75 薬屋の弟子 路面凍結と小さな親切
視線を投げかければ、光の波がだいぶ小さくなっているし、別のグループも投網を片付けて帰る準備をしているようだ。
「んんん、左様ですな。まぁ、これだけ獲れればエシル殿も喜ぶのではないですかな?」
僕たちが持ってきた5つのびくは、白銀魚でいっぱいだ。
エシル姐さん用のエラ付き3つ分、食用2つ分だ。
「そうデスね。そろそろ、他の皆さんも終わりみたいデスし……」
「うん、じゃ……あ、ロレン、また服ぬいじゃったんスか?」
リーリスさんが今更のように、変態紳士の肌色濃度の高さを指摘する。
「んんん!! この突き刺さるような寒さ!! 冬将軍に全身を嬲られているようでキモチイイですぞ!! リーリス、レイニー殿もご一緒にどうですかなっ!? 最高ですぞ、雪原ダイブッ!!」
変態行為に僕たちを誘おうとするな。
「いやぁ~、雪原ダイブは蒸風呂から出た時だけにしたいっスね~」
「えっ!? 全裸で雪原ダイブしちゃうんデスか!?」
普段、にゃはは~、と笑って変態行動に対しては絶対、同調しないはずのリーリスさんが、雪原ダイブには理解を示しているだとッ!?
「うわあぁぁぁぁんっ!!! リーリスさんが汚染されたああぁぁぁ!! 変態紳士をリーリスさんに感染させないでくだサイーっ!!」
「ちょっと待って!? レイニー! 誤解っス!! 俺、公衆の面前での脱衣願望に目覚めた訳じゃないっスよ!! あくまでも蒸風呂の後だけっスーー!!」
リーリスさんの叫びが雪原にこだました、その時だった。
「だーれかー、たーすけてくれーー!」
ん?
人の声が、風に乗って僕たちの耳に滑り込む。
リーリスさんが真剣な顔でぴくぴくと長い耳を動かす。
エルフであるリーリスさんは、僕たち3人の中で一番耳が良い。
「あっちの方から聞こえたっス!」
「んんん、何かに襲われているのですかな?」
「いや……争っているような音はしないっス! 行ってみるっスよ、レイニー!」
そう言うと、リーリスさんは、僕の名を呼びながら分厚い手袋を外し、胸元のポケットの蓋を開ける。
「ハイ! 変身!!」
僕は、心得ました、とばかりにしゅるるん、とその姿を小鳥へと変化させる。
急ぎで移動する時は、僕は人型よりも小鳥の姿の方が有利なのだ。
一応、秋の終わりには、飛べるようになったんだよ!!
あの時は、嬉し過ぎて、リーリスさんの頭上を三十五回転したら、目を回して茂みに突っ込んだんだよね。
まぁ、最近は、寒さが厳し過ぎるため、空を飛ぼうものなら凍えて死ねそうなので、サボっ……じゃなくて、控えているけど。でも、小鳥の姿のジャンプ力の方も、なかなかのものになっている。
僕は、パタパタっと軽やかに飛び上がり、手慣れた感じに、リーリスさんのポケットの中に滑り込む。
うん、冬服のポケットも、もう何回も入ってるもんね。……ぬくい。
僕がポケットに収まり、ロレンさんが飛び散った衣類を回収し、お二人が、スキー板とかんじきを足して割ったような板を靴に括り付けた時点で準備が整う。
僕たちは、その声に向かって駆け出した。
「おーーーい、だーれかーー」
声の響きからすると、中年の男性かな?
「いかがなされましたかなー?」
「おお! 悪い、兄ちゃんたち、車が氷を踏み抜いちまったみてぇで……」
見れば、赤茶色の髭のおじさんが、幌馬車ならぬ、幌ルマ車の車輪の脇で必死に車を押しているところだった。
ちなみに、ルマっていうのは、ねじれた角が3本生えている馬に似た動物で、この辺りでは荷車を引いたり、畑を耕したりするのに大活躍の大型の家畜だ。
シフキ草の軟膏作りの際にはルマの油を活用させてもらったっけ。
どうやら、荷車の荷物の量が多すぎて、氷を踏み抜いてしまったようだ。
後方の右側だけ、車輪がぬかるみにハマっている。
「おっちゃん、どうしてこの天気で荷車なんか使っちゃったんスか?」
「左様ですぞ、ソリ足にしておかないと、この雪では大変ですぞ?」
「いや、数日前にダリスを出発した時は、まだ雪なんて無かったんだよ」
おっちゃんはこの位の雪なら、ギリギリ荷車でもダリスまで帰りつける、と踏んだようだが、見通しが甘かったようだ。
このぬかるみ……がっちりとハマってしまっているうえに、車輪部分がつるつると回転してしまい、押しても引いても、車はびくともしない。
これは、一旦、荷車の荷物を全部下ろして、車輪部分を引き上げるしかないかな?
小さめな引っ越し用のトラックくらいあるぞ? この荷物……!
この4人で全部を積み下ろしするのは、ちょっと荷が勝ちすぎている。
「そうっスね~……」
リーリスさんは、荷車を見上げて、にゃはは~、と眉毛をハの字にして苦笑しながら自分の荷物の中から丸太を取り出す。
これは、前にキャンプでも使った燃料だ。
真ん中に大きな窪み、側面には空気を送る穴がぽこぽこ空いていて、中央の穴に火種を入れておけば、ゆっくり、まったり、一晩くらいの時間をかけて燃えていく。
リーリスさんは、その丸太をいつもの刀でサクッと縦に叩き割り、普通の薪のような形へと切り刻む。
「それ、どうするんデスか?」
「これを、車輪の接地面に対して平行に括り付けるんスよ~。」
あー……なるほど。
言うなれば、車輪にかんじきを履かせている訳か。
リーリスさんは器用にぬかるみにハマってしまった車輪に薪をいくつも括り付ける。
これなら、薪を乗り越えた瞬間、車輪はちょっと前に進むし、進んだら、次の薪がまた地面に接するから滑らずに、また前へと進んで行くはずだ。
「おっちゃん、ルマを前に進ませて欲しいっス、ロレンも一緒に後ろから押すっスよ」
「んんん、任されましたぞ! では、ワタクシは服を脱いだ方が……」
「今、ロレンさんの防御力は必要無いデスから、衣類を着用したまま、荷台を押してくだサイ。全裸になっても別に力は上がらないじゃないデスか」
……何で僕がこんなことを注意せにゃならんのだ。
「悪いな、兄ちゃんたち、ほらっ! 行くぞ、セイっ」
おっちゃんの号令で、フヒン、フヒン、とルマ達が荷台を引く。
「そぉれ~!」「ふんぬーっ! ですぞぉぉぉ!」
がったん!
おお!!
それと同時に後方から、荷台を押すと、荷物満載のルマ車はようやく白い雪の上をごとん、ごとん、と進み始めた。




