↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ねえ、はやく降参してよ。 ――結婚したのに両片思い(?)。復縁夫婦の執着愛バトル。  作者: momomo
最終章

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
20/24

第二十夜:本物の相手

 微かに秋の気配を感じられる、よく晴れた火曜日。

 私はある場所へと向かうため、午前中に家を出た。


 陽が差し込む、ガラガラの下り電車に乗る。

 急行もあるけれど、あえてゆっくりと進む各駅停車を選んだ。


 一時間後、実家の最寄駅に着いたけれど、ここでは降りない。


 その三駅先、今度は母校の最寄駅に着く。

 窓の外、毎日通った駅前のロータリーを眺めた。

 ハルとの瑞々しい思い出が、数え切れないほど詰まっているところ。

 しかし、ここでもまだ降りないままでいる。


 そのさらに三駅先で、ようやく私は席を立った。


 ◇


 多くの車が行き交う大通りを歩くこと、十分ほど。

 淡いグレーのマンションが見えてきた。


 エントランスで呼び鈴を鳴らすと、元気な返事とともにオートロックが解除される。

 エレベーターで十階まで上がり、目的の部屋に近づくと、扉から顔を覗かせている人物が見えた。


「マナちゃーん」


「お義母(かあ)さん!」


 そう。ここは、ハルの実家だ。


 笑顔で「待ってたわよ〜」と中へ促してくれる。


「お邪魔します」


 久しぶりの玄関へ、そっと足を踏み入れさせてもらった。


 学生時代に何度も、ご両親が留守の間、ハルに腕を引かれ忍び込んだ場所――。

 ここへ来るたび、あの頃の非礼を心の中でお詫びしている。


「やっとお休みが合ったわね」


 義母は今でも、看護師としてバリバリと働いている。


「はい。火曜日に合わせていただいて、すみません」


「いいのよ。私が会いたかったんだから〜」


 まるで実の娘のように接してくれて、いつ会っても心が若々しく、姑というよりは年の離れた姉のように話しやすい存在だ。


 リビングに入ると、ふわりと、大好きな香りが鼻を掠める。


「あれ……ジャスミンティー、淹れてくださったんですか?」


「そうよー。マナちゃんが来ること、遥(ハルカ)に連絡したら、用意しておけって」


 キッチンカウンターの向こうで義母が笑う。


 明るい光に満ちたリビング。

 テーブルの上には、以前私が母の日に贈ったガラスのフラワーベースが、季節の花を抱えて輝いている。


 ホットジャスミンティーが入ったマグカップを、二つ持ってきてくれた。


「美味しい淹れ方も長文で送られてきたんだけど、うちにはガラスポットはないし……簡単でごめんね?」


「いえいえ。私もハルと暮らす前は、いつも出来合いのものを買ってましたから……」


 ノンカフェインの茶葉があることも、いくつかの工程を経て丁寧に淹れるとずっと美味しくなることも、ハルが教えてくれたのだ。


「普段、私の連絡には『はい』か『いいえ』しか返さないくせに。突然、ものすごい長文の説明がきて驚いたわ。ほら見て、いつものやり取り。心理テストじゃあるまいし」


「ふふ……」


 ユーモアのあるツッコミに、思わず笑みがこぼれる。

 差し出されたスマートフォンの画面にはたしかに、短い吹き出しばかりの淡白なやり取りの中、突如として投下された熱量の高いメッセージがあった。


「本当、マナちゃんに首ったけよね」


 湯気が運んでくる上品な香りを楽しみながら、義母は呆れたように微笑んだ。


「それで……そんな遥が、よくマナちゃんと離れるなんて決断できたわね?」


 その問いかけに、カップを持つ指先が僅かに強張る。

 ずっと胸の奥につかえたままの重たい石を、吐き出さずにはいられなかった。


 私が、一緒に行くと言えなかった理由――。


 一度も日本を出たことのない自分が、大好きな仕事を手放したうえで、いきなり見知らぬ土地で暮らすなんて。

 イメージできないどころか、孤独や不安から、彼の負担になってしまうのではないかと怖くなった。

 過去の苦い別れの記憶も重なり、どうしても足が竦んでしまったのだ。


 途切れ途切れに、打ち明けた。

 義母は、静かに耳を傾けてくれていた。


「お義母さんも、前に……話してくれましたよね。お義父さんの赴任がきっかけで、すれ違い始めてしまったって……」


 そう尋ねると、義母はマグカップを口へ運ぶ手を止め「あらっ」と目を丸くした。


「私ってば、息子が不利になる話を教えちゃった感じ?」


「あっ、いえ……そういうわけじゃ……」


「ふふ。冗談よ、冗談」


 慌てて否定する私を、優しく制してくれた。


「たしかに赴任が、大きなきっかけにはなったんだけどねえ」


 義母は、コトッ、とマグカップを置くと、少し遠くを見るような目をした。


「あのね、マナちゃん。私ね……結婚する前、看護師の仕事が本当に辛くて。逃げるように家庭に入ったの」


 初めて聞く話だ。


「……そうだったんですね」


 看護師の仕事は、人の命と、その側にいる家族の気持ちとも向き合う、想像を絶するほど大変なものだ。

 かつて、母を担当してくれた方も――冷たくなった母を前にして泣きじゃくる私の小さな背中を、震える手で摩ってくれたのを覚えている。


「夫も、転勤の多い自分をサポートしてくれるような相手を望んでいたから、ニーズがマッチしたというか」


「なるほど……」


「でもね。遥を産んで、小さな命の尊さに触れているうちに、不思議とエネルギーが湧いてきて。日本に戻ってから思いきって再開してみたら、そのやりがいを痛いほど実感して。自分が社会の役に立てる居場所のようにも思えたし」


 穏やかな声で語られる、より深い過去。


「勝手だけど……そうなると、自分の仕事を犠牲にしてまで彼に合わせることができなくなった。ずれていく価値観を責め合うばかりで、お互いを理解する努力を怠っていたの。そうしたらいつの間にか、取り返しのつかないほど気持ちが冷え切っていたのよね」


 義母はそこで言葉を区切り、私を見た。

 ハルとよく似た、芯の強い瞳。


「でも、マナちゃんと遥は違うよね」


「え……?」


「あなたたちは心から求め合って結婚したし、今でもそうじゃない。どの不安や迷いも、相手を思いやるゆえのものでしょう? 私たちとは、前提がまったく違うわよ」


 その言葉が、濃い霧に包まれていた私の心へ、一筋の光のように差し込まれていく。


「だから、私たちの過去と重ねても、あまり意味がないかもよ? マナちゃんがしたいようにして、遥にその想いを伝えれば、大丈夫だと思う」


 柔らかい微笑み。

 それを見て、肩に入っていた余計な力が抜けていくとともに、堪えていた涙腺まで緩んでしまいそうになる。


「もちろん、マナちゃんにとって、美容師っていうお仕事も大切よね。それは私も働いている身として、すごく共感するわ」


「…………はい……」


「何年かロンドンで遥と過ごしながら、美容師としてのセンスを磨くっていうのもありだし。もちろん、このまま日本に残って、こうして時々私とお茶したり、自分の仕事を楽しみながら、遥の帰りを待ってもいいよね」


 そう言ったあと「あっ」と口元を押さえた。


「私、また良くない提案してる? 『余計なこと言うな』って、遥に怒られるかな?」


 おどけたように肩をすくめた。


「そんなこと……ないです。ありがとうございます」


 首を振りながら、弱々しい声で心からの感謝を伝えた。


「私の息子は、ちゃんと『本物の相手』を見つけられて、よかったわ」


 義父のいない、この家で。

 安心したように呟く義母を見つめながら、少しぬるくなったジャスミンティーに手を伸ばした。


 自分の、本当の想いの輪郭に触れる。


 私が一番ほしいもの。恐れているもの。そして、失いたくないものは、何だろう。


 カップに添えた指先が、じんとした。


 私は――。

 あの少し伸びてしまっていた前髪を、自分のこの手で、切ってあげたいのだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。