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「パンドラが無理強いしてペアを組んだのよ」
「王子様かわいそ~」
「手袋外さなかったんだって?」
「そう。あの殿下にすら触るの嫌がられてやんの」
「ざまあねえ」
「な!」
「リオネル王子に呪いがかかってるなんて絶対嘘よ。アニーが見た時はそんなこと言ってなかったもの」
「解呪でトップの子だっけ?」
「そう、鑑定が上手なの」
解呪の授業が終わると、日常に逆戻りした。ニコルを非難する噂話が行く先々で聞かれた。ロールがいようとお構いなしだった。
陰口を言う生徒達の誤解を解きに行こうとするロールを、ニコルは必死に止めた。噂なんて時間が経てば飽きるもの。抵抗したって仕方のないもの。
「無力な自分が憎いです。こんなことをして許される方ではないのに……」
「私は慣れていますから」
ロールの綺麗な桃色の唇が噛み締められる。ニコルは鉄の仮面で強い人間を演じる。ロールにだけは見せていた笑顔も消え、以前の感情のないニコルが戻った。それをロールは悲し気に見ている。
放課後、薬草を育てている畑へ一人で行った。学園の敷地内にニコルのための畑がある。秀でた水魔法の能力で高品質の薬草を作ることができるニコルには、その一部を授業用に提供する代わりに、森のそばに新たに専用の畑が設けられた。
昼休みや放課後に面倒を見るのが日課だ。一人で時間をつぶすのに最適な趣味なのだ。
土の状態を見て、水の量を調節する。十分に育った薬草は摘んで、自分用と学園への提供用に仕分ける。
昨日と同じように魔法薬学準備室に薬草を運ぶ準備をして立ち上がった時、森の入口に獣がいることに気がついた。ニコルは足を止めた。恐ろしさゆえではない。あまりに美しかったからだ。
しなやかな体に、輝く艶やかな毛並み。一人佇む人間を見つめて決してそらさない、強い二つの瞳。
銀狼は四本の足をゆっくり動かして、徐々にニコルに近づいた。自然の獣ならば人になれ合わないはずだが。特に気高い銀狼が触れられる距離まで寄ってくることがあるとは。
ニコルは何かに導かれるように狼に手を伸ばした。広げられた手のひらに銀狼が体を添わせる。狼が自ら胴から尾まで撫でさせる。
その狼は翌日以降も現れた。
畑仕事をしていると、銀狼はそれを見守るように姿を見せる。体を伏せ、前足に顎を載せるのが彼のお決まりのポーズだ。
「今日もお越しになったのね」
狼の前にしゃがんで頭を撫でる。銀狼は嫌がるどころか、嬉しそうに目を細める。口が利けぬのを良い事に、ニコルは一方的に話し続ける。
「あなたは呪いで姿を変えられた婚約者様で、キスで人間に戻れたりしないかしら」
不意に銀狼の目が大きく開かれる。驚いているのだろうか。まさか言葉が理解できるとは考えられないが。
「恥ずかしい妄想だってわかっています。笑わないでくださいね」
ひとしきり撫で終えると、隣に座った。茶色の髪が風に煽られてふわふわと浮く。腰近くまである長い髪なのだが、一本一本が細いので簡単に風に流される。
一人と一匹は緑の葉で満たされた畑を眺める。背後の森から木が揺れる音が聞こえる。
「私には婚約者がいるの。でも、秘密にしなくてはいけなくて。そもそも私はその方を知らなくて。いつか婚約者様にお会いした時に恥とならないように、頑張っているつもりです。頑張っているはずなのに、まだ会えないの。あと二年と言わず、早く迎えに来てくださればいいのに」
膝を引き寄せて、顔をうずめた。銀狼はただ隣にいた。
弱音を吐露するまでに心を許した頃から、銀狼は学園にも姿を見せるようになった。銀色の獣はひときわ目立つ存在であろうに、生徒達はちっとも気付かなかった。
「あら、ごめんなさい」
謝罪の言葉を述べながら、マルグリットがにんまり笑う。彼女の手には空になった魔法薬の瓶が握られている。その中にあった薬は全てニコルにかかっている。
廊下ですれ違った際、マルグリットはよろけたふりをして、持っていた魔法薬をニコルの頭からかけた。黒緑の液体がニコルの髪と顔、制服を濡らす。直ちに周囲に悪臭が立ち込める。
「あーあ。ラ・ディランのせいでこぼれてしまったな。課題で提出するはずだったのに」
マルグリットの背後に立ち、両手をそれぞれ彼女の肩と腰に置くロイックが言う。相変わらず仲の良いカップルだ。
「どうしよう、ロイック」
「心配いらないよ、マルグリット。ラ・ディランに弁償させればいい」
ニコルは指を、円を描くように動かす。すると、液体が集まってマルグリットの瓶に入っていく。髪にまとわりつき、マントに染み込んだ薬も空気中に引っ張り出され、寄り集まっていくつもの球体を作りながら瓶を目指して飛ぶ。
小さな瓶に薬が収まるのを見届けるためマルグリットの方を見つめていると、視界の端に銀狼が映った。心配で様子を見に来てくれたのかもしれない。彼から勇気をもらい、ニコルは話をすることにする。
「若返りの薬ですね。加熱が足りていないために効果が出ないのでしょう」
ニコルはそう言って、瓶に向かって手をかざす。古語で「沸騰せよ」と唱えると、瓶の中で魔法薬がぐつぐつと煮える。臭いに少し変化があり、薬の状態が変わったことがわかる。
薬の正体がわかったのは臭いで混ざっている薬草の種類に予想がついたから。確信を得られたのは、若返りの薬の作成が魔法薬学の授業で課題になっているから。
「保管の際は日光を避けて……」
無色の瓶ではなく色ガラスの瓶を使った方が良い。欲を言えば、光を遮られる箱に入れるべきだ。
ニコルの助言が途中で邪魔される。マルグリットが振りかぶって瓶を投げたのだ。空中を舞う瓶が回転して薬が飛び出す。その一部が開かれたニコルの口に入る。
「いたっ」
ニコルは顔の前で腕をかまえて防御した。その腕に薬瓶が当たり、軌道が変わる。中の薬をこぼしながら落下し、ガチャンと大きな音を立てて瓶は割れた。
「気色悪い」
マルグリットは顔を歪ませ、捨て台詞を口にすると、その場を後にした。ロイックもニコルに敵意をむき出しにしながら、マルグリットを支えるようにして去る。
「ニコルさん! 大丈夫ですか⁉」
ロールが血相を変えて駆け寄ってくる。次の授業は一緒に受けられるから合流しようとしていたところだった。
「防御魔法が間に合わず……」
ロールは足元に散らばるガラスの破片と、ニコルの汚れた制服と靴を見る。みるみるうちに顔が真っ赤になる。ニコルの体に目に見える傷がないのを確認すると、マルグリット達が消えた方向に走り出そうとした。
「駄目です」
ニコルはロールの袖を引いて止めた。騒ぎを大きくしたくない。
「新呪文学は休みます。先生にお伝えいただけますか?」
ロールにしがみつきながら依頼をする。ニコルは体を震わせており、明らかに不調である。
薬の効果が出るまで五分ほどかかる。その間、血液が凍ったと思うほどの寒気と関節の痛みが襲う。既に症状が出始めている。
「ニコルさん……」
「私は大丈夫です。ロールさんは授業に行ってください。解毒薬の調薬方法は知っていますし、必要な薬草も揃っています」
ロールの心配をはねのけて、ニコルは一人畑に向かった。教室とは逆方向に消えるニコルの後を、銀色の毛並みが美しい狼がついていった。
「あれって……」
ロールは小さく呟いた。




