六、社会主义和共产主义 六、社会主義と共産主義
社会主義と共産主義の違いとは何か?
社会主義国家における労働者の権利と義務とは何か?
「私有財産」とはどういったものなのか?
マルクス主義が発展すべき工業とは何なのか?
この章を読めばわかる。
最 高 指 示
共产主义是无产阶级的整个思想体系,同时又是一种新的社会制度。这种思想体系和社会制度,是区别于任何别的思想体系和任何别的社会制度的,是自有人类历史以来,最完全最进步最革命最合理的。・・・共产主义的思想体系和社会制度,正以排山倒海之势,雷霆万钧之力,磅礴于全世界,而葆其美妙之青春。
毛主席:《新民主主义论》(一九四○年一月)《毛泽东选集》第二卷第六七九页
共産主義はプロレタリアートの全思想体系であると同時に、また新しい社会制度でもある。このような思想体系と社会制度は、他のいかなる思想体系とも、他のいかなる社会制度とも区別されるものであって、それは人類の歴史はじまっていらいの、もっとも完全な、もっとも進歩した、もっとも革命的な、もっとも合理的なものである。・・・ただ、共産主義の思想体系と社会制度だけがいままさに天地をくつがえす勢い、万雷のとどろく力で、全世界にひろがりあふれ、そのうるわしい青春をたもっている。
――★マルクス=エンゲルス語録★――
共产主义的特征并不是要废除一般的所有制,而是要废除资产阶级的所有制。但是,现代的资产阶级私有制是建筑在阶级对立上面、建筑在一些人对另一些人的剥削上面的生产和产品占有的最后而又最完备的表现。从这个意义上说,共产党人可以用一句话把自己的理论概括起来:消灭私有制。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),一九六四年版第三十九页
共産主義の決定的な特徴は、所有権全般の廃止ではなく、ブルジョア的所有権の廃止である。しかしながら、近代ブルジョア私有財産は、階級対立とある集団による他の集団の搾取の上に築かれた、生産と生産物の収奪の最終的かつ最も完全な現れである。この意味で、共産主義者は自らの理論を「私有財産の廃止」という一文で要約することができる。
共产主义并不剥夺任何人占有社会产品的权力,它只剥夺利用这种占有去奴役他人劳动的权力。有人反驳说,私有制一消灭,一切活动就会停止,懒惰之风就会兴起。这样说来,资产阶级社会早就应该因懒惰而灭亡了,因为在这个社会里是劳者不获,获者不劳的。所有这些顾虑,都可以归结为这样一个同义反复:一旦没有资本,也就不再有雇佣劳动了。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),二九六四年版第四十一~四十二页
共産主義は誰からも社会的な生産物を所有する権利を奪うのではなく、その所有物を用いて他人の労働を奴隷化する権利を奪うだけである。私有財産が廃止されれば、あらゆる活動が停止し、怠惰が蔓延すると主張する人もいる。もしそうなら、ブルジョア社会は怠惰のためにとっくに滅びているはずだ。なぜなら、この社会では、労働する者は儲けられず、儲ける者は労働しないからだ。こうした反対はすべて、資本が消滅すれば賃労働は存在しなくなるという分かりきった重複語を、別の意味で使ったに過ぎない。
生产资料的扩张力撑破了资本主义生产方式所加给它的桎梏。生产资料从这种桎梏下解放出来,是生产力不断地加速发展的唯一先决条件,因而也是生产本身实际上无限增长的唯一先决条件。但是还不止于此。生产资料的社会占有,不仅会消除生产的现存的人为障碍,而且还会消除生产力和产品的明显的浪费和破坏,这种浪费和破坏在目前是生产的不可分离的伴侣,并且在危机时期达到顶点。此外,这种占有还由于消除了现在的统治阶级及其政治代表的穷奢极欲的浪费而为全社会节省出大量的生产资料和产品。
恩格斯:《社会主义从空想到科学的发展》(一八八〇年一~三月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二四四页
生産手段の拡大力は、資本主義的生産様式が負担してきた鎖を断ち切る。これらの鎖からの解放は、ますます速いペースで進歩する生産力の絶え間ない発展、ひいては生産自体の実質的に無制限の増大のために必要な唯一の条件である。しかし、それだけではない。生産手段の社会的処分は、現在存在する生産の人為的抑制だけでなく、生産力と生産物の効果的な浪費と破壊も排除する。これらは、現在、生産の不可避な付属物であり、危機においてその発作を起こす。さらに、現在の支配階級とその政治的代表者による愚かな贅沢の浪費を排除することによって、地域社会のために大量の生産手段と製品を解放するのである。
当社会掌握全部生产资料,使之可以根据社会的计划来运用它们的时候,社会就消灭了直到现在居支配地位的、生产资料对于人的奴役。自然,社会如不把每个人解放,它自己也是不能得到解放的。所以旧的生产方式,应该彻底地被改变,特别是旧的分工应该消灭。代之而起的,应该是这样的生产组织,它使得一方面谁都不能把自己在生产劳动(人类生存的自然条件)中所应参加的部分,推到别人身上,另一方面,生产劳动供给每人以全面发展并运用自己一切体力智力的可能,它不再是奴役人的手段,而是解放人的手段,因此,生产劳动从一种重负,变成为一种快乐。
恩格斯:《反杜林论》(一八七八年),一九五七年版第三一〇页
社会は、いっさいの生産手段の主人となり、それを社会的に計画的に使用することによって、これまでのように人間が自分自身の生産手段に隷属させられている状態をなくす。もちろん、各人が解放されなければ、社会は自分を解放することはできない。だから、古い生産様式は根底から変革されなければならないし、とりわけ旧来の分業は消滅しなければならない。それにかわって、つぎのような生産組織があらわれなければならない。それは、一方では、だれ一人、人間の生存の自然的条件である生産的労働にたいする自分の受け持分を他人に転嫁することができず、他方では、生産的労働が人間を隷属化させる手段ではなくなって、各人に、そのいっさいの肉体的および精神的能力をあらゆる方向に発達させ発揮させる機会を提供することによって、人間を解放する手段となり、こうして生産的労働が重荷でなくなって快楽になる、そういう生産組織である。
我们的目的是要建立社会主义制度,这种制度将给所有的人提供健康而有益的工作,给所有的人提供充裕的物质生活和闲暇时间,给所有的人提供真正的充分的自由。
・・・他们应该承认:没有无义务的权利,也没有无权利的义务。
恩格斯:《对英国北方社会主义联盟纲领的修正》(一八八七年六月),《马克思恩格斯全集》.第二十一卷第五七〇页
私たちの目標は、すべての人々に健康的で生産的な仕事、豊かな物質的生活と余暇、そして真の完全な自由を与える社会主義体制を確立することです。・・・義務のない権利はなく、権利のない義務はないということを人々は認めるべきである。
无产阶级在获得胜利之后,无论怎样都不会成为社会的绝对方面,因为它只有消灭自己本身和自己的对立面才能获得胜利。随着无产阶级的胜利,无产阶级本身以及制约着它的对立面――私有制都趋于消灭。
马克思恩格斯:《神圣家族》(一八四四年九~十一月),《马克思恩格斯全集》第二卷第四十四页
プロレタリア階級が勝利を収めた後、いかなる場合でも社会の絶対的面にはならない。なぜなら、プロレタリア階級は自分自身とその対立面を滅ぼすことによってのみ勝利を収めることができるからである。プロレタリアートの勝利に伴い、プロレタリア階級そのものとそれを制約する対立面――私有制は消滅に向かう。
我们这里所说的是这样的共产主义社会,它不是在它自身基础上已经发展了的,恰好相反,是刚刚从资本主义社会中产生出来的,因此它在各方面,在经济、道德和精神方面都还带着它脱胎出来的那个旧社会的痕迹。
马克思:《哥达纲领批判》(一八七五年四~五月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二十一页
ここで私たちが論じている共産主義社会は、独自の基盤の上に発展した社会ではなく、むしろ資本主義社会から生まれたばかりの社会である。したがって、経済的、道徳的、精神的な側面を含むあらゆる側面において、共産主義社会は依然として、その起源となった旧社会の痕跡を帯びている。
在共产主义社会高级阶段上,在迫使人们奴隶般地服从分工的情形已经消失,从而脑力劳动和体力劳动的对立也随之消失之后;在劳动已经不仅仅是谋生的手段,而且本身成了生活的第一需要之后;在随着个人的全面发展生产力也增长起来,而集体财富的一切源泉都充分涌流之后,——只有在那个时候,才能完全超出资产阶级法权的狭隘眼界,社会才能在自己的旗帜上写上:各尽所能,按需分配!
马克思:《哥达纲领批判》(一八七五年四~五月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二十二~二十三页
共産主義社会のより高次の段階において、すなわち諸個人が分業に奴隷的に従属することがなくなり、それとともに精神的労働と肉体的労働との対立もなくなったのち、また、労働がたんに生活のための手段であるだけでなく、生活にとってまっさきに必要なこととなったのち、また、諸個人の全面的な発展につれて彼らの生産能力をも成長し、協同組合的な富がそのすべての泉から溢れるばかりに湧き出るようになったのち――その時はじめて、ブルジョア的権利の狭い地平は完全に踏み越えられ、そして社会はその旗にこう書くことができる。各人からはその能力に応じて、各人にはその必要に応じて!
在共产主义社会里,人和人的利益并不是彼此对立的,而是一致的,因而竞争就消失了。当然也就谈不到个别阶级的破产,更谈不到象现在那样的富人和穷人的阶级了。
恩格斯:《在爱北斐特的演说》(一八四五年二月),《马克思恩格斯全集》第二卷第六〇五页
共産主義社会では、人々の利益は矛盾せず、むしろ一致しているため、競争は排除される。個々の階級が破産することはなく、ましてや今日のような富裕層と貧困層の区別も存在しない。
现在我们正在以迅速的步伐走向这样的生产发展阶段,在这个阶段上,这些阶级的存在不仅不再必要,而且成了生产的直接障碍。阶级不可避免地要消失,正如它们从前不可避免地产生一样。随着阶级的消失,国家也不可避免地要消失。以生产者自由平等的联合体为基础的、按新方式来组织生产的社会,将把全部国家机器放到它应该去的地方,即放到古物陈列馆去,同纺车和青铜斧陈列在一起。
恩格斯:《家庭、私有制和国家的起源》(一八八四年三~五月),《马克思恩格斯全集》第二十一卷第一九七~一九八页
私たちは今、生産発展の段階へと急速に移行しつつあり、そこではこれらの階級の存在はもはや必要なくなるだけでなく、生産の直接的な障害となる。階級は、かつて必然的に生じたように、必然的に消滅するだろう。階級の消滅とともに、国家もまた必然的に消滅するだろう。生産者の自由で平等な連合に基づき、新たな形態で組織された社会は、国家機構全体を、糸車や青銅の斧と並んで、考古博物館という本来あるべき場所に置くだろう。
无产阶级将取得国家政权,并且首先把生产资料变为国家财产。但是,这样一来它就消灭了作为无产阶级的自身,消灭了一切阶级差别和阶级对立,也消灭了作为国家的国家。
恩格斯:《社会主义从空想到科学的发展》(一八八○年一~三月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二四二页
プロレタリアートは国家権力を掌握して、生産手段をまず国有に転化させる。だが、そうすることによってプロレタリアートは、プロレタリアートとしての自分自身を廃棄し、またそれによっていっさいの階級差別や階級対立を廃棄し、したがってまた国家としての国家をも廃棄する。
工人阶级在发展进程中将创造一个消除阶级和阶级对立的联合体来代替旧的资产阶级社会;从此再不会有任何原来意义的政权了。
马克思:《哲学的贫困》(一八四七年上半年),《马克思恩格斯全集》第四卷第一九七页
労働者階級は発展の過程で、階級と階級対立を排除した連合体を旧来の資本主義社会に代えて築き上げるだろう。それ以来、本来の意味での政権は存在しなくなる。
无产阶级将取得社会权力,并且利用这个权力把脱离资产阶级掌握的社会化生产资料变为公共财产:通过这个行动,无产阶级使生产资料摆脱了它们迄今具有的资本属性,给它们的社会性以充分发展的自由。从此按照预定计划进行的社会生产就成为可能的了。生产的发展使不同社会阶级的继续存在成为时代的错误。随着社会生产的无政府状态的消失,国家的政治权威也将消失。人终于成为自己的社会结合的主人,从而也就成为自然界的主人,成为自己本身的主人——自由的人。
恩格斯:《社会主义从空想到科学的发展》(一八八○年一~三月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二四七页
労働者階級は、公権力を掌握し、この権力によって、資本家階級の手から逃れた社会的生産手段を公共財に転換させる。この行為によって、生産手段をそれまでの資本の性質から解放し、その社会的性格に自己を課す完全な自由を与えるのである。あらかじめ決められたプランに沿った社会的生産が可能になったのである。生産の発展は、後に異なる社会階級の存在を時代錯誤なものにする。社会的生産の無秩序がなくなると、国家の政治的権威は休眠状態になる。人間は、ついに自分自身の社会化の主人となり、自然の主人、自分自身の主人、自由になるのである。
只有一个按计划生产和按计划分配的自觉性的社会生产组织,才能在社会方面把人们提升到其余动物之上,也如生产一般已在单纯生物学方面提升了他们一样。历史的发展使这种组织日益成为必要,也日益成为可能。从这个组织起将开辟一个新历史时代的纪元,那时人们自身及其活动的一切部门,包括自然科学在内,将获得如此巨大的进步,以致使得至今所作出的一切都暗然失色。
恩格斯:《自然辩证法一书导言》(一八七五~一八七六年),《马克思恩格斯文选》人民出版社一九六一年版第二卷第七十五页
計画に基づいた生産、および計画に基づいた分配を伴う、自覚的な社会生産組織があって初めて、人間は社会的な側面において、他の動物から区別される存在へと引き上げられる。それは、生産全般が生物学的な側面において、すでに人間を他の動物から引き上げたのと同様である。歴史の発展は、このような組織を日増しに必要不可欠なものとしており、また同時に、それを実現可能なものとしている。この組織の出発点から、新しい歴史時代の紀元が開かれるだろう。そこでは、人間自身、および自然科学を含む人間の活動のあらゆる部門が、これまでの実績をすべて色あせさせるほどの、巨大な進歩を遂げることになるのである。
封建的社会主义,其中半是挽歌,半是谤文;半是过去的回音,半是未来的恫吓;它有时也能用辛辣、俏皮而尖刻的评论刺中资产阶级的心,但是它由于完全不能理解现代历史的进程而总是令人感到可笑。为了拉拢人民,贵族们把无产阶级的乞食袋当做旗帜来挥舞。但是,每当人民跟着他们走的时候,都发现他们的臀部带有旧的封建纹章,于是就哈哈大笑,一哄而散。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),一九六四年版第四十九页
このようにして、封建的社会主義がうまれたのである。それは、なかばは挽歌であり、なかばは誹謗文であり、なかば過去の余韻であり、なかば未来の脅迫であって、ときには、辛辣な、機知にとんだ、刺すような批判で、ブルジョアジーの肝をひやすこともあるが、近代史の歩みを理解する能力がまったくないために、いつもこっけいな印象をあたえるのであった。民衆を自分たちのうしろにあつめるため、彼らはプロレタリアのこじき袋を旗がわりにうちふった。だが、民衆は、彼らのうしろについていっても、そのつど彼らの尻に古い封建時代の紋章を見つけて、無礼な高笑いをしながら見すててゆくのであった。
在农民阶级远远超过人口半数的国家,例如在法国,那些站在无产阶级方面反对资产阶级的著作家,自然是用小资产阶级和小农的尺度去批判资产阶级制度的,是从小资产阶级的立场出发替工人说话的。这样就形成了小资产阶级的社会主义。但是,这种社会主义按其积极的内容来说,或者是企图恢复旧的生产资料和交换手段,从而恢复旧的所有制关系和旧的社会,或者是企图重新把现代的生产资料和交换手段硬塞到已被它们突破而且必然被突破的旧的所有制关系的框子里去。它在这两种场合都是反动的,同时又是空想的。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~八四八年一月),一九六四年版第五十一~五十二页
フランスのように、農民階級が人口のはるか半ば以上をしめている国々では、プロレタリアートに味方しブルジョアジーに反対して立った文筆家たちが、ブルジョア支配を批判するにあたって、小ブルジョア的・小農民的な尺度をあてがい、小ブルジョアジーの立場から労働者のがわについたのは、当然であった。こうして、小ブルジョア社会主義が形成された。しかしながら、その積極的な内容の点では、この社会主義は、古い生産および交通手段を、そしてそれとともに古い所有関係と古い社会を再興しようとするか、それとも、近代的な生産および交通手段を、それによってすでに爆破され、また爆破されなければならなかった古い所有関係のわくのなかに、ふたたびむりやりにとじこめようとする。いずれのばあいにも、それは反動的であり、また同時に空想的である。
社会主义的资产者愿意要现代社会的生存条件,但是不要由这些条件必然产生的斗争和危险。他们愿意要现存的社会,但是不要那些使这个社会革命化和解体的因素。他们愿意要资产阶级,但是不要无产阶级。在资产阶级看来,它所统治的世界自然是最美好的世界。资产阶级的社会主义把这种安慰人心的观念制成半套或整套的体系。它要求无产阶级实现它的体系,走进新的耶路撒冷,其实它不过是要求无产阶级停留在现今的社会里,但是要抛弃他们关于这个社会的可恶的观念。资产阶级的社会主义归结起来就是这样一个论断:资产者之为资产者,是为了工人阶级的利益。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),一九六四年版第五十五~五十六页
社会主義的ブルジョアたちは、近代社会の生活条件をのぞみながら、しかも、そこから必然に発生する闘争と危険とはのぞきたいのだ。彼らは、現存の社会をそのままにして、ただそれから、それを変革し解体させる諸要素をひきさりたいのだ。彼らは、プロレタリアートなしのブルジョアジーをのぞんでいる。ブルジョアジーは、自分たちの支配している世界を、いうまでもなく最良の世界だと思っている。ブルジョア社会主義は、こうしたこころよい考えを、はんぱな、あるいはまとまった体系につくりあげる。それは、プロレタリアートにむかって、自分の体系を実行して新エルサレムにきたれ、と呼びかけるが、そのじつ、これはプロレタリアートに、今日の社会にとどまっているように、しかし今日の社会にたいする悪意ある考えかたはすてるように、と要求しているにすぎないのだ。彼らの社会主義とは、まさに、ブルジョアがブルジョアであるのは――労働者の階級の利益を思ってである、という主張に帰着するのだ。
――★レーニン語録★――
什么是共产主义者呢?共产主义者是,一个拉丁名词。共产主义者一词是“公共”的意思。共产主义社会就是土地、工厂都是公共的,实行共同劳动,——这就是共产主义。
列宁:《青年团的任务》(一九二〇年十月),《列宁全集》第三十一卷第二六二~二六三页
共産主義者とは何であろうか?共産主義者というのはラテン語である。共産主義という言葉は「公共の」という意味を持っている。共産主義社会とは、土地や工場がすべて公共のものであり、人々が共に働く社会のことである。――これこそが共産主義なのである。
机会主义恰巧在最主要之点不承认有阶级斗争,即不承认在资本主义向共产主义过渡的时期,在推翻资产阶级并完全消灭资产阶级的时期有阶级斗争。实际上,这个时期必然是阶级斗争空前残酷、阶级斗争形式空前尖锐的时期,因而这个时期的国家就不可避免地应当是新型民主的(无产者和一般穷人享受民主的)国家和新型专政的(对资产阶级实行专政的)国家。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第一九一~一九二页
日和見主義は、階級闘争の承認を、まさにもっとも重要な点までは、すなわち資本主義から共産主義への移行の時期、ブルジョア階級を打倒し、彼らを完全に絶滅する時期までは、拡張しない。現実には、その時期は、不可避的に、未曾有に激しい階級闘争の時期であり、階級闘争が未曾有に鋭いかたちをとる時期である。したがって、この時期の国家もまた、不可避的に新しい型の民主主義的な(プロレタリアと無産者一般とにとって)、また新しい型の独裁的な(ブルジョア階級にたいして)国家でなければならない。
社会主义不是什么人赐给人类的现成制度。社会主义是目前无产阶级为了达到根本目的而进行的阶级斗争,是从今天的目的走向明天的目的并且逐渐接近根本目的的斗争。
列宁:《谈话》(一九一三年三~四月),《列宁全集》第十九卷第二十六页
社会主義は、誰かが人類に授けた既成の制度ではない。社会主義とは、プロレタリア階級がその根本目標の達成のために現在も闘っている階級闘争であり、今日の目標から明日の目標へと進み、徐々に根本目標に近づいていく闘争である。
无产阶级的目的是建成社会主义,消灭社会的阶级划分,使社会全体成员成为劳动者,消灭一切剥削制度的基础。
列宁;《向匈牙利工人致敬》(一九一九年五月),《列宁全集》第二十九卷第三五一页
プロレタリア階級の目標は、社会主義を建設し、社会の階級区分をなくし、社会のすべての構成員を労働者にし、すべての搾取制度の基盤をなくすことである。
许多世纪以来,甚至几千年以来,人类早已幻想过“立即”消灭所有一切剥削。但是,在全世界千百万被剥削者还没有联合起来为按照资本主义社会自身的发展方向来改变这个社会而进行彻底的、坚决的、全面的斗争以前,所有这些幻想仍旧不过是幻想罢了。只是当马克思的科学社会主义把改变现状的渴望和一定阶级的斗争联系起来的时候,社会主义的幻想才变成了千百万人争取社会主义的斗争。离开阶级斗争,社会主义就是空话或者幼稚的幻想。
列宁:《小资产阶级的社会主义和无产阶级的社会主义》(一九○五年十一月),《列宁全集》第九卷第四三一页
何世紀も、いや何千年もの間、人類はあらゆる搾取の即時廃止を夢見てきまた。しかし、世界中の何百万もの搾取された人々が、資本主義をその発展路線に沿って変革するための徹底的かつ断固とした包括的な闘争に結集するまで、これらの夢はすべて単なる空想に過ぎなかった。マルクスの科学的社会主義が、変革への欲求と特定の階級の闘争を結び付けて初めて、社会主義の夢は数百万の人々の社会主義のための闘争へと変貌した。階級闘争がなければ、社会主義は空虚なレトリック、あるいは単なるナイーブな幻想に過ぎない。
显然,为了完全消灭阶级,不仅要推翻剥削者即地主和资本家,不仅要废除他们的所有制,而且要废除任何生产资料的私有制,耍消灭城乡之间、体力劳动者和脑力劳动者之间的差别。这是很长时期才能实现的事业。要完成这一事业,必须大大发展生产力,必须克服无数小生产残余的反抗(往往是特别顽强特别难于克服的消极反抗),必须克服与这些残余相联系的巨大的习惯势力和保守势力。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁全集》第二十九卷第三八三页
明らかに、階級を完全に消滅させるためには、搾取者、すなわち地主と資本家を打倒し、彼らの所有権を廃止するだけでなく、あらゆる生産手段の私的所有を廃止し、都市と農村、肉体労働者と精神労働者の間の差異をなくす必要がある。これは達成に非常に長い時間を要する課題である。これを達成するには、生産力を大幅に発展させ、無数の小規模生産残余者の抵抗(しばしば特に頑固で克服困難な受動抵抗)を克服し、そしてこれらの残余者に伴う習慣と保守主義の巨大な力を克服する必要がある。
在无产阶级国家政权的支持下,共产主义的幼芽不会夭折,而定会茁壮地成长起来,发展成为完全的共产主义。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁全集》)第二十九卷第三九二页
プロレタリア国家権力の支援があれば、共産主義の苗は枯れることなく、必ずや力強く成長し、完全な共産主義へと発展するであろう。
没有社会主义,就不能把人类从战争和饥饿中拯救出来,就不能使千千万万人免于死亡。
列宁:《路易・勃朗主义》(一九一七年四月),《列宁全集》第二十四卷第十七页
社会主義がなければ、人類を戦争と飢餓から救うことはできず、千万人を死から救うことはできない。
在第一阶段,共产主义在经济上还不可能是完全成熟的,还不能完全摆脱资本主义的传统或痕迹。由此就产生一个有趣的现象,这就是在共产主义第一阶段还保留着“资产阶级法权的狭隘眼界”。既然在消费品的分配方面存在着资产阶级的法权,那当然一定要有资产阶级的国家,因为如果没有一个能够迫使人们遵守法权规范的机构,法权也就等于零。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二五〇页
共産主義は、その第一段階、その第一段ではまだ、経済的に完全に成熟したもの、資本主義の伝統や痕跡から完全に自由なものではありえない。第一段階の共産主義のもとには「ブルジョア的権利の狭い限界」がのこっている、といった興味ぶかい現象は、ここから起こってくる。消費資料の分配についてのブルジョア的権利は、もちろん、不可避的に、ブルジョア国家をも前提としている。なぜなら、権利というものは権利の基準の遵守を強制できる機関なしには、ないのも同然だからである。
在共产主义社会的第一阶段(通常称为社会主义),“资产阶级法权”没有完全取消,而只是部分地取消,只是在已经实现的经济变革的范围内,也就是在对生产资料的关系上取消。“资产阶级法权”承认生产资料是个人的私有财产。而社会主义则把生产资料变为公有财产。在这个范围内,也只有在这个范围内,“资产阶级法权”才不存在了。
但是它在另一方面却依然存在,依然是社会各个成员间分配产品和分配劳动的调节者(决定者)。
こうして、共産主義社会の第一段階(これが普通には社会主義とよばれている)では、「ブルジョア的権利」は、完全に廃止されるのではなく、部分的にだけ、すでに達成された経済的変革の度合いに応じてだけ、すなわち生産手段にかんしてだけ、廃止されるのである。「ブルジョア的権利」は、生産手段を個々人の私有財産として認める。社会主義はこれを共有財産にする。そのかぎりで、――そのかぎりでだけ――「ブルジョア的権利」はなくなる。
しかし、「ブルジョア的権利」は、この権利ののこりの部分にかんしては、社会成員のあいだの生産物の分配と労働の分配との規制者(規定者)として、やはりのこっている。
“不劳动者不得食”这个社会主义原则已经实现了;“按等量劳动领取等量产品”这个社会主义原则也已经实现了。但是,这还不是共产主义,还没有消除对不同等的人按不等量的(事实上是不等量的)劳动给予等量产品的“资产阶级法权”。
马克思说,这是一个“缺点”,但在共产主义第一阶段是不可避免的,如果不愿陷入空想主义,那就不能认为,在推翻资本主义之后,人们立即就能学会不需要任何法权规范而为社会劳动,况且资本主义的废除不能立即为这种变更创造经济前提。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二四六页
「働かざるものは食うべからず」――この社会主義的原則は、すでに実現されている。「等しい量の労働に等しい量の生産物を」――この社会主義的原則もまたすでに実現されている。けれども、これはまだ共産主義ではない。そして、これはまだ、不平等な人間の不平等な(事実上不平等な)量の労働にたいして、等しい量の生産物を与える「ブルジョア的権利」を除去するものではない。
マルクスは言う。これは「欠陥」である、しかし、それは共産主義の第一段階では避けることができない。なぜなら、資本主義を打ち倒すやいなや、人々は権利の基準をすべてぬきにして社会のために働くことをただちに学ぶ、などと考えることは、空想に陥らずには不可能なことであるし、しかも資本主義の廃止は、このような変化の経済的諸前提をただちに与えるものではないからである、と。
社会主义和共产主义之间的科学区别,只在于前者是从资本主义中生长起来的新社会的第一阶段,后者是这个新社会的更高的阶段。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第十页
社会主義と共産主義の科学的な違いは、前者が資本主義から生まれた新しい社会の第一段階であるのに対し、後者はこの新しい社会のより高い段階であるという点だけにある。
对抗和矛盾根本不是一个东西。在社会主义制度下,对抗消失了,矛盾还会存在。
列宁:《对布哈林“过渡时期的经济”一书的评论》(一九二○年五月),一九五八年版第十三页
対立と矛盾は同じではない。社会主義体制下では、対立はなくなるかもしれないが、矛盾は依然として存在し続ける。
社会主义是直接从资本主义里面长出来的社会,是新社会的初级形式。至于共产主义,它是这种社会的高级形式,这种形式只有在社会主义完全巩固的时候才能发展起来。社会主义的前提是在不要资本家帮助的情况下进行工作,是在劳动者的有组织的先锋队即先进部分施行最严格的统计、监督和检查的情况下共同劳动;同时还应该规定劳动量和劳动报酬。这种规定所以必要,是因为资本主义社会给我们留下了许多遗迹和习惯,如劳动的单独进行、对公共经济的不信任以及小业主的各种旧习惯等等,这些在所有农民国家中都是占统治地位的。这一切都是同真正共产主义经济的要求背道而驰的。我们所谓共产主义是这样一种制度,在这种制度下,人们习惯于履行社会义务而不需要特殊的强制机关,不拿报酬地为大家工作已成了普遍的现象。
列宁:《关于星期六义务劳动》(一九一九年十二月),《列宁全集》第三十卷第二五二~二五三页
社会主義は資本主義から直接発展する社会であり、新しい社会の原初の形態である。一方、共産主義はこの社会の発展形態であり、社会主義が完全に確立されて初めて発展し得るものである。社会主義の前提は資本家の助けなしに仕事をすることであり、労働者の組織的前衛隊である先進部分が最も厳格な統計、監督、検査を実施する場合に共同で労働することである。同時に労働量と労働報酬も規定しなければならない。この規定が必要なのは、資本主義社会が労働の単独進行、公共経済への不信、小所有者の様々な古い習慣など、すべての農民国家の中で支配的な地位を占めている多くの遺跡や習慣を残しているからである。これらのすべては真の共産主義経済の要求に背いている。私たちのいわゆる共産主義とは、特殊な強制機関を必要とせずに社会的義務を果たすことに慣れ、報酬を得ずにみなのために働くことが普遍的な現象となっている制度である。
在城市工人与农村劳动者中间建立相互的联系,确定一种可以很容易建立起来的友好互助形式,这是我们的责任,这是执政的工人阶级的基本任务之一。在资本主义制度下,城市给农村的,是那些使农村在政治、经济、道德、体质等等方面腐化起来的东西。而我们的城市自然而然地开始给农村的,正是相反的东西。可是这一切正是自然而然地、自发地进行的,所以可以要这个工作带有自觉性、计划性和系统性,使这一切加强起来,以后更百倍地加强起来。
列宁:《日记摘录》(一九二三年一月),《列宁全集》第三十三卷第四二〇~四二一页
都市労働者と農村労働者の相互関係を確立し、容易に構築できる友好的な相互扶助の形を確立することは、我々の責任であり、支配階級である労働者階級の根本的な任務の一つである。資本主義の下では、都市は農村を政治的、経済的、道徳的、そして物理的に腐敗させるものを与えている。当然のことながら、私たちの都市は農村にその逆のものを与え始めている。しかし、これらはすべて自然発生的に、そして自発的に起こっているため、この取り組みをより意識的、計画的、そして体系的にすることで、将来的には百倍にも強化することができる。
资本主义必然给社会主义留下的遗产,一方面是工人中间旧的、长期形成的职业上和手艺上的差异;一方面是各种工会,它们只有十分缓慢地、年复一年地才能发展成而且一定会发展成比较广泛的、行会气味比较少的产业工会(包括整个整个的生产部门,而不仅是包括同行、同业和同一手艺),然后经过这种产业工会,进而消灭人与人之间的分工,教育、训练和培养出全面发展的、受到全面训练的人,即会做一切工作的人。共产主义正在向这个目标前进,必须向这个目标前进,并且一定能达到这个目标,不过需要经过许多岁月。
列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第二一七页
資本主義は必然的に社会主義に二つの遺産を残す。一つは、労働者間の古くから続く職業的・技術的格差。もう一つは、様々な労働組合である。これらは年々ゆっくりと発展し、ギルドの影響の少ない比較的広範な産業別組合(同じ業種や専門分野だけでなく、生産部門全体を網羅する)へと確実に発展していくだろう。これらの産業別組合を通じて、個人間の分業は解消され、あらゆる仕事に対応できる、バランスの取れた訓練を受けた人材が教育、訓練、育成される。共産主義はこの目標に向かって進んでおり、向かわなければならない。そして、長い年月をかけて必ずや達成するだろう。
共产主义劳动,从比较狭窄和比较严格的意义上说,是一种为社会造福的无报酬的劳动,这种劳动不是为了履行一定的义务、不是为了享有取得某种产品的权利、不是按照事先规定的法定定额进行的劳动,而是自愿的劳动,是无定额的劳动,是不指望报酬、没有报酬条件的劳动,是根据为公共利益劳动的习惯、根据必须为公共利益劳动的自觉要求(这已成为习惯)来进行的劳动,这种劳动是健康的身体的自然需要。
列宁:《从破坏历来的旧制度到创造新制度》(一九二〇年四月),《列宁全集》第三十卷第四七五页
共産主義的労働とは、より狭義かつ厳密な意味では、社会に利益をもたらす無償労働である。この労働は、特定の義務を果たすためでも、特定の製品を得る権利を享受するためでも、あらかじめ定められた法定のノルマに従って労働するためでもない。むしろ、それは自発的な労働であり、制約のない労働であり、報酬や報酬条件を期待しない労働であり、公共の利益のために働くという習慣と、(習慣となった)公共の利益のために働くという意識的な要求に従って行われる労働である。このような労働は、健康な身体の自然な欲求である。
共产主义是社会主义发展的高级阶段,那时人们从事劳动都是由于觉悟到必须为共同利益而工作。
列宁:《在农业公社第一次代表大会上的演说》(一九一九年十二月),《列宁全集》第三十卷第一七四~一七五页
共産主義は社会主義発展の進んだ段階であり、人々は公共の利益のために働かなければならないことを認識して労働に従事する。
共产主义的道德就是为了把劳动者团结起来反对一切剥削和一切小私有制服务的道德。
列宁:《青年团的任务》(一九二○年十月),《列宁全集》第三十一卷第二六〇页
共産主義の道徳とは、あらゆる形態の搾取と小規模私有財産に反対して労働者を団結させる道徳である。
过去,全部人类的智慧、全部人类的天才创造,只是让一部分人独享技术和文化的一切成果,而另一部分人连切身需要的东西——教育和发展也被剥夺了。然而现在一切技术奇迹、一切文化成果都成为全国人民的财产,而且从今以后,人类的智慧和天才永远不会变成暴力手段,变成剥削手段。
列宁:《全俄工兵农代表苏维埃第三次代表大会》(一九一八年一月),《列宁全集》第二十六卷第四五一页
かつて人類の叡智と才能は、一部の限られた人々によって技術と文化の成果を独占的に享受するために利用され、他の人々は教育と発展という最も基本的な必要事項さえも奪われていた。しかし今、あらゆる技術の奇跡と文化的成果は国民全体の財産であり、この日を境に、人類の叡智と才能が暴力や搾取の手段として利用されることは二度とありえない。
只要资本的统治存在一天,那末任何平等,即使是小业主、农民使用全民土地的平等,都不能使人民摆脱贫困、失业和压迫。只有全体工人团结起来,在劳动者群众的支持下,才能粉碎压得各国工人喘不过气来的资本的桎梏。在社会主义社会里,自由和平等就不是骗人的空话;劳动者就不会因为小规模的单独经营而被分散;共同劳动积累起来的财富将造福人民群众,而不是压迫人民群众;劳动者的统治将消灭任何民族,宗教或异性之间的任何压迫。
列宁:《告选民书草案》(一九〇六年十一月),《列宁全集》第十一卷第二八四页
資本主義の支配が存在する限り、いかなる平等も、たとえ小規模事業主と農民が全人民の土地を平等に利用することであっても、人民を貧困、失業、抑圧から解放することはできない。すべての労働者が団結し、労働大衆の支持を得て初めて、各国の労働者を窒息させている資本の束縛を打ち破ることができる。社会主義社会において、自由と平等は空虚な言葉ではない。労働者は小規模な個人経営によって分散されることはなく、集団労働によって蓄積された富は人民を抑圧するのではなく、人民の利益となる。そして、労働者による支配は、いかなる国籍、宗教、性別による抑圧も排除する。
只有在共产主义社会中,当资本家的反抗已经彻底粉碎,当资本家已经消失,当阶级已经不存在(即社会各个成员在对社会生产资料的关系上已经没有什么差别)的时候,——只有在那个时候,“国家才会消失,才有可能谈自由”。只有在那个时候,真正完全的、真正没有任何禁止的民主才有可能,才会实现。也只有在那个时候,民主才开始消亡,道理很简单:人们既然摆脱了资本主义奴隶制,摆脱了资本主义剥削制所造成的无数残暴、野蛮、荒谬和卑鄙的现象,也就会逐渐习惯于遵守数百年来人们就知道的、数千年来在一切处世格言上反复谈到的、起码的公共生活规则,自动地遵守这些规则,而不需要暴力,不需要强制,不需要服从,不需要所谓国家这种实行强制的特殊机构。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二四一页
資本家の反抗がすでに最終的に打ち砕かれ、資本家がいなくなり、階級がなくなった(すなわち、社会的生産手段にたいする関係について、社会の成員のあいだに差別がなくなった)共産主義社会においてはじめて、「国家は消滅し、自由を語ることができるようになる」。そのときはじめて、ほんとうに完全な民主主義、ほんとうになんの例外例もない民主主義が可能になり、実現されるであろう。そして、そのときはじめて、民主主義は、つぎの単純な事情の結果、死滅しはじめるであろう。すなわち、資本主義的奴隷制から解放された人間、資本主義的搾取の数かぎりない恐ろしさ、野蛮、不合理、醜さから解放された人間は、何世紀ものあいだよく知られ、何千年というものあらゆる格言のなかでくりかえされてきた、共同生活の基礎的な規則をまもる習慣、暴力がなくても、強制がなくても、隷属関係がなくても、国家とよばれる特殊な強制機関がなくても、これらの規則をまもる習慣を、徐々に身につけるであろうということが、それである。
我们的最终目的是消灭国家,也就是消灭任何有组织有系统的暴力,消灭任何加在人们头上的暴力。我们并不期待一个不遵守少数服从多数的原则的社会制度。但是,我们在向往社会主义的同时,深信社会主义将发展为共产主义,而到那个时候就没有任何,必要对人们使用暴力,没有任何必要使一个人服从另一个人,使一部分居民服从另一部分居民,因为人们将习惯于遵守公共生活的起码条件,而不需要暴力和服从。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二三五页
我々は、国家の廃絶、すなわち、組織された系統的なあらゆる暴力の廃絶、一般に人間にたいするあらゆる暴力の廃絶を、終局目標としている。我々は、多数者に少数者が服従するという原則がまもられない社会秩序の到来を期待しているのではない。しかし、我々は、社会主義をめざしながらも、社会主義は共産主義へ成長転化すること、また、それにともなって、人間にたいする暴力一般の、ある人間の他の人間にたいする服従の、一部の住民の他の一部住民にたいする服従の必要はすべて消滅することを、確信している。なぜなら、人間は、暴力無しに服従なしに社会生活の基礎的諸条件をまもる習慣がつくだろうからである。
社会主义的目的不只是要消灭人类分为许多小国家的现象和各民族间的任何隔离状态,不只是要使各民族接近,而且要使各民族融合。
列宁:《社会主义革命和民族自决权》(一九一六年一~二月),《列宁选集》一九六五年版第二卷第七一九页
社会主義の目的は人類が多くの小さな国に分けられる現象と各民族間のいかなる隔離状態を消滅させるだけでなく、また各民族を接近させるだけでなく、各民族を融合させることである。
对于目前正在争取解放而战后已经有了进步表现的落后民族,国民经济的资本主义发展阶段是不可避免的说法究竟对不对。我们对这个问题的回答是否定的。如果革命胜利了的无产阶级对它们进行系统的宣传,而各国苏维埃政府以它所拥有的一切手段去帮助它们,那末,说落后民族无法避免资本主义发展阶段就不对了。在一切殖民地和落后国家,我们不仅应该组成能够独立进行斗争的基干队伍,即党的组织,不仅应该立即宣传组织农民苏维埃,设法使这种苏维埃适应资本主义前的条件,而且共产国际还应该指出,还应该从理论上说明,在先进国家无产阶级的帮助下,落后国家可以不经过资本主义发展阶段而过渡到苏维埃制度,然后经过一定的发展阶段过渡到共产主义。
列宁:《共产国际第二次代表大会:民族和殖民地问题委员会的报告》(一九二〇年七月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第三五五页
現在解放を目指して戦い、すでに進歩を見せている後進民族に対して、国民経済の資本主義発展段階は避けられないという説が正しいのかどうか。答えは「否」である。勝利したプロレタリア階級が組織的に後進国にメッセージを発信し、各国のソ連政府があらゆる手段を講じて後進国を支援するならば、後進国が資本主義段階への移行を回避できないと考えるのは誤りである。すべての植民地と後進国において、我々は自主闘争のできる中核勢力、すなわち党組織を組織し、農民ソヴィエトを速やかに組織・育成し、これを資本主義以前の状況に適応させるよう努めるだけでなく、先進国のプロレタリア階級の援助があれば、後進国は資本主義段階を経ずにソビエト体制に移行し、一定の発展段階を経て共産主義体制に移行できることを、共産主義インターナショナルは指摘し、理論的に説明すべきである。
社会主义不仅不窒息竞赛,反而破天荒第一次造成真正广泛地、真正大规模地运用竞赛的可能,吸引真正大多数劳动者参加工作,使他们能够在这种工作中大显身手,施展自己的本领,发挥自己的天才。
列宁:《怎样组织竞赛?》(一九一七年十二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第三九〇页
社会主義は競争を抑圧しないばかりか、史上初めて、真に広範囲かつ大規模な競争の適用の可能性を生み出し、労働者の大多数が労働に参加し、仕事において能力と才能を十分に発揮できるようにする。
工人自己发起和组织的共产主义星期六义务劳动具有极大的意义。显然,这还只是开端,但这是非常重要的开端。这是比推翻资产阶级更困难、更重大、更深刻、更有决定意义的变革的开端,因为这是战胜自身的保守、涣散和小资产阶级的利己主义,这是战胜万恶的资本主义遗留给工农的习惯。当这种胜利巩固起来时,而且只有那时,新的社会纪律、社会主义纪律才会建立起来;只有那时,退回到资本主义才不可能,共产主义才真正是不可战胜的。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第一页
労働者自らが主導し組織した共産主義的な土曜自発労働は、計り知れない意義を持つ。これは明らかに始まりに過ぎないが、極めて重要な始まりである。これはブルジョアジー打倒よりも困難で、より意義深く、より深遠で、より決定的な変革の始まりである。なぜなら、それはブルジョアジー自身の保守主義、分裂、そして小ブルジョア的利己主義に対する勝利であり、資本主義の弊害によって労働者と農民に残された習慣に対する勝利だからである。この勝利が確固たるものになった時、そしてその時初めて、新たな社会規律、社会主義的規律が確立される。その時初めて、資本主義への退行は不可能となり、共産主義は真に無敵となるのだ。
为了取得胜利,为了建立和巩固社会主义,无产阶级应当解决双重的或二位一体的任务:第一、用反对资本的革命斗争的无限英勇精神吸引全体被剥削的劳动群众,鼓舞他们,组织他们,领导他们去推翻资产阶级和完全粉碎资产阶级的一切反抗;第二、把全体被剥削的劳动群众以及所有小资产阶层引上新的经济建设的道路,引上建立新的社会联系、新的劳动纪律、新的劳动组织的道路,这种劳动组织把科学和资本主义技术的最新成果同创造社会主义大生产的自觉工作者的普遍联合结合起来。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第十二~十三页
プロレタリア階級は、勝利を収め、社会主義を樹立し、強化するために、二重の、あるいは二重に一組の任務を遂行しなければならない。第一に、すべての搾取されている労働者大衆を、資本に対する革命闘争の限りない英雄主義で惹きつけ、鼓舞し、組織し、指導し、ブルジョアジーを打倒し、そのすべての抵抗を完全に粉砕すること。第二に、すべての搾取されている労働者大衆とすべてのプチブルジョアジーを、新たな経済建設の道、すなわち科学と資本主義技術の最新成果を、社会主義的大量生産を生み出す意識ある労働者の普遍的な団結と結合した新たな社会的つながり、新たな労働規律、新たな労働組織を確立する道へと導くことである。
共产主义(其第一步为社会主义)的社会劳动组织则靠推翻了地主资本家压迫的劳动群众本身自由的自觉的纪律来维持,而且愈往前去就愈要靠这种纪律来维持。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第九页
共産主義(その第一歩は社会主義である)の社会的労働組織は、地主と資本家の抑圧を打倒した労働者大衆の自由で自覚的な規律によって維持されるものであり、共産主義が進むにつれて、この規律によって維持される必要性が増す。
要实现共产主义,绝对需要在全国范围内把劳动最高度地最严格地集中起来,这就要首先克服工人在职业上和地区上的散漫性和分散性,因为这种散漫性和分散性是资本有力量和劳动没有力量的根源之一。反对行会的狭隘性和局限性、反对行会的利己主义的斗争是与消灭城乡对立的斗争紧密联系着的,进行这一斗争有很大的困难,如果不预先大力提高人民的劳动生产率,要广泛地开展这一斗争是不可能的。
列宁:《俄共(布)党纲草案》(一九一九年二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第七八一页
共産主義を達成するには、全国的に労働力を最高度かつ最も厳格に集中させることが不可欠である。そのためには、まず労働者の職業的・地域的無秩序と分散を克服しなければならない。なぜなら、こうした無秩序と分散は、資本の力と労働力の不足の根本原因の一つだからである。ギルドの狭量さ、限界性、そして利己主義との闘争は、都市と農村の格差を解消するための闘争と密接に結びついている。この闘争は極めて困難であり、まず人民の労働生産性を大幅に向上させなければ、この闘争を大規模に遂行することは不可能である。
我们目前的任务就是要在经济方面实行民主集中制,保证铁路、邮电和其他交通运输等经济企业的工作有绝对的严整性和统一性;同时,真正民主意义上的集中制的前提是历史上第一次造成的这样一种可能性,就是不仅使地方的特点,而且使地方的首创性、主动精神和各种各样达到总目标的道路、方式和方法,都能充分顺利地发展。
列宁:《“苏维埃政权的当前任务”一文的初稿》(一九一八年三月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第四九九页
我々の現在の任務は、経済分野における民主集中制の実現であり、鉄道、郵便、その他の交通機関といった経済事業の運営において、絶対的な厳格さと統一性を確保することである。同時に、真の民主集中制の前提は、歴史上初めて、地域性だけでなく、地域の自主性、積極性、そして全体目標達成のための多様な道筋、方法、アプローチが、十分かつ円滑に発展する可能性が創出されたことである。
我们应当努力建成的国家,是要工人能够保持他们对农民的领导,保持农民对他们的信任,并厉行节约把自己社会关系中任何浪费现象的任何痕迹铲除干净。我们应当使我们的国家机关尽量节约。
列宁:《宁肯少些,但要好些》(一九二三年三月),《列宁全集》第三十三卷第四五四页
我々が目指すべき国家とは、労働者が農民に対する指導力を維持し、農民からの信頼を維持し、厳格な倹約を実践して社会関係における無駄を一切排除できる国家である。また、国家機関も可能な限り経済的に運営すべきである。
――★スターリン語録★――
要是对于共产主义社会做一个简略的解剖,那末它就是这样的一个社会:(甲)在那里不会有生产工具和生产资料的私有制,而只会有公有制、集体所有制;(乙)在那里不会有阶级和国家政权,而只会有工业和农业的劳动者,他们将成为劳动者自由联合体,在经济上自己管理自己;(丙)在那里按计划组织的国民经济,无论在工业方面或在农业方面,都是以高度技术为基础的;(丁)在那里不会有城乡的对立,不会有工业和农业的对立;(戊)在那里产品将按旧时法国共产主义者的原则实行分配,就是“各尽所能,各取所需”;(己)在那里科学和艺术将获得十分有利的发展条件,可以达到全盛的境地;(庚)在那里每个人将成为真正自由的人,不必为糊口而操心,也不必迎合“当代有权有势的人”。
斯大林:《和第一个美国工人代表团的谈话》(一九二七年九月),《斯大林全集》第十卷第一一七~一一八页
共産主義社会を簡単に分析すると、次のような社会となるであろう。(甲)生産手段の私有制は存在せず、公有制と集団所有制のみとなる。(乙)階級や国家権力は存在せず、工業労働者と農業労働者のみが自由な労働者組合を形成し、自ら経済的に自立して活動する。(丙)工業であれ農業であれ、高度な技術に基づく計画経済が構築される。(丁)都市と農村の格差も、工業と農業の格差もない。(戊)生産物の分配は、旧フランス共産主義者の原則、すなわち「各人の能力に応じて、各人の必要に応じて」に基づいて行われる。(己)科学と芸術の発展に極めて有利な条件が整い、それらが頂点に達する。(庚)生計を立てることに悩んだり、「時の権力者」に迎合したりする必要のない、真に自由な人間が存在する。
“完全适合”这种说法是不能在绝对的意义上来理解的。不能把这种说法理解为仿佛在社会主义制度下决没有生产关系落后于生产力的增长的现象。生产力是生产中最活动、最革命的力量。这种力量,就是在社会主义制度下也无可争辩地走在生产关系的前面。生产关系只是经过一些时候,才会被改造得适合于生产力的性质。
「完全適合」という表現は、絶対的な意味で理解することはできない。社会主義の下では、生産関係が生産力の成長に遅れをとるという現象が全く存在しないという意味に解釈することはできない。生産力は生産において最も積極的かつ革命的な力である。この力は、社会主義下においても、紛れもなく生産関係に先行する。生産関係は、時間の経過とともに、生産力の性質に適合するように変化するだけである。
既然这样,那末“完全适合”这种说法该怎样来理解呢?应该理解为在社会主义制度下,通常不会弄到生产关系和生产力发生冲突,社会有可能及时使落后了的生产关系去适合生产力的性质。社会主义社会有可能做到这点,是因为在这个社会中没有那些能够组织反抗的衰朽的阶级。当然,就是在社会主义制度下,也会有落后的惰性的力量,它们不了解生产关系有改变的必要,但是这种力量,当然不难克服,不致把事情弄到冲突的地步。
斯大林:《苏联社会主义经济问题》(一九五二年四月)
こうした状況を踏まえ、「完全適合」という表現をどのように理解すべきであろうか。それは、社会主義においては、生産関係と生産力との衝突が概ね回避され、社会は時代遅れの生産関係を生産力の性質に速やかに適応させることができるという意味だと理解すべきである。社会主義社会がこれを実現できるのは、抵抗を組織できる退廃的な階級が存在しないからだ。もちろん、社会主義下においても、生産関係の変革の必要性を理解しない後進的で不活発な勢力は存在するが、これらの勢力を克服することは難しくなく、衝突にまでエスカレートすることもないであろう。
马克思和恩格斯把无产阶级专政时期看做相当长久并充满革命搏斗和国内战争的时期,掌握政权的无产阶级在这个时期内采取经济上、政治上、文化上和组织上的种种必要措施,以便建立社会主义的新社会、没有阶级的社会、没有国家的社会,来代替资本主义的旧社会。
斯大林:《和第一个美国工人代表团的谈话》(一九二七年九月),《斯大林全集》第十卷第八十七~八十八页
マルクスとエンゲルスは、プロレタリア独裁の時代を、革命闘争と内戦に満ちた比較的長い時代と捉えた。この時代、権力を握ったプロレタリアは、古い資本主義社会に代わる、階級のない、国家のない新しい社会主義社会を樹立するために、あらゆる経済的、政治的、文化的、そして組織的な措置を講じた。
社会主义的经济实质和经济基础是什么呢?是不是在人间创造“天堂”使大家都心满意足呢?不,不是这样的。这是对社会主义经济实质的庸俗的、市侩的见解。建立社会主义的经济基础,就是把农业和社会主义工业结合为一个整体经济,使农业服从社会主义工业的领导,在农产品和工业品交换的基础上调整城乡关系,堵死和消灭阶级首先是资本藉以产生的一切孔道,最后造成直接消灭阶级的生产条件和分配条件。
斯大林:《再论我们党内的社会民主主义倾向》(一九二六年十二月),《斯大林全集》第九卷第二十一~二十二页
社会主義の経済的本質と基盤とは何か?誰もが満足できる地上の「楽園」を創造することなのか?いや、そうではない。それは社会主義の経済的本質に対する俗悪で利己的な見方である。社会主義の経済的基盤を確立するということは、農業と社会主義工業を統合した経済体系を構築し、農業を社会主義工業に従属させ、農産物と工業製品の交換を基盤とする都市と農村の関係を調整し、資本を中心とする階級の発生経路をすべて遮断・排除し、究極的には階級を直接的に消滅させる生産・分配条件を創造することを意味する。
社会主义,马克思主义的社会主义,不是要缩减个人需要,而是要竭力扩大和发展个人需要,不是要限制或拒绝满足这些需要,而是要全面地充分地满足有高度文化的劳动人民的一切需要。
斯大林:《在党的第十七次代表大会上关于联共(布)中央工作的总结报告》(一九三四年一月),《斯大林全集》第十三卷第三一八页
社会主義、マルクス主義の社会主義は、個人の需要を削減することではなく、それらを拡大し、発展させることを目指すことである。また、これらの需要を制限したり満たすことを拒否することではなく、高度な教育を受けた労働者のすべての需要を完全に包括的に満たすことである。
如果由此做出结论,说社会主义要求社会成员的需要都是平均的,相等的,一律的,要求他们的口味和个人生活都是一律的,说按马克思主义者的计划大家都应当穿一样的衣服,吃一样的和同量的饭食,那就是胡说八道,诬蔑马克思主义。现在应当了解,马克思主义是平均主义的敌人。马克思和恩格斯还在《共产党宣言》中就痛斥了原始的空想社会主义,因为它鼓吹“普遍的禁欲主义和粗鄙的平均主义”而称它为反动的社会主义。恩格斯在他的《反杜林论》一书中,用了整整一章来严厉批判杜林提出来和马克思主义的社会主义对立的那种“激进派的平均主义社会主义”。
斯大林:《在党的第十七次代表大会上关于联共(布、中央工作的总结报告》(一九三四年一月),《斯大林全集》第十三卷第三一四页
このことから、社会主義は社会構成員全員の需要が平等、均一、同一であること、嗜好や私生活が同一であること、そしてマルクス主義の計画によれば全員が同じ服を着て同じ量の食物を食べることを要求していると結論付けるならば、それは全くのナンセンスであり、マルクス主義に対する中傷となるだろう。マルクス主義は平等主義の敵であることが今や理解されるべきである。マルクスとエンゲルスは『共産党宣言』の中で、原始的ユートピア社会主義が「普遍的禁欲主義と粗野な平等主義」を主張するとして、これを反動的な社会主義として激しく非難した。エンゲルスは『反デューリング論』の中で、マルクス主義社会主義に対抗するデューリングの「急進的平等主義社会主義」を痛烈に批判するのに一章を費やした。
我国工业是整个国民经济体系中的领导因素,它带领着它引导着我国国民经济(包括农业)前进。它依照自己的面貌和模样改组我国整个国民经济,它领导农业,通过合作社把农民引上社会主义建设的轨道。但是我国工业,只有在不脱离农业,只有在不撇开我国积累的速度,不撇开我们所握有的资源和后备的情况下,才能光荣地完成这个领导和改造的使命。
斯大林:《关于苏联经济状况和党的政策》(一九二六年四月),《斯大林全集》第八卷第一二一页
工業は我が国の国民経済システムの主導的要素であり、国民経済(農業を含む)を導き、前進させる役割を担っている。工業は自らの特徴と産業モデルに基づいて国民経済全体を再構築し、農業を主導し、協同組合を通じて農民を社会主義建設の道へと導いている。しかし、我が国の工業が指導と変革の使命を輝かしく果たすためには、農業と不可分の関係を維持し、我が国の富の蓄積のスピードを軽視してはならず、我が国が保有する資源と埋蔵量を軽視してはならない。
不实行集体化,就不能把我国引上建成社会主义经济基础的康庄大道,就不能使千百万劳动农民摆脱贫困和愚昧。
斯大林:《第一个五年计划的总结》(一九三三年一月),《斯大林全集》第十三卷第一七二页
集団化なしには、我が国を社会主義経済基盤を築く大道に導くことはできないし、何百万もの勤労農民を貧困と無知から救い出すこともできない。
农民按其地位来说是非社会主义性的。但是,他们应当走上而且一定会走上社会主义的发展道路,因为除了和无产阶级结合,除了和社会主义工业结合,除了通过农民普遍合作化把农民经济引上社会主义发展的总轨道以外,没有而且不可能有其他足以使农民免于贫困和破产的道路。
斯大林:《论列宁主义的几个问题》(一九二六年一月),《斯大林全集》第八卷第七十九页
農民は非社会主義的な立場にある。しかし、彼らは必然的に社会主義発展の道を歩むべきであり、また歩むであろう。なぜなら、彼らを貧困と破産から救うには、プロレタリア階級と社会主義産業と団結し、農民の普遍的な集団化を通じて農民経済を社会主義発展の軌道に乗せる以外に道はなく、またそれ以外はあり得ないからである。
社会主义社会的必要条件是足够发达的生产力和人们的社会主义意识以及人们的社会主义教育。现存资本主义所有制阻碍着现代生产力的发展,如果估计到在未来社会中不会有这种所有制,那末显而易见,生产力一定会增长许多倍。
斯大林:《无政府主义还是社会主义?》(一九〇六年十二月),《斯大林全集》第一卷第三〇八页
社会主義社会の必要条件は、十分に発達した生産力、人々の社会主義的意識、そして人々への社会主義教育である。現在の資本主義的所有権は近代的生産力の発展を阻害している。将来の社会においてこのような所有権が存在しなくなると予想されるならば、生産力は明らかに何倍にも増大するだろう。
为了准备在实际上而不是在口头上过渡到共产主义,至少必须实现三个基本的先决条件。
1、必须切实保证的,不是生产力的神话般的“合理组织”,而是整个社会生产的不断增长,而生产资料生产的增长要占优先地位。
言葉による共産主義への移行ではなく、実際的な共産主義への移行に備えるためには、少なくとも3つの基本的な前提条件を満たす必要がある。
1、保証されるべきは、生産力の神話的な「合理的組織」ではなく、社会全体における生産の継続的な成長であり、生産手段の生産の成長が優先される。
生产资料生产的增长之所以必须占优先地位,不仅是因为这种生产应当保证自己的企业以及国民经济其他一切部门的企业所需要的装备,而且是因为没有这种生产就根本不可能实现扩大再生产。2、必须用有利于集体农庄因而也有利于整个社会的逐渐过渡的办法,把集体农庄所有制提高到全民所有制的水平,并且也用逐渐过渡的办法使产品交换制来代替商品流通,使中央政权或别的什么社会经济中心能够掌握社会生产的全部产品以利于社会。3、必须把社会的文化发展到足以保证社会一切成员全面发展他们的体力和智力,使社会成员都能获得足以成为社会发展中的积极活动分子的教育,都能自由地选择职业,不致由于现存的分工而终身束缚于某一种职业。
斯大林:《苏联社会主义经济问题》(一九五二年九月)
生産手段の生産の成長が優先されるのは、この生産が自国の企業と国民経済の他のあらゆる部門の企業に必要な設備を保証するためだけでなく、この生産なしには拡大再生産が不可能だからである。2、集団農場ひいては社会全体に利益をもたらす段階的な移行手法を用いて、集団農場の所有権を全人民所有の水準まで引き上げる必要がある。さらに、段階的な移行手法を用いて商品流通を商品交換制度に置き換え、中央政府またはその他の社会経済の中心が社会の利益のために社会で生産されるすべての製品を管理できるようにする必要がある。3、社会は、社会の構成員全員が身体的、知的能力を十分に発達させ、社会の発展に積極的に参加するのに十分な教育を受け、既存の分業体制によって特定の職業に生涯縛られることなく、自由に職業を選択できるように、十分な水準まで文化を発展させなければならない。
党知道英国、德国、美国的重工业是怎样建成的。它知道这些国家的重工业或者是靠巨额借款,或者是靠掠夺其他国家,或者是靠同时采用这两种办法建成的。党知道这些道路对于我们国家来说是行不通的。那末,它所指靠的究竟是什么呢?它所指靠的是我国本身的力量。它所指靠的是:我们既有苏维埃政权,又以土地、工业、运输业、银行和商业的国有化为依据,所以能够厉行节约以积累恢复和发展重工业所必需的充足的资金。党直截了当地说:这件事情需要有重大的牺牲,如果我们真想达到目的,我们就应该公开和自觉地忍受这种牺牲。党指靠用我国内部的力量实现这个任务,而不要外来的奴役性的信贷和借款。
斯大林:《第一个五年计划的总结》(一九三三年一月),《斯大林全集》第十三卷第一六一页
党は、イギリス、ドイツ、アメリカではどんな方法で電工業が建設されたかを知っていた。党は、これらの国の重工業は、多額の借款の助けによるか、他国の略奪によるか、あるいは同時に両者をもちいることかによって建設されたことを知っていた。党は、これらの方法はわが国にとってはとざされていることを知っていた。では党はなにをあてにしたか。党はわが国の自力をあてにしたのである。我々はソヴェト権力をもち、また土地・工業・運輸・銀行・商業の国有化に依拠しているので、我々は、きわめて厳重な節約政策をおこなって、重工業の復興と発展に必要な十分な資金を蓄積することができるという事情を、党はあてにした。この事業は非常な犠牲を必要とするが、目的をとげようとおもうなら、公然と意識的にこの犠牲をはらわなければならないと、党は率直にのべた。党は、外国からの借金奴的な借款やクレジットなしに、わが国の内部的な力でこの事業をおこすことを期待したのである。
厉行节约,积累为供给我国工业化所必需的资金,——这就是我们要建立重工业和实现五年计划所必须走的道路。
斯大林:《第一个五年计划的总结》(一九三三年一月),《斯大林全集》第十三卷第一六二页
倹約を実践し、我が国の工業化に必要な資金を蓄積すること。これこそが、重工業を建設し、五カ年計画を達成するために我々が進むべき道である。
我们既然是靠自己积累的资金过活,我们在花费所积累的资金方面就应该特别节省和审慎,尽力做到使每个戈比都用得合理,把每个戈比用到某一时期所绝对必需发展的事业上去。
斯大林:《联共(布)第十四次代表大会:中央委员会的政治报告》(一九二五年十二月),《斯大林全集》第七卷第二四九页
我々は自分自身で蓄積した金で生活しているのであるから、蓄積された金の支出にはとくにけちけちして、控えめでなければならない、そして一コペイカでも合理的に、つまり、その発展がそれぞれのあたえられた瞬間に、絶対に必要な事業に投資するように努力しなければならない。
必须采取一系列的办法来保护我们的积累不被分散,不被贪污,不被挪用在不必要的用途上,不离开我国工业建设的基本路线。第一、必须使我国工业计划不是按照官僚主义的臆想而是密切联系我国国民经济状况、联系对我国资源和后备的估计来制定的。不能在制定工业建设计划上落后于工业发展。但也不能向前跑得太远,脱离农业,不顾我国的积累速度。
したがって、我々の溶積をむだずかいしたり、着服したり、不必要な水路にもちさっていったり、わが工業の建設の基本線から脱線させたりすることから、その蓄積をまもりうるような、一連の措置をとることが必要である。第一に必要なことは、我々の工業計画が官僚主義的な考案としてではなく、わが国民経済の国の資源および予備の計算とかたく結びついて立てられることである。工業建設の計画化にあたって、工業の発展から立ちおくれてはならない。だが農業からはなれ、わが国における蓄積のテンポからそれて、先走りしてもいけない。
第二、必须自下而上地精简并健全我们国家机关和合作社机关、我们各人民委员部的机关和经济核算机关。・・・无论如何要用一切办法和一切手段来加以精简。最后,应该以认真的态度,以布尔什维克的精神从事这种工作,实行极严格的节约制度。
第二に必要なことは、わが国家機構と協同組合機構を、上から下までのわが人民委員部の諸機関と独立採算諸機関を縮小して簡素にし、安あがりにして健全にすることである。是が非でも、あらゆる方法で、あらゆる手段で、これを縮小し安あがりにしなければならない。最後に、この仕事に本腰をいれ、ボリシェヴィキ的にとりかかり、もっとも厳重な節約政策をおこなわなければならない。
第三、我们必须进行坚决的斗争来反对我们管理机关中和我们日常生活中的各种铺张现象,反对我们这里最近可以看到的对人民财产和国家后备所采取的犯罪的态度。我们这里现在盛行着一种放荡风气,就是毫无节制地庆祝各种节日,举行各种庆祝大会、纪念典礼、纪念碑揭幕式等等。几万几十万卢布白白糟蹋在这些“事业”上。……第四、我们必须和盗窃行为,和我们国家机关、合作社、工会以及其他机关里所谓“快乐的”盗窃行为进行不断的斗争。最后,我们必须进行一个运动来消灭工厂里的旷工现象,提高劳动生产率,巩固我们企业中的劳动纪律。
斯大林:《关于苏联经济状况和党的政策》(一九二六年四月),《斯大林全集》第八卷第一二〇~一二五页
第三に、我々に必要なことは、わが行政機関や我々の生活のなかにあるあらゆる種類のぜいたくや、最近わが国に見うけられる国富や国家の予備の犯罪的な取扱いにたいして、断固たる斗争を行うことある。いまわが国では、さまざまな祝宴、盛大な集会、記念祭、記念碑の除幕などのばかさわぎやか、狂宴がさかんにおこなわれている。数万、数十万ルーブリという金が、このような「事業」にむだずかいされている。第四に、我々に必要なことは、わが国家の諸機関や協同組合や労力組合などでの盗み、いわゆる「ほがらかな」盗みにたいして系統的な斗争をおこなうことである。最後に我々に必要なことは、工場、製造所で怠惰を一掃し、労力生産性を高め、わが企業における労力律を強化するために、政治闘争をおこなうことである。
问题不只限于并且不能只限于积累,还要善于合理地、节省地支出积累起来的后备,使人民的财产一个钱也不自费,使积累主要用在满足我国工业化最迫切需要的方面。没有这些条件,我们所积累的资金就有被贪污的危险,就有被分散地使用在和发展工业、推进整个国民经济毫无关系的各种大小开支上去的危险。善于合理地、节省地支出资金,——这是极其重要的艺术,并不是一下子就能掌握的。
斯大林:《关于苏联经济状况和党的政策》(一九二六年四月),《斯大林全集》第八卷第一一九页
しかし、問題は蓄積だけにつきるものではなく、また、つきることはできない。国富の一コペイカもむだにきえてなくなることがないように、また著積の利用がわが国の工業化というもっとも重要な要求を満足させる基本線にそっておこなわれるように、滞積された予備を合理的に、倹約して支出することができなければならない。これらの条件がなければ、我々は濡積された資金をつかいこんだり、工業の発展にも国民経済全体の躍進にも、なんの縁のないあらゆる種類の大小の支出の水路でそれを浪費してしまったりすることになりかねない。資金を合理的に儉約して支出する手腕、これは一挙にはあたえられない、きわめて重要な技術である。
社会主义在我国的胜利是可能的,可以认为建成社会主义经济基础的可能性是有保证的。这是不是说可以把这种胜利称为社会主义的完全胜利,最后胜利,这种胜利能保证正在建设社会主义的国家免除任何外来的危险,免除帝国主义武装干涉以及与之相联的复辟的危险呢?不,不是这个意思。在苏联建成社会主义的问题是战胜本国“民族”资产阶级的问题,社会主义的最后胜利问题是战胜世界资产阶级的问题。党告诉我们,一个国家的无产阶级单靠本身的力量是不能战胜世界资产阶级的。党告诉我们,为了使社会主义在一个国家内获得最后胜利,就必须战胜世界资产阶级或至少使之中立。党告诉我们,这样的任务只有靠几个国家的无产阶级才能完成。因此,社会主义在某一个国家内的最后胜利就意味着无产阶级革命至少在几个国家内的胜利。
斯大林:《再论我们党内的社会民主主义倾向》(一九二六年十二月),《斯大林全集》第九卷第二十三页
ところが、我々の結論は、わが国における社会主義の勝利は可能であり、社会主義の経済的土台を建殿しとげる可能性は保障されていると見なすことができる、というのである。だが、このことは、このような勝利を、社会主義の完全な勝利とか、最後の勝利とか、――すなわち建設されつつある社会主義の国を外部からのあらゆる危険から、帝国主義的干渉および、それと結びついた資本主義復活の危険から保障するような勝利とか、よぶことができるということを意味するであろうか。いな、意味しない。ソ同盟に社会主義を建設しとげるという問題が、自分たち「一国の」ブルジョアジーを克服するという問題である。とすれば、社会主義の最後の勝利という問題は、世界のブルジョアジーの克服という問題である。党は、自分自身の力だけで世界のブルジョアジーにうちかつことは、一国のプロレタリアートのなしえないところであると言う。党は、一国内で社会主義の最後の勝利をうるためには、世界のブルジョアジーの克服が、または、すくなくともその中立化が必要であると言う。党はまた、このような任務は、数ヵ国のプロレタリアートにして、はじめてたえうるところであると言う。だから、ある一国における社会主義の最後の勝利とは、すくなくとも数ヵ国におけるプロレタリア革命の勝利を意味する。




