第十六話 鬼と月と
※本話には食人を含む残酷描写があります。
苦手な方はご注意ください
しばらく横になって休んでいると突然、赤かった空が薄れるように青色に戻った。
少し遅れて鮎喰さんが戻ってくる。
「魔法少女様がほとんど倒してくれていたので南西の建物はすぐに制圧出来ました!」
流石です、と何故か得意気に鮎喰さんは笑っている。
「ありがとう……ございます?」
敬語を使うべきか悩んで、つい疑問系で口にしたお礼に鮎喰さんはワタワタと両手を前に出して振った。
「ありがとうだなんて! 私は美味しいところを貰っただけです」
ひゃー、と頬に手を当てて飛び跳ねるような仕草に思わず笑ってしまう。
『そろそろ、腹の腕は抜いても大丈夫だぞ……』
鬼様に促されて腹に刺さったままの赤ハチ怪人の腕を抜く。
傷口に青い光が集まって血が溢れるよりも先に治り、あっという間に傷口が塞がった。
「かなり楽になった……鬼様もありがとう、それにごめんね。私のわがままに付き合わせて」
私の言葉に眉間に皺がよった。
怒らせてしまったかな、と頬を掻こうとして鬼様がため息をつく。
『今に始まったことでは無かろう……気にするだけ無駄じゃ』
緩んだ空気を切るようにパン、とコガネちゃんが手を叩く。
「南側の制圧は済んだ、という事ですね。なら北側の建物から敵が来る前に早く逃げましょう!」
コガネちゃんが倒れたままの女の人を担ぐ、鬼様が治療してくれたのか、爛れてた肌はかなりマシになっていた。
私も立ちあがろうと足に力を入れようとして左足に上手く力が伝わらずによろめいてしまう。
感覚は戻ってるけど少し痺れたような違和感がまだ残っていた。
もたれかかれるものを探してバタついた左手にムニ、と柔らかい感触が伝わる。
「あの……その、えっと……」
鮎喰さんの胸元を鷲掴みにした自分の左手が視界に映った。
『何やっておる。色ボケるのは後にせい……』
「ち、ちが……事故です! 事故なんです! ごめんなさい!!」
胸から手を離して謝る私に鮎喰さんは顔を真っ赤にして笑って見せた。
「わかってますから、謝るのはやめてください逆に恥ずかしくなるので……」
駐車場まで戻ると睦月さんが車のエンジンをかけて待機してくれていた。
「この女性は葉月を呼んで顔が利く病院まで送り届けます。鬼様が治してくれたので足も元に戻ってますけど、ちゃんと医者に診て貰った方がいいですからね」
移動中に鬼様が治した事で女性の外傷はほとんど消えていた。
悪夢を見ているのか時折呻き声を出している。
「困り事があったらいつでも呼んでください!」
そう言って鮎喰さんは連絡先を交換したスマホを両手で握りしめて笑うと、ふわりと宙に浮いて飛び去ってしまった。
「歩ちゃん、乗ってください……家まで送りますよ」
睦月さんがドアを開けてくれている車に乗ってようやく、私は一息ついた。
こうして私たちの団地での戦いは一旦幕を閉じた。
◆
気がつくと私は座敷牢の少女を見ていた。
あの後、家まで送ってくれるというコガネちゃん家の車の中で眠ってしまったらしい。
格子で仕切られた座敷牢に座る少女と、それを格子の向こうから拝む信者達に嫌な気分にされる。
少女に触れると今がどういう状況か、静かに伝わってくる。
あれから青年は来ていない。今は夕食の時間で、いつもより上機嫌に見えた父親がとても不気味だった。
【今日はお前の為に特別な供物を用意した】
父親の言葉に少女は眉を顰める。
どんな料理を出されても味は感じない。
だが、神酒のような細工のされた料理は少し嫌だ、と少女の内心が伝わってきた。
格子の扉が開かれ、老齢の信者が供物の乗った蝶足膳を恭しく運んで少女の前に置いた。
並べられた供物に思わず息を呑む。
焼かれた赤黒い肉の塊、それに添えられるように置かれた人差し指と小指と親指。
元の形状が分かるようにまとめられた薄く切った舌。
青い、まるで空を切り取ったような二つの目玉が浮いた汁物。
人だ。
背筋に悪寒が走る。
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる少女の父も、満足気に頷く年老いた信者も、拝み続ける外の人々も。
全てが信じられなかった。
だって、だってこの目は。
不意に座敷牢の窓に視線を向けた。
夕日に照らされた空は燃えるような赤色をしている。
【この者は罪人である! 神聖な屋敷に火を放とうとした。許されざる悪人だ!】
少女の父が説明するように少女に見せつけるように言葉を放つ。
少女はただ、静かにお椀に浮いた目玉を見つめていた。
【しかし、我々は寛大である。この者は神子と一つになる事で我々同様、許しが与えられるのだ!】
演説が終わり、覗き込むように父は少女の顔を覗き込んだ。
化粧越しでも分かるほど青ざめ、脂汗を滲ませた少女と三日月のように目元を歪ませた男との、視線が交わる。
【その男は最後まで、お前を解き放てと喚いておったよ】
父は最後に少女だけに聞こえるようにそう囁いた。
まるでこぼれ落ちてしまいそうなほど、見開かれた金の瞳に供物が映る。
【あ……】
この場において初めて少女が声を出した。
呻き声のような、言葉にならない悲鳴が聞こえた気がした。
気持ち悪い、なんで。
どうしてこんなことになっているのか。
頭の中がぐちゃぐちゃで今にも叫び出してしまいたかった。
見せられているだけのはずなのに全身が冷たくなるような苦痛が伝わってきた。
こんなのは人間のやることじゃない。
今日、見た怪人の食糧庫の光景が目に浮かんだ。
【……いただきます】
震える手で箸を取り、カタカタと鳴らしながら少女は目玉の入った汁物に手をつける。
二本の箸で掴まれた目玉は規則正しい動きで少女の口元まで運ばれた。
だめ、だめ、だめ、だめ。
『それだけは……』
私の言葉は誰にも届かず。
やがて意を決した少女は青年の目玉を口に入れた。
そこは砂浜だった。
空はどこまでも晴れ渡っていて磯の香りと時折釣り人が竿を振る音が聞こえた。
少女は波を足に受けて潮風を体に浴びる。
青年に聞かされた景色だ。
そこは森の中だった。
土の香りと木の葉の擦れる音が体を巡ってどこか心地いい、一匹の熊が自分の事など気にせずにゆっくりと森の奥に入って行った。
青年に聞かされた景色だ。
そこは村だった。
村長の家、その裏手の半分埋まった建物、足元にある小さな窓から一人の少女が見えた。
青年と出会った景色だ。
そして、私は弾かれるように少女のイメージから吐き出された。
少女の感情はもう感じなかった。
ただ涙をこぼしながら黙々と供物を口に運ぶ少女だけが痛々しく見えた。
【御神体様、泣いておられる】
【慈悲深いお方だ。あのような罪人にまで心を痛めておられる】
的外れな会話をしている信者達を睨むと彼らもまた泣いていた。
いったいどの口がそんなことを口にするのか。
やがて少女は供物を平らげると首を絞めるように自らの喉を掴み。
【ハッハッハッハッハッハ――!】
大きく、口を開けて笑った。
異様な光景に父親が顔を歪ませて一歩後ずさる。
足音が響いてピタリと少女の笑い声が止まった。
涙で溶けた化粧が目元から線を作り、隠せなくなった痣が線を赤黒く彩る。
少女は立ち上がり父親に笑顔を向けた。
【父様、私……感動してしまいました。人の生とはこれ程までに、美味なのですね】
【来るなぁ!】
そのまま歩み寄ろうとした少女に父は鞭を振るう。
鞭の先端が少女の目元を横薙ぎに裂き、ポタポタと赤い血が地面に落ちた。
しかし、少女は変わらず笑いかける。
【構いませんよ……父様、私は神子ですから寛大であるべきです。そして父様にも許しを与えましょう……】
少女の体から湧き出した青い光が神聖な力を発しながら格子を、建物を破壊していく。
少女の瞳に光が集まると裂けた目玉がみるみる修復されていった。
【ヒッ! ゆ……許してぐれぇ!】
許しを乞う父に、少女は笑って抱擁するように首に手を回した。
【気になってしまうのですよ、教えてください……お父様。お父様ってどんな味ですか?】
ゴリッ、嫌な音が鳴って父は膝から崩れるように地面に倒れた。
少女は再び手を合わせるとゆっくりと息を吐く。
【いただきます】
そこから先は蹂躙だった。
逃げようとする信者を光の帯のような羽衣が掴み、許しを乞う者に笑顔で許すと告げた。
皆、一様に少女の腹に収まった。
信者の全てを平らげた頃、少女の黒かった髪は青く染まり。
飴玉のように誰かの目玉を口の中で転がしていた。
【さて、誰じゃったかの? 美味だった事は覚えておるんじゃが……まぁ良いか】
一本の鞭を放り投げ、鬼となった少女は私とすれ違う様に村の方へ歩き始めた。
『おに……さま……?』
【まだ、満足できんなぁ】
月夜に鬼の声が響いた。
◆
「歩ちゃん、着きましたよ?」
コガネちゃんに体を揺らされて目を覚ました。
「……ありがとう」
反応の鈍い私を見てコガネちゃんが眉を顰める。
「まだ動くのが辛いなら運びますよ、睦月が……」
ばっ、と驚いた表情で睦月さんがこちらを見て大丈夫です、と遠慮しておいた。
「足の痺れも無くなったし、家までの階段くらいなら余裕だよ!」
ガッツポーズをしてみせる私にコガネちゃんが笑う。
「明日には学校ですけど、体調が悪かったら無理せず休んでくださいね……お見舞いには行くので」
そう言い残して窓越しに手を振るコガネちゃんを見送った。
階段を登る途中、お腹を触ってみる。
痛みはもう無い、まるで今日一日の事が全部夢だったみたいだ。
「鬼様、起きてますか?」
『ん、何か用事か?』
夢の印象と違って優しい声が私の口から漏れた。
私の知ってる鬼様だ。
厳しくて、怖くて、優しい。
最強の味方。
空に浮かぶ月に手を伸ばす。
「私は今日、死にかけました」
『そうじゃな……運がよかった』
そっけなく答えた鬼様に笑ってみせる。
夢の中の少女を思い出す。
座敷牢から何も出来ず。
青年を守る事ができなかった少女を、
「鬼様、私……強くなりたいです」
赤アリ怪人と戦った時の全能感、赤ハチ怪人を目にした時の勝ちを確信した感覚。
私がもっと強ければ、女性を庇って窮地に立たされる事は無かった。
次に向かって握った手に僅かに痛みが滲んだ。
『…………では、お前が鬼になるか?』
瞬間、青い光が全身から迸った。
夢で見た青い鬼神が今まさに真正面から私を見下ろしている錯覚を覚えた。
玉の様な汗が額から溢れて、声が出ない。
しばらく沈黙していると、オーラが消えて口からフッ、と笑い声が溢れた。
『お前は魔法少女とやらになりたいのじゃろう? 余計なことを考えるな』
鬼様の言葉に私は手のひらを見た。
月は握る事が出来ず、ただ空に浮いている。
私は月に背を向けて階段を登る。
「鬼様……月が綺麗ですね」
『ハッ! そんなもの、千年前から変わっとらんわ』
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
二章完結となります




