第三話 雨の前
暮れの鐘まで、あと半刻もない。
北の列を囲むように、藁を巻いた杭が立った。ピオが打った。ここから先へは入らない、という印だ。
道具を蔵の前へ並べ直し、明日の順を伝える。次にやることが決まっていれば人は帰れる。
「南は今日見つけた三本から。切った枝は積まず、その場で焼くこと」
若い働き手がうなずいた。
「ピオ。北へ入るのは私とあなた、それに二人だけ。人数は増やさない」
「少ないほうがいいんですか?」
「入る人が増えるほど、病を持ち出す足も増える」
みんなを帰した。門の内に残ったのは、私とダリオだけだった。二人の間を風が抜けていく。
「案は二つあります」
私は地面に枝で線を引いた。園の形にはならないけれど、北と南が分かればいい。
「一つ。杭で囲ったところの病木だけ切る。失うのは古い木が二十本ほどと、その分の今年の実。安く済む。ただ、切らなかった木に病が残っていれば、次の雨で杭の外へ広がる」
「二つ。杭で囲った北の列を丸ごと。後で根も抜く。ここまでやれば、たぶん止まる。ただし、古い木は消える。今年の実も、冬までの仕事も減る」
「そして、どちらを選んでも、切った木は焼き場へ運ぶ」
ダリオは引かれた線を、ただ見ていた。
「ヴィオラさん。杭の内側なら、私の裁量に収まるはずです。どちらを選ぶのは、あなたが決めてください。私は木を読めません」
「読まなくていいです。読むのは私。決めるのはあなた。どれを失うかです」
「その二つは、分けられますか?」
分けられる。分けられるから、私はここに立っていられる。
「分けられます。私は見る。言う。そう書いてある紙を、あなたが今朝作りました」
「ええ。たしかに作りました」
ダリオは短くこたえた。
「よく出来た紙だと思っていました」
風が棚を鳴らした。
「一つ、いいですか。ヴィオラさん」
「どうぞ」
「あの行を落として、あなたのお父上は何を守るつもりだったのでしょう?」
「分かりません。紙には理由が書いてありませんから」
守る。
私はふと、北のほうに目をやって考えた。あの列を捨てると書けば、園はしばらく小さくなる。小さくなれば人は要らなくなる。
そうか。
守ろうとしたのは、人だったのかもしれない。かもしれないだけだ。父様はもういないし、いたとしても聞けば違うと言っただろう。
「あれは、落としていい行ではなかった。そう思います」
ダリオは北の列を見ながら言った。
「ですね……」
二人とも、そこから先は分からない。
紙は残っていて、木も残っている。二人の父だけがいない。
◇
門のほうで車輪の音がした。
荷車から降りてきたのは、背の低い男だった。黒いクロークの下に帳面を抱えている。荷車を降りても、そこから片手を離さない。
「会計役のモレッティです」
男は私へ礼をし、それからダリオへ帳面を開いた。
「見積もりを受け取りました。家が認めたのは、杭を立てた北の列までです。その内側なら、あなたの裁量で結構です」
「越えたら?」
「家の承認が要ります。使いは明日の朝いちばんに出します」
杭の外だけは、家の返事を待つなら今夜は切れない。
そのとき、風の向きが変わった。昼までは山から下りてきていた風が、いまは西から来ている。
雨の予兆。
私は二人に伝える。
「春の雨は、あと十日ほど来ないと見込んでいましたが、今夜に来る可能性が高いです」
モレッティが空を見た。雲は西の低いところにあり、まだ端が明るい。
「確かですか」
「確か、とまでは言えません。だから困るのです」
今夜、北の列を丸ごと切って雨が来なければ、残せたかもしれない木まで失う。病木だけを切って雨が来れば、残した木に病があった場合、杭の外へ広がる。
ピオたちはもう帰した。道具は蔵の前に並んでいる。木を切るときにやることも、頭の中では決まっている。
決まっていないのは一つだけ。
「ヴィオラさん」
ダリオがこちらを見ていた。
「どうすればいいか、あなたの考えをお聞かせてください」
いつもなら、ここで他人に渡す。それが私のやり方で、今日も朝からずっとそうしてきた。
口は開かなかった。
風だけが西から来ている。




