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若返りの薬事件から一週間が経った。日課の畑仕事をしていると、久しぶりの客が来た。
「こんにちは、狼さん」
選定の手を止めて、銀狼に挨拶をする。銀狼はニコルを一瞥すると、畑の隅に寝そべった。相変わらず、汚れを知らない美しい毛並みだ。
「先日のことだけれど、あなたがリオネル様を呼んできてくれたのね」
ニコルが話しかけても、狼からの返事はない。交差した前足に頭を載せて、目を閉じる。そのまま寝るつもりかもしれない。
「リオネル様とも顔見知りだったの? あなたのことをお名前で呼んでいた気がするのですが。確か、パスカル……でしたっけ?」
反応を窺うも、銀狼は微動だにしない。「パスカルという名前と言えば」と、ニコルは続ける。鎌をかけるつもりだったが、意味はなさそうだ。薬草の収穫作業を再開する。
「第三王子殿下と同じですね。リオネル様はお兄様のお名前をあなたにつけたのでしょうか」
これはもう独り言だ。ニコルは地面を見ていて、銀狼の耳がぱさっと動いたのに気付かなかった。
黙々と作業をしていると、突然、銀狼が目を開けて立ち上がった。最初、飽きて帰るのかと思って気にしなかった。が、銀狼がその場からちっとも動かない。不思議に思って、ニコルは彼の方を見た。
校舎の方から人が向かって来ている。長さが不揃いな髪をまとめている、太目なポニーテールが揺れている。逆光で顔は見えないが、その特徴だけで誰かわかった。憩いの場である畑には来てほしくない人だ。
ニコルは慌てて荷物をまとめ始めた。でも、間に合わない。
「待て、ラ・ディラン」
低い声がニコルを呼び止める。ニコルが立ち去ろうとしていることを察したのだろう。
ニコルは無視をして帰り支度を進める。それを不満に思ったらしく、大きな手がニコルの手首を掴んだ。傍で銀狼が唸る。
「待てって、ニコル」
「触らないで、ロイック」
ニコルが手首を振ると、意外にも簡単に解放された。しかし、用を聞くまで離れてくれなさそうなので、諦めて向き合う。
明るい黄緑の髪に銀色のメッシュが入っている。その長い髪を上の方で一つにくくり、揺らす。長さの違う毛先が、毛束の中から段々に飛び出している。
これは攻撃魔法に特化したラ・ジェラール家の特徴だ。自身の髪を糧に矢や刃を作り、攻撃に使う。髪を捧げる魔法使いの中でも特に消費の多い一族だ。
「愛しのフルリさんはいいの?」
ニコルは腕を組んで、睨む。相手は、ラ・ジェラール家が次期当主、ロイック・ラ・ジェラールだ。
「良くはない。だから、さっさと……」
ロイックが言葉を止める。二人の間に銀色の獣が入ったからだ。銀狼はロイックが危害を加えるつもりでないと見ると、二人の関係性を検め始めた。
「何? こいつ。魔獣?」
「どちらかというと神獣に近いと思う」
魔力を持って生まれた獣が人を襲うことがある。それを魔獣と呼び、嫌厭している。時には討伐隊が派遣されることもある。
対して、神獣は人に益を成す獣だ。高い知能で、使い魔として人を助けてきた歴史がある。
銀狼の話はそこそこに、二人は本題に入る。
「目途は立ったか?」
「次の新月でカーネーションが取れるから薬は」
「あとは縛り呪文か」
「あまり充てにしないで」
「わかってる」
これ以上、ロイックを留まらせては危険だ。ニコルはそろそろ行ってはどうかと言おうと思った。だが、もう遅かった。
「くっ! あ…………」
ロイックが胸を押さえ始めた。痛みに顔を歪ませる。呼吸も浅くなる。冷汗の滲んだ顔を校舎側に向けた。そこには失望したマルグリットがいる。
「直ってる」
ぼそりと呟く声。マルグリットは畑に鋭い目を向けている。一週間前、畑を荒らした犯人はやはりマルグリットだった。
次にニコル達に見せた顔は、恐ろしいほどの笑顔だ。マルグリットは甘い声でロイックを呼ぶ。ロイックは吸い寄せられるように、マルグリットの隣に走った。
「ねえ、ロイック。婚約者を置いて何をしていたの?」
「ごめんよ、マルグリット。ただ話をしていただけさ。それに、もう何を話していたかなんて忘れてしまったよ」
ロイックがマルグリットを抱き寄せる。二人は口づけしそうなくらい顔を近づけて話している。
(なんて変わり身の早い。呪いのせいとはいえ、惨めな姿ね)
ニコルはいつもの無表情で二人を見ていた。ロイックは昔から意地悪だったのではない。
彼とニコルは遠縁にあたる。六歳の婚約以降、男子との関りは極力減らしたニコルにとって、一族の行事で顔を合わすロイックは数少ない異性の知り合いだ。二人の関係を幼馴染みと表して問題はないだろう。
幼くして婚約者を得たニコルに対し、その事実を知ることもなかったロイックは、同い年の親戚の女の子に思いを寄せていた。大人になれば自然と婚約者になるのだと思っていた。当然ながら、ニコルは応えられなかった。
十二歳の時、ロイックはニコルに思いを打ち明けた。しかし、ニコルは理由も告げずに断った。以来、ロイックはニコルに会おうとしなかった。
国立魔法学園に入学する頃、二人は疎遠になっていて、互いの状況など知らなかった。数年ぶりに会った幼馴染みがまさか、惚れ薬をもられ、呪いをかけられているとは、しかもその相手と婚約しているとは思いもしなかった。
失恋したロイックを慰めるかのように、マルグリットが近づき、薬を使って心を支配した。数年会っていなかったのも、マルグリットの独占欲のせいだった。
学園で再会し、ニコルは初めてその事実を知らされた。マルグリットのそばにいなければ、惚れ薬と縛り呪文の影響を受けにくくなる。ロイックはその隙をついて、ニコルに助けを求めたのだ。
その一方、ニコルこそロイックの思い人であると知るマルグリットは、ニコルを執拗にいじめた。『パンドラ』という蔑称を広めて学園中を巻き込んだのもマルグリットだ。
ロイックの回答がお気に召したようで、マルグリットは「そうよね」と言って頷いた。マルグリットの魔法で、ロイックはついさっき交わしたニコルとのやりとりを本当に忘れてしまったのかもしれない。
ニコルは気分が悪くなって、その場を離れる判断をする。薬草を詰めたかごを拾う。
「何逃げようとしているのよ」
ニコルの動きに目ざとく気づいて、マルグリットが睨む。ニコルに止まってやる理由はない。銀狼の頭を一撫でして歩き始める。
「何よ。無視しようって言うの? 他人の婚約者を奪おうとしておいて。あんたは無害なお人形なんかじゃない。成り代わり人形よ。そんなことしたってロイックを奪えないのに!」
背中に暴言を受けながら、ニコルは校舎に向かって歩き続けた。足を止める気配がないのに我慢ならなくなり、マルグリットは強硬手段に出た。
「ロイック、あの女を止めて!」
マルグリットはねだるようにロイックの胸に手をあててもたれるが、その声はヒステリックな叫び声だ。
ロイックは可愛い恋人のわがままを聞く心優しい男のような、穏やかな表情で髪を一房掴んだ。親指ほどの長さに切られた毛束を、親指と他の指で挟んで耳の後ろに持つ。空いている左手は拳銃の形に構えて、人差し指の先をニコルに向ける。
ふっ。
息の音とも、矢が飛び出した音ともとれるような一音があった直後、ロイックの手にあった髪が光の矢となって飛んだ。ニコルの足元にザッと音を立てて、矢が突き刺さる。
ニコルはぎょっとした。矢はわざと外れたのではない。間違いなくニコルを狙っていた。ニコルが傷つかずにすんだのは、銀狼がマントの裾を引っ張って、こけさせたからだ。
ニコルは四つん這いから体を転がしてお尻をつけて座る。尻もちをついたような姿勢のまま、ロイックを見る。ロイックは憎悪に満ちた顔でニコルを睨んでいる。冷静じゃない。
「もっと! もっとよ! 全然足りないッ!」
冷静ではないのは、ロイックの手綱を握るマルグリットの方だ。獣が吠えるように、攻撃の命令を繰り返す。愛しい(と思いこまされている)人の要望に応えることが幸福であると思わされているロイックは、命令を全て聞き入れる。
ロイックは再び髪を切って持った。先ほどと同じように弓を構える姿勢になる。今度はそれらを一本の矢にするのではなく、複数の短い矢にする。飛距離も攻撃力も落ちるが、同時に多数の弾を放てるという数の優位が働く。
ロイックの右手がわずかに後ろに引かれ、指が開く。無数の光の矢がニコルを襲いかかる。ニコルは猛襲を右手を広げて迎え受ける。矢が届く前に水の膜が現れた。水に触れた矢は速度が落ち、徐々に飲み込まれていった。魔力を失った矢は形を保つ力も失い、水のバリアの中で泡となって消えていく。
「もっと、もっと!」とマルグリットが囃し立てるので、ロイックは攻撃を続けた。髪を切っては放つ、切っては放つを繰り返す。攻撃のペースが速まったので、ニコルは左手も前に突き出して、水に注ぐ魔力を増やす。強度を増した水のバリアでも、繰り返される攻撃を防ぎきることはできない。矢尻の先端が水からわずかに顔を出して、ニコルを狙う。幸い、矢は水の壁を突破する前に消えた。
守るだけでは駄目だ。これではジリ貧だ。水の魔法は得意だが、防御への応用は慣れていない。攻撃は避けたかったけれど、やむを得ないかもしれない。
「ねえ、もっと強いの撃ってよ!」
決着がつかないのをじれったく思ったのか、マルグリットが苛立ちをあらわにする。長い髪を一つの三つ編みにして、胸の前に垂らしている。それをいじるのが癖で、無意識に編み込みをなぞる様に指を滑らせる。
ロイックは可愛い彼女の期待に応えるべく、渾身の一撃を放つことにした。古語で詠唱を始める。ニコルはさすがに分が悪いと思い、共にバリアの中にいる銀狼を見た。狼を守りながら、自分の身を守るだけの術はない。詠唱を終える前に、水責めにした方が良い。
ニコルは立ち上がって、防御のために使っていた水をロイックめがけて押し出した。と同時に、ロイックは右手を大きく振りかぶって、前に踏み込んだ。巨大な光の槍が飛んでくる。
ラ・ジェラール家の秘術、光槍は水では止められない。槍はロイックを襲うために移動する水の塊を易々とすり抜け、ニコル目掛けて一直線に奔る。
ニコルは狼に覆いかぶさり、ありったけの魔力を周囲に放った。ニコルの魔力量は人並みで、光槍を止められる衝撃にはならない。槍を止められるわけがなかった。
けれど、槍はニコルに傷一つつけなかった。
ニコルと銀狼の前に黒いカーテンのような、魔力の壁が現れた。ニコルはその様を見て、カラスが翼を広げたようだと思った。闇の魔力に触れた槍は大きな火花を散らして、はじかれた。軌道は反れたものの、具現化が解けないところを見るに、槍の強度は確かだ。
ニコルはごくりと喉を鳴らした。あれに貫かれていたら、ひとたまりもない。
「愛に溢れた国と思ったのは勘違いだったのかしら」
教会の鐘のような凛とした声。声を張っているわけでもないのに、聞かなければならないと思わされる。叫んでいたマルグリットですら口を噤んだ。
声の主は真っ黒のドレスに身をつつみ、真っ黒の扇子を持っていた。伸ばした左手の先に広がった扇子がある。彼女が闇の魔法の使い手に違いない。




