第七話 日本という国
???『これで最後だな、飛山』
誰かの声が聞こえた。
「……っ」
さっきの薬のせいだろうか。
手足が痺れてうまく動かない上に、身体も縛られている。
ゆっくりと目を開ける。
『やあ』
「馬籠……総理大臣……!」
『君が冴羽の言っていた、佐伯咲人君だね?』
「やっぱり、あなたが……!」
『何を掴んだのかね? だが、証拠もないのに決めつけるのは良くない。せっかくだ。時間はたっぷりある。転性の命運を決める対談をしようじゃないか』
馬籠はそう言って、向かい側の椅子を指差した。
私は縛られたまま、椅子へ座らされる。
『では、始めよう』
「……どうして私たちをここへ?」
『君は知りたいのだろう? 飛山がなぜあんな事件を起こしたのか』
「……はい」
『ならば、話そう』
馬籠は落ち着いた様子で口を開いた。
『まず、私は転性者を憎んでいる』
「それは分かっています。だから転性者撲滅法を作った」
『そうだ』
馬籠は否定しなかった。
『だが、君は一つ勘違いをしている』
「勘違い?」
『私は、飛山と同じ理由で転性を憎んでいるわけではない』
「……飛山も転性を憎んでいた」
『写真を見たそうだな』
馬籠の表情が、ほんの少し変わった。
「冴羽さんから聞きました。飛山は昔、転性者を憎んでいた。自分を傷つけた人間も、育ててくれた家族も転性者だった」
『なるほど。ならば、君はもう一歩先まで考えてみるといい』
「……何を?」
『なぜ、そんな飛山が転性者のために政治活動を始めた?』
私は言葉を失った。
そこが、ずっと引っかかっていた。
飛山は転性者を憎んでいた。
それなのに、転性という性を社会に認めさせた。
「……自分と同じような人間を増やしたくなかった?」
『それも一つの答えだ』
「でも、それだけじゃない」
私は頭の中で、これまで見てきたものを並べた。
飛山の過去。
手帳に残された言葉。
転性を認めさせた政治活動。
そして、六本木の事件。
「飛山は……転性そのものを憎んでいたんじゃない」
馬籠は何も言わない。
「転性者を生み出してしまう社会を、憎んでいたんじゃないですか?」
『……続けたまえ』
「自分を襲った人間も、両親も、育ててくれた家族も。全部、自分の人生を壊した原因に転性がいつも絡んでいた。でも、それは転性そのものが悪いんじゃない。そう考えるようになった」
私は息を整えた。
「だから飛山は、転性者が普通に生きられる社会を作ろうとした。自分と同じ苦しみを受ける人間を、もう生み出さないために」
『半分正解だ』
馬籠は静かに答えた。
『飛山は、過去を憎んでいた。だが、その憎しみを社会を変える力に変えようとした』
「じゃあ、どうして……」
そこまで言って、私は言葉を止めた。
「どうして最後に、あんな事件を起こしたんですか?」
馬籠は少し黙った。
『そこからが、君が知らない話だ』
「……聞かせてください」
『飛山は、転性を社会に認めさせれば、それで終わりだと思っていたわけではない』
「……?」
『転性が認められたあとも、日本は変わらなかったのだ』
馬籠は、少し悲しい目をしながら言う。
『結局の所、差別や偏見は消えなかった。なのに、法律が変わったことで人々は「もう問題は解決した」と思い始めた』
「……」
『飛山は、それに気づいていた』
「だから……事件を?」
馬籠が初めて、少しだけ笑った。
『君は本当に面白いな。話を聞きながら、自分で答えを作ろうとしている』
「あなたが全部話す必要はありません。私が知りたいのは、あなたが何を考えているのかです」
私は馬籠を見つめた。
「あなたは飛山のことを知りすぎている」
『……』
「それに、冴羽さんの部屋にあった写真。飛山とあなたが一緒に写っていた」
馬籠の目が細くなる。
「あなたと飛山は、昔から繋がっていた」
『よくそこまで辿り着いたな』
「やっぱり……」
『ああ。私は飛山と同じ政治家になる前から、長い間あの男を見てきた』
「じゃあ、飛山の計画も知っていた?」
『一部はな』
「一部?」
『飛山は、ある時から私に言い始めた。「この国は、一度壊さなければ変わらない」と』
私は息を呑んだ。
「……壊す?」
『そうだ』
馬籠は淡々と続ける。
『飛山は転性者を救いたかった。だが、同時に転性者を生み出した社会そのものを憎んでいた』
「だから、国を壊す?」
『違う』
「え?」
『君はまだ、飛山の言葉を一つの意味でしか捉えていない』
馬籠は椅子へ腰を下ろした。
『飛山が壊したかったのは、国ではない。国民の「当たり前」だ』
私は黙り込む。
『男は男。女は女。転性は異常。そう決めつける社会を、飛山は壊したかった』
「……それなら、転性を認めさせた時点で目的は達成できたんじゃないですか?」
『君はそう思うか?』
「……」
『法律で認められただけで、人間の根本の考え方まで変わると思うか?』
答えられなかった。
馬籠の言葉が、少しずつ繋がっていく。
飛山が望んだもの。
転性者が普通に生きられる社会。
それを阻んでいたもの。
そして――
「……六本木の事件」
『そう』
「飛山は、あの事件をきっかけに社会を変えようとした?」
馬籠は笑った。
『だが、それだけではない』
「……まだ何かあるんですね」
『ああ』
馬籠は、机の上に一枚の紙を置いた。
そこには、六本木の事件後に行われた世論調査の結果が並んでいた。
私は数字を見つめる。
「……転性者撲滅法に賛成が……」
『圧倒的だった』
「これを……最初から狙っていた?」
『ようやく気づいたな』
背筋に寒気が走った。
飛山の事件。
その後に生まれた恐怖。
そして、転性者への憎悪。
すべてが一本の線で繋がり始める。
『飛山は、自分が憎まれることを選んだ』
「……自分が?」
『あの男は、自分が歴史上最悪の政治テロリストになれば、人々は転性という存在そのものを考えるようになると思っていた』
「……でも、その結果は?」
『君が今、見ている通りだ』
私は言葉を失った。
飛山が望んだ社会とは、何だったのだろう。
転性者を救うために、転性者を憎ませる。
そんな矛盾した方法を、本当に飛山は選んだのか。
「……待ってください」
私はふと、別の疑問に気づいた。
「飛山は……どうして、あれほどまでに自分が転性者だということにこだわったんですか?」
馬籠は答えなかった。
「過去の報道も、事件の記録も、全部『転性者である飛山』を中心に語られている」
私は頭の中で、これまで見てきた資料を思い返した。
「でも……考えてみれば、おかしい」
『何がだ?』
「飛山が転性者だったという証拠を、私は一度も見ていない」
馬籠の表情が変わった。
「もちろん、周囲の人間はそう認識していた。でも、それは本人がそう名乗っていたからじゃないですか?」
『……』
「戸籍も、出生時の記録も、過去の医療記録も……転性だと証明するものはなかった」
馬籠は黙ったままだ。
私は立ち上がれない身体を椅子に預けながら、必死に頭を働かせた。
「飛山は……本当に転性じゃなかった?」
『……』
「そうなんですね」
馬籠は否定しなかった。
「じゃあ、なぜ?」
『君なら、もう分かるだろう』
私は目を閉じた。
これまでの話を一つずつ繋げる。
飛山は社会を壊したかった。
国そのものではなく、人々の「当たり前」を。
そのために必要だったのは、ただ政治家を殺すことではなく、社会全体を巻き込むこと。
そして、六本木の事件には一つの強烈な物語があった。
転性が政治家を大量に殺した。
「……そういうことか」
『何が分かった?』
「飛山は、転性を利用したんだ。自分が転性なら、事件はただの政治テロでは終わらない」
私は一つずつ言葉にする。
「『転性・飛山晶による政治テロ』になる」
馬籠は黙っている。
「そうなれば、社会は転性について考えざるを得なくなる。飛山は自分自身を、転性という問題の象徴にした」
『……』
「でも、それだけじゃない」
私は紙に書かれた世論調査を見る。
「転性が事件を起こしたと思わせれば、人々は恐怖を抱く」
「その恐怖が、転性への憎悪に変わる」
「そして、その憎悪を利用すれば……社会そのものを動かせる」
馬籠はゆっくりと頷いた。
『ようやく辿り着いたな』
「……あなたも、それを知っていたんですね」
『ああ』
「だから飛山と繋がっていた」
『そうだ』
「でも……一つおかしい」
私は馬籠を見つめた。
「飛山の目的は、転性を救うことだったはずです」
『そうだ』
「なのに、転性者を装って大量殺人をすれば、転性者への憎悪が広がることくらい分かっていたはずです」
『……』
「それでもやった」
私はそこで気づいた。
「飛山は社会が壊れることを優先してしまったんですね。転性が傷つくことになっても」
『そうだ』
その答えに、胸が重くなる。
『飛山は、最後には自分自身すら憎しみの対象にした』
「……」
『転性者を救いたかった男が、転性者を憎ませる事件を起こした』
馬籠は静かに言った。
『それほどまでに、いつまで経っても変わらない社会を彼は憎んでいた』
私は黙り込んだ。
けれど、そこでまた一つの疑問が浮かんだ。
「……だったら、あなたは?」
『私?』
「あなたは、その事件を利用したんじゃないですか?」
馬籠の目が細くなる。
「飛山が事件を起こす。国民が転性者を恐れる。そして、あなたが転性者撲滅法を作り、政府公式アプリでアンケートを取って、国民に選ばせる形にする」
馬籠は答えない。
「違う」
しばらくして、馬籠が口を開いた。
『国民に選ばせたんじゃない』
「……え?」
『国民に、選ばせたと思わせたんだ』
その言葉に、背筋が凍った。
「……民意」
『そうだ』
「民意を利用したんですね」
『君は賢い』
「でも、それだけじゃない」
私は馬籠を見る。
「あなたは、飛山が事件を起こすことを知っていたんじゃないですか?」
馬籠の表情が初めて崩れた。
『……』
「だから、あの写真があった。飛山とあなたは昔から繋がっていた」
『……そこまで分かったか』
「飛山の事件は、あなたにとって都合が良すぎる」
『……』
「転性を社会から消すための、最高の理由になった」
馬籠はしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと笑った。
『ようやく、ここまで来たな』
「……何を?」
『君が今まで追いかけてきた「敵」が、誰なのかだよ』
私は息を呑んだ。
馬籠は立ち上がる。
『飛山は確かに転性を憎んでいた。だが、あの男は最後まで転性を救おうとしていた』
「……」
『そして私は、飛山の憎しみを利用した』
「……利用?」
『ああ』
馬籠はカメラの方を向いた。
『飛山が何を考えていたのか。なぜ事件を起こしたのか。君がここまで辿り着いたこと自体が証明している』
「何を……?」
『人間は、事実ではなく、見たものを信じる』
私は息を止めた。
『飛山が転性を救うために活動したことも、過去に転性を憎んでいたことも、事件を起こしたことも、全て事実だ』
『だが、人々が見るのは、その一部分だけだ。客観的に見なければ、本当のことは分からない』
馬籠は笑った。
『君は、ようやくこの物語を客観的に見始めた』
誰かが正しくて、誰かが間違っている。
そんな単純な話だと思っていた。
だが――
「……違う」
『何がだ?』
「あなたが悪い。飛山が悪い。転性者が悪い。そうやって誰か一人を悪者にすれば、考える必要がなくなる」
私は馬籠を睨んだ。
「でも、本当は違う。飛山にも憎しみがあった。あなたにも目的がある。国民にも恐怖がある。私たちにも、自分を守りたいという気持ちがある」
『……』
「だからこそ、誰か一人だけを敵にして終わらせちゃいけない」
馬籠は黙っていた。
「どうして私だったんですか?」
『君が選ばれしものだとでも?自惚れは良くない。たまたま君が飛山を少し知っていた、そして私は冴羽を通じてそれを知った。それ以上でもそれ以下でもない』
やるせない気持ちでいっぱいになる。
『君には最後まで見届けてもらおう』
「何を?」
馬籠はカメラの電源を切った。
『民意の恐ろしさ、そして私と飛山を持ってしてもこの国は変わらないという現実を』
画面が暗くなる。
その瞬間、遠くから何かが破裂するような音が響いた。
『――始まったな』
「……何が?」
『見てればわかる。それに君のような人を失うのは惜しい。けどね、君だけ特別という訳には行かないんだよ』
馬籠はただ、窓の外を見つめていた。
私にはまだ分からない。
飛山が何を望み、馬籠が何を望み、そしてこの国がどこへ向かおうとしているのか。
けれど私はもう、誰かの言葉だけを信じるつもりはなかった。
自分で見て、自分で考えて、自分で答えを出す。
それが生きるということなのだ。




