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休暇が明け、ニコルは暗い顔で登校した。この一週間、言葉通りロジェは家庭教師としてニコルと多くの時間を過ごした。王宮で求められるレベルのマナーや社会情勢について授業した。休みの間に読むために借りた本は一冊も読めずに終わった。
「素敵な休暇を過ごされましたか? ニコルさん」
学校に着いて早々にロールが話しかけに来た。艶やかな銀髪をたなびかせて、眩しいほどの可愛らしい笑顔を振りまく。周囲の学生から感嘆の声が漏れ出る。期間が空いたから余計に、破壊力が増している。
「はい、おかげさまで」
ニコルは少しぎこちない笑顔で振り向いた。
天使のような友人の隣には、彼女の叔父が立っていた。ニコルの呼吸が止まる。
羽のようなふわふわの銀髪。軽い前髪の間で輝くターコイズブルーの瞳。
「それは何よりです。聞いてください、お兄様ったら……」
「ごめんなさい。宿題について質問があったのを思い出しました」
ロールがリオネルの恥ずかしい話を暴露しようとし、リオネルが焦って「おい」と止めようとする。ニコルは二人のやりとりを中断させ、その場から逃れた。付き添うとロールは言ったが、適当な理由を付けて断った。
廊下を駆けて一人になれる場所まで逃げた。あまり使われていない講義室の隅で呼吸を整える。
いつからか、秘められた婚約者がリオネルであることを期待してしまっていた。けれど、どうやら現実はそう上手く事は運ばないようだ。
ニコルの婚約者と思われる人物がついに現れた。この時をずっと待ちわびていたのに、素直に喜べない事をニコル自身も遺憾に思っている。これではロジェに失礼だし、何より、婚約者のいる人間に思いを寄せられるなどリオネルにとってみれば迷惑千万だろう。この気持ちは隠さなくては。
会うと辛くなる。リオネルとは距離を置こう。
そう覚悟を決めて顔を上げた。そこで初めて自分が泣いている事に気付いた。
物語の主人公なら、彼女を心配するヒーローが現れて、すぐに涙に気付いてもらえるだろう。「大丈夫?」と声をかけて、彼女の頬に手を触れる。頬を伝った涙が彼の指にぶつかり、手袋が涙を吸う。
こんな時も妄想に出てくるのはリオネルだ。
ニコルは大きく溜息をついた。
◇◆◇◆◇
ニコルの様子がおかしい事には誰もが気付いた。リディに付き従う黒髪の従者、クレマンですらニコルのよそよそしい態度に違和感を覚えたらしい。
休み明け初日の最後の講義で、教室にいつもの顔ぶれが揃った。ニコルがリオネルから距離を取る為に席を移動したのを、クレマンは見ていた。
「リオネル様と喧嘩でもされましたか?」
クレマンが問う。ニコルに、リオネル本人のいる前で。
ニコルは一瞬顔を曇らせた後、「喧嘩が許される間柄でもありませんので」と答えた。リオネルが遠くで椅子から転げ落ちる。
「発言の許可を出した覚えはなくってよ」
デリカシーのない発言がリディの怒りを買った。リディの扇がクレマンの頬を襲う。
その一連の様子を見ていたロールは大きな目をさらに大きく開いて見ていた。
授業の後、ロールは帰宅を急ぐニコルを引き留めた。光の祭典に誘う。リオネルは一緒でないと伝えると、ニコルは頷いた。
光の祭典は隣の街で行われる、冬の風物詩だ。雪が降り積もる夜の街が魔法の光で飾られる。病が流行した時代の先人が始めた祈りの光だ。今は多くの観光客で賑わう祭りとなっている。
授業後すぐに馬車で移動した二人は、まだ少し明るい時間帯に到着した。混む前に出店でホットジンジャーを買う。
「今日はあまり元気がありませんでしたね」
ロールは早速本題に入ろうと、両手をカップで温めているニコルに問いかけた。ニコルは伏目がちに微笑んだ。
「心配をおかけしてごめんなさい。家の事が忙しくて、少し疲れてしまっただけなのです」
ニコルがホットジンジャーを一口飲んで、ほっと息を吐く。目線は天に昇る白い息を追って上を向いたが、ロールには向けられなかった。
ロールもつられるようにカップを唇に当てた。湯気越しにニコルの横顔を見る。深い青色の瞳が赤、白、紫、緑……と様々な色に輝きだす。祭典が始まり、街中に浮かび上がった魔法の光が涙を溜めたニコルの瞳に反射したのだ。
ニコルはカップを持っていない左手を広げて、「光れ」と古語を呟いた。ニコルの掌に白色の光の玉が生まれる。それを持ち上げようとして、一度躊躇った。「光れ、青に」と唱え直すと、左手を空に掲げた。青い光の玉がゆるやかに登って行った。腕を下ろす時、さりげなく目元を拭った。
そうして涙を隠したニコルは、ようやくロールと視線を交わした。ロールは泣いていた事に気付いていないふりをするために、何か言わなければならないと思った。
「青色は祖国愛、でしたよね?」
焦ったロールは、ニコルが飛ばした光について触れた。ニコルは静かに頷いた。
「赤は愛情。緑は命の喜び。紫は誇り。白は、始まり」
「綺麗ですね」
それぞれの色を目で追いながら説明するニコルの横で、ロールもしばし目の前に広がる光景に心を奪われる。
光の祭典は数週間にわたって開催される。長期的な祭りだが、それでも連日人が殺到する。街に光が灯ると、途端に人が増え始めた。二人の目の前に人影が現れ、ゆっくり景色を楽しめる雰囲気ではなくなってしまった。
ロールは早めの撤収を提案し、送迎の馬車にニコルを乗せた。二人は対面に座って、同じ窓から色とりどりの光に包まれた街を眺めた。
ニコルの家を目指して角を曲がった時、街の光が見えなくなった。それでも二人は窓の外に視線を残した。
そして不意に、ニコルが口を開いた。
「……これは妹の話なのですが」
ニコルはぽつりぽつりと語った。
(どういうこと、どういうこと⁉︎)
ニコルから「妹の話」を聞いたロールは翌日の昼休み、解呪の教室に走った。中では父と二人のオジが顔を合わせて話していた。
「あのちび兎はまた無断欠席?」
ロールのいる入口に視線を向けたパスカルが、二十五歳と思えぬ可愛らしい顔を不機嫌に歪ませた。ロールが「お兄様は来ません」と答えると、その顔にはさらに皺が増えた。
「授業が長引いたのかな?」
ユベールはロールの異変に気付いたようだ。ロールの突き放した言い方と対照的に、柔らかい、包み込むような声色でユベールが問う。
ロールは首を横に振って、講義室の階段をずんずん下っていく。三人が座る黒板近くの席を一直線に目指して、その中腹あたりで話を始めた。
「フルリさんをけしかけるくらいですもん。徹底して男の人は遠ざけてるんですよね?」
ロールは知っている。ニコルから異性を遠ざけるために行われたのが女子校への誘導だけではないことを。それがリオネルすらも知り得ないところで行われていたことを。全ては父である、ジュールから聞いている。
最初にジュールが、迫るロールから目を逸らした。
「なのにどうして、ニコルさんはお兄様以外の人を婚約者だと思ってるの?」
リオネルの脅威となり得るロイックをニコルから引き離す為、ロイックに想いを寄せていた少女をけしかけた大人達だ。惚れ薬や呪文の情報をマルグリットの周囲に蒔いたように、今回の事もこの三人が手引きしたに違いない。
パスカルが無関係を主張するように、口をとんがらせてそっぽを向いたが、ロールは確信していた。
ロールはついに三人の目の前に到着した。対峙するのは最後まで目を逸らさなかった一番上の兄だ。
「思いのほか順調そうだから、王子妃教育を進めておこうと考えたんだ。リオネルのことだから、事が進めばすぐにでもお披露目したいだろうと」
ユベールは悪びれる様子もなく言った。
ニコルの家に家庭教師として王宮の人間を送ったと聞いた。よりによって男性を。男性を避けた生活を続けていたニコルが、その人を秘匿された婚約者の正体と勘違いするのも仕方ないことだ。
「そのせいでレディは泣いていたんですよ!?」
ロールが責めて立てても、ユベールは大して問題にしていない。いつでも冷静沈着な伯父に腹が立って来て、ロールは感情任せに叫んだ。それにまたユベールが笑う。
「何を笑ってるんですか?」
「いや、失礼。レディの様子はどうだったのかな?」
「泣いてたんですよ」
「なぜ?」
「ですから!」
「婚約者がリオネルでないから?」
「そうです!」
ロールが怒っているのに、ユベールはにこにこと微笑んでいる。ロールは口をへの字に曲げた。
「ふ~ん、それは良かったね」
背後からパスカルの声がする。ロールは驚いて振り返った。
パスカルはロールが視線を外した隙に、狼に変化して机の下を移動したのだろう。少し離れた机の上で足を組んで座っている。怒れる姪の追及から逃れるためだ。
そんなパスカルからも普段通りの余裕が感じられる。その訳がロールにはわからなくて、幼い子供がするようにすね始めた。
「なんにも良くないのに……」
「きっとすぐに状況は動く。見ていなさい」
「そんなのわかんないもの」
ユベールの全てわかっているふうの態度が腹立たしい。ロールは伸ばされた父の手も振り払うように身をよじって拒んだ。




