-5-
「嘘……」
ふらつきながらもなんとか辿り着いた畑で、ニコルは膝から崩れ落ちた。
薬草畑は見るも無残な状態だった。土が掘り返され、根がちぎれた状態で地表に出ている。葉が朽ちているものもある。畑が何者かによって荒らされたのだ。
『ラ・ディランに弁償させればいい』
ロイックは若返りの薬をニコルに作り直させようとしていた。こぼした薬を瓶に戻すという意味ではなく、新しい材料で最初から調合するという意味で。そこから推測されるのは、この畑の惨状を見せるための誘導であった可能性だ。証拠は一つもないが、彼らが関わっているのではないかと思えて仕方ない。
ニコルは嗚咽をもらし、二の腕を抱きしめる。体が痛い。もうじき薬を摂取して五分が経つ。
心も痛い。愛情込めて育ててきた薬草が可哀想な姿になってしまった。
もう立ち上がる元気もない。地面でうずくまって、じっと痛みに耐える。顔を上げることはできなかったが、一瞬、傍に銀狼がいたような気配があった。すぐに離れてしまったので、心細さが増すだけだった。
「レ……ニコル、ニコル。大丈夫?」
名前を呼ばれて、地面に押し付けていた顔を上げる。目の前にいたのはリオネルだった。
リオネルは眉を八の字に曲げ、ハンカチを取り出す。そして、涙と土で汚れたニコルの顔を拭く。相変わらず、ニコルに触れる時は白い手袋をつけたままだ。
「畑を駄目にされてしまったのか」
しゃがんでいたリオネルが立ち上がる。リオネルの顔が遠い。膝と手をついているニコルからは巨人を見上げている気分になる。
ニコルの体が小さくなってしまったのだ。着ている制服が大きく余っている。上体を起こすと、マントが肩から落ちる。袖もだぼっとしている。
リオネルは畑を改めて確認した後、手ごろな枝を拾って地面に魔法陣を描き始めた。畑を大きな円で囲み、その隣に魔法の要となる文様を描く。
ニコルはそれをただ眺めていた。途中からリオネルが何をしようとしているのか察した。
陣を描き終えると、リオネルは魔法で髪を一房切った。せっかくきれいに整えられていた髪が一か所だけ短くなる。
魔法使いにとって、供物となる髪は多い方が良い。一般的に男女関係なく髪を長く保つものだが、王子のような身分の高い者はその限りでない。供物が必要な大がかりの魔法はたいてい下の者に命令して行わせれば良いからだ。
髪の束を魔法陣の中心に落とすと、古語で呪文を唱えた。要約すれば「汝、時を戻せ」ということを。
薬草が見えない手によって元あった場所に戻され、徐々に元気を取り戻していく。一分もしないうちにニコルがよく知る姿に戻った。
「リオネル様」
ニコルは目を潤ませてリオネルを見た。今の彼は救世主に見えた。
「ラ・エタンのように上手くできたら、君の体も戻せただろうに」
リオネルが微笑む。大量に魔力を消費して疲れたのだろう。「ふぅ」と息を吐きながら座った。
ラ・エタンはデスティー王国における正九家の一つ。時の魔法を得意とする一族だ。ラ・ディラン家の水魔法と同じく、彼らにとって時戻しの魔法は象徴といえる。
確かにラ・エタンの力があれば、ニコルの体も戻せたかもしれない。たった三十分も巻き戻せば、ニコルは元の大きさになれる。
若返りの薬というのは名ばかりで、実際には体を縮めているに過ぎない。成長のために十年分の時をかける必要はない。
「ありがとうございます、リオネル様。これで薬が作れます」
言うが早いか。ニコルは立ち上がって、マントを引きずりながら畑に入っていった。目的の薬草を摘み、集める。
だが、最後の一つが難関だった。材料にルタバガの根が必要で、ニコルの魔法で大きく育ったそれは収穫に苦労する。
ルタバガは魔法で上手く栄養を与えてやれば、とある国の民話であるように三人の人間と三匹の動物が力を合わせてようやく抜けるサイズまで巨大化する。そこまでの大きさは必要にならないので、大人一人の力があれば抜ける程度に収めているが、今のニコルは六歳ほどの体だ。子供の筋力では引き抜くことができない。
魔法を使うことも考えた。しかし、体が小さいと持っている魔力量も減る。魔法薬の作成に余力は残しておきたいので、材料集めに魔法は使いたくない。
ニコルは小さな手で一生懸命穴を掘る。ルタバガの周りの土を削って、根の拘束を緩める作戦だ。道具を持って来なかったので、この作業だけで日がくれてしまいそうだ。
途中、無理だとわかっているけれど、試しに引っ張ってみることにした。茎を両手でしっかり持ち、足をぴんと延ばして体を逸らす。
「ん~」
歯を食いしばるが、ルタバガはびくともしない。軍手をつけていない手は滑って、ずるっと茎から抜けてしまう。
「あっ」
引っ張った勢いのままニコルは後ろに倒れ込む。
「おっと」
頭の上から声がして、背中がとんっと支えられる。いつの間にかリオネルが後ろに立っていて、ニコルが尻もちをつくまえに助けてくれた。
天を仰ぎ見るニコルの目に、逆さのリオネルの顔が映る。吸い込まれそうなターコイズブルーの瞳と雲のような柔らかな髪に、思わず見入ってしまう。あまり気にしないようにしていたが、他の女子生徒が騒ぐのも頷ける、端正な顔立ちである。
「随分と汚れてしまったね」
リオネルは穏やかな声で言い、ニコルを抱きかかえた。白い手袋と制服が、ニコルについていた泥で汚れるのも厭わなかった。
ニコルを畑の外に降ろすと、ルタバガを指して「これを抜きたかったの?」と子供に聞くような優しい表情で問う。リオネルの問いに、ニコルは頷いた。
リオネルは手袋を外してポケットに押し込んだ。茎の根元をしっかり持つと、真上に引き上げた。ニコルの苦労は何だったのだろう。いとも簡単に抜けてしまった。何はともあれ、これで材料が揃ったわけだ。
調薬の道具を求めて、校舎に戻る。小さな腕では素材を抱えきれず、リオネルに手伝ってもらうのが自然の流れだった。
マントをずるずる引きずりながら廊下を歩く。階段を上る時は裾を踏んで転びそうになった。ちょこちょこと一生懸命歩くニコルに合わせて、リオネルはゆっくり歩いた。
リオネルの頬が緩んでいるのに、ニコルは気付かなかった。頭のずっと上にある顔を見るのは難しいからだ。
魔法薬の調合道具が揃った研究室の一つを覗き、空いているのを確認する。授業でも、自習でも使われていない。
作業台の上に材料を載せようとして、届かないことに気付く。リオネルはニコルが抱える薬草を預かって机に置くと、椅子を運んできて、その上にニコルを座らせた。
リオネルは驚くほど甲斐甲斐しかった。薬草を切るためのナイフをニコルの届くところに用意してくれたり、すり鉢での作業は代わってくれたり。
「今更ですが、授業は良いのですか?」
椅子の上に立って、火にかけた鍋をかき混ぜながら、ニコルは、すぐ横で上機嫌に作業を眺めているリオネルに尋ねる。
彼がいなければ、ここに辿り着けたかも危うい。感謝はしている。だが、必須科目である魔法薬学の授業で散々見ている調薬が興味を引いているとは思えない。本来受けるべき授業をさぼってまで居続ける意味はないはずだ。
「困っている女の子を放っておけないよ」
彼の笑顔が光る。うっかりときめいてしまって、そんな自分に動揺して、ニコルはリオネルから距離をとろうとした。椅子の上に立っている危険な状態であることが完全に頭から抜けていた。後ずさった足が宙に出る。
体が傾く。何かに掴もうと手を伸ばすが、そんな場所はない。頭の中が真っ白になる。走馬燈を見なかったのは、死を覚悟するほどの状況でないとどこかで冷静に考えているからだろう。
「危ない!」
リオネルが焦った顔と声で手を伸ばす。リオネルとニコルの手が触れ合う。その瞬間、電流のような痛みが走った。反射的に互いに手を引っ込める。
「あ……」
救いの手を失い、ニコルは落ちた。衝撃に備えて固く目を閉じる。
もふ。
想像していたよりも早く着地し、想定していたよりも地面は柔らかい。恐る恐る目を開け、腰の下を手で探る。もふもふ、さらさらとした獣の毛が指の間を抜ける。生き物の熱が手のひらに伝わる。
ニコルは銀狼の背中の上に乗っている。




