第三十話 人はそれを愛と呼んだ
起き上がった私を観察するように赤ネズミが身を屈めた。
「ふむ……予備核を隠していたか? 失った核に対して別の核を寄生させることで肉体の死を遠ざけたか……」
心臓が鼓動する度にズキズキと全身が痛んだ。
ぼんやりとして考えが纏まらず、赤ネズミの声が頭に入ってこない。
左腕が無くなったせいでバランスがとりにくい。
『随分ボロボロにされちゃったね、腕は新しいの作ろっか』
レッドの声が聞こえてズクズクと傷口が泡立ちはじめる。
泡はどんどん盛り上がり、腕の形を作るとじんわりと熱を感じて表面が色づいていく。
「再生……だと⁉︎」
困惑した表情を浮かべる赤ネズミに飛び掛かるように頭部に蹴りを放つ。
ボキッと嫌な音が鳴って私の足が折れた。
蹴りの勢いのまま地面に投げ出された私は二度、三度と弾みながら転がる。
「なんだ貴様は⁉︎」
ぼーっとした頭にネズミ怪人の声が響く。
「痛い……」
『ハハハ、おバカさん! それで倒せるなら槍が刺さらないわけないでしょ!』
脳内に直接レッドの笑い声が響く。
折れた足に痺れが走ってすぐに動くようになる。
『治してあげるから……ほらファミレスで私が言ってた事覚えてる?』
「覚えてません……」
そもそも声なんて聞こえてなかった頃のことを言われて若干苛立ちを覚える。
その間も警戒するように赤ネズミは私を見ている。
『情報強度だよ、格上を上書きできないから格下は絶対勝てないの……見たところ殆ど同格だけど、相手の方が出力が桁違いだね』
「じゃあどうするんですか⁉︎」
まわりくどいレッドの解説に怒鳴り声を上げる。
「さっきから一人でぶつぶつと気持ち悪いぞ貴様!」
それに対して赤ネズミが痺れを切らして飛びかかってきた。
気持ち悪いとかお前にだけは言われたくない。
『さっき貴女やってたじゃん、密度を高めて一点突破だよ』
掴みかかろうとする相手を躱す為に宙返りの要領で跳んだ。
首は毛皮に覆われて、致命傷を狙うのは難しい。
ならばと右手の人差し指と中指に結界を集める。
守りの無くなった体が相手の結界の影響で溶けて皮膚が爛れる。
空中で逆さまの私と赤ネズミの視線が交差する。
私は赤ネズミの右目に向かって結界を集中させた指を伸ばした。
ズブッと沈み込むような感触が指に伝わった。
「グァッ!」
右目をつぶされた赤ネズミが苦悶の声を漏らす。
皮膚の爛れた箇所が泡立ち即座に再生される。
目をつぶされた赤ネズミは咄嗟に背後に跳ぶが、それを追うように死角、先ほど潰した右目側に飛び込んだ。
「何処に⁉︎」
私を視認できず狼狽えた赤ネズミにそのまま肉薄する。
『ここからどうする?』
(倒します)
脳内に響くレッドの声に頭の中で返事をする。
『どうやって?』
(削り取る)
私の視線が吸い込まれるように赤ネズミの首元に向かう。
『いいね、お腹すいたもの』
結界を歯に集中させる。
硬く、鋭く。
全てを抉るような、愛を込めて。
「一口、ください」
大きく口を開いて、毛皮に覆われた首筋に突撃する。
衝撃の後、口の中に甘い血の味が広がった。
赤ネズミが苦悶の表情を浮かべて首筋から血が滴るが、浅い。
私が認識した瞬間、腰に抱き寄せるように赤ネズミの手が回される。
「捕まえたぞ! 小娘!」
赤ネズミは私を抱き寄せる腕に鯖折りのように力を込めていく。
メキメキと音を立てて腰の骨が粉砕されていく。
内臓が潰れて吐き気を催す。
逃れようとネズミの顔を押してもまるで岩を押しているかのように動かない。
『ピンチだね』
楽しそうなレッドの声が脳内に響いた。
それを無視して逃げられないならと噛みちぎり肉が露出した首筋に再度噛み付く。
「ヌッ! おぉお!」
どうやら相手も苦痛は感じるようで雄叫びを上げて更に私を締め上げた。
それに合わせて私もより強く首筋に噛み付く。
ほぼ同時だった。
私の胴体が支えを失って下半身とは別々に地面に落下する。
そして水道管が破裂したように赤ネズミの首から血が噴出した。
『残念、もうちょっとだったのに……詰めが甘いね。
玲子、貴女の勝ちだよ』
断面が泡立って磁石が引き合うように私の上半身と下半身が繋がって再生する。
赤ネズミは血が溢れ続ける首を抑えながら私を睨みつけていた。
「何故だ! 何故貴様なのだ! 何が違う! 何が貴様をそこまで駆り立てる!」
「愛と希望です。
あの人に貰ったそれの為なら……私は人である事すら惜しくない」
私の言葉に血走ったように真っ赤な赤ネズミの瞳が見開かれ、傷口に当てられた手が地面に落ちた。
「愛か……ハッ! それは、勝てんなぁ……言葉を知り、意味を知り、理解したつもりになって、知れば知るほどわからなくなった」
小刻みに息を吐くその姿はまるで全てを諦めているかのようだった。
赤ネズミの目から一筋の雫が伝った。
「どれ程人の思考を真似ても結局、それは手に入らなかった。
これでは貴様に勝てんわけだ……結局我は、人にも赤い海にも届かない。
これ程までに、彼方より与えられたこの感情を理解したいと願っているのに……」
気づけば毛の赤色は薄くなり、結界も崩れるように消え掛かっていた。
既に戦う力が残っていないことは明白だった。
どこか優しく聞こえた彼の独白が風のように胸を通り抜けた。
「あなたは……人を愛しているのですね」
こぼれ落ちるように口から飛び出した。
赤ネズミはこぼれ落ちそうなほどに目を見開いて私を見つめる。
『そうだよ、愛しているから食べるの
愛しているから飢えるの、だから一つになるの
それが私たち飢えるものだから』
頭の奥でレッドの声が聞こえた。
「そうか……そう、なのか……それならば悪くない」
私の結界が彼の体を優しく包み込み、その肉を溶かしていく。
染み込むように私の体に力が行き渡る。
「……言い忘れていましたが、あなたのお肉は意外と美味しかったですよ」
消えゆく肉片にそう語りかけた。




