三、阶级和阶级斗争 三、階級と階級闘争
資本家とはどのような存在か?
小ブルジョアとは何か?彼らにどう対処すべきか?
プロレタリア階級はなぜ階級闘争を行わなければならないのか?
最 高 指 示
社会主义社会是一个相当长的历史阶段。在社会主义这个历史阶段中,还存在着阶级、阶级矛盾和阶级斗争,存在着社会主义同资本主义两条道路的斗争,存在着资本主义复辟的危险性。要认识这种斗争的长期性和复杂性。要提高警惕。要进行社会主义教育。要正确理解和处理阶级矛盾和阶级斗争问题,正确区别和处理敌我矛盾和人民内部矛盾。不然的话,我们这样的社会主义国家,就会走向反面,就会变质,就会出现复辟。我们从现在起,必须年年讲,月月讲,天天讲,使我们对这个问题,有比较清醒的认识,有一条马克思列宁主义的路线。
毛主席:《在中国共产党八届十中全会上的讲话》(一九六二年九月),转引自《红旗》杂志一九六七年第十期社论《无产阶级专政下进行革命的理论武器》
社会主義社会は相当長期にわたる歴史的段階である。社会主義というこの歴史的段階においては、なお階級、階級矛盾と階級闘争が存在し、社会主義と資本主義との二つの道の闘争が存在し、資本主義復活の危険性が存在する。このような闘争の長期性と複雑性を認識しなければならない。警戒心を高めなければならない。社会主義教育をおこなわなければならない。階級矛盾と階級闘争の問題を正しく理解し、処理し、敵味方の矛盾と人民内部の矛盾を正しく区別し、処理しなければならない。さもなければ、我々のこのような社会主義国は、その反対の側にむかい、変質し、復活があらわれることになる。我々はいまから、この問題について、毎年語り、毎月語り、毎日語って、比較的はっきりした認識をもち、マルクス・レーニン主義の路線をもたなければならない。
――★マルクス=エンゲルス語録★――
到目前为止的一切社会的历史(确切地说,这是指有文字记载的历史。・・・随着这种原始公社的解体,社会开始分裂为各个独特的、终于彼此对立的阶级。——恩格斯注)都是阶级斗争的历史。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),一九六四年版第二十三页
これまでのすべての社会の歴史(正確に言えば、文字による記録がある歴史を指す。・・・このような原始共同体の解体とともに、社会は各々独自で、ついには互いに対立する階級に分裂し始めた。——エンゲルス注)は階級闘争の歴史である。
没有对抗就没有进步。这是文明直到今天所遵循的规律。到目前为止,生产力就是由于这种阶级对抗的规律而发展起来的。
马克思:《哲学的贫困》(一八四七年上半年),《马克思恩格斯全集》第四卷第一○四页
対抗がなければ進歩はない。これは文明が今日までに従ってきた法則である。これまで、生産力はこのような階級対抗の法則によって発展してきた。
将近四十年来,我们都非常重视阶级斗争,认为它是历史的直接动力,特别是重视资产阶级和无产阶级之间的阶级斗争,认为它是现代社会变革的巨大杠杆;所以我们决不能和那些想把这个阶级斗争从运动中勾销的人们一道走。
马克思恩格斯:《给奥・倍倍尔、威・李卜克内西、威・白拉克等人的通告信》(一八七九年九月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第一八九页
四十年来、我々は階級闘争を歴史の直接の動力として強調し、とりわけ、ブルジョアジーとプロレタリアートとのあいだの階級闘争を、現代の社会的変革の巨大なテコとして強調してきた。それゆえに、我々は、この階級闘争を運動から抹殺しようとするような人々とは、とうてい行動をともにすることはできない。
在现代历史中至少已经证明:任何政治斗争都是阶级斗争,而任何争取解放的阶级斗争,尽管它必然地具有政治的形式(因为任何阶级斗争都是政治斗争),归根到底都是围绕着经济解放进行的。
恩格斯:《费尔巴哈和德国古典哲学的终结》(一八八六年初),《马克思恩格斯全集》第二十一卷第三四五页
近代史は、少なくともあらゆる政治闘争は階級闘争であり、解放のためのあらゆる階級闘争は、その固有の政治的形態にもかかわらず(あらゆる階級闘争は政治闘争であるため)、最終的には経済的解放を中心に展開することを証明した。
两大社会阶级之间的斗争,必然会成为政治斗争。・・・在阶级反对阶级的任何斗争中,斗争的直接目的是政治权力;统治阶级保卫自己的最高政治权力,・・・被统治阶级首先争取一部分政治权力、然后争取全部政治权力,・・・
恩格斯:《工联》(一八八一年五月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第二八四页
二大社会階級間の闘争は、必然的に政治闘争となる。・・・階級対階級のいかなる闘争においても、その直接的な目的は政治権力であり、支配階級は自らの最高政治権力を守る・・被支配階級はまず一部の政治権力を獲得し、その後全ての政治権力を求める・・・
自从有工人运动以来,斗争是第一次在其所有三方面——理论方面、政治方面和实践经济方面(反抗资本家)互相配合,互相联系,有计划地进行着。德国工人运动所以强大有力和不可战胜,也正是由于这种可以说是向心的攻击。
恩格斯:《“德国农民战争”一八七〇年版序言的补充》(一八七四年七月),《马克思恩格斯全集》第十八卷第五六六页
労働運動発祥以来初めて、闘争は計画的に遂行され、理論、政治、そして実践的経済(資本家への抵抗)の三つの側面が協調し、相互に連携した。ドイツ労働運動の強さと無敵さは、まさにこの、いわば協同的な攻撃から生まれたものであった。
由于文明时代的基础是一个阶级对另一个阶级的剥削,所以它的全部发展都是在经常的矛盾中进行的。生产的每一进步,同时也就是被压迫阶级即大多数人的生活状况的一个退步。对一些人是好事的,对另一些人必然是坏事,一个阶级的任何新的解放,必然是对另一个阶级的新的压迫。
恩格斯:《家庭、私有制和国家的起源》(一八八四年三~五月),《马克思恩格斯全集》第二十一卷第二〇一页
文明時代の基礎はある階級の別の階級に対する搾取であるため、そのすべての発展は常に矛盾の中で行われている。生産のすべての進歩は、同時に抑圧された階級すなわち大多数の人々の生活状況の後退である。一部の人にとっては良いことであり、他の人にとっては悪いことであり、1つの階級のいかなる新しい解放も、必然的に別の階級に対する新しい抑圧である。
资本来到世间,就是从头到脚,每个毛孔都滴着血和肮脏的东西。
马克思:《资本论》一九六三年版第一卷第八三九页
資本は、頭から爪先まで、あらゆる毛穴から、血と汚物とをしたたらせながらこの世に生まれてくる
在资产阶级看来,世界上没有一样东西不是为了金钱而存在的,连他们本身也不例外,因为他们活着就是为了赚钱,除了快快发财,他们不知道还有别的幸福,除了金钱的损失,也不知道还有别的痛苦。
恩格斯:《英国工人阶级状况》(一八四四年九月~一八四五年三月),《马克思恩格斯全集》第二卷第五六四页
ブルジョワ階級の視点から見れば、この世に金銭のために存在しないものは何一つなく、彼ら自身も例外ではない。なぜなら彼らは金儲けのために生きているからだ。彼らは資本を増大させる以外の幸福を知らず、金銭を失うこと以外の苦しみを知らない。
资产阶级的统治建立以后,由于自己的处境而觉醒起来的工人,也会取得具有极端重要意义的进步;从这时起,起来反对现存制度的就不是单个工人,或者顶多几百几千个工人,而是他们全体、一个有着自己特殊利益和原则的统一的阶级,他们团结一致地按照总的计划行动,同自己最后一个最凶恶的敌人——资产阶级进行战斗。这次战斗的结局是十分清楚的。象贵族阶级和君主专制制度受到了中等阶级的致命打击一样,资产阶级一定要被无产阶级打倒。私有制也要和资产阶级一道被消灭,工人阶级的胜利将使一切阶级统治和等级统治一去不复返。
恩格斯:《保护关税制度还是自由贸易制度》(一八四七年六月),《马克思恩格斯全集》第四卷第六十九页
ブルジョア階級の支配が確立された後、労働者は自らの境遇に目覚め、また極めて重要な進歩を遂げるであろう。この時点から、既存の秩序に反抗して立ち上がるのは、個々の労働者、あるいはせいぜい数百人か数千人の労働者ではなく、彼ら全員が、独自の特別な利益と原則を持つ統一された階級として、全体計画に従って一致団結して行動し、彼らの最後のそして最も凶暴な敵であるブルジョア階級と闘うであろう。この戦いの結末ははっきりしている。貴族と絶対君主制が中産階級によって致命的な打撃を受けたように、ブルジョアジーはプロレタリア階級によって打倒されなければならない。私有財産もブルジョアジ階級とともに廃止され、労働者階級の勝利によってあらゆる階級と階層的支配は過去のものとなるであろう。
全部历史都是阶级斗争的历史,即社会发展各个阶段上被剥削阶级和剥削阶级之间、被统治阶级和统治阶级之间斗争的历史;而这个斗争现在已经达到这样一个阶段,即被剥削被压迫的阶级(无产阶级),如果不同时使整个社会永远摆脱剥削、压迫和阶级斗争,就不再能使自己从剥削它压迫它的那个阶级(资产阶级)下解放出来,・・・
恩格斯:《“共产党宣言”一八八三年德文版序言》(一八八三年六月),《马克思恩格斯全集》第二十一卷第三页
全歴史は階級闘争の歴史、すなわち、社会的発展のさまざまの段階における搾取される階級と搾取する階級、支配される階級と支配する階級のあいだの闘争の歴史であった。しかしいまやこの闘争は、搾取され圧迫される階級(プロレタリア階級)が、かれらを搾取し圧迫する階級(ブルジョア階級)から自分を解放しうるためには、同時に全社会を永久に搾取、圧迫、および階級闘争から解放しなければならないという段階にまで達した。
在当前同资产阶级对立的一切阶级中,只有无产阶级是真正革命的阶级。其余的阶级都随着大工业的发展而日趋没落和灭亡,无产阶级却是大工业本身的产物。
马克思恩格斯:《共产党宣言》(一八四七年十二月~一八四八年一月),一九六四年版第三十五页
現在ブルジョア階級と対立しているすべての階級の中で、プロレタリア階級だけが真の革命的階級である。残りの階級はいずれも大工業の発展に伴い没落と滅亡の一途をたどっているが、プロレタリア階級は大規模工業そのものの産物である。
只有现代大工业所造成的、摆脱了一切历来的枷锁——包括把它束缚在土地上的枷锁——并被驱进大城市的无产阶级,才能实行消灭一切阶级剥削和一切阶级统治的伟大社会变革。
恩格斯:《论住宅问题》(一八七二年五月~一八七三年一月)《马克思恩格斯全集》第十八卷第二四五页
土地に縛り付けられていたものも含め、すべての歴史的束縛から解放され、近代の大規模産業によって大都市に追いやられたプロレタリアートだけが、すべての階級的搾取とすべての階級的支配を排除する偉大な社会変革を遂行することができる。
工人阶级的解放只能是工人阶级本身的事业。不言而喻,工人阶级既不可能把自己解放的事业委托给资本家和大土地占有者,即它的敌人和剥削者,也不可能委托给小资产者和小农,小资产者和小农自己被大剥削者的竞争所窒息,除了站到大剥削者一边或站到工人一边以外,别无其他选择。
恩格斯:《一八九一年社会民主党纲领草案批判》(一八九一年六月),《马克思恩格斯全集》第二十二卷第二八〇页
労働者階級の解放は労働者階級そのものの事業でしかない。言うまでもなく、労働者階級は、その解放の大義を、その敵であり搾取者である資本家や大地主に委ねることはできないし、大搾取者との競争に窒息し、大搾取者の側か労働者の側に立つしか選択肢のない小ブルジョアジーや小農民に委ねることもできない。
革命的工人政党对于小资产阶级民主派的态度是这样的:同小资产阶级民主派一起去反对工人政党所要推翻的派别;小资产阶级民主派想要巩固本身地位来谋私利的时候,就要加以反对。
马克思恩格斯:《中央委员会告共产主义者同盟书》(一八五〇年三月),《马克思恩格斯全集》第七卷第二九一页
革命的な労働者政党は小ブルジョア民主派に対して次のような態度を取る:労働者党が打倒したい派閥に同じく反対する際には小ブルジョア民主派と協力し、小ブルジョア民主派が私利私欲のために自らの立場を強化しようとする場合にはこれに反対する。
工人阶级的解放应当是工人阶级自己的事情。所以,我们不能和那些公开说什么工人太缺少教育,不能自己解放自己,因而应当由仁爱的大小资产者从上面来解放的人们一道走。
马克思恩格斯:《给奥・倍倍尔、威・李卜克内西、威・白拉克等人的通告信》(一八七九年九月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第一八九~一九〇页
労働階級の解放は労働階級自身の仕事によってなされるべきである。したがって、私たちは公然と「労働者は教育が不足しており自己の解放をしえないので、慈悲深い大小のブルジョア階級によって上から解放されるべきだ」と言う人々と一緒に歩むことはできない。
小资产阶级是用漂亮的言词和吹嘘它要完成什么功绩来鼓励起义的;一当起义完全违背它的愿望而爆发起来,它就急于攫取权力;但它使用这种权力只是为了毁灭起义的成果。每当一个地方的武装冲突到了危急关头,小资产阶级就十分害怕所造成的、对他们是危险的局势:害怕接受了他们的浮夸的号召而认真武装起来的人民,害怕已经落在他们手里的政权,尤其是害怕他们被迫采取的政策会给他们自己、给他们的社会地位和他们的财产带来的后果。
恩格斯:《德国的革命和反革命》(一八五一年八月~一八五二年九月),《马克思恩格斯全集》第八卷第一〇七页
小ブルジョア階級は美辞麗句で蜂起を煽り立て、その成果を誇示する。彼らの意に反して蜂起が勃発すると、彼らは権力を掌握しようと躍起になるが、その権力は蜂起の成果を破壊するためにしか利用しない。ある地域で武力紛争が危機的状況に陥ると、小ブルジョア階級はそれがもたらす危険な状況に恐怖する。彼らの誇張された訴えに応じて真剣に武装した人々、彼らの手に落ちた権力、そしてとりわけ、彼らが採用せざるを得ない政策が、彼ら自身、彼らの社会的地位、そして彼らの財産に及ぼす影響を恐れるからである。
自一八三〇年起德国以及法国、英国的一切政治运动的历史向我们表明,这个阶级(指小资产阶级——编者注)在它还没有觉察出任何危险的时候,总是吹牛,爱讲漂亮话,有时甚至在口头上坚持最极端的立场;可是一旦面临小小的危险,它便胆小如鼠、谨小慎微、躲躲闪闪,
1830年以来のドイツ、フランス、イギリスにおけるあらゆる政治運動の歴史が示しているのは、この階級(小ブルジョア階級を指す―編集者注)は、危険を知らないときはいつも自慢ばかりで、大言壮語が好きで、ときには口先だけで極端な立場を主張することさえあるが、少しでも危険に直面すると臆病になり、用心深くなり、言い逃れをするようになる。
一旦其他的阶级郑重其事地响应和参加由它所发起的运动,它就显得惊恐万状、顾虑重重、摇摆不定;一旦事情发展到手执武器进行斗争的地步,它为了保存自己的小资产阶级的生存条件,就预备出卖整个运动,最后,由于它的不坚决,一旦反动派取得胜利,它总是特别受欺骗和受凌辱。
恩格斯:《德国维护帝国宪法的运动》(一八四九年八月~一八五〇年二月),《马克思恩格斯全集》第七卷第一三〇页
他の階級が真剣に自分たちの始めた運動に反応して参加すると、彼らは怯え、ためらい、動揺するようになる。ひとたび事態が武装闘争に発展すると、自らの小ブルジョア階級的生存条件を維持するために、運動全体を裏切ることもいとわない。そして最後に、その優柔不断さゆえに、反動派が勝利すると、いつもことさら欺かれ、屈辱を受けるのである。
长于吹牛的小资产阶级,在行动上十分无能,而且不敢作任何冒险。商业交易和信贷业务的细小规模,深深地影响到这个阶级的性格,使它缺乏魄力和进取心,所以它的政治活动也自然具有这些特点。
恩格斯:《德国的革命和反革命》(一八五一年八月~一八五二年九月),《马克思恩格斯全集》第八卷第一〇七页
小ブルジョア階級は、自慢話には長けているものの、行動力に乏しく、リスクを取る勇気など全くない。商業取引や信用取引の規模が小さいことが、この階級の性格に深く影響を与え、大胆さや野心を欠いている。したがって、彼らの政治活動にも、当然ながらこうした特徴が表れている。
工人阶级知道,他们必须经历阶级斗争的几个不同阶段。他们知道,以自由的联合的劳动条件去代替劳动受奴役的经济条件,需要相当一段时间才能逐步完成(这是经济改造);・・・他们知道,这个复兴事业将不断地遭到既得利益和阶级自私的反抗,因而被延缓、被阻挠。
马克思:《“法兰西内战”草稿》(一八七一年四~五月),《马克思恩格斯全集》第十七卷第五九四页
労働者階級は、階級闘争の様々な段階を経なければならないことを知っている。労働奴隷制という経済的条件を、労働の自由な組合という条件へと徐々に置き換えるには、相当な時間がかかることを彼らは知っている(これが経済変革である)。・・・彼らは、この復興が既得権益と階級的利己主義からの抵抗に絶えず遭遇し、遅延し、妨害されることを知っている。
在政治上为了一定的目的,甚至可以同魔鬼结成联盟,只是必须肯定,是你领着魔鬼走而不是魔鬼领着你走。
马克思:《科苏特、马志尼和路易一拿破仑》(一八五二年十一月),《马克思恩格斯全集》第八卷第四四三页
政治においては、特定の目的のために悪魔と同盟を結ぶことさえ可能であるが、悪魔に導かれているのではなく、その逆であることを確信していなければならない。
――★レーニン語録★――
所谓阶级,就是这样一些大的集团,这些集团在历史上一定社会生产体系中所处的地位不同,对生产资料的关系(这种关系大部分是在法律上明文规定了的)不同,在社会劳动组织中所起的作用不同,因而领得自己所支配的那份社会财富的方式和多寡也不同。所谓阶级,就是这样一些集团,由于它们在一定社会经济结构中所处的地位不同,其中一个集团能够占有另一个集团的劳动。
列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第十~十一页
いわゆる階級とは、歴史上一定の社会的生産システムの中での立ち位置も、生産手段に対する関係(その大部分は法律で明示的に規定されている)も、社会的労働組織の中での役割も異なり、従って支配する社会的財の受け取り方も多寡も異なる大集団である。いわゆる階級とは、ある社会経済構造における地位が異なるため、その中の1つの集団が別の集団の労働を占有することができる集団のことである
马克思主义要求我们对每个历史关头的阶级对比关系和具体特点,做出经得起客观检验的最确切的分析。我们布尔什维克总是努力执行这个要求,因为要对政策作科学的论证,这个要求是绝对必需的。
列宁:《论策略书》(一九一七年四月),《列宁全集》第二十四卷第二十三页
マルクス主義は、あらゆる歴史的転換点における階級対立と固有の特徴について、客観的な検証に耐えうる最も正確な分析を行うことを要求する。我々ボルシェビキは常にこの要求を満たすよう努める。なぜなら、それは政策の科学的正当性を証明するために絶対的に不可欠だからである。
进行政治分析首先应该提出阶级问题:是哪个阶级的革命?哪个阶级是反革命?
列宁:《只见树木不见森林》(一九一七年九月),《列宁全集》第二十五卷第二四五页
政治分析を行うにはまず階級問題を提起しなければならない:どの階級の革命的か?どの階級が反革命的か?
什么是阶级斗争?这就是一部分人反对另一部分人的斗争,无权的、被压迫的和劳动的群众反对特权的压迫者和寄生虫的斗争,雇工或无产者反对有产者或资产阶级的斗争。
列宁:《给农村贫民》(一九〇三年三月),《列宁全集》第六卷第三八三页
階級闘争とは何か?それは、ある集団と別の集団との闘争であり、無力な人々、抑圧された人々、そして労働者大衆と特権階級の抑圧者や寄生者との闘争であり、雇われ人やプロレタリアと富裕層やブルジョアジーとの闘争である。
恩格斯认为,社会民主主义运动的伟大斗争并不是有两种形式(政治的和经济的),——象在我国通常认为的那样,——而是有三种形式:与这两种斗争并列的还有理论的斗争。他对实践上和政治上都已经巩固的德国工人运动所作的指示,从现代各种问题和争论的观点看来是非常有教益的,・・・
列宁:《怎么办?》(一九〇一年秋~一九〇二年二月),《列宁选集》一九六五年版第一卷第三二九页
エンゲルスは、社会民主主義運動の偉大な闘争には、わが国でふつう考えられているような二つの形態(政治的なものと経済的なもの)があるのではなく、これらと並んで理論的な闘争という第三の形態がある、と考えている。実践的にも政治的にもすでに固められているドイツ労働者運動にたいして彼が与えた指示は、現代の諸問題や諸論争という観点から見て、きわめて教訓的である・・・
在人类历史上从未有过这样的事情:统治阶级和压迫阶级会自愿放弃自己统治的权利、压迫的权利以及从被奴役的农民和工人身上榨取成千上万的收入的权利。
列宁:《在第二届国家杜马中关于土地问题演说的草稿》(一九〇七年三月),《列宁全集》第十二卷第二六一页
支配階級と抑圧階級が自ら進んで自分の支配する権利、抑圧する権利、そして奴隷化された農民と労働者から何千何万もの収入を搾取する権利を放棄するようなことは、人類の歴史上には無い事である。
糟糕的社会主义者总以为资本家会立刻放弃自己的权利。这是不会的。世界上还没有这样善良的资本家。社会主义只有同资本主义作斗争才能发展。世界上还没有一个不经过斗争就自动下台的统治阶级。
列宁:《在勃列斯尼亚区工人代表会议上的演说》(一九一八年十二月),《列宁全集》第二十八卷第三四〇~三四一页
悪しき社会主義者は、資本家がすぐに権利を放棄すると常に思い込んでいる。しかし、そのようなことはありえない。さらに言えばそのような善良な資本家はこの世に存在しない。社会主義は資本主義との闘争を通してのみ発展する。闘争なしに自動的に権力を放棄する支配階級は、この世にかつて存在したことがない。
阶级斗争的原则是社会民主党的全部学说和全部策略的基础。
列宁:《小资产阶级的策略》(一九〇七年二月),《列宁全集》第十二卷第一五六页
階級闘争の原則は社会民主党のすべての学説と戦略の基礎である。
小资产阶级生来就是具有两面性的:一方面,它趋向无产阶级与民主主义;另一方面,它又趋向反动阶级,企图阻止历史行程,容易被专制制度的种种试探和诱惑手段(例如亚历山大三世所实行的“人民政策”)所欺骗,它能为了巩固自己的小私有者的地位而和统治阶级结成同盟来反对无产阶级。
列宁:《俄国社会民主主义者的任务》(一八九七年底),《列宁全集》第二卷第二八九页
小ブルジョア階級は本質的に二面性を持つ。一方ではプロレタリア階級と民主主義に傾倒し、他方では反動階級に傾倒し、歴史の進行を妨害しようとする。彼らは独裁体制の様々な誘惑や誘因(例えばアレクサンドル3世が実施した「人民政策」)に容易に騙される。小ブルジョア階級は、プロレタリア階級に対抗するために支配階級と同盟を結び、小規模な私有主としての地位を強化することもある。
小资产阶级的革命主义,也就是口头上来势汹汹,夸夸其谈,妄自尊大,实际上则是分离涣散、毫无头脑、空洞无物。
列宁:《新时代,新形式的旧错误》(一九二一年八月),《列宁全集》第三十三卷第一页
小ブルジョア階級の革命主義は口先だけで行動がなく、自慢と傲慢ばかりであり、実際上には断片的で、無秩序で、無知で、空虚である。
每一次历史上的独特变革,都在小资产阶级的动摇形式上引起某些变化。小资产阶级的动摇总是发生在无产阶级的周围,总是在一定程度上渗入无产阶级的队伍。
列宁:《新时代,新形式的旧错误》(一九二一年八月),《列宁全集》第三十三卷第一页
歴史上の独特な変革のたびごとに、小ブルジョア的な動揺の形式には何らかの変化が生じる。小ブルジョア的な動揺は、常にプロレタリアートの周囲で発生し、常に一定の程度でプロレタリアートの列の中へと浸透してくるのである。
只有无产阶级这一特殊阶级才能推翻资产阶级的统治,因为无产阶级生存的经济条件使它做好了推翻资产阶级统治的准备,使它有可能、有力量达到这个目的。资产阶级一方面分离和拆散农民及一切小资产者阶层,另一方面也使无产阶级团结、联合和组织起来。只有无产阶级,由于它在大生产中的经济作用,才能成为一切被剥削劳动群众的领袖,这些被剥削劳动群众受资产阶级的剥削、压迫和蹂躏往往比无产阶级更厉害,可是他们不能为自己的解放进行独立的斗争。
列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第一八三页
ブルジョアジーは、農民やすべての小ブルジョア層を分裂させ、ばらばらにするのに反して、プロレタリアートを結束させ、統一させ、組織化させる。プロレタリアートだけは――大規模生産で演じる彼らの経済的役割の結果――すべての勤労被搾取大衆の指導者となる能力をもっている。ところが、これらの大衆は、しばしばプロレタリアートにおとらず、いやそれ以上に、ブルジョアジーに搾取され、抑圧され、圧迫されているのに、自分の解放のために自主的に闘う能力をもたないのである。
在无产阶级夺取政权以后,无产阶级同资产阶级的阶级斗争并没有终止,相反地,这种斗争会变得更广泛、更尖锐和更残酷。
列宁:《关于共产国际第二次代表大会的基本任务的提纲》(一九二○年七月),《列宁全集》第三十一卷第一六六页
プロレタリア階級が権力を掌握した後も、プロレタリア階級とブルジョア階級の間の階級闘争は終わることはない。それどころか、この闘争はより広範囲に、より鋭く、より残忍なものとなるのである。
无产阶级专政不是阶级斗争的结束,而是阶级斗争在新形式中的继续。无产阶级专政是取得胜利、夺得政权的无产阶级进行阶级斗争,来反对已被打败但还没有被消灭、没有绝迹、没有停止反抗、反而加紧反抗的资产阶级。
列宁:《“关于用自由平等口号欺骗人民”出版序言》(一九一九年六月),《列宁全集》第二十九卷第三四三页
プロレタリア独裁は階級闘争の終焉ではなく、新たな形態での継続である。プロレタリア独裁とは、権力を掌握した勝利したプロレタリアが、敗北はしたが排除されたわけではなく、抵抗をやめたどころか、むしろ抵抗を激化させているブルジョア階級に対して繰り広げる階級闘争である。
在资本主义和共产主义中间隔着一个相当的过渡时期,这在理论上是毫无疑义的。这个过渡时期不能不兼有这两种社会经济结构的特点或特征。这个过渡时期不能不是衰亡着的资本主义与生长着的共产主义彼此斗争的时期,换句话说,就是已被打败但还未被消灭的资本主义和已经诞生但还非常脆弱的共产主义彼此斗争的时期。
列宁:《无产阶级专政时代的经济和政治》(一九一九年十月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第八十七页
資本主義と共産主義の間に相当な過渡期が存在することは、理論的には疑義の余地がない。この過渡期は、この二つの社会経済構造の特徴を両方兼ね備えざるを得ない。この過渡期は、衰退しつつある資本主義と成長しつつある共産主義が互いに闘う時期であるに違いない。言い換えれば、敗北したがまだ消滅していない資本主義と誕生したがまだ非常に脆弱な共産主義が互いに闘う時期である。
从资本主义过渡到共产主义是一整个历史时代。只要这个时代没有结束,剥削者就必然存着复辟希望,并把这种希望变为复辟行动。被推翻的剥削者不曾料到自己会被推翻,他们不相信这一点,不愿想到这一点,所以他们在遭到第二次严重失败以后,就以十倍的努力、疯狂的热情、百倍增长的仇恨来拚命斗争,想恢复他们被夺去的“天堂”,保护他们从前过着甜蜜生活、现在却被“平凡的贱民”弄得贫困破产(或者从事“平凡的”劳动・・・)的家庭。
列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十月~十一月),《列宁全集》第二十八卷第二三五~二三六页
資本主義から共産主義への移行は一つの歴史的な時代である。この時代が終わらない限り、搾取者は必ず復辟の希望を持ち、その希望を復辟への行動に変えるだろう。打倒された搾取者たちは、まさか自分が打倒されるとは思ってもいなかった。信じようともせず、考えたくもなかった。だからこそ、二度目の大敗北を喫した後、彼らは十倍の努力、狂乱の情熱、そして百倍の憎しみをもって必死に戦い、奪われた「楽園」を取り戻し、かつては甘い生活を送っていたが、今や「普通の庶民」(あるいは「普通の」労働に従事する人々)によって貧困と破産に追い込まれた家族を守ろうとしたのだ。
在无产阶级专政下,剥削者阶级,即地主和资本家阶级,还没有消失,也不可能一下子消失。剥削者已被击溃,可是还没有被消灭。他们还有国际的基础,即国际资本,他们是国际资本的一个分部。他们还部分地保留着某些生产资料,还有金钱,还有广泛的社会联系。他们反抗的劲头正由于他们的失败而增长了千百倍。管理国家、军事和经济的“艺术”,使他们具有很大很大的优势,所以他们的作用与他们在人口总数里所占的人数相比,要大得不可计量。被推翻了的剥削者反对胜利了的被剥削者的先锋队,即反对无产阶级的阶级斗争,变得无比残酷了。
列宁:《无产阶级专政时代晌经济和政治》(一九一九年十月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第九十五页
プロレタリア独裁の下では、搾取階級、すなわち地主と資本家は消滅したわけではなく、また、一挙に消滅させることもできない。搾取者たちは敗北したが、根絶されたわけではない。彼らはまた、国際的な基盤、すなわち国際資本を持ち、国際資本の一支部でもある。彼らはまた、ある程度の生産手段、お金、そして広範な社会的つながりを部分的に保持している。彼らの闘志は敗北によって千倍にも高まった。国家、軍隊、そして経済を操る彼らの「術」は彼らに計り知れない優位性を与え、その影響力は総人口に占める割合をはるかに超える。打倒された搾取者の先鋒と勝利した被搾取者との闘争であるプロレタリア階級との階級闘争は、信じられないほど残忍なものとなる。
现在我们经历着一个由资本主义到社会主义的最困难和最痛苦的过渡时期,这个时期在一切国家里都必然是很长的,我再说一遍,这是因为被压迫阶级的每一个胜利都会引起压迫者反抗和推翻被压迫阶级政权的新尝试。
列宁:《莫斯科工会和工厂委员会第四次代表会议》(一九一八年六月),《列宁全集》第二十七卷第四三五页
我々は今、資本主義から社会主義への最も困難で苦痛に満ちた移行期を迎えている。これはどの国においても必然的に長期にわたる期間である。繰り返すが、これは被抑圧階級のあらゆる勝利が、抑圧者による新たな抵抗と、被抑圧階級の体制打倒への試みを誘発するからである。
资产阶级在我国已被击败,可是还没有根除,没有消灭,甚至还没有彻底摧毁。因此,同资产阶级斗争的新的更高形式便提到日程上来了,由继续剥夺资本家的极简单的任务,转到一个更复杂和更困难得多的任务,就是要造成使资产阶级既不能存在,也不能再产生的条件。
列宁:《苏维埃政权的当前任务》(一九一八年三~四月),《列宁全集》第二十七卷第二二三页
我が国においてブルジョア階級は敗北したが、根絶やしにされたわけでも、消滅したわけでもなく、完全に滅ぼされたわけでもない。それゆえ、ブルジョア階級に対する闘争の新たな、より高度な形態が議題に上がった。それは、資本家から財産を収奪し続けるという極めて単純な課題から、ブルジョア階級が存在し、また再び生み出されることも不可能な条件を作り出すという、はるかに複雑で困難な課題へと移行したことである。
消灭阶级要经过长期的、艰难的、顽强的阶级斗争。在推翻资产阶级政权以后,在破坏资产阶级国家以后,在建立无产阶级专政以后,阶级斗争并不是消失(如旧社会主义和旧社会民主党中的庸人所想象的那样),而只是改变它的形式,在许多方面变得更加残酷。
列宁:《向匈牙利工人致敬》(一九一九年五月),《列宁全集》第二十九卷第三五二页
階級を消滅させるには、長く、困難で、粘り強い階級闘争が必要である。ブルジョア政権の打倒、ブルジョア国家の崩壊、そしてプロレタリア独裁の確立後も、階級闘争は(旧社会主義や旧社会民主主義の凡庸な人々が想像したように)消滅するわけではなく、単にその形態を変え、様々な点でより残酷になるだけである。
阶级斗争还在继续,只是改变了形式。这是无产阶级为了使旧的剥削者不能卷土重来,使分散的愚昧的农民群众联合起来而进行的阶级斗争。阶级斗争在继续,我们的任务就是要使一切利益都服从这个斗争。
列宁:《青年团的任务》(一九二○年十月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第三七三页
階級闘争は、ただ形を変えて続いている。それは、かつての搾取者たちの復活を阻止し、散り散りになった無知な農民大衆を団結させるために、プロレタリアートが繰り広げる階級闘争である。階級闘争は続いており、我々の課題は、あらゆる利害をこの闘争に従属させることである。
是的,我们推翻了地主和资产阶级,扫清了道路,但是我们还没有建成社会主义大厦。旧的一代被清除了,而在这块土壤上还会不断产生新的一代,因为这块土壤过去产生过、现在还在产生许许多多资产者。有些人象小私有者一样看待对资本家的胜利,他们说:“资本家已经捞了一把,现在该轮到我了。”可见他们每一个人都是产生新的一代资产者的根源。
列宁:《全俄中央执行委员会会议》(一九一八年四月),《列宁全集》第二十七卷第二七五页
確かに、我々は地主とブルジョワジーを打倒し、道を切り開いた。しかし、社会主義の礎はまだ築かれていない。旧世代は消滅したが、この土壌からは新たな世代が生まれ続けるだろう。なぜなら、この土壌は過去も現在も多くのブルジョワ階級を生み出してきたし、これからも生み出し続けるからである。資本家や小規模個人事業主に対する勝利を「資本家はすでに財を築いた。今度は私の番だ」と考える人もいる。彼ら一人ひとりが、新たな世代の資本家を生み出す源泉となっていることは明らかである。
阶级还存在,而且在任何地方,在无产阶级夺取政权之后都还要存在好多年。・・・消灭阶级不仅意味着要驱逐地主和资本家,——这个我们已经比较容易地做到了,——而且意味着要消灭小商品生产者,可是对于这种人不能驱逐,不能镇压,必须同他们和睦相处;可以(而且必须)改造他们,重新教育他们,这只有通过很长期、很缓慢、很谨慎的组织工作才能做到。
列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第二一一~二一二页
プロレタリア階級が権力を掌握した後も、長い年月にわたって階級はどこにでも存在し続けるだろう。・・・階級をなくすということは、地主や資本家を排除するだけでなく――これは既に比較的容易に実現している――小規模商品生産者も排除することを意味する。しかし、そのような人々を排除したり抑圧したりすることは不可能である。我々は彼らと共存しなければならない。彼らを改革し、再教育することは可能であり、またそうしなければならない。それは、非常に長く、非常にゆるやかな、そして非常に慎重な組織的作業を通してのみ実現できる。
在任何深刻的革命中,多年内对被剥削者还保持着巨大的事实上的优势的剥削者,照例要进行长期的、顽强的、拚命的反抗。剥削者没有在最后的、拚命的战斗中,在多次战斗中,试验自己的优势以前,决不会象甜蜜蜜的傻瓜考茨基所甜蜜蜜地幻想的那样,服从被剥削者多数的决定。
列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十~十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第六六一页
いかなる重大な革命においても、長年にわたり被搾取者に対して事実上の優位を維持してきた搾取者は、必ずや長期にわたる粘り強い、そして必死の抵抗を繰り広げる。心優しい愚か者カウツキーが甘美に想像したように、搾取者は、自らの優位性を最後の、そして必死の戦い、幾度となく繰り返される戦いで試すまでは、被搾取者の多数派の決定に決して屈しないだろう。
无产阶级一刻也不应当忘记,阶级斗争在一定的条件下要采取武装斗争和国内战争的形式;有时候无产阶级的利益要求在公开的战斗中坚决无情地歼灭敌人。
列宁:《公社的教训》(一九○八年三月),《列宁全集》第十三卷第四五六页
プロレタリア階級は、階級闘争が一定の条件下では武装闘争や内戦の形をとることを決して忘れてはならない。時にはプロレタリア階級の利益が、敵を公然と戦闘で断固として容赦なく殲滅することを要求することもある。
我们的任务是要战胜资本家的一切反抗,不仅是军事上和政治上的反抗,而且是最深刻、最强烈的思想上的反抗。
列宁:《在全俄省、县国民教育厅政治教育局工作会议上的讲话》(一九二○年十一月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第三八九页
我々の任務は、軍事的、政治的な抵抗だけでなく、最も深く強力なイデオロギー的抵抗も含め、資本家からのあらゆる抵抗に勝利することである。
社会主义革命不是一次行动,不是一条战线上的一次战斗,而是充满了剧烈的阶级冲突的整整一个时代,是在一切战线上,也就是说,在经济和政治的一切问题上的长长一系列的战斗,这些战斗只有靠剥夺资产阶级才能完成。
列宁:《社会主义革命和民族自决权》(一九一六年一~二月),《列宁选集》一九六五年版第二卷第七一七页
社会主義革命は、単一の行動ではなく、単一の戦線での単一の戦闘でもなく、激しい階級闘争に満ちた一時代であり、あらゆる戦線、つまりあらゆる経済的、政治的問題での長期にわたる一連の戦闘であり、ブルジョアジーの所有権を剥奪することによってのみ達成できるものである。
只有首先分析了从一个时代转变到另一个时代的客观条件,才能够了解我们面前发生的极其重大的历史事件。这里谈的是历史上的大时代,无论过去或将来,每个时代都有个别的、局部的、时而前进时而后退的运动,都有脱离一般运动和运动的一般速度的各种倾向。
そして、我々の眼前でおこっている、最大に重要な歴史的事件は、まず第一に、一つの時代から他の時代への過渡期の客観的条件が分析されてはじめて、理解されうるのである。いまここでは大きな歴史的時代が問題にされている。それぞれの時代には、ときには前進的な、ときには後退的な、個々の部分的な運動があるし、将来もあるであろうし、運動の平均的な型や平均的なテンポからの、さまざまな偏差があるし、将来もあるであろう。
我们无法知道,这个时代的某些历史运动的发展会有多么快,有多么顺利,但是我们能够知道,而且确实知道,哪一个阶级是这个或那个时代的中心,决定着时代的主要内容、时代发展的主要方向、时代的历史背景的主要特点等等。
我々は、当の時代の個々の歴史的運動がどんな速度で、どんな成功率で発展していくかを知ることはできない。しかし、我々は、どんな階級があれこれの時代の中心に立ち、時代の主要な内容、時代の発展の主要な方向、その時代の歴史的情勢の主要な特殊性等々を規定するかということを知ることができるし、また知っている。
只有在这种基础上,即首先估计到区别不同“时代”的基本特征(而不是个别国家历史上的个别情节),我们才能够正确地制定自己的策略;只有认清了这个时代的基本特征,我们才能以此为根据来估计这国或那国的更详细的特点。
列宁:《打着别人的旗帜》(一九一五年二月),《列宁全集》第二十一卷第一二三~一二四页
これを基盤にしてはじめて、すなわちまず第一に、いろいろな「時代」の区別の基本的な特徴(個々の国の歴史の個々の挿話でなく)を、考慮にいれてはじめて、我々は自分の戦術を正しく策定することができる。そしてその時代の基本的な特徴を知ることだけが、あれこれの国のいっそう詳細な特殊性を考慮する基盤となりうるのである。
只要存在着资本主义和社会主义,它们就不能和平相处,最后不是这个胜利,就是那个胜利;不是为苏维埃共和国唱挽歌,就是为世界资本主义唱挽歌。
列宁:《在俄共(布)莫斯科组织积极分子大会上的演说》(一九二○年十二月),《列宁全集》第三十一卷第四一六页
資本主義と社会主義が存在する限り、両者は平和的に共存することはできない。最終的にはどちらかが勝利するであろう。それはソヴィエト共和国の挽歌か、世界資本主義の挽歌か、そのどちらかとなるだろう。
一支军队不准备掌握敌人已经拥有或可能拥有的一切武器、一切斗争手段和方法,谁都会认为这种行为是愚蠢的甚至是犯罪的。但是,这一点对于政治比对于军事更为重要。
列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二○年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第二六三页
敵が既に保有している、あるいは保有する可能性のある武器、戦闘手段、そして戦術をすべて獲得しようとしない軍隊は、誰からも愚か、あるいは犯罪的であるとみなされるだろう。しかし、これは軍事よりも政治においてより重要である。
所有一切压迫阶级,为了维持自己的统治,都需要有两种社会职能:一种是刽子手的职能,另一种是牧师的职能。刽子手镇压被压迫者的反抗和暴动。牧师安慰被压迫者,给他们描绘一幅在保存阶级统治的条件下减少痛苦和牺牲的远景(这些话说起来就特别容易,因为不用担保“实现”这种远景・・・),从而使他们忍受这种统治,使他们放弃革命行动,冲淡他们的革命热情,破坏他们的革命决心。
列宁:《第二国际的破产》(一九一五年五~六月),《列宁全集》第二十一卷第二〇八页
あらゆる抑圧階級は、自らの支配を維持するために、二つの社会的機能を必要とする。それは、処刑人としての機能と牧師としての機能である。処刑人は被抑圧者の抵抗と蜂起を鎮圧する。牧師は被抑圧者を慰め、苦しみと犠牲が軽減されながらも階級支配が維持される未来像を描く(これは、その未来像が「実現」される保証がないため、特に言いやすいのだが・・・)。こうして被抑圧者は支配に耐え、革命的行動を放棄させ、革命的熱意を薄め、革命的決意を弱めていく。
宗教是麻醉人民的鸦片,・・・现代所有的宗教和教会、各式各样的宗教团体,都是资产阶级反动派用来捍卫剥削制度、麻醉工人阶级的机构。
列宁:《论工人政党对宗教的态度》(一九〇九年五月),《列宁全集》第十五卷第三七六页
宗教は人民を麻痺させるアヘンである、・・・現代のすべての宗教と教会、そしてあらゆる種類の宗教組織は、ブルジョア階級の反動派が搾取体制を守り、労働者階級を麻痺させるために利用する機関である。
在以阶级划分为基础的社会中,敌对阶级之间的斗争(发展到一定的阶段)势必变成政治斗争。各阶级政治斗争的最严整、最完全和最明显的表现就是各政党的斗争。无党性就是对各政党的斗争漠不关心。但是,这种漠不关心并不等于保持中立,也不等于拒绝斗争,因为在阶级斗争中不可能有中立者,・・・在资产阶级社会中,无党性不过是依附于饱食者的政党、统治者的政党、剥削者的政党的一种虚伪、隐蔽和消极的表现。
列宁:《社会主义政党和非党的革命性》(一九○五年十一~十二月),《列宁全集》第十卷第五十八页
階級社会においては、対立する階級間の闘争(ある段階まで発展すると)は必然的に政治闘争へと転化する。階級間の政治闘争の最も厳格で、完全で、明白な現れは、政党間の闘争である。無党派主義とは、政党間の闘争への無関心を意味する。しかし、この無関心は中立を意味するわけでも、闘争を拒否することを意味するわけでもない。なぜなら、階級闘争において中立はあり得ないからである・・・。ブルジョア社会において、無党派主義とは、裕福な者、支配者、搾取者に従属する政党の、偽善的で、隠蔽された、受動的な表れに過ぎない。
没有一个活着的人能够不站到这个或那个阶级方面来(既然他懂得了它们的相互关系),能够不为这个或那个阶级的胜利而高兴,为其失败而悲伤,能够不对于敌视这个阶级的人、对于散布落后观点来妨碍其发展以及其他等等的人表示愤怒。
列宁:《我们究竟拒绝什么遗产?》(一八九七年底),《列宁全集》第二卷第四七一页
生きている人間であれば、この階級やあの階級の相互関係を理解している限り、その階級の味方をせずにはいられないし、この階級やあの階級の勝利を喜ばずにはいられないし、その敗北を嘆き悲しまずにいられないし、その階級に敵対する者や、その発展を妨害するために後進的な思想を広める者などに怒りを覚えずにはいられない。
政治上的冷淡态度就是政治上的满足。饱食者对一小块面包表示出“冷淡”和“漠不关心”,饥饿者在关于一小块面包的问题上永远是“有党性的”。对一小块面包“冷淡和漠不关心”,并不是说这个人不需要面包,而是说这个人已经永远不愁面包,永远不缺少面包,而是说他牢牢地依附于饱食者的“政党”。在资产阶级社会中,无党性不过是依附于饱食者的政党、统治者的政党、剥削者的政党的一种虚伪、隐蔽和消极的表现。
列宁:《社会主义政党和非党的革命性》(一九○五年十一~十二月),《列宁全集》第十卷第五十八页
政治的な無関心とは、政治的な満足のことである。飽食している者は、一切れの中パンに対して「冷淡」であり「無関心」でいられるが、飢えている者は、一切れのパンの問題については常に「党派的」である。一切れのパンに対して「冷淡で無関心」であるということは、その人がパンを必要としていないということではなく、その人がパンに事欠くことがなく、常にパンを手にできる状態にあることを意味している。つまり、彼は飽食者の「政党」にしっかりと身を寄せているのである。ブルジョア社会において、無党性とは、飽食者の政党、支配者の政党、剥削者の政党に依存していることの、偽善的で隠蔽された受動的な表現にすぎない。
一般小资产阶级,其中包括农民,要觉悟到自己的力量、自己领导经济和政治的一切企图,最后都遭到了破产。或者受无产阶级领导,或者受资本家领导,中间道路是没有的。一切梦想中间道路的人都是空想家,都是幻想者。
列宁:《在全俄运输工人代表大会上的演说》(一九二一年三月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第五一七页
一般的に言えば、農民を含む小ブルジョア階級は、自らの権力と経済・政治における主導権を実現しようと試みるが、最終的には失敗する。彼らはプロレタリア階級か資本家によって指導される。中道などいうものは存在しない。中道を夢見る者はすべて夢想家、空想家である。
如果我们恰恰回避或掩饰最重要的东西,即镇压资产阶级反抗的工作——在向社会主义过渡时期中最艰巨、最需要斗争的工作,那末,从科学的观点来看便是完全不正确的、完全不革命的。“社会”神甫和机会主义者总是情愿幻想未来的和平社会主义,但是他们与革命社会民主党人不同的地方,正在于他们不愿意想,不愿意考虑为实现这个美好的未来而进行的残酷的阶级斗争和阶级战争。
列宁:《无产阶级革命的军事纲领》(一九一六年九月),《列宁选集》一九六五年版第二卷第八七八~八七九页
最も重要なこと、すなわちブルジョア階級の抵抗を鎮圧するという、社会主義への移行期における最も困難で闘争を要する作業を避けたり誤魔化したりするならば、科学的観点からすれば、それは全く誤りであり、全く非革命的である。「社会」聖職者や「社会」日和見主義者は、常に未来の平和的な社会主義を空想することを好むが、彼らを革命的な社会民主主義者と区別するのは、この明るい未来を実現するために必要な、残忍な階級闘争や階級戦争について考えたり検討したりすることを彼らが望まない点である。
――★スターリン語録★――
马克思说过:任何阶级斗争都是政治斗争。这就是说,今天无产者和资本家之间进行着经济斗争,明天他们也不得不进行政治斗争,他们就这样用双重性的斗争来保护自己的阶级利益。
斯大林:《阶级斗争》(一九〇六年十一月),《斯大林全集》第一卷第二五九页
マルクスは、あらゆる階級闘争は政治闘争であると述べた。これは、今日プロレタリア階級と資本家は経済闘争に従事しているが、明日には政治闘争にも従事しなければならないことを意味する。彼らはこの二重の闘争を利用して自らの階級的利益を守っている。
现代社会生活的轴心是阶级斗争。在这个斗争进程中,每个阶级都以自己的思想体系为指南。资产阶级自己的思想体系,这就是所谓自由主义。无产阶级也有自己的思想体系,大家知道,这就是社会主义。
斯大林:《无政府主义还是社会主义》(一九〇六年六~七月),《斯大林全集》第一卷第二七一页
現代社会生活の軸は階級闘争である。この闘争において、各階級はそれぞれ独自のイデオロギーによって導かれる。ブルジョア階級は独自のイデオロギー、すなわち自由主義を持っている。プロレタリア階級もまた独自のイデオロギー、すなわち誰もが知っているように社会主義を持っている。
历史上还没有过垂死的阶级自动退出舞台的事情。历史上还没有过垂死的资产阶级不试图用尽全部残余的力量来卫护自己的生存的事情。
斯大林:《论联共(布)党内的右倾》(一九二九年四月),《斯大林全集》第十二卷第三十五页
歴史上、死にゆく階級が自ら舞台から退いたことは一度もない。また、歴史上、死にゆくブルジョワ階級が自らの生存を守るために残された力を尽くそうとしなかったことも一度もない。
从来没有过而且将来也不会有这样的事情:垂死的阶级自愿放弃自己的阵地而不企图组织反抗。从来没有过而且将来也不会有这样的事情:在阶级社会中,工人阶级不经过斗争和波折就能向社会主义前进。
斯大林:《联共(布)中央全会:论工业化和粮食问题》(一九二八年七月),《斯大林全集》第十一卷第一五〇页
抵抗を組織しようとすることなく、自らの立場を放棄する死にゆく階級は、かつて存在したことはなく、これからも決して存在しないであろう。階級社会において、闘争や挫折なしに社会主義へと前進する労働者階級は、かつて存在したことはなく、これからも決して存在しないであろう。
当然,旧制度是在毁坏,在解体。这是真的。然而人们正在作新的挣扎,正在用另一些方法、用所有的办法来捍卫、拯救这个正在灭亡的制度,这也是真的。・・・一种社会制度被另一种社会制度所代替,是一个复杂的长期的革命过程。这并不简单地是自发的过程,这是斗争,这是与阶级冲突相联系的过程。资本主义已经腐朽了,但是不能把它简单地跟一棵已经十分腐朽、自己一定会倒在地上的树相比。不,革命,一种社会制度被另一种社会制度所代替,总是斗争,是痛苦的残酷的斗争,是你死我活的斗争。每当新世界的人们得到了政权,他们就应该防卫旧世界用暴力恢复旧制度的企图,新世界的人们总是应该保持戒备,准备回击旧世界对新世界的侵犯。
斯大林:《和英国作家赫・乔・威尔斯的谈话》(一九三四年七月)
もちろん、旧体制は衰退し、崩壊しつつある。それは事実である。しかし、人々がこの死にゆく体制を守り、救うために、あらゆる手段を用いて新たな闘争を展開していることも事実である。・・・ある社会体制が別の社会体制に置き換わることは、複雑で長期にわたる革命過程である。これは単なる自然発生的な過程ではなく、闘争であり、階級闘争と結びついた過程である。資本主義は腐敗しているが、既に腐って倒れる木に単純に例えることはできない。革命、つまりある社会体制が別の社会体制に置き換わることは常に闘争であり、苦痛に満ちた残酷な闘争であり、生死をかけた闘争である。新世界の人々が権力を握るときはいつでも、旧世界が旧体制を暴力的に復活させようとする試みに警戒しなければならない。新世界の人々は常に警戒を怠らず、新世界に対する旧世界の侵略に報復する準備をしておかなければならない。
我们有些同志既然看不见戴上新的假面具的阶级敌人,既然不善于揭穿他们的欺骗手腕,就往往安慰自己说,世界上已经没有富农了,农村中的反苏维埃分子已经由于消灭富农阶级政策的实行而被消灭了,・・・同志们,这是一个极大的错误。富农被击溃了,可是还远没有被彻底消灭。而且,如果共产党员泰然自若,打起瞌睡来,以为富农会按所谓自发的发展方式自己跑进坟墓去,那末富农是不会很快就被彻底消灭的。
斯大林:《关于农村工作》(一九三三年一月),《斯大林全集》第十三卷第二〇五~二〇六页
我々の同志の中には、階級の敵が新たな仮面を被っているのが見抜けず、またその欺瞞戦術を暴くのが苦手な者がいるため、しばしば「もはや世界に富農はいない」「富農撲滅政策の実施により、地方の反ソ分子は消滅した」などと自らを慰めている者がいる。・・・同志諸君、これは大きな誤りである。富農は打倒されたが、完全なる撲滅には程遠い。さらに、共産党員が、いわゆる自発的発展モデルに従って富農は自ら墓場へ向かうだけだと考えて、油断して居眠りしているのであれば、富農はそうすぐには完全に排除されないだろう。
不通过残酷的阶级斗争能不能排挤资本家,铲除资本主义的根柢呢?不,不能。依靠资本家长入社会主义的理论和实践能不能消灭阶级呢?不,不能。这样的理论和实践只能培植阶级并使阶级永久存在,因为这个理论是和马克思主义的阶级斗争理论相矛盾的。
斯大林:《论联共(布)党内的右倾》(一九二九年四月),《斯大林全集》第十二卷第三十页
残酷な階級闘争なしに、資本家を排除し、資本主義の根を絶つことはできるだろうか?いや、できない。資本家に頼って社会主義を達成するという理論と実践は、階級を消滅させることができるだろうか?いや、できない。そのような理論と実践は、階級を育成し、永続させるだけである。なぜなら、この理論はマルクス主義の階級闘争理論と矛盾するからである。
托洛茨基分子活动的基本方法,不是公开而诚实地在工人阶级中间宣传自己的观点,而是掩饰自己的观点,卑躬屈节和阿谀逢迎地颂扬自己敌人的观点,假仁假义和口是心非地诋毁他们自己的观点。
斯大林:《论党的工作缺点和消灭托洛茨基两面派及其他两面派的办法》(一九三七年三月)
トロツキストの活動の基本的な方法は、労働者階級の間で自分たちの見解を公然と誠実に推進することではなく、自分たちの見解を隠し、敵にへつらっておだて、偽善的に不誠実に自分たちの見解を中傷することであった。
现在的暗害分子和破坏分子,托洛茨基分子,大部分都是党员,衣袋里装着党证,所以这些人表面上看来并不是异己分子。如果说旧的暗害分子公开反对我们,那末,相反地,新的暗害分子则是向我们的人献媚,夸奖我们的人,拍他们的马屁,以便骗取信任。
斯大林:《论党工作底缺点和消灭托洛茨基两面派及其他两面派的办法》(一九三七年三月)
今日の暗殺者や破壊工作員、トロツキストのほとんどは党員であり、党員証をポケットに忍ばせているため、表面上は反体制派には見えない。かつての暗殺者たちが公然と我々に反対していたのに対し、新たな暗殺者たちは逆に、我々国民の信頼を得るために彼らを称賛し、お世辞を言うことで媚びへつらっている。
如果以为国际资本会让我们安静地过日子,那就愚蠢了。不,同志们,这是不对的。阶级还存在,国际资本还存在,它是不会平心静气地看着一个正在建设社会主义的国家发展的。
斯大林:《关于中央委员会和中央监察委员会四月联席全会的工作》(一九二八年四月),《斯大林全集》第十一卷第四十六页
国際資本が我々の平和的な暮らしを許してくれると考えるのは愚かである。いや、同志諸君、それは間違いである。階級は依然として存在し、国際資本は依然として存在している、社会主義を築きつつある国の発展を黙って見過ごすことは決して無いであろう。
只要资本主义包围存在,就一定会有资本主义国家进行武装干涉的危险,只要这种危险存在,就一定会有复辟的危险即资本主义制度在我国恢复的危险。能不能认为这种矛盾是一个国家完全可以克服的呢?不,不能。因为靠一个国家的努力,即使这个国家是无产阶级专政的国家,也不能完全保障自己免除武装干涉的危险。
斯大林:《俄共(布)第十四次代表会议的工作总结》(一九二五年五月),《斯大林全集》第七卷第九十九~一〇〇页
資本主義による包囲網が存在する限り、資本主義諸国による武力介入の危険は常に存在する。そして、この危険が存在する限り、復辟の危険、すなわち我が国に資本主義体制が復活する危険も常に存在する。この矛盾は、一国で完全に克服できると言えるだろうか。否、そうではない。なぜなら、プロレタリア独裁下の国といえども、自国の努力だけで武力介入の危険を完全に防ぐことはできないからである。




