褐神響との婚約破棄は何よりも早急に行わないといけない問題だ。