第三十四話 飢え
家に帰る。
両親がいない家に。
叔父さんはいい人だ、昔から私を実の娘のように可愛がってくれた。
両親が失踪扱いになって、すぐに私を引き取ると申し出てくれて、今は諸々の手続きや話し合いを進めてくれている。
私自身の希望で今は両親のマンションに住んでいるけれど、もう少ししたら引っ越す。
私が殺した両親との思い出の詰まった家から。
家は片付けられて生活に必要なもの以外残っていない。
私はダイニングテーブルの、自分の定位置に腰掛けた。
使い古された椅子から僅かに軋む音が鳴って、私の体に使い慣れたクッションの暖かさが伝わってくる。
スマホの画面を開く、ロック画面でポージングする魔法少女様をスワイプして写真のアプリを起動する。
今日撮った写真だ、魔法少女様を真ん中に私とコガネさんが肩を寄せている。
「楽しかったなぁ」
机の上に手を伸ばして赤蜘蛛がもういなかったことを思い出す。
最後の一匹は私と完全に同化して外には出てこられなくなったんだった。
ふと、これからどうなるのか考えた。
私は叔父の家に引っ越して高校生になって、違う学校に通えば会う機会も減るだろう。
怪人はいなくなって、魔法少女様は魔法少女じゃなくなる。
チクリと胸が痛んだ。
「ああ、お腹すいたな」
『そうだね、それでどうする?』
視線を正面に向けると人好きのする笑顔を浮かべた十歳前後くらいの少女、レッドが机に腰掛けていた。
「なんで……あなたがここにいるの……」
団地で私が見たものと変わらない姿でいつの間にかそこにいた少女に思わず後ずさる。
その様子を見てレッドは這うように近づいて私の手、握られたスマホを掴んだ。
『それはいるよ、声はずっと聞こえてたでしょ? 私はいつもあなたと一緒にいる。だって、私達は一つなんだから』
レッドの赤い瞳に見つめられると自分の内側をなぞられるようなゾワゾワとした感覚が胸から溢れてくる。
手を振り解こうとしても子供とは思えない力で全く動かすことができない。
「いったい……なんなんですか⁉︎」
酷く嫌な予感がして逃れようともがく私にレッドが優しく微笑んだ。
『もっと自分に素直になりなよ……本当は魔法少女様とずっと一緒にいたいんでしょ?』
「それは……でも、それと今の状況と何の関係があるんですか⁉︎」
私の言葉にレッドがふふ、と声を出して笑った。
『私も同じ……だから、次は何をしようか? 学校を消す? 街に怪人を放つ? それとも……あのコガネとかいう子食べちゃおうか?』
私の腕を離してレッドは机から立ち上がる。
彼女が触れた床から血のような赤い液体が染み渡って部屋を赤く染めていく。
「いい加減にして! そんなこと、魔法少女様は望まない!」
私の叫びにレッドがニヤリと笑って私に近づき、胸を突き放すように押した。
体勢を崩した私はレッドに向かって手を伸ばす。
『食べてしまえば一緒でしょ? だってあなたも彼女も私になるんだから……』
私の背後に開いた空間の裂け目に飲み込まれて部屋が遠ざかっていく。
夕焼けに染まる空の下、見渡す限りの赤い海が見えた。
結界を使って飛ぼうとしても力が入らず、赤い海に落下する。
ガサガサと水音とは違う蠢くような音が聞こえた。
瞬間に理解する。
ここは海なんかじゃない、これは無数の小さな赤蜘蛛が集まって海のように見えていただけだ。
抜け出そうともがく私を嘲笑うように赤蜘蛛達が私を水底へ引き摺り込んでいく、息を吸おうと口を開ければ、前を見ようと目を開けば、その隙間を押し広げるように私の中に赤蜘蛛が流れ込んでくる。
抵抗できなくなった私がなされるがままになっていると突然、頭を打ちつけるような衝撃があった。
気がつくと赤蜘蛛は消えていて病室のような白いベッドの上に私はベルトで固定されて寝かされていた。
周りを見渡すと薄緑色の清潔そうな手術着を身につけた男性が三人、部屋の隅で何やら器具や薬品を用意していた。
「あ……の、ここはどこですか?」
私の問いかけに男達は答えない、不安になって体を動かそうとしてもベルトの留め具が金属音を鳴らすだけだ。
【おい、麻酔は使うなよ! 反応も観察対象の一つだ】
一人の男が薬を触っている男に告げるとわかってる、と一本のアンプルを鞄にしまった。
「な……何をするんですか! あなた達はいったい⁉︎」
私の言葉に反応を見せないままゴム手袋を付けた男達が私を取り囲む。
【おい、ベルトの固定具が緩いぞ! 暴れられると危険だ!】
男の一人がベルトを弄ると私の体はどんどん自由を奪われていく
最後に口に枷を嵌められて開いたままで固定された。
【これでよし、では第四十三回、投薬実験を行う、今回は苦痛に伴う精神崩壊の程度も見るからしっかりと記録をとるように……】
一人が告げると他の二人が返事をして数本の注射器を取り出す。
「ン! ンー! ンンッーー!」
抵抗虚しく、針は私の薄い肌を貫通して血管へと到達した。
内側から焼かれるような、苦痛
自らの吐瀉物に溺れる、恐怖
何より自分がわからなくなる、喪失感
どれほどの時間が経ったのかわからない、私が意識を取り戻した時には夜中だった。
拘束はなくなっていたけれど体は動かない、暗闇から赤い瞳が私を見ていた。
「レッド……ここは……なに?」
『私の世界だよ……奴らはある研究の為に私達の体をいじくりまわした。
何度も、何度も、何度も、何度も』
「達……?」
私の言葉にレッドが手を振ると情景が切り替わった。
殆どがレッドより年上に見える少年少女達、レッドを入れて九人が同じ食卓を囲んで笑い合っていた。
『お兄ちゃんとお姉ちゃん……私の家族』
レッドから見た家族との断片的な記憶、頭を撫でられ、本を一緒に読んで、眠る前に手を振る。
どうしようもなく、幸せな時間が浮かび上がっては消えていく。
『全部食べちゃった』
その言葉の後、建物は血で汚れ、全身から赤い泥のようなものを溢れさせるレッドが食卓に座り込んでいた。
「なんで……?」
私の言葉にレッドが答える。
『愛しているから食べるの
愛しているから飢えるの
私を満たしてくれるものを探して星を覆って、宙を超えて、世界を超えて。
ねぇ、玲子……あなたもお腹が空くほど愛してるなら食べちゃえばいいよ、だって食べればずっと一緒だよ』
私の頬を両手で掴んだレッドがそのまま唇を重ねる。
流れるようにレッドの全てが私を侵していく。
意識が引き戻されて、私は自宅の床に手を付く。
私の真上に開いた裂け目から大量の赤い泥が溢れて、そのまま部屋を飲み込んだ。




