第六話 六本木へ
箱根の方へしばらく車を走らせ、私たちは人気の少ない場所まで来た。
車を停めると、車内に沈黙が落ちた。
咲人が口を開く。
「悔しい……」
『……』
「私たちが何をしたっていうの? 人でも殺したっていうの?」
咲人が涙を滲ませながら言った。
「……っ、社会が認めてくれた転性というレッテルが、私たちを殺すための呪いになっている……っ。私はもう、自分が転性でいることが嫌……っ」
薫は何も言わず、タバコに火をつけた。
しばらく煙を吐いたあと、静かに口を開く。
『ダメです……。悔しい気持ちは僕にはわかる、なんて言うのは烏滸がましいかもしれません。けど、転性として生きてきたササさんの人生を否定するのはダメっす』
「わかってるけど……っ」
『いつかまた、転性として生きていける。ササさんがササさんとして生きられる時代が来るはずっす。国なんかに負けちゃいけないです』
「……っ」
私は窓の外を見た。
暗闇の向こうに、箱根の山々が浮かんでいる。
『……僕は、ササさんが転性だから一緒にいるわけじゃないっすよ。ササさんだから、一緒にいるんです』
「……」
胸の奥が、少しだけ痛くなった。
「……少し夜風に当たるわね」
私は車のドアを開け、外へ出た。
冷たい夜風が頬を撫でた。
そのまま私たちは、車の中で一夜を明かした。
――翌朝。
一本のニュースで目が覚めた。
ピロロンッ。
『日本政府より緊急放送です』
『皆様、総理の馬籠です』
馬籠がテレビに映る。
また、良くないニュースだろう。
そう思うと、自然と肩が落ちた。
『転性者撲滅法の制定から、数日が経ちました。依然として、警察関係者により確保を進めております』
馬籠が一度、言葉を切る。
『本日は皆様に二つほど、お話しさせていただきたいことがございます。順を追ってお話ししますので、どうかチャンネルをそのままに、皆様の貴重なお時間を少しばかり私にください』
『なんすかね』
薫も目を覚ました。
馬籠が続ける。
『まず一つ。転性について、今一度皆様の考えを聞かせてください』
『私は正直、転性が社会に認められ、素晴らしいことだと初めは思っていました。全ての人にとって、生きやすい世の中になると』
『ですが、日本の出生率は戦後最低水準。GDPも最低水準を記録しています』
『これが全て転性のせいだ、というわけではありません。しかし、無関係と言い切れないのも事実ではないでしょうか』
胸の奥がざわついた。
『これは、飛山が転性のために社会活動を開始してから、より顕著になり、私は考えました。日本は、このままで良いのかと』
『そこで私は、国民の皆様に問うことにしました。これからの日本の在り方を』
テレビを見ながら思う。
「馬籠は何が言いたいの?」
馬籠がスマートフォンを取り出した。
『政府公式アプリを先ほど、作成し終えました。そこで皆様のお時間をいただき、アンケートに答えていただきたい』
『転性と共生すべきなのか。それとも、共生すべきではないのかを』
私たちもスマートフォンを取り出し、検索する。
アプリをインストールすると、アンケートが表示された。
画面には、たった二つの選択肢が並んでいる。
【転性と共生すべき】
【転性と共生すべきではない】
「共生すべきか、そうでないかを、このアンケートで決める?」
指が止まる。
「そんなの……勝ち目があるわけないじゃない」
『政府はここでアンケートの結果を得られれば、民意の名の下に大義名分を得るってわけっすね』
「……民意」
その言葉が、妙に引っかかった。
私たちのことを知らない人たちが、私たちの人生を決める。
それが本当に、民意なのだろうか。
馬籠が話し続ける。
『そして二つ目、転性の皆様にお知らせします』
『本日、大変急遽ではありますが、転性者から一人、代表者として私と直接テレビ対談を行うことにいたしました』
『場所は六本木◯◯ー◯ー◯。期限は午後3時までとします。それまでに先着で来られた転性者に限ります』
私は、バッと薫の方を向いた。
「今何時?!」
スマートフォンを見る。
時刻は、午前11時。
「……3時間しかない」
『どうするんすか?』
私は画面に表示されたアンケートを見つめた。
そして、馬籠の顔を見る。
「……行きましょう」
『罠かもしれないっすよ』
「わかってる」
私はスマートフォンを握りしめた。
「でも、行かなかったら……政府は、また都合のいい理由を作れる」
『……』
「転性の代表者すら出てこなかった。だから転性は対話する意思がない、とか」
私は立ち上がった。
「行きましょう」
『了解っす』
エンジンをかけ、車が走り出す。
遠くで、教会の鐘が響いていた。
私たちは六本木へ向かった。
――冴羽の家。
冴羽はタバコを吸いながら、電話をしていた。
『……えぇ、飛山について尋ねてきましたよ。奴ら、飛山の手帳の写真を持ってました。それと、ちょっとミスをしてしまいましてね。例の写真も見られてしまいました』
???『問題ない。ちょうどいい、見せしめだ。奴らは六本木へ来るのか?』
『おそらく』
???『特徴は?』
『一人が佐伯という転性。もう一人は望月という普通の男性です』
???『わかった。これにて終いだな』
『よろしくお願いします。ちゃんと、報酬は弾んでくださいね』
???『黙れ、貴様も用済みだ。ご苦労だったな』
電話が切れた。
『……クッソ野郎が』
冴羽が立ち上がる。
その瞬間、玄関のドアが開いた。
黒服の男が入ってくる。
『……サプレッサーまでつけて、いつから日本は銃を携帯できるようになったんだ…』
パシュッ。
銃声とは思えないほど小さな音が、冴羽の家に響いた。
冴羽の身体が崩れ落ちる。
黒服の男は何も言わず、その場を去った。
『……はぁ……っ、は……』
冴羽は床に倒れたまま、震える手を伸ばした。
『裏切られるなら……こっちだって……』
スマートフォンを掴む。
誰かに電話をかける。
プルルルッ。
「はい、佐伯です」
『……はぁ……っ、六本木……向かってたんだろ……』
声を聞いた瞬間、ただ事ではないことが分かった。
しかし、私たちは一度裏切られている。
私は冷静に答えた。
「冴羽さんですね。何かありましたか?」
『ククッ……恨んでるよな……』
「別に」
私は答えた。
「私の生き方があるように、あなたの生き方もある。もう、誰も信用しません」
『……そうだ』
冴羽の声が震える。
『誰も……信用するな』
「……」
『お前はこれから……本当に敵を知ることになる……』
私はあの写真を思い出し、鎌をかけるように尋ねた。
「馬籠ですね?」
『……だと、いいな……』
「え?」
プツンッ。
電話が切れた。
『ササさん……』
薫がこちらを見る。
『今の話、どういう意味っすか?』
「わからない……」
『敵は……この国ってやつっすか』
薫が呟く。
「……かもしれない」
私は前を向いた。
「薫、本当にいいの?」
『何がっすか?』
「この先に何が待ってるか、分からない。もしかしたら……死ぬかもしれないわ」
薫は少しだけ笑った。
『二度も言わせないでください。カッコつけたい気分なんすよ!』
――三時間後、六本木。
私たちは、馬籠が指定した場所に到着した。
指定された場所には、黒服のガードマンが立っている。
私たちが近づくと、男が口を開いた。
『佐伯、望月だな』
「はい」
『総理がお待ちだ。入れ』
男に促され、私たちは入り口へ向かった。
私は一度だけ薫を見る。
そして、言われるがまま中へ入る。
その瞬間――
後ろから何者かに口元を布で塞がれた。
『……かわいそうに』
意識が遠のいていく。
「……か……おる……」
最後に見えたのは、同じように倒れていく薫の姿だった。
そして私の意識は、闇の中へ落ちていった。




