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窓の外を流れる景色。銀世界の中に、葉を失った裸の木々。そこへ突然、影が落ちる。馬車の横を知らぬ馬が並走しているのだ。
白い風景から浮き出した茶色の巨体。その背中には逆光で顔がよく見えない男性が……いや、リオネルだ。
ニコルが慌てて窓を開けて名を呼ぶと、リオネルは「もう少し君といたくて」と爽やかに答えるのだ──
なんて妄想しながら、ニコルは肘をついて外を眺める。左手を無意識に開閉させて。
「なあに、お姉様ったら溜息ついちゃって」
向かいの席に座る少女が無関心そうに言う。視線は爪にあり、真剣に甘皮をめくっている。
座るという表現は正しくない。詰めれば大人が三人座れる座席に、一人贅沢に寝転んでいるのだ。足は延ばせないので、膝を立てている。
ニコルの妹、シャルリーだ。彼女は今、ニコルも通った女子校の学生だ。寄宿学校なので、休みの時は家から迎えが出るのだ。本来必要ないニコルにも迎えがあるのは、そのついで。
「そういえば、さっきの男の人何? 淑女の家まで着いて来るとか言ってなかった? きもすぎ。手もベタベタさわって……きもっ。お姉様も注意しないから……」
シャルリーは先ほどの光景を思い出して、身震いした。
ニコルはむっとして、窓を全開にする。すると、シャルリーは別の意味で震え始めた。
「さむすぎさむすぎ」
シャルリーがのっそり起き上がって、出来るだけ少ない稼働で窓を閉めた。そして、すぐに元の姿勢に戻る。
「何すんの」
「……」
シャルリーが文句を言うが、ニコルは取り合わない。無言でそっぽを向いて無視をする。
ラ・ディラン家に二人の娘が帰って来た。夕食に合わせて、既に親戚が集まり始めていた。
「あんた達にはホットジンジャーを一緒に飲みに行ってくれる男はいないのかいね。ロイックの坊やは可愛らしいお嬢さんと祭りに行ってるそうじゃない。年頃の女が雪祭りの日に帰ってくるなんて恥だね、恥」
顔を見て早々、厭味を言うのは大叔母のレネだ。口を開けば、下世話なことばかり。「女は男に媚び打ってこそ」が口癖で、婚約者のいない女性に立場はないという認識をニコルに植え付けたのも彼女の手柄だ。
ニコルは笑顔で「そうですね」と答える。隣から聞こえるシャルリーの舌打ちにかぶせて大きめの声で。
「おい、ディディエ。あんたんとこの娘っ子は華がないんだよ、華が。そんなんじゃ、ラ・ディランが潰えても文句は言えないね」
別の客の対応をしていた、ニコルの父に、レネが話を振る。ディディエは「もう飲んでるんですか」と溜息混じりにレネの様子を見に来た。
「あー? あんなの飲んだうちに入らんよ。夕食の席にはもっと美味い酒を出しておくれよ」
「それなりのものを用意してますよ」
ディディエが相手している隙に、姉妹は各自の部屋に下がる。途中、レネに聞こえそうな距離で、「どの口が言ってんのよ」とシャルリーが呟くものだから、ニコルは肝を冷やした。
着替えを終え、夕食の会場となるダイニングに移動する。親戚が皆勢ぞろいしている。古く、無駄に大きな家は、こういう集まりのためにあるのだ。
その夕食の席に、見知らぬ男の姿がある。
「ディディエ、あの男前は?」
乾杯の前に一人、先に飲み始めているレネが周囲を気にせず大声で話す。
「ニコルの家庭教師にしようと」
「お初にお目にかかりますぅ。王宮秘書官補をしております、ロジェ・ラ・アンリと申しますぅ」
ディディエの紹介を受け、ロジェが自己紹介を始める。王宮という言葉に、皆が緊張した。またラ・アンリという名前にも。ラ・アンリはラ・ディランと同じ正九家の一つ。特に防御魔法に長けている一族だ。
空色の髪を長く伸ばし、一本の三つ編みにまとめている。だが、一部、短いために編み込めていないところがある。魔法で使ったのだろうな、とニコルは思った。
(高度な結界には髪を使うらしいし、護衛で使ったのかな。でも、家庭教師って? 魔法を教えてくれるの?)
家庭教師の話は全く聞いていない。ニコルはロジェと名乗る、細身の(というより薄っぺらい?)男を見つめた。そして、彼らの会話に耳を澄ませた。無論、レネの声はどこにいても聞こえるのだが。
「家庭教師って、あんた……はは~ん。男っ気のない娘のために手配したんだね。ディディエがやんなかったら、あたしゃが昔の馴染みに声かけてたところよ」
レネが下品に笑う。ニコルは客人を不快にさせていないか心配になって、ロジェを見た。ロジェは細い目をさらに細めて、黙っていた。口元は笑顔に形に保たれているが、穏やかな心境ではないだろう。
「いやあ、男前で、何より王宮の人。拍が付くってもんよ」
レネは皆が呆れているのに気づかず、一人大騒ぎする。ディディエを褒め称え、初対面のロジェを嘗め回すように見る。
ディディエはレネから酒を取り上げるのを諦め、大量の酒を勧めた。レネは決して酒に強い訳では無く、すぐに気が大きくなるし、一定量飲むと寝てしまう。親戚一同で行う乾杯の後、ディディエは叔母の空いたグラスに酒を注いだ。
そうして平穏を取り戻したラ・ディラン家の食卓には、各人が持ち寄った料理が並んでいる。仔牛の蒸し煮にチーズ、魚介類の盛り合わせ……手作りからお店で買った物まで様々だ。
「うげえ、今年も栗ケーキ?」
テーブルの中央にどんと居座る茶色の物体を見て、シャルリーがぼやく。ケーキの作成者が通りかかったので、ニコルはシャルリーを肘で突いて黙らせた。そんなニコルも、この栗ケーキはあまり得意ではない。
ラム酒に漬けた栗を存分に使用したパウンドケーキは、ディディエの従姉の得意料理。雪祭りに好まれる白いお菓子とは程遠い、茶色のケーキ。生地にも大量のラム酒を使っている物だから、子供には香りが強すぎる。ラ・ディラン家の恒例のデザートだ。
ケーキを見つめる姉妹に、「デザートはまだよ」と従姉叔母が言う。特にニコルを見ては、懐かしそうに微笑んだ。
「心配しなくても、栗ケーキはたっぷりあるわよ、ニコル。あなた小さい時、ご飯をお腹いっぱい食べた後もケーキは食べたいからって無理して、吐いたことあるでしょう? 他のケーキでもいいんだけれどね、それじゃあ、あなたが残念がるだろうから」
「ありがとうございます」
ニコルの引きつった笑いは、はにかみに見えたらしい。従姉叔母は満足そうに頷き、自分の子供達の世話に戻った。ラム酒の強いケーキに対する拒否反応で嘔吐しただけなのだが、栗ケーキがニコルの好物であると思い込んでいるくらいだ。ニコルの愛想笑いに気付かないのも無理ない。
「断ればいいのに」
苦手な栗ケーキを前に憂鬱な思いをしているニコルの横で、シャルリーはあっけらかんと言う。感情を押し殺して生きて来たニコルは、彼女のようには生きられない。
料理の八割が腹の中に消え、大人達に酔いが回った頃、ニコルはそっと家を抜け出した。栗ケーキから逃げる為ではあったが、一人になりたい気分でもあった。普段、関わる人間が少ないからだろうか。こうして大人数の中にいると、息が詰まる事がある。
ニコルは雪がちらつく庭で、大きく息を吸った。冷たい空気が入り込み、火照った体の中で肺の位置が明らかに分かる。吸った分、白い息を長く吐いていると、背後でドアの音がした。
「うわあ、寒いですねぇ」
体を摩って現れたのは、ロジェだ。語尾を伸ばす癖があるため、やや間延びして聞こえる。ほわほわ、おっとり……という言葉が合う男だ。
「ご一緒しても良いですかぁ?」
ロジェがニコルの横に立ち、一緒にいても良いかと問う。ニコルはロジェの顔を見上げてみたが、彼の目は細く、瞳の動きが読み取れない。恐怖に似た不安を覚えながら、ニコルは頷いた。
「何を教えてくださるのですか?」
「はい?」
少し酔っているのだろう。ロジェは初めに挨拶をしていた時より気が緩んでいる。首を曲げて、ニコルに顔を近づける。
「家庭教師になってくださるのでしょう? 何を教えてくださいますか?」
「ああ。マナーと国際関係を」
「マナー? 父が?」
ニコルは怪訝に思った。ディディエはよくニコルに、ラ・ディラン家の恥にならぬよう行動に気を付けよと言う。が、マナー講師を付けるという発想は父らしくない。彼の言う恥の無い行動は生き方の話で、礼儀の話ではないからだ。
首を傾げるニコルの前に、ロジェが跪いた。ニコルの右手を取ると、その甲に口付けをした。
「ようやくお目にかかれました。十八歳になられるまでお会いできないやもと伝えられた時はどうしたものかと思いました。今しばらくは家庭教師という肩書にて」
ロジェが顔を上げて、上目遣いでニコルを見る。睫毛の隙間から僅かに、杏子色の瞳が覗いている。
ニコルは片足を退いて、口を噤んだ。
「何してんの! 汚らわしい!」
シャルリーは絶叫すると、ニコルの腕を奪い取り、ロジェを残して屋敷に連れ戻した。
「もう最悪、何してんの。きもすぎきもすぎ」
シャルリーはロジェから十分距離とれたら、ニコルからも離れた。その後もずっと一人で嫌悪感を呟いていた。
妹は潔癖な所がある。ニコルより幼い頃から異性から隔絶された生活をしてきた。そのせいか、男性に耐性が無い。
レネのような極端な考えを持っている訳では無いが、このままで幸せな人生を歩めるのか、姉としては心配である。だが、今回ばかりはシャルリーの強引さに助けられた。ロジェに返す言葉が何一つ思い浮かばなかった。返答せずに逃げられて、ニコルは内心ほっとしていた。
『今しばらくは家庭教師という肩書にて』
ロジェの声が脳内に響く。それはつまり、関係性が家庭教師から別の何かに変わる可能性があるという事。ニコルは栗ケーキを食べた時のような気分になった。




