74 薬屋の弟子 冬の女神の観賞魚を狩る
「うわぁ~……幻想的デスね~……!」
数日前から降り続いていた雪が、ようやくその乱舞を一時停止する。
真綿の布団を幾重にも重ねたようだった灰色の空は、久方ぶりの青い素肌を惜しげも無く晒している。
スコーーン、と抜けるような青空。
まるで、成層圏が地表まで下りてきて、白亜の大地にキスをしているみたいだ。
耳が痺れるくらいの冷気がピシピシと僕たちを包み込んでいる。
大きく息を吸い込むと、鼻の奥がツーンとするくらい澄んでいて冷たい空気。
肺胞の一粒一粒を風の精霊に撫でられていると錯覚してしまう。
「ふわ~、ふふふ。」
あまりのキレイさに、思わず、こぼれた笑いの息は真っ白だった。
これでは、僕自身が蒸気機関車ではないか。しゅぽーっ!
いやぁ、元の世界でも、結構寒さの厳しい山国育ちだから、雪でこんなにテンションを上げるタイプじゃないんだけど、こっちの世界の積雪って、前の世界と違って時折、オーロラみたいに発光するんだよね!
これを何て表現したらいいのかなー?
雪のスクリーンに映える光の波、みたいな感じ?
こう、リロリロ、シャラシャラ、小さな小さな儚い音を立てて、光の波が積雪の中でたゆたうの!
これを幽玄美と言わずして何が幽玄か!
目に映るのは、はるか遠くにそそり立つ精霊樹の丘と白い雪と青い空と雪の中を光る波。
「んんん! 本当に、美しいですな」
「デスよね~……って、ロレンさぁん」
ぐふぉっ!!
たった一人で、僕の視界に映る幽玄美を完全破壊に追い込む全裸亀甲縛りモザイク装備の紳士姿。
しかも、皮膚に張り付いているのはいつもの縄じゃないんだぜ。
銀色に冷たい光を放つ細い鎖の紐が少し食い込み気味にその素肌に絡みついている。
冬場は普通の縄よりも、鎖の紐の方が冷たさが素肌にダイレクト・アタックしてくれるからお気に入りなんだって。
……一般人は、知る必要性のない変態紳士の予備知識である。
何か、脳みその知識容量をすっげー無駄にしている気分デース。
「どーして、せっかくエシル姐さんから借りたコート脱いじゃったんデスか!」
見れば、足跡の脇にココに来るまで着用していた衣類が点々と落下している。
この男、素面で泥酔してんのか?
「んんん!! この冷たさ!! この鮮烈さ!! これはもう、大自然へ敬意を表さねば失礼というものッ!!」
シュババッ! カサカサッ!!
ロレンさんは、お笑い芸人さんがビジュアル系バンドを誇張したモノマネでカッコつけてるよーなポーズで宣言する。
「これこそ、変態紳士の矜持ッ!!」
そんな敬意の表し方が有るか。
たたき捨ててしまえ、そんなプライド。
「レイニー! ロレン! 何してるんスか~?」
「んんん! 今、参りますぞ、リーリス。さ、行きましょうぞ、レイニー殿」
むぅ。
その呼び名に、僕は、小さく口を尖らせる。
いや、別に良いんですけどね?
リーリスさんとロレンさんが敬称無しで呼び合ったって。
あの皮膚死病騒ぎ以来、お隣の部屋に住んでいるっていうのもあって、ロレンさんとは結構、一緒にお酒を飲むようになってるんだよね。
で、ロレンさんって「毒物」に対する耐性獲得能力がめっちゃ高いじゃん?
アルコールといえども、限度が過ぎれば、それは毒。
リーリスさんと一緒に、アルコール度数の高いお酒をガンガン飲んでいるうちに、この人もどんどんうわばみ化が進行していっているんだよねぇ……
今では、ドワーフのポポムゥさん、毛豊奇異鳥族のオズヌさん、エルフのリーリスさん、人間のロレンさん……と、この4人の中で一番お酒に弱いのがドワーフのポポムゥさん、という、何かとんでもない状態になっている。
そのせいなのか、僕の周りの皆さん……ロレンさんの全裸亀甲縛りモザイクっぷりに馴染んできているような気がするんだよねぇ……
そういう生き物として認められてるというか……
感覚が汚染されているというか……
実に、ゆゆしき事態である! ゆゆしき!
古語で言ったら、いとゆゆし!!
そんな訳で、リーリスさんとロレンさんは、すっかり「殿」とか「さん」とか無しで呼び合う仲になっているのだ。
でも、女性に対しては敬称を付けるのが紳士のたしなみなんだってさ。
……いや、別に、本当に、全然良いんだけどね?
リーリスさんを呼び捨てにしやがってコノヤロウ、とか思ってませんよ?
あー、男同士の友情って、どーいう理屈で進展してるのやら。
乙女にはさっぱり分からないですわ~。
「姐さんに頼まれている白銀魚を網から外すの手伝って欲しいっス~!」
「は、ハーイ! 今、行きマス!」
リーリスさんの声に僕たちは急いで駆け寄ると、引き寄せられた投網に掛かっている白銀魚をびくへと放り込む。
ぴっちぴっちと跳ね回るワカサギ程の半透明で青白く光る魚が白銀魚だ。
これ、今日みたいに大雪が降った雪の中に現れる魚で、光の波と一緒に雪を泳ぐのだ。
しかも、何故か人に踏み荒らされていない新雪にしか現れず、それも雪が止んで、青空の広がる数時間しか姿を見せない不思議な魚なのだ。
そのため、『雪の精霊の眷属』とか、『冬の女神の鑑賞魚』とか、そんな名前で呼ばれている。
味は淡泊だがジューシーで癖が無く、飲み込んだ後に、ミントみたいなスッとした清涼感の味わえる珍味である。
「これ、酒のアテに最高っスからね~」
「んんん、ワタクシも、この味は好きですぞ! それに、この時期しか獲れませんからな! 本当はココですぐに〆て、エラを捨ててしまうのが一番癖が無くて美味しく食べられる方法なのですがなぁ!」
「もー、お二人とも、食べる事よりも、エシル姐さんから頼まれたのを覚えていマスか?」
そう。この魚、珍味として味わうこともできるのだが、何でもこのエラを使うと氷雪系の炸裂弾がつくれるのだそうだ。
そのため、エラ付きのまま持ち帰れ、というのがエシル姐からの指示である。
先に〆てしまって、エラだけを集めた状態だと炸裂弾の材料にはならないというのだ。
「ま、姐さんにビク3つで良いって言ってたし……それ以上取れたら、食用にするっス!」
にっこりと笑いながら、網にかかった魚が全てビクへと移し、また光る波に対して投網するリーリスさん。
あ。ここから見ると、同じように投網をしている人たちのグループが一定距離を保ちつつ、ちらほらと見えている。
こちら側のちょっとだけ傾斜のある雪原の方が光の波が強いから、白銀魚の群れがいっぱい居るのだろう。
しばらく、入れ食い状態が続いたが、ある時からぴたり、とヒットが止まる。
「そろそろ、今日の狩りは終わりっスかね?」




