その36.中間考査(9)
外江は、わずかに顔を歪めた。渡良辺は、やはりいけない質問だったのかと身をかたくする。でも今日は逃げてはならぬ、逃げたら追いかけられて、もっと恥ずかしい思いをするから(追いかけられなかったら泣いてしまうし)。
「あれはねー、うん、ごめん」
「謝るの!?」
「あそこまで怒ることもなかったって今は思うんだよな。ただあのときは、俺が怒ること、渡良辺があんなに怖がるってわかってなかったんだ。ごめんな」
「え、その」
「理由は、なんていうか」
その通りではあるのだけど、渡良辺はまたぐわっと恥ずかしくなって、こそばゆくて、じりじりと縮めた身を外江から離す。
「俺、渡良辺と結婚する気ないんだ」
「は?」
「って言われると、ムカつかない?」
「ムカついたよ!」
がばっとからだを起こし、猛抗議。
「わ、わたし別にっ、結婚してなんて言ってないし、そもそも考えてないし!」
「そうそう、そんな感じ」
外江がペンを振り、うなずく。
「俺もさ、その気がさらっさらないとは言えないんだけど、そこまでじゃなかったわけ。だって会ったのまだ何回とかでしょ。それなのに、渡良辺ったらかわいーこと言ったり、俺の上に乗ってさわってきたり、あおっといて、それでしないとか言うじゃない。まるで俺がやることで頭いっぱいになってるみたいに言われた気がしてさ。ま、あんなに怒ったのは十分その気にさせられてたからなのかと思うんですけど。……渡良辺?」
みるみる青ざめた彼女に、外江はぎょっとする。
「……申し訳、ありません……」
「そんなに謝られるのもいやだな、俺!」
「だって、だって! わーごめんなさい! そうだよね、わたしっ、うわああああ! 恥ずかしい! 埋まりたい! ごめんなさい! なにを悪女ぶってるのか! こんな胸で!」
「いや落ち着いて! 胸関係ないし! 聞いてるこっちも恥ずかしい!」
「か、か、か、帰る!」
「帰るの!? えーっと、止めるよ!?」
「ああああああ」
顔を覆い、床につっぷす。
「すみません。渡良辺は恥ずかしい子です。忘れてください……忘れたい……!」
「なんかやらしいこと言ってる気がするわ。無意識でもヤメテヨ」
「えっ? あ、ちがうよそういう連想するほうが、やらしい……ちがうわたしがいやらしいんだ、ああもうやだあぁ」
おもしろいほど身悶えしてしている渡良辺に、外江は以前の自分を思い出す。さすがにここまで表には出していないけれど、渡良辺の家に呼ばれた一連、彼も十分に恥ずかしく葛藤した。
「まあまあ、渡良辺さん、転がるのはそれくらいにして。ぱんつまるだし」
「うそっ!?」
「うそだけどさ」
飛び上がって姿勢を正した彼女の今日の装いは、ロングパーカーと細身のズボン。
「ばかっ!」
「ばかは渡良辺。ひとん家で、思春期の葛藤しないでください」
「ハイ」
しゅん、とうなだれる。
「あーもうかわいいなあ」
「え、ええっ」
「ばかで」
「外江君は意地悪だよ!」
抱き寄せ、彼女が驚いている間にキスをする。
「渡良辺かわいい。でも、ちゃんと言ったってどうせ怒るじゃん」
「……、………!」
やっぱり眉を吊り上げて、怒りの表情の彼女。それでもこの腕から出て行かないのだから、外江には十分。
「大丈夫、キスまでですよ。釘刺されるとムカツクから先に言っておくね?」
「今ものすごくムカついてるんだけどうまい言葉が見つからなくてさらに悔しいよ」
「そんな握り締めるなって、痛い!」
「言葉が足りなきゃ暴力しかない」
「またそれ! 怪我させたら青ざめるくせにひどくない!?」
ぱっと手を離す。外江の耳につけた傷を彼女が気にしているのがよくわかった。
「なんでそう、反抗しようとするかな。ずっと狂犬じゃなくてもいいのに」
「そんなんじゃ!」
「ふーん。じゃ、おとなしく抱っこされててよ」
「だからね、外江君が主導なのが気に食わないの」
「だって俺のほうが強いでしょ。精神面でも。渡良辺より」
「うわあ!?」
「渡良辺、俺が渡良辺を好きだってわかった、って言ったよね」
額を額に当てる。渡良辺は気恥ずかしさを必死に耐えて、睨み返してくる。それがわかってしまうから、外江は余裕なのだと彼女はわかっていないのだろう。
「俺もよーく知ってる。渡良辺が俺のこと、好きだって」
「こんな会話は却下だ!」
「素直にいちゃつけないやつだな、ほんとに!」
「笑うな!」
「渡良辺、少し日焼けしたら、そんなに顔赤くなるのまるわかりじゃなくなるかもね」
「……検討する」
「そうするがいい。じゃ、ほら。今はあきらめて」
額に唇をつける。彼女のからだが少しふるえて、外江は細めた両目の、片方をつぶる。本当は、こんなことで簡単にあおられてしまうのだから、言ってるほどの余裕はないのだけど。
もう一度、額にくちづけ。離した時にこちらを見た彼女の目をふさぐように、まぶたにくちづけ。そのあと、ふっくらとした頬に、自分の頬をつけた。
「熱い。すっごく」
「恥ずかしいよ」
かすれた声。外江は、渡良辺の肩においていた手を背にまわして、自分に押しつけるように抱きしめた。
また、渡良辺が女の子になった。こんなとき、外江はそう思う。この表現は気に入っていないんだけれど(別の意味にもとれてしまうし、ちょっと今の自分には生々しいし)、残念ながら今のところ他を思いつけていない。
近づくことを許してくれるとき、いつも、渡良辺の小ささに驚く。やわらかくて、壊れそうで、とても外にはやれない、なんて思う。彼女をこんな風にできるのは自分だけ、なんてことも思って、つまり自分もすっかりやられている。
「……あ」
気づいたような渡良辺の声に、目を合わせる。突然、うれしそうな様子に驚く。
「どうしたの?」
「どきどきしてる。外江君の心臓」
思わず眉をひそめ、う、とうめく。
「ほら……あれ」
渡良辺の手が外江の左胸をおさえる。
「あ、もうちょっと中央か。ここだ」
鼓動を確かめられ、さらに心臓がはねる。
「外江君もどきどきしてるんだ」
「……そりゃ、するよ」
「してないみたいな顔してるのに」
「俺がそんな、渡良辺みたいにぽんぽん赤くなったら気持ち悪いじゃん」
「そんなことないよ、見せてよ。ずるい」
と、気づいたように今度は外江の頬に手を伸ばす。
「熱い? ひょっとして、照れた?」
外江は渡良辺の手をつかんでどかし、はしゃぐ唇をふさいだ。
「そういうっ、手は、いけないと思う! 会話のできない男子だ!」
「うるさいの。渡良辺は」
「わたしからうるさいのとったら、なんにもなくなっちゃうよ」
「やめてよ、吹いたでしょ。大丈夫残るよ、このうすっぺらな胸とか。くっつけてるだけで俺の動悸がわかるほどの」
「怒ってる! やっぱりずるい!」
「そう、あんまり怒らせないほうがいいよ? 俺、怒るとやらしいことしたくなるから」
「ふひゃああっ!」
首筋を舐める。悲鳴が上がる。
「それでほら、草食系男子であれ健康的男子であることにも変わりなく、うっかり止まらなくなるかもしれないと」
「それ、おどしてるっ、……んっ」
やわらかく吸ってみると、からだが逃げようともがく。
「渡良辺って、声ちゃんとえろいよね」
からかっても、反論が来ない。渡良辺は目をぎゅっと閉じて、外江にしがみついてふるえていた。
「……ずるいんだから」
自分もばかだけど。外江は息を深く吐き、姿勢を少しそらした。渡良辺がきちんと座れるように。彼女はおそるおそる、目を開ける。
「一応言っとくけど、俺、怒ってないから。ね」
前髪を上げるようになでると、渡良辺はすねたように目を伏せる。少し心配になる。
「あのさ、俺が怒るのいやだからとかで」
「そんなことはしない、よ!」
言い終わる前に遮られる。それにはほっとするものの。
「しないと思うんだけど、でもなんか、わたし流されるんじゃないかとは思って……っ!」
「ぶっちゃけすぎだあ」
「でも流されたら絶対後悔する、っていうかこう寸前で止めたりして外江君を怒らせそうな気がする! だってこわいもん、覚悟なんてないもん!」
「だからどうしてそう、恥ずかしいこと言えるの? 俺、渡良辺の恥ずかしいって思う部分がいまいちわからないよ?」
「恥ずかしいよ、でも黙ってるのも恥ずかしいんだもんー! ぶっちゃけちゃって先に引かれた方がマシな気がしちゃうんだもん」
「ああ、でも確かに、渡良辺はそんなとこあるな……」
脱力を覚え、口元がぬるく笑う。
「でもさ、流されちゃわないでね。寸止めは百歩か三千歩くらい譲って許すけど、後悔はされたくないですよ」
「三千歩って、大きいね……?」
「いまもねー、調子こいたこと後悔してる。俺よく止めた、って思ってる」
驚き、渡良辺が笑い出す。
「ばか男子っぽい」
「失礼な渡良辺様だよ。自分だってやらしー女子のくせに」
髪をなでる。渡良辺はさきほどよりはリラックスしたように、気持ちよさそうに目を閉じる。
「あのね。もうひとつ、話したいこと、あるの」
「なに?」
動き、隣に座る。ふたりでベッドに寄りかかる。
「わたしもさ、ほら、ストーカーじゃない」
「いきなり返しに困るんですけども」
「自分で言うのもなんだけど、おかしいよね。毎日手紙送りつけるとかさ」
「……なんか、先回りで悪いけど、渡良辺はあの男とは違うよ?」
小池に影をちらつかせたあの男のことを、渡良辺は考えているんだろう。
「ううん。わたしだって、外江君のことなんて、好きじゃなかったもん」
「またそれ、言うの」
「だって、本当に好きだったら、相手のこともっと、ちゃんと考えるよ。知らない人間から毎日なにか押しつけ続けられるなんて、普通気持ち悪いし、素直に受け取れないよ。わたしは、外江君なんてモテるから、自分と同じ人間じゃないって思ってた。ひがんで」
渡良辺はもともと、苛烈な言葉を使う傾向があるけれど、彼女の目に落ちた暗い陰に外江は否定を控え、見つめる。
「手紙を」
詰まったように、言葉が切られる。泣いているように思えて心配するも、渡良辺はそれを拒むように喉を鳴らし、再び口を開く。
「返事をくれなかったじゃない? 外江君」
「……うん」
渡良辺のはじめての手紙を、外江は最後まで読まなかった。ラブレターに時折まぜられた、悪質な手紙と同じだと選り分けたし、もしそうでなくても誰かの想いに応える用意はあのときの外江にはなかった。
「読んで、なかったんだよね?」
「うん。ごめん」
「わたしね、それで当たり前だよって思おうとしてたんだけど。でも、傷ついたし、残念だった。付き合って下さいとか、返事下さいとか、こわくて書けなかったくせに、でもあの手紙を出すのはすごく勇気が要ることで」
渡良辺が、自分の両手の先で口元を覆う。
「変な手紙だったけど、わたしにはやっぱり、ラブレターだったの」
外江は、申し訳ないと思い、それでいてしかたのないことと冷静に結論づけてもいた。外江はどの手紙にも応えていない。手紙をくれた渡良辺だけが真剣だったわけでは、きっとないから。
「ばかなこと、言ってるよね。矛盾だらけ。……自分がラブレター出すなんて、みっともなくって、プライドがね、許さなくてね? 一目惚れなんてこの世にないのに。だいたい、男子なんて嫌い、とか言ってるくせにさ、調子いいし。かっこいいってことしか知らない人に手紙出すなんて、ばかみたい。それなのに、何ヶ月も悩んで、結局出して、返事なんてないってわかってるって思ってても傷ついて、本当に、ばかみたい」
かける言葉は思いつかない。口を閉ざして彼女の告白を待つ。
「次の日に、また手紙を出したのは」
渡良辺は、外江の隣にいる。ふたりのからだは触れているけれど、渡良辺は外江にもたれてはいなかった。そのことは、少しだけ外江を不安にさせた。
「くやしいから」
「くやしいから?」
やっとこっちを見て、渡良辺ははにかむ。
「きっとトノエクンは、同じ人から続けて手紙来ても、気づきもしない。それを証明するためにまた出してやろう。……そう、言い訳してた」
「ねじくれてるな。でも、言い訳なんだ?」
「うん。ほんとはきっと、あきらめられなかっただけ。トノエクンに手紙書くの、本当にどきどきした。勝手に恋してて、楽しかったの。それが、返事がないってだけで終わっちゃうのが物足りなくて。振られた実感もなかった。だって、トノエクンはわたしのこと知らないんだもの。廊下で通り過ぎても、こっちを見もしなかったし」
「スミマセン」
「かわいさあまって、ってヤツだよね。だから、ストーカー結構、どうせ読んでもいないんだからなにを送ったっていいじゃない、って。それを大義名分にして、楽しく手紙書いてた」
こつん、と窓になにかが当たる音。外江は目線をくれたけれど、渡良辺は微動だにせず。
「でも、もっとひどいのは、そのあと」
視線を外江から外して、また渡良辺はどこでもない場所を見る。その先は、過去の彼女だった。
「わたし、2年になって、川ちゃん達と同じクラスになったの。仲良くなりはじめの頃、トノエクンってかっこいいよね、って盛り上がったことがあって。でね、ひとりが、特に憧れてて」
動きに気づく。渡良辺は、自分のパーカーを握り締めていた。
「だから、言ったの。トノエクンに、声かけに行ってみよっか? って」
「……ファンクラブの、結成?」
「うん。いっぱい言い訳、あった。友達のためだし、ふざけたお遊びだし、トノエクンは騒がれ慣れてるから傷つかないし、とか」
彼女の肩に、外江はずっと腕を回したままだった。それがあまりにも上滑りしている気がして、自分がずいぶんと滑稽な姿勢をとっていると思えた。
「1年のとき、友達、いなかったの。一緒にいてくれる子達はいたけど、一度ケンカして以来、怖がられてた。嫌われちゃうのもつらいけど、怖がられちゃったらもう、だめだよね」
だから、新しく知り合った川志田達の気を惹きたかった。自分を恥じながら言う。そして、そんなことでも外江に近づける理由がうれしかったと。
「自分のことしか考えてないの。それなのに、外江君は、わたしを見つけにきてくれた」
渡良辺はそれを、罪悪感を含めて言った。外江には不快なことであっても。
「わたしだって小池ちゃんのストーカーと変わらない。相手に迷惑かけることを進んでしてた。憧れだろうがいやがらせだろうが、動機なんて関係ない。わたしはただ、運がよかっただけ。外江君が、いいひとすぎただけ」
外江は、うなり、大きく息を吐く。
「渡良辺の手紙にさ」
こころをしっかりと閉めた目で、渡良辺が見上げてくる。せっかくさっきまで、あんなに気安い笑顔をしてくれていたのに。
「捨て犬の話、あったじゃん。友達が拾って、里親運動してる団体に届けた、って」
――友達は「自分が拾ったんだから、自分で最後まで責任持って里親を探すべきなのに」「根本的な解決にもならない」と悲しそうに言いました。だけどわたしは、そうは思いません。たくさんのかわいそうな動物達を救うことと、目の前で消えかけるひとつの命を救うことは、また違う問題だと思います。自分ができることをするのと、自分ができないことを嘆くことは、違うことです。でもわたしは、彼女にうまく伝えられませんでした。
後日、子犬は、里親が決まってもらわれていきました。そう聞いたとき、わたしはやっぱり、彼女はいいことをしたんだと思いました。だけど、自分がもし捨て犬を見つけたらと考えたとき、わたしが用意する言葉はどれも、自分自身にすら届きません。彼女の行為はわたしを勇気づけてくれたのに、今でも、わたしは、彼女に渡せる言葉が見つけられません――
「あれ読んで、俺、渡良辺っていうのは、ひとつひとつの問題を、納得できる答えを自分で出せるまで悩み続けるやつなんだなって思ったんだよな。だからきっと、今俺がなにか言ったとしても、渡良辺は納得しないんだろ?」
申し訳なさそうにうつむく。
「ごめんなさい。外江君に解決できないこと、言われたって、困るよね」
「でも、俺に聞いて欲しかったんだ」
ぱっと顔を上げる。その目は、驚いたようにまんまる。
「渡良辺の手紙はそんなのばっか。あれ全部、渡良辺が、俺に話したかったことなんでしょ」
外江と渡良辺には、面識もなければ、同じ学校、同じ学年ということ以外、共通点もなかった。外江に関わる話題ももちろんあったけれど、それ以外は、ささやかな渡良辺の日常や、気持ちが書かれていた。
「話は脈絡ないけど、文章はととのってるし。ペンで書いてあるのに、一字も間違いがなくてさ。あれ、下書きしてから、清書してたんでしょ? 全部の封筒に住所書いてあって。処分するの大変だったんだ」
そういってから、にやっと笑う。
「だから処分してないんだけどさ」
「まだとってあるの!?」
「渡良辺の手紙、全部そこのクローゼットの中にあるよ」
「捨ててよ!」
「今、処分したって言ったら、悲しそうな顔してたくせに」
血の気の戻った頬に安心する。
「手紙の渡良辺は、一番素直な渡良辺なんじゃない? あれだけあって、意地の悪い中身、ひとつもなかった。いつも物事を自分なりに見ようってがんばってたよね」
「だって、外江君にはっ」
「俺には?」
「……ただ、ぶりっこ、してただけだよ」
「ほほう」
じっと目を見つめると、さっさとそらされる。一度、たたかれた。
「手紙だと、素直になれる。外江君に送るものだからって思いながら文字にしようとすると、ああ、これは、意地を張ってるなとか、格好つけてるなとか、気づいて。いつもね、そうだわたしはこういうことが言いたかったんだ、聞いてほしかったんだ、って手紙が書けたの。それが楽しかった」
だから読んで欲しかった。居心地が悪そうにもぞもぞとからだを動かした後、聞き取れるぎりぎりの声でつぶやいた。渡良辺は、自分のことを外江に知ってほしかった。
「それも結局、外江君の事情なんて、なんにも考えてない。ひとりよがりだよ」
「かもね。手紙の渡良辺も、渡良辺の一面のひとつに過ぎないんだろうね。だけど、俺にはとりあえずそれで十分だったよ。狂犬なことしようが、あんなきまじめな手紙書くような人間なんだから、もしかしたらなにか考えがあるんじゃないかな、って思うようになった」
外江は、善意を持つけれど、決してお人好しではないし、熱意にほだされるようなタイプでもない。渡良辺の手紙が外江を動かしたのは、まちがいなく、渡良辺の言葉に外江が共感したからだ。
渡良辺は運がよかったのだという。渡良辺の長い努力を、外江は運だとは思わない。もし幸運があったのだとすれば、渡良辺が外江を見つけたことだ。
「といわけで、俺は渡良辺ほど、今の話を重く見てないんで。早めに解決しといてね」
「ちょっ……、そ、その言い草は、ひどくない!?」
あんまりな片付けっぷりに、渡良辺は血相を変える。が、外江はぱたぱたと手を振る。
「や、だって、親しくなるまでのうんぬんなんて、それなりにあるもんだろ。俺、伊草ともアレなケンカあったよ。今思うとなんだそりゃ、みたいなの」
それにいつまでもとらわれる必要を感じない。関係も変わるし、自分も相手も変わっていく。
渡良辺はしばらく口を尖らせていたが、そのうち、力を抜くようにため息をついた。
「……不思議な感じ」
そういい、やおら、外江の前に回りこむ。
「トノエクンって、外江君なんだ」
「なにそれ」
「普通のひとなんだ。男の子って」
「や、だからなにそれ」
「変なの」
渡良辺は、外江の頬に手を触れると、そっとキスをしてきた。外江のほうが硬直する。
「え?」
「あれ、驚いた? 外江君、驚いた?」
驚きましたとも。
「えへへ」
くしゅくしゅっと笑う。
「なんだろ。不思議だな。外江君は王子様じゃないんだ」
「格下げ?」
「左遷!」
ぽん、と胸に顔をうずめてくる。左遷はちがうだろ。
「外江君、もっとキスしたい」
「えー」
「いやなの!?」
「あんまりすると、また我慢がしんどいんだけど」
渡良辺は難しい顔をしたかと思うと、これぞ名案とばかりに目を輝かせた。
「外江君も、するほうじゃなくて、される立場で考えればわかるんじゃない!?」
「ありえないから! っていうか渡良辺、前から思ってたけど、おまえが自分のことツッコミだと思うのは絶対に間違いだから!」
「おまえって言った!!」
「あ、ごめん」
「別にいいけど」
「なら言うなよ!」
けたけたと笑いながら、抱きついてくる。余計なところをさわらないよう自制していると、渡良辺が耳にささやいてくる。
「外江君が、どう言っても」
しがみつく指が強い。外江は耳をすませる。
「外江君が、わたしを、掬い上げてくれたんだよ」
ありがとう。
これにて第二部終了です。
第三部は考えているんですが、まだ更新のめどが立っておりません。また再開したときには、ぜひよろしくお願いします。
ここまでお付き合い下さいまして、ありがとうございました!