第十話 決戦前夜2
また、同じ人の夢だ。
儀式が終わって身を清められた虚な目の少女の前に食事が運ばれて来る。
汁物、漬物、色のついたご飯。
手を合わせて一切の澱みなく料理を口に運んでいく。
しかし、私には少女が何を思っているのかわかった。
味がしない。
漬物は硬い食感を歯に伝え、米は糊のように口内で粘つき、汁物はお湯のようだ。
匂いは感じる。
つまり、味が無いのでは無く、感じられない。
その異変を無視して少女は機械のように全てを平らげてゆっくり手を合わせた。
【ごちそうさまでした】
傍に立つ少女の父が少しつまらなさそうな表情をしていたのを見て胸がザワザワと騒いだ。
いつもと同じ夢、いつもと同じ景色、狂った世界がその日は少し変わって見えた。
座敷牢に夕日の光が差し込む時間帯、見張りの信者は椅子に座ってゆらゆらと船を漕ぐように体を揺らし、涎を垂らしていた。
少女はその様子を少し羨ましそうに見た。
以前、居眠りをした時は両手の感覚がなくなるほどに鞭で打たれた。
しばらくまともに箸が握れず、食事の時間は地獄だった。
内心でため息をこぼし、夕焼けの空を見上げようと窓に視線を向ける。
青い、まるで晴天を切り取った様な目をした青年と目が合った。
【こんなところで何してるんだ?】
ゾッと血の気が引く。
周囲を見渡して見張り以外の人物がいないか確認する。
格子の向こうの扉に気配は無く。
見張りの信者も変わらず体を揺らしている。
少女はホッと胸を撫で下ろして再び青年を見た。
【ここで勤めを果たしております】
少女の言葉に青年は眉を寄せて、怪訝な表情を作った。
【ここで座ってる事が勤めなのか? なんというか、窮屈そうだな……】
青年の言葉は木の葉を揺らす風の様に少女の心を揺さぶっている様に見えた。
長い夢の中で初めて、悲しい以外の感情を少女は見せていた。
それは苛立ちだ。
僅かに険しい表情をした少女は睨みつける様に青年を見つめる。
【早く立ち去ってください、見張りに見つかれば……貴方も酷い目に遭いますよ】
少女の忠告に青年は笑ってみせる。
【見つからなければいいんだろ? 得意だぜ、そういうの】
その日から、座敷に時折青年がやって来る様になった。
暗く茶色い座敷に青い光が差し込む様に、世界が色付きはじめた。
足音が聞こえてきたらコンコンと二回、格子を鳴らす。
以前に決めた見張りが眠っている事を示す合図だ。
少しだけ表情が和らいだ少女はやって来る青年の言葉に耳を傾けた。
【山に山菜を取りに行ったんだけど、その途中で馬鹿でかい熊を見かけてな……】
【熊、ですか?】
度々外の話を聞かせて来る青年に少女はぎこちなく答える。
【見た事ないか?】
【申し訳ありません、なにぶん……幼い頃からここで暮らしているもので】
世間を知らない少女に対して青年は親鳥が雛に餌を与えるように外の話を聞かせた。
【そうか……いつも俺ばかり話しているからたまにはお前の話を聞かせてくれないか?】
今思いついた、と笑う青年に少女は困った様に眉を寄せた。
【話せる事など……何もありませんが】
【なんでもいいんだよ、好きな食べ物とか】
青年の言葉に少女は地面をなぞる様に考えを巡らせる。
【炒った豆は嫌いです。掴みにくいので。
漬物は大根の食感が変わっていると思います。
魚は綺麗に食べれる様になるまで苦労しました――】
ぶつ切りに、思い出す様に語る少女に青年は苦笑いを溢す。
【好き嫌いって味の話だぞ〜】
【味……お酒は変な味がします……】
ここまで話して、私も少し微笑ましく感じはじめた頃。
不意に少女の表情が曇った。
何故だろうと少女に手を伸ばすと触れた瞬間に儀式の光景が頭によぎった。
この時間、この関係もいずれは霧の様に消えてしまう。
誰かにバレて辛い記憶として別れるくらいならばいっそ。
少女の思いが頭の中に溢れて来る。
【もう、いいではありませんか……】
【急にどうした?】
青年が気の抜けた返事を返す。
少女は着物の裾をギュッと握り、その目には涙が溜まっていた。
【こんな関係、いつまでもは続けられません……私は外に出られません。こんな私に外を語っても、辛くなるだけです】
化粧が崩れない様に下を向いて涙を落とした少女は青年に向き直る。
憎い相手を見る様な、鋭い剣幕で彼を睨んだ。
【もう、ここには来ないでください】
【俺の事、嫌いか?】
青年の言葉は冷えた水の様に部屋に染み込んでくる。
【それは……】
考える。
目を伏せた事が答えだ、と言わんばかりに青年は笑顔を見せた。
【俺さ、もうすぐこの村を離れて都に行くんだ。その時に、お前も一緒に来ないか?】
まるで雷が落ちたかの様な衝撃だった。
何も視界に入らなくなって、薄暗かった座敷牢が真っ白に染まる。
手を伸ばせば青年と一緒に駆け出せてしまう様な錯覚に陥る。
座敷から見上げるだけだった空がすぐそばにある様な気がした。
【それは……まるで夢の様な話ですね……】
絞り出す様に放った言葉に青年は頬を赤く染めた。
【俺は本気なんだけど……】
着物越しに掴んだ左手が痛かった。
傷が開いて白い着物が赤く染まっていく。
バレたらまた折檻だ。
しかし、少女にとって青年の言葉が今は何よりも痛かった。
【ありがとう……ございます。
名前も知らない貴方。
……私、わ……たしは――】
言葉が続かずに唇を噛んだ。
あらゆる感情を飲み込もうと喘ぐ様に空気を吸い込む。
【……それだけで十分なんです。
外なんて望まない、貴方とはいけません】
少女の言葉に青年はゆっくり目を伏せる。
【……そうか】
短くも、全てを終わらせる様な言葉に、少女の目から涙が溢れた。
【どうか……どうか…………貴方は貴方の人生を……】
擦り付ける様に許しを乞う様に深く下げられた頭を持ち上げた時、青年はもういなかった。
◆
「うぇ!」
目を覚ますと、私は椅子に座って手には青い光の玉が握られていた。
『ああ、起こしてしもうたか、バレん様にこっそりやっておったんじゃが……』
部屋を見渡すとまだ暗く、時計の針は夜中の一時を指していた。
「こんな時間に何やってたんですか? 鬼様」
私の問いかけに鬼様が手の中の光を持ち上げながら答えた。
『コガネ用に一つ護符でも用意してやろうと思ってな……この光の玉を何か適当なものに入れればいいんじゃが……』
なんでもいいんなら、と昔修学旅行で買った龍が巻き付いた剣のキーホルダーを鬼様に渡した。
『じゃあこれにするかの!』
バチバチと静電気が爆ける様な音と共に光がキーホルダーに吸い込まれてうっすらと青い光を放つ様になる。
「これでどんな効果があるんですふぁ?」
『これを持っとけば奴らの結界でもすぐには溶かされん』
あくびをしながら聞くと割と真面目な答えが返ってきた。
鬼様がコガネちゃんの為に動いてくれてるのは意外で少し嬉しかった。
「ありがとうございます!」
私がお礼を言うと鬼様はポリポリと照れ臭そうに頬を掻いた。
『別に、夜中に思い立ってしまっただけじゃ』
ふふ、と笑って再び眠ろうと布団に手をかけた時。
ふと鏡の中の自分と目が合った。
思い出すのは夢の少女、そして蓮夜先輩。
「鬼様は、後悔してる事ってありますか?」
『なんじゃ、藪から棒に……』
顎に手を当ててそうじゃな、と考える仕草をした。
『封印された時の事は少し後悔しておるかもしれんな……』
「もしも、全部やり直せるとしたら鬼様はどうします?」
私の問いかけに短く、声を出して鬼様は笑う。
『変えられんから選択であり、後悔なのじゃ……もしも、などと意味のない問いはやめよ』
鏡に映る私の目が一瞬、月の光を反射して金色に見えた。
『だが……もしも、と言うならば話がある』
鏡の中の私が怪しく鋭い視線を私に向ける。
「……なんですか?」
今までと違う鬼様の様子に背中を冷たい汗が伝った。
『明日、戦いの中で誰かが怪人に食われそうになる場面が来るやもしれん……そんな時、わしが諦めよ、と口にしたならば諦めよ』
「な⁉︎」
私が立ち上がって抗議しようとすると腕が突然顎を掴んだ。
『そのまま聞け……お主が本気で抵抗すればわしはお主の体を動かせん、だからこそ先に言っておるのじゃ』
顎を掴んだ手が滑る様に離れた。
真剣な視線が私を見る。
この視線は私のものか、鬼様のものか。
「なんで、そんなこと言うんですか?」
『お主が死ねば憑依したわしもただでは済まん、だからこそ。死にたく無くばわしに従え!』
眉間に皺が寄る。
睨み合ったまま、ただ過ぎるだけの時間が流れた。
「わかりました……」
先に口を開いたのは私だった。
『そうか――』
「でも! 私からも条件があります!」
何か言いかけた鬼様を遮る様に言葉を続ける。
『面白いな、言ってみろ……』
「鬼様がどうしても助けられないなら諦めます。代わりに、助けられる人は全員助けてください! 絶対に諦めないでください!」
言い終わると私の口角が持ち上がった。
『お主、頭がおかしいな!』
「鬼様にだけは言われたくない!」
ハハハ、と笑い声が部屋に染み込んでいく。
鏡から視線を逸らして鬼様が空に浮かぶ月を見上げた。
『本当は、戦いになったら眠っておくように説得するつもりだったんじゃがな……ならば、わしからも条件じゃ! 決して目を逸らすな、たとえどれ程の地獄が待っていようとも。逃げる事は許さん……わしが怠けんようにその目で最後まで見張っておれ!』
月を掴むように手を伸ばした鬼様に私が笑う。
「約束ですよ……鬼様」




