友人曰く
数か月前、懐かしい友人から連絡があった。
あの厄介な人間嫌いの森が、またトラブルを起こしたのかと思いきや。
それよりも更に厄介な事項を持ってきやがった。
人間嫌いな森が受け入れる、魔力のない人間。
そんな奇妙な少女が現れたというのだ。
慌てて話を聞きに行くと――といっても森には入らず、森の柵付近に留まったが――それは事実だった。
前例のない出来事に、俺は勿論として、最終報告先の国王すらもが困惑したという。
長らく話し合いが上層部によって行われた結果、少女は「異世界人」であるという結論に至った。
そして重要なのは、彼女を今後どのような立場に据え置くかということだが。
彼女が森を離れた数日間、森が少々荒れてしまったため、様子見という名目で、森すなわち友人のもとへ少女は戻ることになった。
それを友人と異世界人の少女に説明したのは俺だが。
当の本人達は、「それでいい」「やっぱり異世界だったんですね」と呑気なもの。
脱力してしまうことこの上ない。
まあ、森で一人きりの友人のことを心配していたのだ。
ロリコンの気はないだろうし、子どもでも育てて癒されればいい。
――と、そう思っていたのだが。
「どういうことだ!?」
「手紙でも説明したと思うが」
「お前、ロリコンだったのか!?」
「違う!」
確かに手紙はもらった。
だが、その内容に大きく問題があった。
なんと、異世界人である幼い少女と、三十手前の友人が結婚したというのである。
どう考えても犯罪臭しかしない報告へ慄いた俺は、慌てて森へと駆けつけた。
「彼女は、十七だそうだ」
「嘘だろう!?」
「俺もそう思ったが事実だ!」
無茶苦茶な言い分でロリコンを隠蔽しているようにしか思えず、疑いの眼差しを向けていると。
友人は溜息をつき、森へ俺を招き入れようとする。
あまりにも長く森へ居すぎて、森が人間嫌いなことを忘れたのか。
そう怪訝に言う俺を、友人は「そんな訳ないだろう」と小突く。
なんでも、少女が来てからは昔ほど荒っぽくなくなったのだそう。
恐る恐る足を踏み入れると、確かに森に何の変化もない。
マジかよ。
あの凶暴さを手なずけるとか、異世界人何者だよ。
唖然とする俺を歯牙にもかけない友人は、淡々と、家に入れる代わりの条件を突きつけた。
それも、意図が読めず妙なことを。
随分大袈裟だと思いつつも、言われるがままに了承した俺は、初めてのお宅訪問をすることになる。
中は、思いの外片付いていた。
友人の住んでいる家は、王城が随分昔に建てた古い家だということもあり、芸術性や真新しさは皆無だったが。
それでも、塵が片付けられた暖炉や、手入れの行き届いた柔らかなラグは清潔感がある。
この男にも配慮や繊細さがあったのか――と思ったところで。
「いらっしゃいませ、上着をお預かりします」
と声を掛けるのは、異世界人の少女だった。
そこで、ああ結婚相手が掃除をしているのか、と納得する。
そういえば、友人の服装も以前見た時と比較して、随分サッパリした。
衣服にはほつれなど一切ない。
それどころか、のりが付いているかのようにパリッとしている。
それに、よく見ると髪も短くなっているのではないか?
まさか、彼女に切ってもらっているのか……。
友人のあまりの変貌に怖々していると、少女に椅子を勧められる。
なんというか、容姿に似合わず随分気が利くな。
っと、そういえば十七なのだったか。
確かに、こういう一面を見る限りでは十七というのもあながち嘘ではなさそうだ。
ロリコン疑惑が薄れたことによって安堵した俺は、少女に話しかけた。
「ご結婚おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「こんなにしっかりしたお嫁さんをもらったあいつは、幸せですね」
「そんなこと。むしろ、厄介者な筈なのにいつも優しく親切にしてもらって…私の方こそ幸せ者です」
ふふふ、と優しく笑う彼女の背景には花が咲いている。
のろけられている筈なのに嫌な気分にならないのは、心底そう思っているということが感じ取れるからか。
「あいつがですか?信じられません…家事とか、無理やり押し付けられていませんか?」
「おい、どういうことだ」
「押し付けられるなんて!私が好きでやっているんです」
不愉快そうな声を出す友人は放っておくとして。
少女は、目をキラキラさせながら友人の良さを語る。
「俺もやるって言ってくれているんですけれど、家事をすると落ち着くんです。ここに来る前も同じように、家事をしていたから」
「そうなんですか?」
「ええ。そう言うと、私に任せてくれて」
少女が元の世界に戻ることは、ほぼ不可能だ。
その絶望感は膨大なものに違いないというのに、それでもなお、天真爛漫だ。
その上、甲斐甲斐しく家事全般の世話をしてくれる。
人と離れて生活をしていた友人が、コロリと惚れてしまうのも無理はない。
「そういえば、今日はお泊りになりますか?」
「いいですか?」
「おい、良くない!」
「折角だから、泊まっていってもらいましょうよ。夫と同室となってしまいますが大丈夫ですか?」
「勿論です」
「よかった、今ご用意しますね」
誰かを招待するのは初めてなの、と明るく笑う友人の妻は愛らしい。
難を示していた友人も、まあいいか、と頬を綻ばせてしまっている。
ちなみに、今まで一度たりともそんな顔は見たことがない。
まじまじと観察していると、流石に気付いた友人から、不愉快そうに睨まれる。
少しくらい、俺にも優しくしてくれていいんじゃないか?
「百歩譲って許可するが、約束は忘れるなよ」
「ああ、はいはい。それより、結婚と聞いて驚いたけれど、思いの外お似合いで安心したよ」
「お似合い…」
「ああ。俺には不愛想にしか見えないお前のことを、優しいとさ。それに、家庭的で可愛いじゃないか」
「可愛いだと?」
「いや、小動物とか子どもみたいって意味だよ」
蔑むような目で俺を見つめる彼に、慌ててフォローする。
だがその言葉にも「俺はロリコンじゃない!」と反発するのだから始末に負えない。
全く、こんな面倒な男が優しく親切だと?
よほど心が広いのか、友人がベタ惚れしてしまっているのか。
「お布団、ご用意できましたよ」
「ありがとうございます」
「いえ。ご飯の準備もするので、くつろいでいて下さい」
「楽しみです、お願いします」
「はい。ちなみに、今日は干し肉ピザと、ユイの実入りサラダ、キノコのクリームスープです。嫌いなものはありますか?」
「いえ、どれも美味しそうです」
俺の返事を聞くなりキッチンへ向かう彼女は、鼻歌を歌っているようだった。
料理名を聞くだけで涎が出そうなほどに美味そうだ。
ピザをつまみにして晩酌か、今日は良い酒が飲めそうだ。
にやりと笑って「いい嫁をもらったな」と言うが、友人は苦々しげに「約束を忘れるな」と念押しするのみだった。
「ご飯が出来ましたよ」
「わあ!すごいですね!!」
運ばれてきたのは、粗雑な友人の家で出されているとは到底思えないほどのご馳走だった。
二枚焼かれたピザは、それぞれ味付けが異なっているようだ。
両方に干し肉は乗せられているが、茶色と赤色のソースがある。
サラダの全体には白色のソースが掛かっていて、ユイの実の淡泊な味であっても楽しめそう。
スープには、惜しみなくキノコが入れられている。
見ているだけで、腹が減ってくるような品々だった。
「じゃあ、さっそく…」
「待て。ちなみに、今日の味付けの特徴は?」
「えっとね、茶色のピザは甘辛い和風――私の故郷の味なんだ。赤いピザは酸味と甘みの強い野菜をソースに使ってあるの。干し肉って食べすぎると意外にしつこいから、サッパリするんじゃないかな」
「交互に食べたら良さそうだ。サラダは?」
「ユイの実って、フルーツでしょ?薄味だから果物らしさがないけれど、白いソースに他の果物の果汁を入れることによって、甘みも加わっているよ。サラダっていっても、デザートっぽい感じかな」
「なるほど。いつもと違った味が楽しめるな。スープは?」
「これは、採ってきてもらった食用キノコの味を強調させたの。でも、キノコだけじゃ旨みが足りないから、お肉のパウダーを味付けに加えたの」
「うん、美味そうだ。それじゃあ、頂くとしよう」
こいつ、結婚してから食にこだわるようになったのか?
それも理屈っぽい面倒な方向に。
酒場の料理にご託を並べる嫌な男が脳裏に浮かぶ。
「うん、確かにキノコと野菜、肉の旨みが出ているな」
「美味しい?」
「ああ、美味い」
スープを一口飲んだ友人が料理を褒めると、彼女は安心したように一息つく。
そして、一文字に結んでいた口を綻ばせると、スープを味わいだす。
「よかった。ちゃんと向こうで食べた、がらスープパウダーっぽさが出てる…」
「懐かしいか?」
「うん。……あ、遠慮せずに召し上がってくださいね」
「はい、じゃあ頂きます」
話を聞く限り、元の世界の味を再現しているのだろう。
異世界の味と聞くと、ますます興味が湧いてくる。
二人に倣って、俺もスープを頬張ると。
一番に口内に広がるのは、肉の味だった。
それが、乳飲料の濃厚な風味と混ざり合い、ひとつとなっている。
加えて、味を複雑にしているのは数種類のキノコ。
香り立つキノコの味わいが、スープに溶け込んでいた。
「ピザも召し上がってくださいね」
「あ、どうもすみません」
目を丸くする俺に、二種類のピザを入れた取り皿を手渡してくれる。
言われるがままに、茶色いピザを一口。
故郷の味らしいソースには、豆の風味と塩分、そして酒と砂糖を混ぜ合わせているようだった。
独特な香ばしさは、確かに今まで出会ったことがない。
今度は、赤いピザを一口。
確かに、酸味と甘みがあるようだ。
サッパリしていると言っていたが、むしろインパクトがあるのは、甘みだった。
野菜にこれほどまでの甘味が含まれているのかと驚愕してしまう。
最後に、残っているのはサラダである。
デザートのよう、ということは甘いのだろう。
心に留めつつ口に運ぶと、やはり果実の甘さがあった。
また、ドレッシングの白さは何だと思っていたら、これは乳製品のようだ。
乳製品の酸味と果実の甘味が融合している。
一通り味わった俺の感想はというと、驚きの一言に尽きる。
「お口に合いましたか?」
「どれも美味いだろう?」
「え、ええ…正直な所、驚かされました。勿論、良い意味で」
「よかった!たくさんあるので、御代わりもなさって下さいね」
「ありがとうございます」
優しく笑う友人の妻と、美味い美味いと連呼しながら食べ続ける友人と、新婚二人を眺めつつ酒を飲む俺。
どこからどう見ても、それは幸せの縮図だった。
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少々酒を飲み過ぎた俺は、用意された布団に、早々に横になる。
俺一人で寝かせる訳にもいかないからと、友人も俺に付き添って、寝室へやってきていた。
友人の妻は、当然のことながらここにはいない。
今日はリビングで寝るのだそうだ。
「…おい、俺がおかしいのか?」
「いや」
「なんでああなるんだ?」
「仕方がない、異世界から来たのだから」
「だからって…」
俺は、嘘は言っていない。
異世界人が作る料理に、良い意味で驚かされた。
スープには、強烈な肉と、抜け切れていない血の味。
それが乳製品に溶け込むと、血生臭くて仕方がない。
キノコの香りがそれを緩和するかと思いきや、臭さに臭さを足した。
例えるなら、強烈な香水で強烈な香水の悪臭を掻き消そうとしているかのような不快感があった。
茶色いピザは塩分がとにかく強い上に、酒と砂糖の甘さが後に残る。
赤いピザはサッパリしていると言っていたが、野菜の甘みを強調しすぎていてサッパリどころかコッテリだ。
サラダは、どうしてドレッシングを掛けてしまったのか。
せっかくの野菜は、乳製品と果汁という訳の分からない組み合わせに汚されてしまっており、涙が出るほど切なかった。
つまり、端的に言うとどの品も強烈に不味かったのである。
見た目は素晴らしく美味しそうだったし、使っている食材のセンスも悪くない。
だが、全体的に味付けが濃いのだ。
おそらく、使っている食材が多すぎることが要因だろう。
舌の上で全ての味が戦い合っており、ピリピリとした刺激すら感じられる。
調理方法で、こうも最低の味に仕上がるのかと驚きのあまり、拍手喝采してしまう。
これは芸術的とすら表現できる。
「お前、分かっていたから“まずい”は禁句だと?」
「ああ」
なるほど。
それを聞いた際には何のことやらさっぱりだったが、衝撃的な味に出会った折に、脳内でグルグルと巡っていた言葉である。
今にも口から飛び出しそうになっていたが、友人の強烈な眼光に晒されていたため、なんとか約束を思い出すことができたのだ。
「いくら故郷を思い出すからって…あれを食べ続けるんだぞ?」
「ああ」
「きっと、言えばお前好みの味付けのものを出してくれるぞ?」
「元々、食べられれば何でもいい性質なんでな」
家事が好きだと言っていたし、料理以外の様子を見ると得意でもあることが伺えた。
つまりは、異世界では一般的な味付け。
むしろ、美味い飯に分類されるのかもしれないが、この国でアレが口に合う者はそういまい。
友人の妻が、近く接しているのは夫であるこいつだけ。
ということもあり、自分の料理が人を呆然とさせるようなものであるということを今は知らない現状にあることが推測される。
もし、人並み外れたものであることを知ったなら、きっと軌道修正してくれるだろう。
だというのに、友人は妻のメンタルを重んじるという。
もしかしたら初めて友人のことを尊敬する俺。
長らく付き合いはあるが、人を知るのに一番大切なのは時間ではなかった。
友人とその妻は、まだまだ知り合って間もない関係だが、俺よりも遥に友人のことを知っていた。
友人は確かに、誰よりも親切で優しいようだ。
まあ、一説によれば、人間の舌は刺激に慣れていくという。
つまりは、どれだけ時間がかかろうとも、この男が妻の作る料理になれることも考えられる。
いつか、心底から美味いと言える日が来ますように。
自然と俺は、一組の夫婦のためにそう願っていた。




