第四十話 境界
神社へ向かう参道の手前、鳥居の前におばあちゃんは立っていた。
「おばあちゃん!」
「歩! 大丈夫かい?」
顔を見られて逆に心配されてしまった。
泣き腫らした瞼が赤くなっているのかもしれない。
「私は大丈夫、おばあちゃんは?」
両腕を掴んで確認するとおばあちゃんは困ったように眉を下げた。
「私は大丈夫だよ、境内を掃除してたら周りが光って気がつくとここら辺にいたんだ。その後はあのとおり」
おばあちゃんの視線の先に赤い霧に覆われた山があった。
【お主の祖母は無事じゃ】
鬼様の言葉が頭によぎる。
「鬼様が助けてくれたんだ」
私が言うとおばあちゃんは驚いたように目を見開いた。
私はそのまま言葉を続ける。
「おばあちゃん、私……鬼様を助けに行ってくる」
おばあちゃんは視線を彷徨わせ、何かを言いかけては止めるように口をモゴモゴと動かして、ため息をついた。
「……はぁ、言っても聞きはしないんだろう? まったく、誰に似たんだか」
呆れた様子で俯くおばあちゃんはどこか諦めた様子だった。
「ごめんなさい……」
私が謝るとおばあちゃんは目尻に溜めた涙を拭いながら笑う。
「親子揃って大馬鹿だね。でもね、あなたはちゃんと帰ってくるんだよ」
おばあちゃんの言葉に私は強く頷く。
「夕飯までには帰るから!」
私の言葉におばあちゃんは口を開けて笑った。
「ハッハッハ、全く……今晩はカレーの予定だったけど、家がちゃんと残ってるかねぇ」
おばあちゃんの言葉に私も口を開けて笑う。
「いざとなったら鬼様になんとかしてもらおう!」
おばあちゃんに軽く手を振って石段を登り始める。
石段の中腹に差し掛かった頃、まるで壁のように赤い霧が立ち塞がっていた。
遠目から見たとき、家のあたりを中心に球状に集まっていたから切れ目を探してもあまり意味ないだろう。
「鬼様ー!」
とりあえず名前を呼んでみる。
返事はない、ここまで来たけどノープランだから鬼様が答えてくれれば助かったんだけど。
赤い壁をじっと見つめていると、突然、何かと目が合った気がした。
「え?」
壁が蠢いて波打ち、あっという間に私を壁の内側に呑み込んだ。
◆
『どこ、どこにいるの?』
気がつくと真っ暗な空間で一人、真っ赤な髪の少女が蹲っていた。
『お兄ちゃん、お姉ちゃん……』
私に背を向けているのでよく見えないけれど、涙を流して鼻を啜りながら少女は地面を見ているようだった。
「大丈夫?」
私が声をかけて肩に手を置くと少女はこちらを見た。
血の涙を流している少女はよく見れば自分の腑を引き摺り出していた。
『お前じゃない……』
少女が私の手を掴もうとした瞬間、青い光が少女の手を弾いた。
光の発生源を見ると私のポケット、いつのまにか龍が巻き付いた剣のキーホルダー、鬼様がコガネちゃんに渡した護符が入っていた。
私を睨んで弾かれた手を振る少女の内臓が、ぶくぶくと泡を立てて少女の体内に収まっていく。
その様子を見て確信する。
この子、あの時鮎喰さんの中にいた子だ。
「なんで、こんなことをしてるの?」
『愛してるから……』
少女は澱みなく答える。
「じゃあ、なんであなたはそんなに……辛そうなの?」
少女の目からは今も絶え間なく血のような液体が流れている。
異様なそれが私には涙を隠しているように見えた。
『うるさい……うるさい! うるさい! うるさい! お前達は揃いも揃って! 愛してるから食べるの! 愛してるから飢えるの!
……そうじゃなかったら、なんで……私はお兄ちゃん達を食べたの……』
少女が私を睨みつける。
私が立っている黒い影から少女の白い手が無数に伸びてきて私を取り込もうとする。
『あなた、ムカつくから……骨も残さず、食べてしまおうか』
私を守っていた青いオーラが無数の腕に押しつぶされてキーホルダーにピシリッと罅がはしる。
「あっ……」
パリン、とガラスが割れるような音が鳴ってオーラが霧散するように消滅する。
手の中のキーホルダーは粉々に砕け散っていた。
白い手が私に群がってくる。
視線の先で笑う赤い目の少女が見えた。
どれだけ抵抗しても振り解けない。
「待って! 話を……!」
そのまま私の体は闇の中へ引き摺り込まれた。
潰れる。
溶かされる。
境界が曖昧になってどこまでが自分かわからない。
薄れゆく意識の中で私は必死に手を伸ばした。
『こんなところで何をやっておる?』
伸ばした手を引かれて私の意識が浮上した。
【ゲホッ、ゴホッ!】
口の中の泥を吐き出して顔を上げると金の瞳と目が合った。
空のように青い髪、くたびれてボロボロの白い着物を着崩した美しい女性がそこにいた。
【おに……さま?】
『はぁ、逃げろと言っただろう?』
そう言うと、鬼様は困ったように笑った。




