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ニコルの目指す淑女像はリディだ。不条理に抵抗する、勇敢な彼女の背中を見て以来、ニコルはリディに心酔している。
理不尽を受け入れることが必ずしも正しいのではない。主張することで争いを諫められる場合もあるのだ。今までは心無いことを言われても我慢すれば良いと思っていた。それは間違っているのだとわかった。
「リディ様、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
食堂でリディに話しかけた。リディは快くニコルを同席させた。ニコルと行動を共にするロールも一緒に食事をとる。
「魔法薬学の授業もご一緒したいのですが……」
「ニコル様でしたら大歓迎ですわ」
ニコルはリディの後をついて回り、彼女の考えを聞きたがった。リディは懐くニコルを嫌がりもせず、優しく付き合った。
「殿下は不器用で名を馳せておいでで。ニコル様のご迷惑になるやもしれませんよ」
「紹介をありがとう、クレマン。下がりなさい」
リディに叱られても反省する気のないクレマン。主従関係にありながら軽口を言い合える二人は、他者から見ても良い関係だ。ニコルは声を出して笑った。
笑顔をよく見せるようになったニコルに、生徒達は抱いていた印象を更新し始めた。心の死んだ着せ替え人形なんかじゃない。ニコルは一人でも生きられる強さを兼ね備えた女性なのだと考えを改める。
一方、リディが味方についているから調子に乗っているのだと思う者も少なくない。
習慣は変わらず、放課後に薬草を届けに一人で廊下を歩いていた。一人のところを狙って、ちょっかいをかける生徒が現れた。使い魔をけしかけ、ニコルのかごを襲わせる。小型のドラゴンがかごに体当たりし、かごと中に入った薬草が空中に散る。
「風よ」
瞬時に古語を唱え、ニコルは風の魔法を使った。かごの底を右手で受け止めると、風で浮かせた薬草を回収していく。その様が舞を踊っているようで、最後の一つがかごに収まった時、周りからパチパチと拍手が起こった。
「大事にされている使い魔のようですね」
仕事を終えたドラゴンは主人の肩に戻っている。磨かれた鱗は輝き、歯と牙は主人が傷つかないように仕舞われている。ニコルはそれを見て、笑顔で言った。
「人を襲う魔法生物は管理団体によって処分されてしまうそうです。使い魔であっても例外はないのだとか」
ニコルはリディを真似たつもりだが、あまり上手くできなかった。ドラゴンの飼い主と仲間達は怖がって逃げてしまった。脅しにもとれる言い回しになってしまったのを後悔する。
「マルグリット、ねえ、話を聞いてくれ」
外からロイックの声が聞こえる。窓から中庭の方を見ると、ロイックがマルグリットを追って何かを説得している。
マルグリットはリディが編入してから鳴りを潜めている。ニコルに興味がなくなったのであれば良いが、ロイックを無視しているのは良い状況とは言えない。彼女の精神状態が心配だ。
ニコルは急いで薬草を置いて来ると、マルグリット達を追った。ロイックの呼びかけを無視して、マルグリットは森に向かっている。
「もっと強力な薬を作らないと。きっと薬が切れかかってたのよ。ユニコーンの唾液と、ハトの羽……」
マルグリットは俯き加減に、前へと歩みを進みながら、胸に垂らした三つ編みを両手でいじる。ぶつぶつと独り言を呟いている。
「森は危ない。一人で行くな」
「離して」
ロイックが腕を掴んで止めようとするも、マルグリットのお願いには従順になってしまう。
(薬が効いていないの?)
ニコルはロイックの症状を見て疑問に思う。完成した解毒薬は既にロイックの手にあり、飲んだという手紙がニコルに届けられた。
惚れ薬の無効化に成功しているにもかかわらず、ロイックが呪いから解放されていないのは同時にかけられた縛り呪文のせいだろう。そちらも解除しなければ、ロイックの本当の声はマルグリットに伝えられない。
ニコルは水の魔法で地面を滑って、マルグリットの前に立ちふさがる。
「構ってる暇はないの」
マルグリットは短くそう言うと、ニコルの横をすり抜けた。ニコルは振り返って、その背中に話しかける。
「話をしましょう。そうすべきだった。でも、ずっと私が逃げていた」
「うるさい……」
「私の話は聞かなくていい。でも、ロイックの……」
「うるさい」
「お願い、ロイックの話を聞いて。魔法なんて使わなくても、あなたを……」
「うるさい!」
徐々にマルグリットの声が大きくなっていき、三回目には声を荒げた。マルグリットの絶叫と共に、魔力砲が放たれた。
ニコルは水の防壁を張る。さらに「我を守りたまえ……」と防御魔法の呪文で、重ねて自身を守る。
防御に徹していては状況は好転しない。耐えていれば世界の方が変わってくれるのだと楽観的に考えていた頃のニコルではない。
マルグリットの攻撃が止まった隙をついて、防御に使った水をまとめてマルグリットにぶつける。水の球体に飲み込まれ、マルグリットがもがく。全方向にある水面に向かって泳ごうとするが、ニコルはそれを許さない。外から中への水流を作って、中心に押しとどめる。
溺れそうになっているマルグリットに近づき、水の中に腕を突っ込んだ。右手がマルグリットの長くて太い三つ編みに触れる。髪紐が溶けて、三つ編みがほどける。毛先から順に水の中に広がっていく。
マルグリットの長い髪の全貌が見えると、水を消した。ニコルが両手を合わせるのと同時に、シャボン玉がはじけるように玉が内側から破裂し、空気中に散った水滴が全て目に見えない状態に変化する。
呼吸ができるようになると、マルグリットはせき込んだ。苦しそうな顔を見て、ニコルはやはり手荒な真似はしない方が良いなと思った。
「あの、フルリさん?」
「あ、え、いや……うそ……やだっ、やだぁ…………いやあああああああ!」
ニコルが反応を窺うと、目を開けたマルグリットが三つ編みがないことに気付いて叫び声を上げた。ニコルは魔力の放出があると見て身構えたが、それは起こらなかった。
「ロイック……ロイックぅ…………一人は嫌。一人にしないで、どこにも行かないでぇー」
マルグリットが号泣する。座り込み、顔を手で覆っている。ニコルはマルグリットの横にしゃがみ、背中をさする。
そこへロイックが駆け寄って来た。縛り呪文も解けたのだ。マルグリットはおまじないに髪を使っていた。三つ編みがほどけたことで、維持された惚れ薬の効果も切れた。
「マルグリット」
「やっ」
ロイックがマルグリットの隠された顔を見ようと、手首に触れる。マルグリットが拒んで体を振る。
「マルグリット」
「いやあ」
ロイックは諦めず、マルグリットの手を握る。強制的に顔から外させると、顔を近づけた。
ニコルは慌てて顔を逸らした。マルグリットが静かになったので、見ていなくてもキスをしたのであろうことは予想がついた。
「一人にしない。どこにも行かない」
「嘘。皆私のこと嫌いなの」
「俺は好きだ。俺はここにいる」
「私、ひどいことしたの」
「知ってる。一緒に償うから」
二人がゆっくり言葉を交わし始める。ニコルはもう用なしだ。邪魔者は立ち去ろう。
(良かったね、ロイック)
ニコルは立ち上がる時に、ちらりとロイックの顔を見た。幼馴染みとして、彼の望みが叶ったことを喜びたい。
ロイックは魔法で心を操作されたが、その奥底で本当にマルグリットを愛そうとし、愛した。一度、偽りの心を手に入れてしまったマルグリットは、手放すのが怖くなったらしい。本音で話したいというロイックの願いに耳を貸さず、より強い魔法薬と術を使おうと考えてしまった。不安は他者への暴力性に表れた。もっと早く、ロイックの言葉を受け止める覚悟を決められたら、ニコルを傷つける行為に及ばなかったかもしれないのに。
「ごめんなさい」
背後で涙に濡れた謝罪が聞こえた。自分に向けられたものとは思わず、ニコルは一人帰ろうとした。
「ごめんなさい!」
さっきよりもはっきりと聞こえる。さすがにニコルにあてた謝罪だと気づくことができた。
ニコルは足を止めて、声がした方を見る。マルグリットは土に手をつき、涙を流している。
謝罪を求めるつもりはなかった。マルグリットはニコルを確かに苦しめたが、彼女の孤独には共感できるし、自ら使用した魔法に溺れる魔法使いの例は少なくないので、仕方のないことで済ませようと思っていた。
だから、謝られてどんな対応をすべきかわからなかった。謝罪を受けてみると、マルグリットにされた仕打ちを思い出して悲しみが蘇ってきた。許せるかと言うと、自信がない。
ニコルは逃げることに決めた。マルグリットが絶望する顔を見ないように両目をしっかり閉じてから、体の向きを変えた。
「ありがとう。ひどいことしたのに、優しくしてくれてありがとう」
想定外だ。許すと言えないニコルを責めず、思い詰めて泣かず、まさか感謝の言葉が出て来るとは。
これには応えられる。
ニコルは雲一つない天を見上げて深呼吸をする。笑顔を作ってからマルグリットを見た。
「どういたしまして」




