第二十二話 鮎喰
文化祭当日、朝食を食べてる時に、普段より少し気合の入った服を着ている祖母が目に入った。
「午前中は大丈夫だけど、今日は雨なんだって」
テレビの雲と傘マークを見て祖母に告げると歩も傘持って行きなよ、と注意された。
はいはい、と返事をして朝ごはんを口に運ぶ。
ダシの効いた卵焼きが美味しい。
食べ終わったら食後の挨拶を済ませて食器を流し台に運ぶ。
朝は時間が無いのでとりあえず水に浸けておくだけだ。
ダイニングにいるおばあちゃんに手を振って「行ってきます」と告げる。
曇天の朝を傘を片手に歩き始めた。
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「ねぇ、朝は鮎喰さんに会えなかったんだけど……ちゃんとリボン付けてくれてるかな?」
教室で絡むようにコガネちゃんに抱きつくと、ふふっと上機嫌に笑った。
「私は遠目に一回見ましたけどちゃんと付けてましたよ、緊張してるのか少し浮かない顔でしたが……」
「そっか、緊張するよね、私もおばあちゃん来ると思うと、少し緊張するもん」
リボンを付けてくれてる事に嬉しくなるけど、ちょっと心配になってくる。
「その分もみんなで応援しましょう」
そう言ってコガネちゃんがグッと小さくガッツポーズを作る。
「そうだよね!」
コガネちゃんの両手を取って飛び跳ねるように腕を振る。
そしたらコガネちゃんは少し困ったように眉尻を下げた。
「でも、コンサートじゃ無いから静かに応援しようね」
「ムッ……」『こやつはわしが押さえとくから問題ないぞ』
不満気に口を尖らせると鬼様が笑って言った。
「なんで鬼様が止める役なんですか⁉︎ 確かに場所がわかる程度には目立とうかなって思ってたけど……」
私の言葉にコガネちゃんが額を抑えてため息をついた。
「あくまで先輩たちが主役なんですから、邪魔したら見にきてる鮎喰さんの両親にも迷惑です!」
ぐうの音もでない正論に押し黙っていると、移動を告げる先生の声が教室に響いた。
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「歩ちゃんのおばあちゃんは、なんというか……歩ちゃんのおばあちゃんでしたね」
合唱が終わった後の昼休み、私とコガネちゃんは教室で弁当を食べていた。
「はぁ、恥ずかしい……全身にスラップバンド付けてピカピカ光ってるのは目立ちすぎでしょ……」
今でも目を閉じれば光を反射して輝くおばあちゃんが目に浮かぶ。
目立ちすぎるのも良くないと、思わず反省してしまった。
『あれの光っておったのはなんじゃ、神力か?』
「ふふ、アレ自体が光ってるわけでは無くて光を映して光ってるように見えるものなんですよ」
鬼様のズレた発言にコガネちゃんがニコニコと説明している。
「途中目立ちすぎて先生に連行されて行ったのは合唱中に笑いそうになったよね……」
祖母が去った後の座席周りで心なしかほっとした保護者達の顔も印象的だった。
私達が他愛もない会話をしているとゾクゾクと背筋に悪寒が走った。
『歩、怪人じゃ』
スマホの画面を確認しても鮎喰さんからの連絡はない。
ここ最近は鮎喰さんの方が先に反応していたのに、本番前で緊張しているのかもしれない。
立ち上がった私にコガネちゃんが眉間に皺を寄せた。
「こんな時に怪人ですか?」
「はは、嫌になっちゃうよね、本当に」
そう言った私にコガネちゃんがインカムを手渡して来る。
「電源をオンにしておいてください、少しくらいは演奏が聞こえるはずです」
コガネちゃんはそう言って小型のトランシーバーを持ち上げて見せた。
確認して耳につけると周囲の声が二重に聞こえた。
怪人が出た時点で演奏を聞くのは諦めてたけど、コガネちゃんのおかげで一緒に聴くことができそうだ。
「コガネちゃん、ありがとう!」
「ふふ、先生は誤魔化しておくので早めに戻ってきてくださいね」
頷いてから小走りで教室を出て誰も見ていないのを確認して窓から跳んだ。
「鬼様! 変身!」『事前に言え!』
文句を言いながらも全身が青い光に包まれて腰から伸びた羽衣が校舎の壁を力強く押した。
その勢いのまま近くの建物の壁を伝いながら悪寒を強く感じる方向へ走る。
《ちゃんと聞こえてますか?》
インカムの向こうからコガネちゃんの声が聞こえて来る。
『よく聞こえておる。教室の騒がしさまでわかるくらいじゃから演奏も拾えるじゃろ!』
「感度良好!」
私と鬼様がそれぞれ返事をした頃、先生の声がして足音が大きくなった。
移動がはじまったらしい。
今にも雨の降り出しそうな曇天の空模様の影響で人通りの減った住宅街の路地にそれはいた。
「あれは? 逃げ遅れた人?」『違うな、よく見ろ……』
建物の屋根から見下ろすようにじっとそれを観察する。
青白い肌に濁った赤い眼光。
胸にぽっかりと空いた穴と、鋭いナイフのような長い爪。
スーツを着た男女、二体の怪人が足を引き摺りながらゆっくりと学校方面へ歩いていた。
インカムから雑踏のような足音が無くなり、静けさが広がる。
どうやら体育館に着いたらしい。
「っ! 鬼様、山田先生の時みたいに核だけ引っこ抜くよ!」
怪人に顔を顰めつつ、方針を口にした私に鬼様は何も答えない。
すぐにでも飛び出したい気持ちを抑えて鬼様の言葉を待っていると、躊躇うようにゆっくりと鬼様が口を開いた。
『歩、あれは無理じゃ……諦めよ』
「なんでですか⁉︎」
山田先生の時には出来たのにこの人達にできない理由が分からなくて鬼様に抗議する。
『はぁ……あやつらは既に死んでおる』
「え?」
私の間の抜けた声と同時に耳元で演奏が始まった。
『何故あのような状態になっておるのかは分からんが……あれは死体に取り憑いて無理やり動かしておる状態じゃ』
「それって……ゾンビってことですか?」
鬼様が考える仕草をしてから一言そうじゃ、と呟いた。
『アレは倒すが。歩、やりにくい様なら今回は眠っておってもいいぞーー』
鬼様が優しく提案してくれる。
私は長く息を吐いてから頬を両手で軽く叩いた。
「やる……」
脳裏に過ぎるのは蓮夜先輩の最後、目の前で怪人に殺された男性、元々の形もわからなくなった怪人に殺された人達。
「この人達に、人を襲わせるわけにはいかないから……それに、眠ってたら演奏も聞けないでしょ」
私は建物の屋上を蹴って飛び降りると、そのまま立ちはだかる様に怪人達の前に降り立った。
私を見た瞬間に駆け出したゾンビ達はその鋭い爪を私に振りかぶる。
『遅いな!』
右から迫った女ゾンビの爪を羽衣が絡め取り、左から迫る男ゾンビの腕を私が蹴り飛ばす。
蹴りの勢いで肘から先が弾け飛ぶ。
腕の傷から、ゼリー状に固まった血液がボトボトと地面に落ちた。
そのまま女ゾンビを持ち上げて右手に力を込める。
拘束している女ゾンビよりも先に男ゾンビを倒そうと腰溜めに構えた瞬間。
【ガァアア!】
女性ゾンビが叫び声を上げた。
そちら側に気を取られた、その瞬きの間に男性ゾンビの伸びた犬歯が私の首に迫る。
肉薄した男ゾンビの顔に裏拳を叩き込み、体勢を低くして拳に力を込める。
体勢を崩した男ゾンビが私の前でタタラを踏んでいた。
取った。
確殺の予感、しかし、それは突然飛び込んできた影、女性ゾンビのタックルを避けたことによって霧散した。
「鬼様! ちゃんと掴んどいてくださいよ!」
『よく見ろ……あやつ、自ら腕を千切って拘束を解きおった』
見れば女ゾンビの右腕は肩から先が失われ、傷口から固まった血液が溢れていた。
インカムの向こうで音楽がサビへと突入する。
一歩、跳ぶように接近した私から離れようと女ゾンビが背後に飛び退く。
私の手足が届かない距離、普通に考えれば攻撃は出来ない。
けれど私の武器は手足だけではない。
私は地面を強く蹴り、空中で体を横にして回転する。
その遠心力に引っ張られるように、鋭い刃物の様な羽衣が女ゾンビに振り下ろされた。
【あぁああ!】
攻撃に割り込んできた男ゾンビが女ゾンビを突き飛ばし、攻撃が外れる。
しかし、羽衣は男ゾンビの足を捉え、左足を半ばから断ち切った。
動けなくなった男ゾンビの脇腹に私は蹴りを叩き込む。
男ゾンビはゴロゴロと地面に削られながら転がり、建物の塀に罅を入れて止まった。
周囲を警戒しながら動けない男ゾンビにゆっくりと近づくと、背後から風が吹いた。
振り向けば爪を私の眼前に突き出した女ゾンビが羽衣に全身を拘束されている。
『来ると思っとったぞ! なかなかに楽しめたが……終わりじゃな』
鬼様の言葉に合わせて私が腕を振り上げる。
それに合わせて高々と羽衣に拘束された女ゾンビが持ち上がった。
結局、体育館では聞けなかったな、と内心ため息を吐いて私は手を振り下ろした。
【れ……い、こ……】
勢いよくハンマーの様に振り下ろされた女ゾンビと男ゾンビの頭が接触する瞬間、男ゾンビの声が私の耳に届いた。
余韻も無く、重力と乗せられた力のままにぶつかった二つの頭部が地面に落とした卵の様に潰れる。
その音とインカムから聞こえる曲の終わりが重なって聞こえた。
「……え?」
肌を叩く冷たい感触、一気に降り出した雨音がインカムの向こうの拍手と重なって聞こえた。
『ふむ、まさか宿主を捨てて逃げるとはな……女の方は空じゃ、男の方に入っていた奴は捕まえたぞ!』
そう言ってキューキューと抵抗する赤い蜘蛛の様な怪人の核を羽衣で拘束して私の口に無理やり放り込む。
『うむ、久しぶりじゃが大変美味である』
口の中に広がった鉄の味に止まっていた思考が復活する。
私は今、何をした。
脳内で先ほどの戦いを何度も反芻する様に繰り返す。
そして最後の言葉が頭の中で繰り返される。
【文化祭には両親も来てくれるのでーー】
何故か遊園地で鮎喰さんが言った言葉が一緒に思い出された。
『さてと、ここにはもう用事はあるまい……濡れすぎる前に帰るとするかーー』
「ちょっと待って……」
学校に帰ろうとする鬼様を静止して男ゾンビのポケットからはみ出していた財布に手を掛けた。
『盗みは感心せんが……』
使い古された財布の中には何枚かのクレジットカードとポイントカード、そして運転免許が収められていた。
深く、息を吐く。
半ば確信に近い嫌な予感を脳内で何度も否定する。
雨粒が頭を叩く中、私は静かに運転免許証の名前を確認した。
《歩ちゃん! 外雨が降り出したけど大丈夫? もしかして苦戦してる⁉︎》
『おう、コガネか……怪人は倒した……』
鬼様の言葉にインカムの向こうから安堵するため息が溢れた。
「……コガネちゃん、鮎喰さんの親の名前って……わかる?」
《ん? どうしたの急に、来場予定者の名簿見たから確認はしたけど、確かーー》
「鮎喰 博」
《知ってるじゃん、私を揶揄って遊んでる?
……歩ちゃん?》
私は鮎喰さんの親の名前を知らない、ただ免許証の名前を読み上げただけだ。
思考が纏まらない、呼吸が落ち着かない、体を刺す雨粒が急速に体温を奪っていく。
そんな錯覚が全身を襲った。
ぐちゃぐちゃの鮎喰さんの親の姿が、交通事故で死んだ親の姿に重なった。
「ああ、ぁぁああーー!!」
雨音を引き裂く様な、叫び声が曇天に響いた。




