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十九、知识分子改造  十九、知識分子の改造

知識分子は革命の重要な力であるが、しかし弱点でもある。


なぜなら知識人は恵まれた地位から出発することが多く、すぐ小心翼々とした君子となり、反革命へ転じる可能性が非常に高いのである。


はじめは革命に参加していてもあとから間違っていたと人民を撃つ敵となるのは、中国やロシアの共和国逃亡者を見ていれば、よくわかるであろう。


そのようなクズのロクデナシを生まないようにするには、知識分子の改造を行う必要がある。


これは革命のためでもあるし、知識分子本人のためでもあるのである。

               最 高 指 示

知识分子在其未和群众的革命斗争打成一片,在其未下决心为群众利益服务并与群众相结合的时候,往往带有主观主义和个人主义的倾向,他们的思想往往是空虚的,他们的行动往往是动摇的。因此,中国的广大的革命知识分子虽然有先锋的和桥梁的作用,但不是所有这些知识分手都能革命到底的。其中一部分,到了革命的紧急关头,就会脱离革命队伍,采取消极态度;其中少数人,就会变成革命的敌人。知识分子的这种缺点,只有在长期的群众斗争中才能克服。

毛主席:《中国革命和中国共产党》(一九三九年十二月),《毛泽东选集》第二卷第六三六页


知識人が、まだ大衆の革命闘争と一体にならず、まだ大衆の利益に奉仕し大衆とむすびつく決意をかためないうちは、とかく主観主義と個人主義の傾向をおび、彼らの思想はとかく空虚で行動もとかく動揺的である。したがって、中国の広範な革命的知識人は、先頭部隊としての、かけ橋の役割をもってはいるが、これらの知識人のすべてが最後まで革命をやりぬけるわけではない。そのうち一部のものは、革命の重大な瀬戸ぎわになると、革命の隊列からはなれて消極的な態度をとるようになり、そのうち少数のものは、革命の敵になってしまう。知識人のこのような欠点は、長期の大衆闘争のなかでなければ克服できない。


           ――★マルクス=エンゲルス語録★――


如果其他阶级中的这种人参加无产阶级运动,那末首先就要要求他们不要把资产阶级、小资产阶级等等的偏见的任何残余带进来,而要无条件地掌握无产阶级世界观。

马克思恩格斯:《致奥·倍倍尔、威·李卜克内西、威·自拉克等人(“通告信”)》(一八七九年九月),《马克思恩格斯书信选集》一九六二年版第三六一页


もし他の階級の中のこのような人がプロレタリア運動に参加するならば、まず彼らにブルジョア階級、小ブルジョア階級などの偏見のいかなる残りを持ち込まないで、無条件にプロレタリア階級の世界観を掌握するように要求しなければならない。



如果我们有哲学家和我们一起思考,有工人和我们一起为我们的事业奋斗,那末世界上还有什么力量能阻挡我们前进呢?

恩格斯:《共产主义在德国的迅速进展》(一八四五年二月),《马克思恩格斯全集》第二卷第五九五页


もし私たちに哲学者がいて私たちと一緒に考えて、労働者が私たちと一緒に私たちの事業のために奮闘しているならば、世界には私たちの前進を阻む力があるだろうか。


科学上的招摇撞骗和政治上的投机,都是和这种观点(指蒲鲁东的小资产阶级观点——编者注)分不开的。对这种人来说,只有一种动力,那就是虚荣心,象一切爱虚荣的人一样,他们所关心的只是眼前的成功、一时的风头。

马克思:《论蒲鲁东》(一八六五年一月),《马克思恩格斯全集》第十六卷第三十六页


科学的詐欺と政治的日和見主義は、この観点(プルードンのプチブルジョア的観点を参照-編集者注)から切り離せない。こうした人々にとって、原動力はただ一つ、虚栄心である。他の虚栄心の強い人々と同様に、彼らは目先の成功と一時的な栄光しか求めない。


近两三年来,许多大学生、文学家和其他没落的年青资产者纷纷涌入党内。・・・所有这些先生们都在研究马克思主义,但是他们所研究的是十年前你在法国就很熟悉的那一路马克思主义,关于这种马克思主义,马克思曾经说过:“我只知道一点:我自己不是一个马克思主义者!”马克思大概会把海涅对自己的模仿者说的话转送给这些先生们:“我下的是龙种,而收获的却是跳蚤”。这些人的平庸无能只能看作是他们的厚颜无耻・・・

恩格斯:《致拉法格》(一八九〇年十月),《马克思恩格斯反对机会主义》一九五八年版第一八二页


ここ二、三年来、多くの大学生、文学者、そしてその他の没落した若きブルジョアたちが、続々と党内になだれ込んできている。・・・これら諸君はみなマルクス主義を研究しているが、彼らが研究しているのは、君が十年前のフランスでよく知っていたあの類のマルクス主義なのだ。その種のマルクス主義について、マルクスはかつてこう言ったことがある。「私が知っているのはただ一点、自分自身はマルクス主義者ではないということだ!」とね。おそらくマルクスは、ハイネが自らの模倣者たちに対して言った言葉を、これら諸君に贈るだろう。「私は竜の種を蒔いたが、収穫したのは蚤であった」と。これら連中の平凡さと無能さは、彼らの厚顔無恥さ(の裏返し)としてしか見ようがないものだ。



钻到党内来的那些庸人,主要是大学毕业生和多半是没有毕业的大学生,还仍然留在我们的队伍中,我们必须警觉地注意这些人・・・

恩格斯:《致爱·伯恩施坦》(一八八三年二~三月),《马克思恩格斯书信选集》一九六二年版第四〇〇页


党内に潜入した凡庸な人間は、主に大学卒業生、そして大部分はまだ卒業していない大学生だ。彼らは今も党内にいるので、我々は警戒を怠らず、彼らに細心の注意を払わなければならない・・・


希望你们的努力将使大学生们愈益意识到,正是应该从他们的行列中产生出这样一种脑力劳动无产阶级,他们负有使命同自己从事体力劳动的工人兄弟在一个队伍里肩并肩地在即将来临的革命中发挥巨大作用。

恩格斯:《致国际社会主义者大学生代表大会》(一八九三年十二月),《马克思恩格斯全集》第二十二卷第四八七页


諸君の努力によって、大学生たちが次のことをますます自覚するようになることを私は願っている。すなわち、まさに彼らの隊列の中から、肉体労働に従事する労働者の兄弟たちと同じ列に加わり、肩を並べて、来たるべき革命において大きな役割を果たすべき「精神労働のプロレタリア階級」が産み出されなければならないということである。


            ――★レーニン語録★――


知识分子在各个阶级中间占有特殊的地位,就他们的关系、观点等等来说他们是依附资产阶级的,这是一方面,另一方面,由于资本主义逐渐剥夺他们的独立地位,把他们变成寄人篱下的雇佣者,使他们受到降低生活水平的威胁,因此他们又依附雇佣工人。

列宁:《书评》(一八九九年年底),《列宁全集》第四卷第一七七~一七八页


知識人は諸階級の間で特殊な地位を占めている。その関係や観点などから見れば、彼らはブルジョア階級に依存している、というのが一方の側面である。しかし他方では、資本主義が次第に彼らから独立した地位を奪い、寄る辺なき賃金労働者へと変え、生活水準の低下という脅威にさらすため、彼らはまた賃金労働者に依存するようになるのである。



作为现代资本主义社会中特殊阶层的知识分子,他们的特点,一般和整个说来,正是个人主义和不能接受纪律性和组织性・・・;这也就是这个社会阶层不如无产阶级的地方;这就是知识分子由于意志萎靡、动摇不定而使无产阶级常常身受其害的一个原因;知识分子的这种特性是同他们通常的生活条件,同他们在很多方面接近于小资产阶级生存条件的谋生条件(单独工作或者在很小的集体里工作等等)有密切联系的。

列宁:《进一步,退两步》(一九〇四年二~五月),《列宁全集》第七卷第二五六页


現代資本主義社会における特殊な層としての知識人の特徴は、一般的かつ総体的に見て、まさに個人主義であり、規律性や組織性を受け入れられないことにある。・・・これこそが、この社会層がプロレタリア階級に及ばない点である。また、知識人のこうした意志の薄弱さや動揺が、プロレタリア階級にしばしば害をもたらす原因でもある。知識人のこのような特性は、彼らの通常の生活条件や、多くの面で小ブルジョア的な生存条件に近い彼らの生計手段(単独での仕事、あるいはごく小さな集団での仕事など)と密接に結びついているのだ。


知识分子比较能够反映广大的小资产阶级和农民的利益。所以,尽管它很不坚定,但是它比较能够同专制制度进行革命的斗争,它一旦接近了人民,就会在这个斗争中成为一文巨大的力量。它自己虽然软弱无力,但是能够给小资产者和农民的极广大阶层提供他们恰恰缺少的东西:知识、纲领、领导、组织。

列宁:《作保皇派资产阶级的尾巴,还是作革命无产阶级和农民的领袖?》(一九〇五年九月),《列宁全集》第九卷第一九九~二〇〇页


知識人は、広範な小ブルジョアジーや農民の利益を比較的よく反映することができる。したがって、彼らは非常に不安定ではあるものの、専制制度に対して革命的な闘争を行う能力を比較的備えており、ひとたび人民に近づけば、この闘争において巨大な力となり得るのである。彼ら自身は無力ではあるが、小ブルジョアや農民の極めて広範な層に対し、彼らにまさに欠けているもの、すなわち「知識、綱領、指導、組織」を提供することができるのだ。


小资产阶级必然地、不可避免地动摇于资产阶级专政(克伦斯基,科尔尼洛夫,萨文柯夫)和无产阶级专政之间,因为小资产阶级由于它的经济地位的根本特性,不能采取任何独立行动。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第七〇七页


小ブルジョアジーは、その経済的立場の根本的な性質により、いかなる独立した行動も取ることができないため、ブルジョア階級独裁(クレンスキー、コルニーロフ、サヴィンコフ)とプロレタリア階級独裁の間で必然的に揺れ動く。


无政府主义者,正如马克思主义者早已屡次说明的,虽然非常“猛烈地”攻击资产阶级,但是他们还是站在资产阶级世界观的立场上。

列宁:《论工人政党对宗教的态度》(一九〇九年五月),《列宁全集》第十五卷第三八四页


マルクス主義者が繰り返し実証してきたように、アナーキストはブルジョアジーを「激しく」攻撃しながらも、依然としてブルジョア的世界観の立場に立っている。


无政府主义者的世界观是改头换面的资产阶级世界观。他们的个人主义理论,他们的个人主义理想是与社会主义直接对立的。

列宁:《社会主义和无政府主义》(一九〇五年十一月),《列宁全集》第十卷第五十三页


アナーキストの世界観は、偽装されたブルジョア的世界観である。彼らの個人主義的な理論と理想は、社会主義に真っ向から対立する。


有文化的人所以屈从资产阶级的政策,受资产阶级影响,因为他们是在资产阶级环境中获得自己的全部文化的。因为这样,他们总是站不稳脚跟,向反革命资产阶级作政治上的让步。

列宁:《苏维埃政权的成就和困难》(一九一九年四月),《列宁全集》第二十九卷第五十三页


教養ある人々がブルジョアジーの政策に屈従し、その影響を受けてしまうのは、彼らが自らの教養のすべてをブルジョア的な環境の中で獲得したからである。それゆえ、彼らは常に足場が定まらず、反革命的なブルジョアジーに対して政治的な譲歩を繰り返すのである。


世界各国几十年来的历史经验证明,小资产阶级总是犹豫不决,动摇不定,今天跟着无产阶级走,明天又因革命遭到困难而害怕起来,因工人遭受初次失败或挫折而张皇失措,他们心慌意乱,东奔西跑,到处诉苦,从这个营垒跑到那个营垒・・・就象我国的盂什维克和社会革命党人那样。

列宁:《无产阶级革命和叛徒考茨基》(一九一八年十一月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第六六一页


世界各国の数十年にわたる歴史的経験が証明しているように、小ブルジョア階級は常にためらい、動揺して定まらないものである。今日はプロレタリア階級に従って進んだかと思えば、翌日には革命の困難を恐れ出し、労働者が最初の失敗や挫折を味わうと狼狽してしまう。彼らは動転し、右往左往し、至る所で不満を訴え、ある陣営から別の陣営へと逃げ走るのだ・・・。ちょうど我が国のメンシェヴィキや社会革命党員たちがそうであったように。



“患难识朋友”,目前正处在新旧反革命势力一起展开进攻的困难时期的工人阶级,一定可以看到它的许许多多知识界中的“一时的朋友”,那些只能共欢乐的朋友,那些只是革命时期中的朋友纷纷离开革命,这些朋友在革命时期是革命家,但在低落时期就随波逐流,并准备在反革命一得胜的时候,就宣布“为合法地位而斗争”。

列宁:《政论家的短评》(一九一〇年三月),《列宁全集》第十六卷第二四四~二四五页


「非運のときの友が真の友」である。そして、新旧の反革命勢力の強襲している困難な時期に際会している労働者階級は、不可避的に、インテリゲンツィアの「ひと時の友」、祝祭時の友、革命期だけの友―――革命期には革命家であったが、退潮期に屈服し、反革命が成功をおさめるやいなや「合法性獲得のための闘争」をすすんでとなえる友のますます多くのものが脱落していくのを、見るであろう。


少谈些什么“劳动民主”,什么“自由、平等、博爱”,什么“民权”等等空话吧。现代有觉悟的工人和农民从这些夸大的词句里,是不难看出资产阶级知识分子的欺诈手腕的,正象每个有生活经验的人,望见“善良君子”极“光滑的”面貌和外表,就能一下子正确地断定他“大概是个骗子”。

列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第十七页


「勤労民主主義」や「自由、平等、友愛」や「人民権力」などについてのおしゃべりは、もっとへらすがよい。世故に通じた人が「おえらがた」の非のうちどころないほど「つやつやした」人相や風采を一目見て、すぐ「たぶん詐欺師にちがいない」とまちがいなく見きわめるのと同じくらいにたやすく、今日の自覚した労働者と農民は、これらの大げさな文句のうちにブルジョア・インテリゲンチャのいかさまを見わけるのである。


工人和农民决不会传染上知识分子老爷们、所有这些“新生活”派和其他败类的感伤主义的幻想,这班老爷力竭声嘶地“高喊”反对资本家,“指手划脚”,“痛斥”资本家,可是一到要真正行动,要把威胁变成事实,要在实践中真正给资本家调换位子的时候,他们就痛哭流涕,活象一只挨了打的小狗。

列宁:《怎样组织竞赛?》(一九一七年十二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第三九一页


声をからして資本家を攻撃して「わめきたて」、彼らに反対だという「ゼスチュアをし」、彼らを「こきおろした」けれども、いざ実行となり、おどかしを実行し、資本家の更迭の仕事を実地におこなう段になると、泣きさけび、ぶたれた犬ころのようにふるまうだけであったインテリゲンツィア諸氏、ノーヴァヤ・ジーズニ派その他のくだらない連中のセンチメンタルな幻想には、労働者と農民はすこしも染まっていない。


到苏维埃政权建立的时候,会有更多的资产阶级知识分子出身的人钻到你们的和我们的无产阶级政党里来。他们将钻进苏维埃,钻进法院,钻进行政机关,因为我们不用资本主义所造就的人材,就不能建设也无从建设共产主义,因为我们不能赶走和消灭资产阶级知识分子,我们应当战胜他们,改造他们,重新陶冶和重新教育他们,——正象应当在长期斗争中,在无产阶级专政的基础上重新教育无产者自己一样,因为无产者不能用神术,不能遵照圣母的意旨,不能遵照口号、决议、法令的意旨,一下子摆脱自己的小资产阶级偏见,而只有对广泛的小资产阶级影响,展开长期的艰苦的广泛的斗争,才能摆脱这种偏见。

列宁:《共产主义运动中的“左派”幼稚病》(一九二〇年五月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第二八〇~二八一页


ソヴィエト権力樹立の時が来れば、より多くのブルジョア階級出身の知識人が、あなたがたや我々のプロレタリア政党へと入り込んでくるだろう。彼らはソヴィエトに入り込み、裁判所に入り込み、行政機関に入り込む。なぜなら、資本主義が作り出した人材を用いずしては、我々は共産主義を建設することはできないし、建設のしようもないからだ。我々はブルジョアジーの知識人を追い払ったり、消滅させたりすることはできない。我々は彼らを打ち負かし、改造し、鍛え直し、再教育しなければならないのだ。——それはちょうど、長期にわたる闘争の中で、プロレタリア階級独裁という基盤の上で、プロレタリア自身を再教育しなければならないのと同じことである。なぜなら、プロレタリアもまた、神の力や聖母マリアの思し召し、あるいはスローガン、決議、法令の思し召しによって、自らの中にある小ブルジョア的な偏見を一挙に振り払うことなどできず、広範な小ブルジョア階級の影響力に対して、長期的で、困難な、広範な闘争を展開することによってのみ、その偏見から脱却できるからである。


对于苏维埃的一切决定,他们都声明同意,但只是原则上的同意。这是资产阶级知识分子,一切妥协分子的惯技,他们总是用原则上同意而实际上不同意的手段来葬送一切。

列宁:《在全俄中央执行委员会会议上关于银行国有化问题的发言》(一九一七年十二月),《列宁全集》第二十六卷第三六三页


彼らはソ連のあらゆる決定に同意すると宣言したが、それはあくまで原則的な同意に過ぎなかった。これはブルジョア知識人やあらゆる妥協主義者の常套手段だ。彼らは常に、原則的には同意しながらも実際には同意しないという手段を用いて、すべてを台無しにしてきた。



假如资产阶级知识分子把自己的知识用来帮助劳动群众,而不是用去帮助俄国和外国的资本家恢复他们的权力,那末改革会进行得更迅速,更和平。但这是空想,因为问题要由阶级斗争来解决,而大多数知识分子是倾向于资产阶级的。无产阶级要取得胜利,不是靠知识分子的帮助,而是不顾他们的对抗(至少是在大多数场合下),摒除不可救药的资产阶级知识分子,同时改造动摇分子,使之服从自己,渐渐地把他们的大多数争取到自己方面来。对转变中的困难和挫折幸灾乐祸,散布惊慌情绪,宣传开倒车,——这一切是资产阶级知识分子进行阶级斗争的工具和手段。无产阶级是不会让自己受骗的。

列宁:《伟大的创举》(一九一九年六月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第十四页


もしブルジョア・インテリゲンツィアがその知識を、ロシアや外国の資本家の権力の復活を助けるためにではなく、勤労者を助けるために用いたならば、変革はもっと速やかに、またもっと平和的におこなわれたであろう、と。しかし、これはユートピアである。なぜなら、問題は階級闘争によって解決されるのであって、インテリゲンツィアの大多数はブルジョアジーのほうに心をひかれているからである。インテリゲンツィアの援助によってではなく、その反抗にもかかわらず(すくなくとも、たいていの場合にそうである)、プロレタリアートは、度しがたいブルジョア・インテリゲンツィアを排除し、動揺しているインテリゲンツィアを改造し、再教育し、自分に服従させ、彼らのますます大きな部分をしだいに自分の味方につけることによって勝利するであろう。変革の困難と失敗を見てせせら笑ったり、恐怖気分をひろめたり、昔に帰れと宣伝したりすること――これはすべて、ブルジョア・インテリゲンツィアの階級闘争の用具であり手口である。プロレタリアートはこうしたものにあざむかれはしない。


“他们”以为,社会主义革命所加到劳动者肩上的那种伟大的、真正雄伟的、具有全世界历史意义的组织任务,“老百姓”即“普通”工人和农民是负担不了的。那些惯于替资本家和资本主义国家效劳的知识分子安慰自己说:“没有我们不行。”他们这种厚颜无耻的打算是不会实现的:有学识的人现在正在分化,正在转到人民方面,转到劳动者方面来,并且帮助他们粉碎资本奴仆们的反抗。而天才的组织家在农民和工人阶级中间是很多的,他们现在才刚刚开始认识自己,觉醒过来,投人生动的、创造性的、伟大的工作,独立地从事着社会主义社会建设。

列宁:《怎样组织竞赛?》(一九一七年十二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第三九二~三九三页


「彼ら」は考える――「庶民」、「普通」の労働者と貧農には、社会主義革命が勤労者の肩に負わせた偉大な、世界史的な意味で真に英雄的な、組織上の任務は、手におえないだろう、と。「われわれなしにはやっていけない」――資本家や資本主義国家に奉仕することに慣れたインテリゲンツィアは、そう言って自分を慰めている。彼らの厚かましい目算ははずれるだろう。いまでもすでに教育のある人たちが現われてきて、人民の側に、勤労者の側に移って、資本の召使どもの反抗を打ち砕くのを助けている。また、組織上の才能をもった人材は、農民や労働者階級のなかにたくさんいるのであって、この人々はいまやっと自覚し、目をさまし、生きいきした、創造的な、偉大な活動に引き入れられ、社会主義社会の建設に自主的にとりかかりはじめたところである。


缺少有学识的人、知识分子、专家的意见和指示是不行的。任何一个头脑多少清醒一点的工人和农民,对于这一点是知道得很清楚的,我们的知识分子决不能抱怨工农对他们不够重视,对他们缺少同志式的尊敬。但是,意见和指示是一回事,组织实际的统计和监督又是一回事。知识分子往往能够提出极好的意见和指示,可是到了要实行这些意见和指示,要实际地监督怎样把言论变成行动时,他们就显得“笨手笨脚”、无能为力了,这种情况简直达到了可笑、荒谬和可耻的地步。

列宁:《怎样组织竞赛?》(一九一七年十二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第三九六页


教養のある人々、インテリゲンツィア、専門家の助言や指示なしにはやっていけない。すこしでももののわかった労働者や農民なら、みなこのことをよく理解している。だから、われわれの仲間のインテリゲンツィアは、労働者や農民の配慮と同志的尊敬が足りないと不平を言うわけにはいかない。しかし、助言や指示をあたえることと、実地の記録と統制を組織することとは、別物である。インテリゲンツィアはすばらしい助言や指示をたえずあたえはするが、しかし、これらの助言や指示を実行に移し、ことばが行為に変わるように実地の統制をおこなう段になると、おかしいくらい、ばかばかしいくらい、恥さらしなくらい「不手際」で、無能である。


与街道严密隔绝的、闷人的、发霉的、“社会人士”的书斋一旦向“街道”打开了房门,里面多年积下的灰尘便滚滚而出。那种以“有知识”、“有教养”自命的风干鲫鱼的诡辩术便大白于世了。

列宁:《杜马和俄国自由派》(一九〇七年四月),《列宁全集》第十二卷第三六五页


通りから厳重に隔絶された、息の詰まるような、カビ臭い「社会人士」の書斎が、ひとたび「通り」に向かってその扉を開くやいなや、の中に長年積もりきっていた埃がもうもうと舞い出した。自らを「知識あり」「教養あり」と自惚れる、あの干からびたフナのような詭弁術が、今や白日の下にさらされたのである。


有一些知识分子,他们不直接参加剥削,他们学会了搬弄一般的词句和概念,热中于宣传种种“好的”说教,他们还常常极端愚蠢地把自己的阶级之间的地位作为非阶级的政党和非阶级的政策的原则,——这样的资产阶级知识分子对人民的影响是危险的。这样,也只有这样,才能真正毒害广大群众,要同这种毒害作斗争,必须动员社会主义的全部力量。

列宁:《纪念葛伊甸伯爵》(一九〇七年六月),《列宁全集》第十三卷第三十六页


ある種の知識人たちは、自ら直接搾取には加わらないが、一般的な言葉や概念を操ることを覚え、様々に「良い」説教を宣伝することに熱中している。彼らはまた、自分たちの階級間的な地位を、非階級的な政党や非階級的な政策の原則であるかのように、極めて愚かにも主張するのである。——こうしたブルジョア知識人は、人民に危険な影響を及ぼす。彼らは真に大衆を毒することができるのは、このような方法によるのみと理解しており、この毒と闘うためには、社会主義勢力全体を動員しなければならない。


知识分子从党内逃跑的消息在在皆是。这帮混蛋跑得正好。党清除掉这些市侩垃圾。工人将担负起更多的工作。职业工人的作用正在加强。

列宁:《给阿·马·高尔基》(一九〇八年二月),《列宁全集》第三十四卷第三八五~三八六页


知識人が党から逃げ出しているという知らせがあちこちから届いている。このろくでなしどもが去っていくのは、まさに喜ばしいことだ。党はこうした俗物的なゴミを一掃したのである。これからは労働者がより多くの仕事を担うことになるだろう。職業的労働者の役割は、今まさに強化されているのだ。


被压迫阶级的代表,甚至待遇很好和非常有知识的工人,也都是一下子就抓住问题的关键,单纯直率得惊人,信心坚定不移,观点极为明确,这是我们知识分子望尘莫及的。

列宁:《布尔什维克能保持国家政权吗?》(一九一七年九月底~十月),《列宁全集》第二十六卷第一〇二页


被抑圧階級の代表者たちは、たとえ待遇が良く非常に知識のある労働者であっても、みな一様に問題の核心を一瞬で掴み取る。その単純さと率直さは驚くべきものであり、信念は揺るぎなく、観点は極めて明快である。これは、我々知識人には到底及ばないところである。


资产者和资产阶级知识分子就是这样想,这样说,这样行动的从自私自利的观点来看,他们的行为是可以理解的,因为农奴主地主所豢养的食客和寄生虫,果戈里笔下的典型神甫、录事和官吏,那些痛恨别林斯基的“知识分子”,他们对农奴制也是“恋恋”不舍的。可是剥削者及其知识分子奴仆的事业是毫无希望的事业。工人和农民正在粉碎他们的反抗,可惜干得还不够坚决、果断和无情,但是一定会粉碎他们的反抗。

列宁:《怎样组织竞赛?》(一九一七年十二月),《列宁选集》一九六五年版第三卷第三九二页


ブルジョアとブルジョア・インテリゲンツィアはそう言い、そう考え、そう行動している。わが身かわいさの見地からすれば、彼らのふるまいはよくわかる。農奴主的地主の寄食者と居候、坊主、書き役、ゴーゴリの作品型の官吏、ベリンスキーを憎んだ「インテリゲンツィア」にとっても、農奴制に別れをつげるのは、同じように「困難」であった。しかし、搾取者とそのインテリ下僕どもの仕事は、先の望みのない仕事である。労働者と農民は、彼らの反抗を打ち砕きつつあり――残念ながら、まだ十分にしっかりと、断固として、容赦なくやってはいないが――、そして打ち砕きつくすであろう。



必须使共产主义青年团把自己的训练、学习和教育同工农的劳动结合起来,不要关在自己的学校里,不要只限于阅读共产主义书籍和小册子。只有在劳动中同工农打成一片,才能成为真正的共产主义者。

列宁:《青年团的任务》(一九二〇年十月),《列宁选集》一九六五年版第四卷第三七八页


共産主義青年団は、自らの訓練、学習、教育を労働者と農民の労働と一体化させなければならない。自らの学校に閉じこもったり、共産主義の書籍やパンフレットを読むだけに留まってはならない。労働者と農民の労働と一体になることによってのみ、真の共産主義者となることができるのである。


            ――★スターリン語録★――


任何一个统治阶级都不能没有自己的知识分子。

斯大林:《新的环境和新的经济建设任务》(一九三一年六月),《斯大林全集》第十三卷第六十一页


いかなる支配階級も、その内部の知識人なしには存在できない。


知识分子只有和工人阶级结合起来,才能是强有力的。如果他们反对工人阶级,那末他们就变成毫不足道的人了。

斯大林:《和英国作家赫·乔·威尔斯的谈话》(一九三四年七月)


知識人は労働者階級と団結した時にのみ力を発揮できる。労働者階級に反対すれば、彼らは全く無価値になってしまう。


无产阶级、社会主义需要受过很高教育的人。很明显,蠢才是不能帮助无产阶级去争取社会主义,建立新社会的。我并不低估知识分子的作用,相反地,、我却强调他们的作用。问题只在于,说的是哪一种知识分子,因为知识分子是有各种各样的。

斯大林:《和英国作家赫·乔·威尔斯的谈话》(一九三四年七月)


プロレタリアートと社会主義は、高度な教育を受けた人々を必要としている。愚か者が、プロレタリアートが社会主義を勝ち取り、新しい社会を建設するのを助けることなどできないのは明白だ。私は知識人の役割を過小評価しているのではなく、むしろ逆に、その役割を強調しているのである。問題はただ、どのような知識人について語っているのか、という点にある。なぜなら、知識人には多種多様な人々がいるからである。


共产党员大学生和全体苏维埃大学生应当明确而肯定地给自己提出如下的当前任务:掌握科学,从新的苏维埃人中间造就新的换班人来接替旧教授。我决不是说大学生不应当研究政治。决不是这样。我只是说共产党员大学生应当善于把政治工作和掌握科学的事业结合起来。

斯大林:《致苏联无产阶级大学生第一次全国代表会议》(一九二五年四月),《斯大林全集》第七卷第七十三~七十四页


共産主義者の大学生および全ソヴィエトの大学生は、当面の任務として次のことを明確かつ断固として自らに課すべきである。すなわち、科学を習得し、古い教授たちに代わる新たな交代要員を、新しいソヴィエト人の間から育成することである。私は決して、大学生が政治を研究すべきではないと言っているのではない。断じてそうではない。私が言いたいのは、共産主義者の大学生は、政治的活動と科学を習得するという事業を、巧みに結合させなければならないということである。


如果把没有政治气节、争位置、不坚定、无原则以及诸如此类的特点综合在一起,那我们就会看出一个总的特性,即()()()()()()()(),这种动摇性是知识分子最常犯的毛病。

斯大林:《答“社会民主党人报”》(一九〇五年八月),《斯大林全集》第一卷第一五〇页


政治的な節操の欠如、地位争いへの執着、不堅実さ、無原則さ、といった特徴をすべて総合してみれば、そこには一つの共通した特性、すなわち知識人の「動揺性」が見て取れる。この動揺性こそが、知識人が最も陥りやすい欠点なのである。


据某些同志看来,一个知识分子只要多读两三本书或多写一两本小册子,就可以要求党内的领导权了。同志们,这是不正确的。这不正确到很可笑的地步。

斯大林:《在共产国际执行委员会第六次扩大全会德国委员会会议上的演说》(一九二六年三月),《斯大林全集》第八卷第一〇四页


一部の同志たちの見解によれば、知識人というものは、二、三冊の本を余分に読んだり、あるいは一、二冊のパンフレットを余分に書いたりしさえすれば、党内の指導権を要求できると考えているようである。同志諸君、これは全く正しくなく、滑稽なほどに間違っている。

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