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二十二、民主纪律  二十二、民主的な規律

共産党には最も厳しい規律、民主的な規律がある。


この厳しい、民主的で自覚的な規律があってこそ、党は人民の支持を得られるのである。


われわれのすぐれた党内民主主義はこの民主的な規律によって打ち立てられている。

               最 高 指 示

在人民内部,民主是对集中而言,自由是对纪律而言。这些都是一个统一体的两个矛盾着的侧面,它们是矛盾的,又是统一的,我们不应当片面地强调某一个侧面而否定另一个侧面。在人民内部,不可以没有自由,也不可以没有纪律;不可以没有民主,也不可以没有集中。这种民主和集中的统一,自由和纪律的统一,就是我们的民主集中制。在这个制度下,人民享受着广泛的民主和自由;同时又必须用社会主义的纪律约束自己。

毛主席:《关于正确处理人民内部矛盾的问题》(一九五七年二月),第五~六页


人民の内部では、民主とは集中にたいしていうのであり、自由とは規律にたいしていうのである。これらはいずれも一つの統一体の矛盾する二つの側面であって、矛盾もしていれば、統一もしているのである。我々は、ある側面を一面的に強調して、他の側面を否定してはならない。人民の内部には、自由がなくてはならないし、規律もなくてはならない。また、民主がなくてはならないし、集中もなくてはならない。こうした民主と集中の統一、自由と規律の統一こそ、我々の民主集中制なのである。この制度のもとでは、人民は広範な民主と自由を享受するが、同時にまた社会主義の規律によって自分自身を拘束しなければならない。


           ――★マルクス=エンゲルス語録★――


每当资产阶级制度的奴隶和被压迫者起来反对主子的时候,这种制度的文明和正义就显示出自己真正的凶残面目。那时,这种文明和这种正义就是赤裸裸的野蛮行为和无法无天的报复行为。财富占有者和财富生产者之间的阶级斗争中的每一次新危机,都愈益明显地证明这一事实。

马克思:《法兰西内战》(一八七一年四~五月),《马克思恩格斯全集》第十七卷第三七七页


ブルジョア制度の奴隷や被抑圧者が主人に対して立ち上がるたびに、この制度の文明と正義は、その真の残虐な正体を露呈する。その時、この文明と正義は、赤裸々な野蛮行為と無法な報復行為へと変貌するのだ。富の所有者と富の生産者の間で行われる階級闘争において、新たな危機が訪れるたびに、この事実はますます明白に証明されている。


无产阶级为了夺取政权需要民主的形式,然而对于无产阶级来说,这种形式和一切政治形式一样,只是一种手段。

恩格斯:《致爱·伯恩施坦》(一八八四年三月),《马克思恩格斯书信选集》一九六二年版第四一二页


プロレタリア階級は権力を掌握するために民主的な形態を必要とするが、プロレタリア階級にとって、この形態は、すべての政治形態と同様に、単なる手段にすぎない。


假如无产阶级不能立即利用民主来实行直接侵犯私有制和保证无产阶级生存的各种措施,那末,这种民主对于无产阶级就会毫无用处。

恩格斯;《共产主义原理》(一八四七年十月底~十一月),《马克思恩格斯全集》第四卷第三六七页


もしプロレタリア階級が民主主義を直ちに利用して私有財産を直接侵害し、プロレタリア階級の生存を保証する措置を実行できないならば、そのような民主主義はプロレタリア階級にとって何の役にも立たないであろう。


资产阶级的“信仰自由”不过是容忍各种各样的宗教信仰自由而已,而工人党却力求把信仰从宗教的妖术中解放出来。

马克思:《哥达纲领批判》(一八七五年四~五月),《马克思恩格斯全集》第十九卷第三十四页


ブルジョワジーの「宗教の自由」とは、あらゆる種類の宗教的信仰の自由を容認するにすぎないが、労働党は宗教の魔術から信仰を解放しようと努めている。


我们看到,一方面是一定的权威,不管它是怎样造成的,另一方面是一定的服从,这两者,不管社会组织怎洋,在产品的生产和流通赖以进行的物质条件下,都是我们所必需的。

恩格斯:《论权威》(一八七二年十月~一八七三年三月),《马克思恩格斯全集》第十八卷第三四三页


一方で、それがどのように創造されたかに関わらず、ある種の権威が存在し、他方で、ある種の服従が存在することが分かる。社会組織がどのようなものであろうと、これらは両方とも、製品の生産と流通が依存する物質的条件のもとでは、私たちにとって不可欠なものである。



为了进行斗争,我们必须把我们的一切力量拧成一股绳,并使这些力量集中在同一个攻击点上。如果有人向我说,权威和集中在任何情况下都是两种应当加以诅咒的东西,那末我就认为,说这种话的人,不是不知道什么叫革命,就是只不过是口头上的革命家。

恩格斯:《致卡·特尔察吉》(一八七二年一月),《马克思恩格斯书信选集》一九六二年版第三〇一~三〇二页


闘争を行うためには、我々はすべての力を一本の綱にまとめ上げ、それらの力を同一の攻撃点に集中させなければならない。もし誰かが私に向かって、権威と集中はいかなる場合でも呪われるべき二つのものであると言うならば、私はこう考える。そのようなことを言う者は、革命とは何かを知らないか、あるいは単なる口先だけの革命家であるかのどちらかである、と。


工人阶级的团结就是工人胜利的首要前提。

马克思:《道德化的批评和批评化的道德》(一八四七年十月),《马克思恩格斯全集》第四卷第三四六页


労働者階級の団結は労働者の勝利の第一の前提条件である。


我们现在必须完全保持党的纪律,否则一切都会陷入污泥中。

马克思:《致恩格斯》(一八五九年五月),《马克思恩格斯通信集》第二卷一九五七年三联版第四五三页


我々は今、党の規律を全面的に維持しなければならない。さもなければ、すべてが泥沼にはまってしまうであろう。


            ――★レーニン語録★――


任何民主,就象一般的任何政治的上层建筑一样(这种上层建筑在阶级消灭之前,在无阶级的社会建立之前,是必然要存在的),归根到底是为生产服务的,并且归根到底是由该社会中的生产关系决定的。

列宁:《再论工会、目前局势及托洛茨基和布哈林的错误》(一九二一年一月),《列宁全集》第三十二卷第六十九页


いかなる民主主義も、一般的な政治的上部構造(階級が消滅し、階級のない社会が構築されるまでは必然的に存在するもの)と同様に、結局のところは生産に奉仕するものであり、最終的にはその社会における生産関係によって決定されるのである。


那些似乎是全民的、全民族的、普遍的、超阶级的民主而实际上是资产阶级的民主的口号,不过是为剥削者的利益服务,只要土地和其他生产资料的私有制仍然存在,最民主的共和国都必然是资产阶级专政,是一小撮资本家镇压绝大多数劳动者的机器。

列宁:《俄共(布)党纲草案:俄国无产阶级专政的基本任务》(一九一九年二月),《列宁全集》第二十九卷第八十四页


全人民的、全民族的、普遍的、超階級的な民主主義に見えながら、実際にはブルジョア民主主義にすぎないそれらのスローガンは、搾取者の利益に奉仕しているにすぎない。土地やその他の生産手段の私有制が存続する限り、いかに民主的な共和国であっても、それは必然的にブルジョア独裁であり、一握りの資本家が大多数の労働者を抑圧するための機械なのである。


只要阶级还没有消灭,任何关于一般自由和平等的谈论都是欺骗自己,或者是欺骗工人,欺骗全体劳动者和受资本剥削的人,无论如何,也是维护资产阶级的利益。

列宁;《论意大利社会党党内的斗争》(一九二〇年十二月),《列宁全集》第三十一卷第三五四页


階級が消滅しない限り、一般的な自由と平等についてのいかなる議論も、自己欺瞞か、労働者、すべての労働者、そして資本によって搾取されている人々に対する欺瞞かのいずれかであり、いずれにせよ、それはブルジョアジーの利益を守ろうとする試みである。


资产阶级民主同中世纪制度比较起来,在历史上是一个大进步,但它始终是而且在资本主义制度下不能不是狭隘的、残缺不全的、虚伪的、骗人的民主,对富人是天堂,对被剥削者、对穷人是陷阱和骗局。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十~十一月),“列宁选集》一九六五年版第三卷第六五〇页


中世の制度と比較すると、ブルジョア民主主義は歴史における大きな前進と言えるが、資本主義下におけるそれは、狭量で不完全、偽善的で欺瞞的な民主主義に他ならない。富裕層にとっては楽園だが、搾取される者や貧困層にとっては罠であり、詐欺である。



只要有不同的阶级存在,就不能说“纯粹民主”,而只能说阶级的民主(附带说一下,“纯粹民主”不仅是既不了解阶级斗争也不了解国家实质的无知的论调,而且是十足的空谈,因为在共产主义社会中,民主将演变成习惯,消亡下去,但永远也不会是“纯粹的”民主)。“纯粹民主”是自由主义者用来愚弄工人的谎话。历史上有代替封建制度的资产阶级民主,也有代替资产阶级民主的无严阶级民主。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》。(一九一八年十~十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第六四九页


異なる階級が存在する限り、「純粋な民主主義」などと言うことはできない。言えるのは階級的な民主主義だけである。(付け加えて言えば、「純粋な民主主義」という言葉は、階級闘争も国家の本質も理解していない無知な論調であるばかりか、全くの空論である。なぜなら、共産主義社会において民主主義は、習慣へと変化し消滅していくものであり、永遠に「純粋な」民主主義などにはなり得ないからだ。)「純粋な民主主義」とは、自由主義者が労働者を欺くために用いる嘘である。歴史には、封建制度に取って代わったブルジョア民主主義があり、またブルジョア民主主義に取って代わるプロレタリア民主主義(無産階級民主主義)があるのだ。


在最民主的资产阶级国家中,被压迫群众随时随地都可以碰到这个惊人的矛盾:一方面是资本家“民主”所标榜的形式上的平等,一方面是使无产者成为雇佣奴隶的千百种事实上的限制和诡计。正是这个矛盾使群众认清了资本主义的腐朽、虚假和伪善。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十~十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第六五三页


最も民主的なブルジョア国家においてさえ、被抑圧大衆はいたる所でこの驚くべき矛盾に直面する。それは、資本家の「民主主義」が掲げる一面での形式的な平等と、プロレタリアを賃金奴隷に貶めている他面での千百もの事実上の制限やペテンとの矛盾である。まさにこの矛盾こそが、大衆に資本主義の腐朽、虚偽、そして偽善をはっきりと認識させるのである。


谁想根据什么自由、平等、一般民主、劳动民主的平等这类空话来解决从资本主义过渡到社会主义的任务(象考茨基、乌尔托夫和伯尔尼国际即黄色国际其他英雄们那样),谁就只是暴露出他在思想方面奴隶般地跟着资产阶级跑的小资产者、庸人和市侩的天性。

列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁全集》第二十九卷第三八三页


自由、平等、一般的民主主義、労働民主主義の平等といった空言に基づいて、資本主義から社会主義への移行という課題を解決しようとする者は(カウツキー、マルトフ、そしてベルン・インターナショナルすなわちイエロー・インターナショナルの他の英雄たちのように)、自らが思想において奴隷のようにブルジョアジーの後を追う小市民であり、俗物であり、市井の凡夫であるという本性を露呈しているに過ぎない。


马克思主义者一向认为,民主愈发达,愈“纯粹”,阶级斗争也就愈明显,愈尖锐,愈残酷,资本的压迫和资产阶级专政也就表现得愈“纯粹”。

列宁:《共产国际第一次代表大会》(一九一九年三月),《列宁全集》第二十八卷第四三九页


マルクス主義者は、民主主義がより発達し「純粋」になればなるほど、階級闘争がより明白で、より鋭く、より残酷になり、資本の抑圧とブルジョアジーの独裁がより「純粋」に現れると常に信じてきた。


马克思主义解决民主问题的方法,就是进行阶级斗争的无产阶级利用一切民主机关和反资产阶级的倾向,为无产阶级战胜资产阶级和推翻资产阶级做好准备。

列宁:《答皮·基也夫斯基(尤·皮达可夫)》(一九一六年八~九月),《列宁全集》第二十三卷第十五页


民主主義の問題を解決するマルクス主義のアプローチは、プロレタリア階級が階級闘争を通じて、あらゆる民主的制度と反ブルジョア的傾向を利用し、プロレタリア階級がブルジョア階級に勝利し、ブルジョア階級を打倒する準備をするというものである。


资产阶级利用自由,是为了高枕无忧,――无产阶级需要自由,是为了更广泛地开展争取社会主义的斗争。

列宁:《地方自治局的迫害者和自由主义的汉尼拔》(一九〇一年六月),《列宁全集》第五卷第六十二页


ブルジョワジーは自らの安全を確保するために自由を利用するが、プロレタリア階級は社会主義のためのより広範な闘争を遂行するために自由を必要とする。


同小资产阶级民主派相反,马克思认为一切民主要求,毫无例外,都不是绝对的东西,而是资产阶级领导的人民群众反对封建制度的历史表现。这些要求中的每一个要求都能成为并且在某种情况下已经成了资产阶级欺骗工人的工具。


小ブルジョア的民主主義者とは反対に、マルクスは、例外なしにどんな民主主義的要求をも絶対的なものとは見なさないで、ブルジョアジーに指導される人民大衆の反封建制闘争の歴史的表現と見た。これらの要求のどれにしても、ある事情のもとで、ブルジョアジーが労働者を欺瞞する道具となりえないようなもの、また実際にならなかったものは一つもない。


在这方面,把政治民主要求之一,即民族自决拿来同其余的要求相对立,这在理论上是根本不对的。在实际行动中,无产阶级只有使自己的争取一切民主要求(包括建立共和国的要求)的斗争服从自己的推翻资产阶级的革命斗争,才能保持自己的独立。

列宁:《社会主义革命和民族自决权》(一九一六年~二月),《列宁选集》一九六五年版第二卷第七二二页


この点で政治的民主主義の諸要求の一つ、すなわち民族自決を特別あつかいにして、それをのこりの諸要求に対置するのは、理論上、根本的にまちがっている。実際には、プロレタリアートは、共和制をもふくむすべての民主主義的要求のための自分の闘争を、ブルジョアジー打倒のための自分の革命的闘争に従属させることによってはじめて、自分の自主性をたもつことができる。


资本主义社会里的民主是一种残缺不全的、贫乏的和虚伪的民主,是只供富人、只供少数人享受的民主。无产阶级专政,即向共产主义过渡的时期,将第一次提供人民享受的、大多数人享受的民主,同时对少数人即剥削者实行必要的镇压。只有共产主义才能提供真正完全的民主,而民主愈完全,它也就愈迅速地成为不需要的东西,愈迅速地自行消亡。

列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二四二页


こういうふうに、資本主義社会には、富者だけのための、少数者だけのための、切りちぢめられた、片輪な、にせものの、民主主義がある。プロレタリアートの独裁、すなわち共産主義への過渡期がはじめて、少数者、搾取者にたいする必要不可欠な抑圧とともに、人民のための、多数者のための民主主義をもたらすであろう。共産主義だけが、ほんとうに完全な民主主義を与えることができる、そして、民主主義が完全なものになればなるほど、ますます急速に民主主義は不必要になって、ひとりでに死滅するであろう。


无产阶级民主制镇压资产阶级剥削者,——因此它不骗人,不许诺他们以自由和民主,——而给劳动者以真正的民主。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十月),《列宁全集》第二十八卷第九十一页


プロレタリア民主主義はブルジョア的搾取者を抑圧する。したがって、彼らを欺いたり、彼らに自由と民主主義を約束したりするのではなく、労働者に真の民主主義を与える。


无产阶级民主・・・在世界上史无前例地发展和扩大了的正是对绝大多数居民,即对被剥削劳动者的民主。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十~十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第六五三~六五四页


プロレタリア民主主義は、まさに人口の大多数、すなわち搾取された労働者のための民主主義として、世界中で前例のない規模で発展し、拡大してきた。


绝大多数人享受民主,对那些剥削和压迫人民的分子实行强力镇压,即把他们排斥于民主之外,——这就是从资本主义向共产主义过渡的条件下形态改变了的民主。

列宁:《国家与革命》(一九一七年八~九月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第二四一页


人民の多数者のための民主主義と、人民の搾取者、抑圧者にたいする暴力的抑圧、すなわち民主主義からのその排除――これが資本主義から共産主義への移行にさいして民主主義のこうむる形態変化である。


无产阶级的无条件的集中制和极严格的纪律,是战胜资产阶级的基本条件之一。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第一九二页


無条件の中央集権制とプロレタリア階級の極めて厳格な規律は、ブルジョア階級を打ち負かすための基本条件の一つである。


无产阶级如果没有高度的觉悟、严格的纪律以及对反资产阶级斗争的无限忠诚,它就没有具备完全战胜其宿敌的一切条件,也就谈不到无产阶级专政。

列宁:《在全俄省、县国民教育斤政治教育局工作会议上的讲话》(一九二〇年十一月),《列宁全集》第三十一卷第三三〇页


プロレタリア階級は、高い自覚、厳格な規律、ブルジョア階級との闘争に対する揺るぎない忠誠心がなければ、その最大の敵を完全に打ち負かすためのあらゆる条件を欠いており、したがってプロレタリア階級の独裁を実行しているとは言えない。


我们要废除资产阶级社会内违反大多数人的意志而实行的强迫纪律,提倡工农的自觉纪律,因为工人和农民不但仇恨旧社会,而且具有团结和组织自己的力量去进行斗争的毅力、本领和决心。这样就能把分散在辽阔的国土上的千百万民众的意志统一为一个意志。


ブルジョア社会で大多数者の意志に反しておこなわれてきた古いしごき的訓練を、われわれは、労働者と農民の自覚した規律におきかえている。それは、広大な国の全土にばらばらにされ、細分され、分散させられている幾百万幾億という人々の意志を、単一の意志につくりあげるために、古い社会にたいする憎悪と、この闘争のために勢力を統合し、組織する決意、能力、覚悟とをむすびつけている労働者と農民の自覚的な規律である。


没有这样的统一意志,我们就必然会遭到失败。没有这样的团结,没有这样的工农自觉的纪律,我们的事业就毫无希望。不具备这些条件,我们就不能战胜全世界的资本家和地主,我们就会连基地也不能巩固,更谈不到在这个基地上建成新的共产主义社会了。

列宁:《青年团的任务》(一九二〇年十月),《列宁全集》第三十一卷第二五五页


というのは、このような単一の意志がなければ、われわれはかならず打ち破られてしまうからである。労働者と農民のこの結束がなければ、この自覚した規律がなければ、われわれの大事業は希望のないものとなる。これがなければ、われわれは全世界の資本家や地主に打ちかつことはできないだろう。われわれは土台をかためることさえできないだろう。この土台のうえに新しい共産主義の社会を建設することなど問題にもならない。


严格的党性是高度发展的阶级斗争的随行者和结果。相反地,为了公开地和广泛地进行阶级斗争,必需发展严格的党性。

列宁:《社会主义政党和非党的革命性》(一九〇五年十一月),《列宁全集》第十卷第五十四页


厳格な党の精神は、高度に発達した階級闘争の随行者であると同時に、その成果でもある。逆に、階級闘争を公然と、かつ広範囲に展開するためには、厳格な党精神を育むことが必要である。


否认党性,否认党的纪律,——这就是从反对派那里得出的结论。这就等于完全解除无产阶级的武装而有利于资产阶级。这也就恰恰是小资产阶级的散漫、动摇、不能坚持、不能团结、不能统一行动,而纵容这些行为,就必然使无产阶级的任何革命运动遭到失败。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二○年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第二一一页


党派性および党規律の否定、――これが反対派において、えられた結果である。しかし、これはプルジョアジーのためにプロレタリアートを完全に武装解除することにひとしい。これは、まさに、かの小ブルジョア的な分散性や不安定性にひとしく、堅忍持久の力なく、統一の力なく、整然と行動する力のないことにひとしく、これらの性格を放任するときは、あらゆるブロレタリア革命運動は不可避的に破滅させられるのである。



他们(小商品生产者——编者注)用小资产阶级的自发势力从各方面来包围无产阶级,浸染无产阶级,腐蚀无产阶级,经常使小资产阶级的懦弱性、涣散性、个人主义以及由狂热转为灰心等旧病在无产阶级内部复发起来。无产阶级政党的内部需要实行极严格的集中制和极严格的纪律,才能抵制这种恶劣影响,才能使无产阶级正确地、有效地、胜利地发挥自己的组织作用(这是它的主要作用)。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二○年四月),《列宁全集》第三十一卷第二十六页


かれらは、小ブルジョア的な自然な自発力をもって、四方八方からブロレタリア階級を包囲し、これをプロレタリア階級に浸潤させ、これをもってプロレタリアートを堕落させ、たえずプロレタリア階級の内部に小ブルジョア的な無節操や,分散性や、個人主義の再発をよびおこし、熱狂的感激より意気消沈への逆転をたえずくりかえさせているのである。これに対抗するためには、プロレタリアートの組織者的役割(これがプロレタリアートの主要な役割である)を正常に、有効に、成功的に実行するためには、プロレタリアートの政党の内部における、もつとも厳格な中央集権と規律とが必要である。


无产阶级革命政党的纪律是靠什么来维持的?是靠什么来检验的?是靠什么来加强的?第一、是靠无产阶级先锋队的觉悟,它对革命的忠诚,它的坚韧性、自我牺牲精神和英雄气概。第二、是靠它善于同最广大的劳动群众,首先是同无产阶级劳动群众,但同样也同非无产阶级劳动群众联系、接近,甚至可以说在某种程度上同他们打成一片。


プロレタリアートの革命党の規律がなにによってささえられるのか?それはなにによって点検されるのか?なにによって強化されるのかということである。それは、第一に、プロレタリア前衛の階級意識、革命にたいする献身、その忍耐、自己犠牲、英雄主義によってである。第二に、きわめて広範な勤労者大衆、なによりもまずプロレタリア的勤労大衆と、さらにまた非プロレタリア的勤労大衆ともむすびつき、接近し、必要とあればある程度まで彼らととけあう能力によってである。


第三、是靠这个先锋队所实行的政治领导正确,靠它的政治战略和策略正确,而最广大的群众根据切身经验也确信其正确。没有这些条件,革命政党的纪律,真正能够成为可以推翻资产阶级并且改造整个社会的先进阶级的政党的纪律,是不可能实行的。


第三に、これら前衛のおこなう政治指導の正しさによってであり、彼らの政治的戦略と戦術の正しさによってである、―――ただし、これは最も広い大衆が自分の経験にもとづいてその正しさを納得するということを条件とする。



没有这些条件,建立纪律的企图,就必然会变成空谈,变成废话,变成装模作样。可是另一方面,这些条件又不能一下子产生。只有经过长期的努力和艰苦的实验才能造成这些条件;正确的革命理论,会使这些条件容易造成,而这个理论并不是教条,它只有同真正群众性的和真正革命的运动的实践密切地联系起来,才能最终形成。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第一九三页


これらの諸条件がないと、ブルジョアジーを倒し、全社会を改造すべき先進的階級の党としての実力を実際にそなえた革命党の規律は実現できない。これらの条件がないなら、規律をつくりだそうという試みは、かならず間のぬけたもの、空文句、道化にかわってしまう。だが、他方、これらの条件は一挙に生まれるわけのものでもない。それらは長いあいだの労苦によって、苦しい経験によってはじめてつくりあげられるのである。これらの条件をつくりだすのを容易にするものは正しい革命理論である。さらにこの理論は、教条ではなく、真に大衆的な、また真に革命的な運動の実践と密接にむすびついてはじめて最終的につくりあげられるものである。


现在差不多每个人都已看到,如果我们党没有极严格的真正铁的纪律,如果我们党没有得到工人阶级全体群众全心全意的拥护,也就是说,没有得到工人阶级中所有一切能思考、诚实、有自我牺牲精神、有威信并且能带领或吸引落后阶层的人的全心全意的拥护,那末布尔什维克别说把政权保持两年半,就是两个半月也保持不住。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年四月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第一九一九二页


いまではほとんど誰でも知っていることだが、わが党に最も厳しい、真に鉄の規律がなかったならば、労働者階級の全大衆が、すなわち労働者階級のなかで分別があり、誠実で、献身的で、影響があって、おくれた層をみちびいたり、ひきつけたりすることのできるすべての人が、このうえなく完全に、献身的にわが党を支持してくれなかったなら、ボリシェヴィキはこの二ヵ年半はおろか二ヵ月半も権力をもちこたえられなかったであろう。


工人阶级的力量就在于组织。不组织群众,无产阶级就一事无成。组织起来的无产阶级就无所不能。

列宁:《对立宪民主党化的社会民主党人的斗争和党的纪律》(一九○六年十一月),《列宁全集》第十一卷第三〇一页


労働者階級の強さは組織力にある。大衆を組織化しなければ、プロレタリアートは何事も成し遂げられない。そして組織化されたプロレタリアートは、あらゆることを成し遂げることができる。


            ――★スターリン語録★――


资本主义制度下的民主是资本主义的民主,是少数剥削者的民主,是以限制多数被剥削者的权利为基础并以反对这个多数为目标的。只有在无产阶级专政下,被剥削者才可能有真正的自由,无产者和农民才可能真正参加国家的管理。无产阶级专政下的民主是无产阶级的民主,是多数被剥削者的民主,是以限制少数剥削者的权利为基础并以反对这个少数为目标的。

斯大林:《论列宁主义基础》(一九二四年四月),《斯大林全集》第六卷第一〇二~一〇三页


資本主義制度下の民主主義は資本主義的な民主主義であり、少数の搾取者のための民主主義である。それは、多数の被搾取者の権利を制限することを基礎とし、その多数派に反対することを目的としている。被搾取者が真の自由を手にし、プロレタリアや農民が国家の管理に真に参加できるようになるのは、プロレタリア独裁の下においてのみである。プロレタリア独裁の下での民主主義はプロレタリア階級の民主主義であり、多数の被搾取者のための民主主義である。それは、少数の搾取者の権利を制限することを基礎とし、その少数派に反対することを目的としている。


无产阶级专政是阶级社会中民主的最高类型,是代表多数人(被剥削者)利益的无产阶级民主的形式,它和代表少数人(剥削者)利益的资本主义民主是完全相反的。

斯大林:《和第一个美国工人代表团的谈话》(一九二七年九月),《斯大林全集》第十卷第八十七页


プロレタリア独裁は、階級社会における最高の民主主義形態である。これは、多数派(被搾取者)の利益を代表するプロレタリア民主主義の一形態であり、少数派(搾取者)の利益を代表する資本主義民主主義とは完全に対照的である。


在无产阶级专政时代,我们不给资产阶级任何普遍自由,就是说,不给他们任何言论自由、出版自由等等。我们的对内政策归结起来就是:给予城乡无产者阶层以最大的自由,使资产阶级残余连最低的自由也得不到。我们的以无产阶级专政为依据的政策的实质就在这里。

斯大林:《无产阶级专政的三年》(一九二〇年十一月),《斯大林全集》第四卷第三四二页


プロレタリア独裁の時代において、我々はブルジョアジーにいかなる普遍的な自由も与えない。すなわち、言論の自由も、出版の自由も、その他いかなる自由も彼らには与えないのである。我々の国内政策を要約すれば、都市と農村のプロレタリア階層には最大の自由を与え、その一方で、ブルジョアジーの残党には最低限の自由さえも与えない、ということになる。プロレタリア独裁に立脚する我々の政策の本質は、まさにここにあるのである。


有些人在空谈民主。但是,究竟什么是党内民主呢?究竟是谁的民主呢?如果把民主了解为寥寥无几的脱离革命的知识分子有漫无止境地夸夸其谈和拥有自己的机关刊物等等的自由,那末这种“民主”我们是不需要的,因为这是破坏绝大多数人的意志的区区少数人的民主。如果把民主了解为党员群众有解决我们建设方面各种问题的自由,了解为提高党员群众的积极性并吸引他们来参加党的领导,了解为发挥他们在党内的主人翁的感觉,那末这种民主我们是有的,这种民主我们是需要的,并且我们会不顾一切地来不断发扬它。

斯大林:《联共(布)第十五次代表大会:中央委员会的政治报告》(一九二七年十二月),《斯大林全集》第十卷第二八〇~二八一页


一部の人々は、民主主義について空論を戦わせている。しかし、いったい「党内民主主義」とは何なのか?いったいそれは「誰のための」民主主義なのか?もし、民主主義というものを、革命から遊離したごく少数の知識人が、際限なく誇大妄想的な議論を戦わせたり、独自の機関紙を持ったりする自由のことだと理解するのであれば、そのような「民主主義」は我々には必要ない。なぜなら、それは圧倒的多数の意志を破壊する、ごく少数者のための民主主義だからだ。もし、民主主義というものを、党員大衆が我々の建設における諸問題を解決する自由だと理解し、党員大衆の積極性を高め、彼らを党の指導に参画させることだと理解し、彼らの党内における「主権者」としての自覚を発揮させることだと理解するのであれば、そのような民主主義を我々は持っている。そのような民主主義こそ我々が必要とするものであり、我々はいかなる困難があろうとも、絶えずそれを発揚させていくのである。


党内民主是什么呢?党内民主就是提高党员群众的积极性并加强党的统一,加强党内自觉的无产阶级纪律。派别集团的自由是什么呢?派别集团的自由就是瓦解党的队伍,把党分裂为各个中心,削弱党,削弱无产阶级专政。

斯大林:《关于苏联经济状况和党的政策》(一九二六年四月),《斯大林全集》第八卷第一三一~一三二页


党内民主主義とは何か?党内民主主義とは、党員と大衆の熱意を高め、党の団結を強め、党の自覚的なプロレタリア的規律を強化することである。派閥・集団の自由とは何か?派閥・集団の自由とは、党の隊列を解体し、党を様々な中心に分裂させ、党を弱体化させ、プロレタリア独裁を弱体化させることである。



托洛茨基主义的实质在于否认党内有铁的纪律的必要,认为党内有组织派别集团的自由,认为有成立托洛茨基主义政党的必要。・・・这就是说,宣布党内有组织政治派别的自由。这就是说,既然党内有组织政治集团的自由,那末国内也就应当有组织各种政党的自由,即应当实行资产阶级民主制。可见这是要用“党内民主”、党内“制度的改进”的词句做掩蔽来承认党内有组织派别集团的自由,直至容许在无产阶级专政的国家内组织各种政党的自由。知识分子集团间的派别争吵的自由并不是党内民主;而党所开展的广泛的自我批评和党员群众的高度积极性才是实际的、真正的党内民主的表现,这是托洛茨基主义所不能了解的。

斯大林:《联共(布)审央委员会氮第十六次代表大会的政治报告》(一九三〇年六月),《斯大林全集》第十二卷第三〇九页


トロツキー主義の本質は、党内における「鉄の規律」の必要性を否定し、党内に組織的な派閥やグループを作る自由があると考え、トロツキー主義政党を設立する必要があると考えている点にある。・・・すなわち、これは党内に政治的派閥を組織する自由を宣言することに他ならない。そして、党内に政治的グループを組織する自由があるというのであれば、国内においても様々な政党を組織する自由があるべきだということになり、つまりは「ブルジョア民主制」を実施すべきだということになる。結局のところ、彼らは「党内民主主義」や「制度の改善」といった言葉を隠れ蓑にして、プロレタリア独裁の国家において様々な政党を組織する自由を容認するに至るまで、党内に派閥やグループを組織する自由を認めさせようとしているのである。知識人グループ同士の派閥争いの自由は、党内民主主義ではない。党が展開する広範な自己批判と、党員大衆の高い積極性こそが、現実的かつ真の党内民主主義の現れなのである。トロツキー主義には、このことが理解できないのだ。


派别组织的存在,无论和党内统一或党内铁的纪律都不能相容。几乎用不着证明,有派别组织就会产生几个中央;有几个中央就是表明党内没有共同的中央,就是分散统一的意志,就是削弱和破坏纪律,就是削弱和破坏专政。

斯大林:《论列宁主义基础》(一九二四年四月),《斯大林全集》第六卷第一五九页


分派組織の存在は、党内の統一や党の鉄の規律とは、いかなる意味においても相容れない。分派組織が存在すれば、そこに複数の「中央」が生じることは証明するまでもないことだ。複数の中央が存在するということは、党内に共通の中央が存在しないことを意味し、それは統一された意志を分散させ、規律を弱体化させ、破壊する。ひいてはプロレタリア独裁を弱体化させ、破壊することに繋がるのである。



无政府主义以个人为基础,认为解放个人是解放群众、解放集体的主要条件。在无政府主义看来,个人没有解放以前,群众的解放是不可能的,因此它的口号是“一切为了个人”。而马克思主义则以群众为基础,认为解放群众是解放个人的主要条件。这就是说,在马克思主义看来;群众没有解放以前,个人的解放是不可能的,因此它的口号是“一切为了群众”。

斯大林:《无政府主义还是社会主义?》(一九〇六年十二月),《斯大林全集》第一卷第二七三页


無政府主義は個人を基盤とし、個人の解放こそが大衆の解放、集団の解放の主要な条件であると考える。無政府主義の見解によれば、個人が解放されない限り、大衆の解放は不可能であり、ゆえにそのスローガンは「すべては個人のために」となる。これに対し、マルクス主義は大衆を基盤とし、大衆の解放こそが個人の解放の主要な条件であると考える。すなわち、マルクス主義の見解によれば、大衆が解放されない限り、個人の解放は不可能であり、ゆえにそのスローガンは「すべては大衆のために」となるのである。


如果党内没有铁的纪律,无产阶级专政所担负的镇压剥削者以及把阶级社会改造为社会主义社会的任务就不能实现。

斯大林:《和第一个美国工人代表团的谈话》(一九二七年九月),《斯大林全集》第十卷第九十一页


党内に鉄の規律がなければ、プロレタリア独裁の任務、すなわち搾取者を抑圧し、階級社会を社会主義社会に改造するという任務は達成できない。


如果没有一个因为本身具有团结性和铁的纪律而强有力的党,要争得和保持无产阶级专政是不可能的。可是,如果没有意志的统一,如果没有全体党员行动上的完全的和绝对的统一,党内铁的纪律是不可思议的。这当然不是说,因此就排斥了党内争论的可能。恰恰相反,铁的纪律不是排斥党内的批评和争论,而是以此为前提的。这更不是说,纪律应当是“盲目的”。恰恰相反,铁的纪律不是排斥自觉自愿的服从,而是以此为前提的,因为只有自觉的纪律才能成为真正铁的纪律。

斯大林:《论列宁主义基础》(一九二四年四月),《斯大林全集》第六卷第一五八~一五九页


団結心と鉄の規律によって強力に鍛え上げられた党がなければ、プロレタリア独裁を勝ち取り、かつそれを維持することは不可能である。しかし、意志の統一がなければ、また全党員の行動における完全かつ絶対的な統一がなければ、党内の鉄の規律など考えられない。もちろん、このことは党内での論争の可能性を排除するものではない。それどころか、鉄の規律は党内での批判や論争を排除するものではなく、むしろそれらを前提条件としている。ましてや、規律が「盲目的なもの」であるべきだと言っているわけでもない。それどころか、鉄の規律は自覚的かつ自発的な服従を排除するものではなく、むしろそれらを前提条件としているのである。なぜなら、自覚的な規律こそが、真に鉄の規律となり得るからだ。


必须提高党员群众的积极性,党员群众所关心的一切问题,只要可以公开讨论,都让他们进行讨论,对于各级党机关所提出的一切建议,保证能够自由地进行批评。因为只有这样,才能使党的纪律成为真正自觉的真正铁的纪律。

斯大林:《关于党的任务》(一九二三年十二月),《斯大林全集》第五卷第二九六页


党員および大衆の積極性を高めなければならない。党員・大衆が関心を寄せている一切の問題は、公開討論が可能である限り、彼らに討論させよ。各級党機関が提起した一切の提案に対して、自由な批判ができることを保証しなければならない。なぜなら、こうすることによってのみ、党の規律は真に自覚的な、真に鉄の規律となるからである。


必须使党制定无产阶级的铁的纪律。这种纪律的基础是思想的一致性、运动目的的明确性、实际行动的统一和广大党员群众对待党的任务的自觉态度。

斯大林:《关于德国共产党的前途和布尔什维克化》(一九二五年二月),《斯大林全集》第七卷第三十六页


党はプロレタリア階級のために鉄の規律を確立しなければならない。この規律の基礎は、思想の統一、運動目標の明確さ、実践行動の統一、そして広範な党員大衆が党の課題に対して自覚的な態度を示すことである。


我坚决反对对一切抱有不同思想的同志采取排斥政策。我反对这种政策,并不是因为我怜惜抱有不同思想的人,而是因为这种政策会在党内造成恐吓制度、威胁制度以及窒杀自我批评精神和主动精神的制度。

斯大林:《给麦--尔特同志的信》(一九二五年二月),《斯大林全集》第七卷第四十页


私は、異なる思想を持つあらゆる同志に対して、彼らを排斥する政策を採ることには断固として反対する。私がこの政策に反対するのは、異なる思想を持つ人々を不憫に思うからではない。そうではなく、このような政策が党内に恐喝の制度、脅迫の制度、そして自己批判の精神や自発的な精神を窒息させてしまう制度を生み出してしまうからである。


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