第三十五話 最も大きな裂け目
『起きろ! 歩、スマホが鳴っとるぞ!』
目を覚ますとそこはベッドの中じゃ無くて暗い路地だった。
「うぇ⁉︎ なんで外⁉︎」
あたりを見渡すと少し離れたところにコンビニの明かりが見えた。
『お前が寝た後、少し体を借りた。無断使用は謝罪しよう……』
私の左手にはアイスの袋が握られていた。
さては、アイスが食べたくなったな、と内心でムッとしながらスマホの画面を確認した。
画面に表示されている名前は鮎喰さんのものだ。
もうすぐ日付も変わるのに何の用事だろう、と思いながら通話を繋げる。
「もしもし?」
《……》
スマホの向こうから声は聞こえてこない。
「鮎喰さん?」
首を傾げて耳をじっとスマホに耳を当てていると、ネチャネチャと粘ついた水のような音が聞こえた。
《……つっ! あ……がぁ……ぁあ!》
続いてまるで苦痛を堪えるような鮎喰さんの声が聞こえた。
「鮎喰さん⁉︎」
スマホの向こうからドンと何かを叩くような音がして鮎喰さんの呻き声が大きくなる。
『歩……コガネを呼べ』
何か良くないことが起こってる気がした。
鬼様に促されるままにバックグラウンドで通話を繋いだままメッセージアプリでコガネちゃんを近くのコンビニに呼ぶ。
《あ、あ、あ、ウッ……あぁ! 魔法、少女……様……ごめ……アッあぁ! 押さえられない……》
途切れ途切れに、まるで涙を堪えるような声に血の気が引いて心が凍りついていく。
「鮎喰さん、しっかりして! 今からそっちに向かう!」
《どうか……私を……ころ……して》
トプンッと何かが水に落ちるような音と共に通話が終わり、画面に通話終了と表示される。
「鬼様!」
『落ち着け、まずはコガネと合流するぞ……』
私が走ってコンビニにやってくるとコガネちゃんが何故か先に待っていた。
「コガネちゃん! もう来てたの⁉︎」
「ええ、私もちょうど外に出ていたので!」
私の言葉にコガネちゃんが答える。
「鮎喰さんから連絡があって、何か良くないことが起こってるみたい!」
コガネちゃんの表情が僅かに曇って、頷く。
『コガネ、背にしがみつけ……跳ぶぞ!』
全身が青い光に包まれて変身するとコガネちゃんを背負って跳躍した。
「鮎喰さんの家はあっちです!」
コガネちゃんのナビゲートに従って羽衣で建物を掴むとそのまま鮎喰さんの家に向かって加速した。
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「なに……これ?」
「鮎喰さんが住んでいるマンションのはずですが……」
私の疑問にコガネちゃんが答える。
目の前にマンションは無く、代わりにゴポゴポと泡立つ血液のような赤い沼が広がっていた。
「マンションに住んでいた他の人は?」
私の言葉に鬼様が眉を顰めた。
『わからんが……まともな状態ではなかろう』
この光景に団地の食糧庫を思い出す。
この沼の先に、鮎喰さんがいるかもしれない。
「……行こう」
鬼様はため息をつくと、羽衣で足元に円盤を作って切り離した。
私が動くと輪っかも一緒に動く。
『これで沼は何とかなるじゃろう。
コガネは……離れる方が危険かもしれん、このまま背負われておけ!』
そう言うと羽衣がコガネちゃんの体に巻き付いて背中にピッタリと固定させた。
「……ありがとうございます」
コガネちゃんがお礼を言って鬼様が頷くと、私は赤い沼地に足を踏み入れた。
沼に触れそうになると羽衣から青いオーラが放たれて沼を押し広げていく。
しばらく歩くと敷地の中央に近い位置に二メートルほどの赤黒い柱が見えた。
柱の中ほどに、下半身を埋めるように固定された鮎喰さんが見えた。
「鮎喰さん!」『動くな!』
駆け出そうとした私を鬼様が動かした羽衣が掴んで止める。
『以前の二の舞になる』
言われて見渡せば周囲の沼から数匹の赤蜘蛛が私の様子を伺っていた。
考え無しに飛び込めばそれに合わせて飛びかかってくるつもりなのか、柱を取り囲むように配置されている。
鮎喰さんを使って私を誘っているのだ。
チッと短く舌打ちをして、鮎喰さんを捕らえる柱を睨みつける。
「ネズミの時にはすぐに飛び込んだのに、私は助けてくれないんですか? ちょっとショックです」
沼地に声が響いた。
鮎喰さんを拘束していた柱がまとわりつくように鮎喰さんの体を覆って、やがて赤いドレスのような形に変化した。
「鮎喰さん?」
コガネちゃんが問いかけるとはーい、と鮎喰さんが元気に髪を私が贈った青いリボンで結びながら返事をした。
やがて黒髪を高い位置で一つに纏め、長い髪を背後へ流す。
やがて閉じていた目を開いた。
人好きのする笑顔を見せる鮎喰さんの左目からは周囲の沼と同じ、粘性を持つ赤黒い泥を絶え間なく涙のように流していた。
『貴様、玲子ではないな……何者だ?』
鬼様の問いかけに鮎喰さんは人差し指を顎に当てて首を傾げてみせた。
「私は鮎喰玲子ですよ? ハングリーでもあり、実験体でもあります。
レッドと呼ばれる事もあります。
鬼ちゃんは好きに呼んでいただいて結構です」
鮎喰さんらしくない言葉はこの場に鮎喰さんがいないと告げているようで、ズキズキと頭が痛んだ。
鮎喰さんはこの間にも楽しそうにドレスを揺らしながらクルクルと泥の上で回っている。
『ハッ! 玲子はわしと歩の区別なく魔法少女様と呼んでおったぞ!』
鬼様の言葉に鮎喰さんがピタリと動きを止めてこちらを睨んだ。
「それ、今関係ありますか?」
わずかに怒気を孕んだ声でそう言い放つと私達に右手の人差し指を向ける。
「……ハングリー」
周囲に待機していた赤蜘蛛が槍に変化して私達に飛来した。




